第5話

「うーん、でも私の風、狭いところには向かないんですよね」

「周りに被害を与えないようにするとなると、勢いが削がれるからだろ?」

「まあ、そうですが。でも滝先輩、よくそんなことまで知ってますね」

 肩をすくめたリンは不思議そうに頭を傾けた。滝は「ああ」と気のない声を漏らしてから、ゆっくりと立ち上がる。弾みで音を立てたソファに、不意に窓から陽光が差し込んだ。彼は少しだけ遠い目で、外の方へ目を向ける。

「一度、各地域を回ったことがあってな。その時にたまたま旋風の戦いを見たんだ。確か年上っぽい少年たちを相手にしてたんだが。複数だったな」

「え……? それっていつのことですか!?」

「レンカに会う直前のことだから、六年くらい前か?」

「六年……あああ、もしかして決着つけた時!? あぁ、恥ずかしい、あんなの滝先輩に見られていたなんてっ。――あれは、その、ちょっと近所の暴れん坊に鉄槌を下してみただけでして」

 リンは両手で頭を押さえて身を震わせた。「恥ずかしい」と繰り返した彼女は、悶えるのを堪えているように見えた。こういった反応は初めてだ。

 滝という存在はそんなに彼女の中で大きなものだったのか? それらしい発言は聞いたことがなかった。

「完膚無きまで叩きのめしてたよなあ。なるほどこれが旋風か、ウィンは安泰だなとあの時は感心した」

 一方、滝は楽しげに笑っていた。確かに六年ほど前、滝は見聞を広めるためという理由で各地を回っていた。長になればそのような時間が取れなくなるので、その前にという配慮だったと聞く。

 技使いが多くいるウィンにも足を運ぶのは当然のことだが、リンの姿を見たのは偶然なのだろうか。

 何だか居心地が悪くなったシンは、もう一度カップに唇を寄せた。この気持ちは以前にも味わったことがある。普段はできる限り意識しないようにしている、目を背けたいこの感情の名前は知らない。

 気に表れるなら、きっとそれは冷たくドロドロとした黒いものだ。

「道理で噂になるわけだ」

「もう、忘れてください。お願いします。恥ずかしい」

 ひたすら忘れてくださいを繰り返したリンは、途中で諦めたらしく肩を落とした。うなだれながらも、おずおずと紺色のカップを手に取る。

 横目で彼女を見遣ると、珍しくも落ち込んだように眉尻を下げていた。年齢相応の少女らしく見えると言ったら、彼女に怒られるだろうか。

「はぁ、もういいです。今さらですしね。ええ、あの通り私は遠距離、広範囲、時にねちっこく時に無慈悲な技のたたみ掛けを得意としてまして。だから、常に味方を巻き込む危険性があるんですよね。気をつけてはいるんです」

 その時の戦い方はよほどのものだったらしい。やはりリンの実力は折り紙付きということか。彼女が思うように戦えないのは、無世界であったり、状況のよくわからない亜空間内であったりしたことが要因なのだろう。

 それにしても、ねちこく無慈悲になどと自分で言うところが彼女らしい。そう表現されるとシンも見てみたくなる。

「あれくらいになると、誰なら大丈夫っていうのはオレの口からも言えないが。シンなら平気だろ。多少巻き込んでも大丈夫っていう意味でも」

「え、ちょっと滝さん!?」

 リンの戦い振りを想像していると、思わぬ言葉が耳に飛び込んできた。シンはつい声を張り上げる。

 実力を信頼してもらえるのは喜ばしいことだが、巻き込んでも大丈夫という物言いは聞き捨てならない。顔をしかめ滝へ目を向けると、ミツバとレンカが苦笑いしているのが視界に入った。当の滝は焦る様子もなく余裕の表情だ。

 滝はどうしてだかシンと青葉への対応がざっくばらんだし、他の人間に対するものよりも辛辣な言動を選ぶ。何度抗議しても笑って無視されるので諦めてきたが、ここは流していいところではない。

 すると、それまで渋い顔をしていたリンが吹き出した。

「あはは、そうですか。滝先輩のお墨付きなら心配ないですね」

「おいおい、リン……」

「だってヤマトの元若長の推薦よ? こんなに心強いことはないわ」

 軽く片目を瞑ったリンはいつもの調子を取り戻したようで、楽しげにカップへ唇を寄せた。言い返す言葉が見あたらずに、シンは首をすくめる。

 何のためにここへ来たのか、段々わからなくなってきた。続くミツバとレンカの笑い声が、室内に染み込んだ。




 地図の通りに歩いていくと、しばらくもしないうちに目的の部屋に辿り着いた。道を間違えていないことが確信できたのは、よつきが部屋から顔を出してくれていたおかげだ。

 何故か第五北棟は人気がないため、青葉が近づいたことを気で察知していたのだろう。幸いなことだった。

 けれどもよつきから得られた情報は、そう多くはなかった。

「突然あの青い男性に襲われたんですよ」

 そんな一言から始まったリシヤでの騒動の詳細は、青葉をただただ混乱に突き落とした。

 ラウジングが助けに来てくれたことも意外だが、青の男がアースたちになったという説明は、どう頑張って解釈しようとしても腑に落ちない。ますます困惑するばかりだ。

 それではあの男は一体何なのか? アースたちは何者なのか? 肝心なところが不明のままだ。

 一通り話を聞き終え、理解を諦めると、青葉は軽く肩を落とした。説明をしてくれたよつきも疲れた様相を見せている。だが、わけのわからない事態のせいだけではないだろう。彼らはリシヤより戻ってきてから、ずっとここにいるらしい。

「それで、よつきたちはいつまでその部屋に拘束されてるんだ?」

「わかりません。次の命令が来るまで待機していろと言われているだけなんです」

 ただひたすら待たされているだけ、というのはかなり気の毒な状況だ。梅花を長々と拘束し続けていたことを思い出すと、ますます腹立たしくなる。

 何かを決めかねている時、上はよく待機を言い渡す。自由を奪う意味を理解していないとしか思えない。それがいかに苦痛なのかわかっているのか?

「その辺がどうなってるのか、梅花に聞かないとな」

 よつきから得られる情報はこのくらいだろう。それにこのまま長居をしても、苛立たしさが募るだけだ。青葉はすぐに元の部屋へ戻ることにした。

 そろそろ梅花とラウジングの話も終わっている頃だ。上が何を企んでいるのかは知らないが、とりあえず青の男のことは梅花にも伝えておかなければならない。彼らは神魔世界にも現れるのだし。

「じゃあオレは戻る」

「はい。気をつけてくださいね。何かわかれば教えてください」

 よつきに見送られ、地図を頼りに青葉はまた歩き出した。一度通った道であれば間違えることはないだろうと思うと、行きよりは少し肩の荷が下りる。誰かに見つからないようにと気を遣う必要もない。

 それが、結果としては仇となった。人がいない第五北棟を歩いているうちはまだよかったが、そこを抜けて忙しない人々の動きに歩みを阻まれるようになると、曲がるべき角が正しいのかどうか怪しくなってきた。

 ひたすら白に覆われた廊下は、一本道を間違えたところで区別がつかない。本当にこの通りであっているのかという不安が、彼の胸をよぎるようになった。

「まずいな……」

 廊下の真ん中で立ち止まろうものなら、行き交う人々から「邪魔だ」という視線が突き刺さってくる。

 仕方なく青葉は脇へ退けた。それから一息吐き、彼はもう一度地図を覗き込む。あっているとは思うのだが確信はなく、ついつい眉間に皺が寄る。

「戻って確認するにしても、どこまで戻ればいいのか」

 そもそも、現時点だと思っている地点は本当にあっているのか。どうしてこんなにわかりにくいのかと悪態を吐きたくなる。誰かに尋ねようとしても助けてくれる者が皆無なのは、経験済みだった。

 ここは余所者には特に冷たい。そうするのが習わしだと言わんげな態度には、何度辟易させられたことか。

 地図を睨み付けていた青葉は、嘆息しつつゆっくり顔を上げた。いくらここで立ち止まっていても無駄に時間が経っていくばかりだ。間違えていないことを信じて進むしかないだろう。

 そう決意した彼の視界に、見知った顔がちらりと入った。見間違いかと思って瞬きをすると、その間に人波の向こうへ紛れてしまう。

 そこではたと気づいた彼は急いで気を探ってみた。あった。この距離なら間違えることもない。この気は梅花のものだ。

「おいおい、何でこんなところに」

 慌てて青葉は前へと進み出す。突然の動きに近くを通り過ぎた男性が舌打ちしたが、意に介している場合ではなかった。

 何故梅花がこんな所にいるのか? 傍にラウジングの気はないから、この近くで話し合っていたというわけでもなさそうだが。

 青葉は歩調を速め、人の間をかいくぐった。するとそう進まないうちに、流れに乗ることなくたたずんでいる彼女の横顔が目に入った。廊下の端で白い壁に片手をついている様子はどうも変だ。よく見ると顔色も悪い。

「梅花っ」

 周囲から注目されることは予想できたが、それでも青葉は名を呼んだ。弾かれたように梅花が顔を上げる。気で彼の存在を感知していなかったという証拠だ。つまり、それだけ余裕がなかったことに他ならない。やはりおかしい。

「何かあったのか?」

 小走りで駆け寄った青葉は、梅花の肩を掴んだ。そして周りの物言わぬ眼差しから庇うよう、そのまま彼女の背を壁にもたせかける。

 安堵したような動揺したような微妙な顔で見上げてきた彼女は、ついで廊下を行き交う者たちへ目を向けた。背を向けている青葉にも、好奇な視線が向けられているのはわかる。梅花は小さく頭を振った。

「何でも、ないわ。ここ、教えた道と一本違うけど、迷ったの?」

「え? ……あ、間違えてたのか。いや、今はそんなことよりお前の方だよ」

「だから、何でもないの。よつきたちには会えた?」

「会えた。わかった、ならまずはあの部屋に戻ろう。それでいいな?」

 何かあったのは明らかだが、ここでは口にしてもらえそうにない。他人には聞かれたくない内容なのか。

 こくりと素直に頷いた彼女の腕を引き、青葉は歩き出す。どことなく足元が覚束ない彼女を抱え込むようにしても、文句は言われなかった。ますます彼の中で不安が膨らんでいく。

 彼女の案内があれば、元の部屋に戻るのは簡単だった。部屋の扉が閉まると、ようやく彼も肩の力が抜ける。

 それは彼女も同様だったらしく、傍の壁にもたれかかって安堵の息を吐いていた。彼女が軽く目を瞑る様を尻目にしつつ、彼は机に地図を載せる。

「それで、何があったんだ?」

 再度問いかけると、瞼を持ち上げた彼女は微苦笑を浮かべた。いつも色白と言えばそうだが、やはり部屋を出る前よりも蒼白に見える。

 ラウジングからとんでもない話でも聞かされたのか? しかし、それだけではこうはならないだろう。家族との話があった時でも顔色そのものは変わりなかった。

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