第3話

「ただいまー」

「シンさん見てください、この花! いつもは見かけない――」

「あーはいはい、ローラインはまずはその花を飾ってきてちょうだい、話はそれからね」

 玄関の戸が開く音がしたと思ったら、賑やかな声が飛び込んでくる。家計簿を閉じたシンは、微苦笑を浮かべながら立ち上がった。

 今日はたまたまローラインの仕事が休みだったため、リンと二人で買い物に行ってもらっていた。帰りが遅いと心配していたが、どうやら花屋にでも寄っていたらしい。

 座卓の上に置いてあったリモコンを手にしてテレビを消すと、笑顔のローラインが部屋に飛び込んでくる。

「ほら見てください、美しいでしょう! 今から飾りますね」

 シンの反応を待つこともなく、ローラインは花瓶のある台所の棚へ向かう。よほどの浮かれようだ。

 苦笑を押し殺していると、玄関から傘をたたむ音が聞こえた。それから程なくして、買い物袋を二つ手にしたリンが部屋の中に入ってきた。一つは元々ローラインが持っていた物なのだろう。

 歩み寄ったシンは何も言わずに、重そうな紙袋の方を奪い取る。そしてちらとローラインの方を見遣った。

「はしゃいでるな」

「そうなの。まあ、久しぶりのまともなお休みだからね。この間のは、亜空間の件で潰れちゃったようなものでしょう?」

 眉尻を下げたリンは、ローラインに続いて台所へ向かった。シンは手にした袋の中をのぞき込み、思い切り顔をしかめる。紙袋の中身は白い箱だらけだった。それなりに重いが、これらは一体何なのか。

「……これ、何だよ」

「ん? それ? 食器。この間サツバとローラインが喧嘩して割っちゃったでしょ? あ、いいからその辺に置いておいて。後でローラインが綺麗にしまうんだそうよ」

 白い箱を見下ろしていると、冷蔵庫の辺りからリンの声がした。ローラインが置き場所まで決めるということは、選んだのも彼なのか。

 若干嫌な予感がしたが、リンも一緒だったことを考えるとそこまで実用性のない品ではないはずだ。素直に頷いたシンは、言われた通り隅の方に紙袋を置いた。下手に触らない方がいいだろう。

「予定にない出費だけど、買いすぎてないだろうな」

「大丈夫、厳選しておいたから。ローライン、その倍以上買おうとしてたのよ」

 顔をしかめつつ振り返ると、リンは冷蔵庫の中を睨み付けていた。金銭感覚については彼女が一番しっかりしているので、心配はいらないと思うが。

 それでも確認してしまうのは苦しい時期を経験したせいだろう。いまだに感覚が抜けきらない。家賃を払うことさえ苦労していたあの頃には、もう戻りたくなかった。

「あ、そうそう、帰りにシークレットのアサキたちと会ったのよね」

 台所へ近づこうとしたシンの耳に、予想外な名前が飛び込んでくる。アサキというと、あの不思議な喋り方をする青年だったか。

 首を捻ったシンが冷蔵庫に近づくと、台所の奥からローラインの鼻歌が聞こえてくる。冷蔵庫の中を睨み付けているリンの横顔に、シンは話しかけた。

「シークレットに? どこで?」

「花屋のすぐ傍。アサキたちもどこかの帰りだったみたい。状況はよくわからないけど、青葉と梅花は神魔世界に報告に行ってるんだって」

 何かを諦めたらしく、冷蔵庫を閉めたリンは顔を上げた。それだけでは何が何だかわからないと目で問いかければ、彼女はゆるゆると首を横に振る。

「アサキたちもよくわかってないみたいなのよ。まーろくなことではないでしょう。何だか、わからないことだらけよねぇ」

 腰に手を当てたリンは大きなため息を吐いた。重々しい空気が広がるが、そんなことは知らないとばかりにローラインの鼻歌は続いている。彼女はしばし考え込むような素振りを見せてから、つとシンの方へ目を向けた。

「今さらだけど、私ってばシンのこともろくに知らないのよね」

「……え?」

 神妙な顔で思わぬことを口にされ、シンはたじろいだ。この二年ちょっとほぼ毎日のように一緒にいるというのに、まだそんな風に思われていたのか。

 それとも言いたいのは『別の何か』についてか? 内心で動揺していると、リンは深々と相槌を打つ。

「私、シンがどんな風に戦うのかも知らないのよ」

 しみじみと述べるリンに、シンは強ばった笑みを向けた。安堵したのか落胆したのか、自分でもよくわからない。

 それを彼女も訝しく思ったようで、不思議そうに首を傾げられた。しかし追及するつもりはないらしく、ちらとローラインの様子を確認してから軽く髪を掻き上げる。

「この間、亜空間で変な奴と戦った時、初めて梅花の戦い方を見たの。あの子は視野が広いし周りにあわせて戦うこともできるから困らなかったけど。いつもそうとは限らないのよねー」

 どうやらリンの思考はこの一見平穏な時間から離れているらしい。アサキと顔を合わせたからだろうか? 梅花たちが報告に行くとなると、ただ青の男がやってきたというだけではないのだろう。

 顔をしかめたシンは何と返すべきか逡巡する。どの言葉も、今のリンの思考には及ばない気がする。

「アースたちは、何でだか私たちを殺すつもりはないみたいだったけど。でもこの間のあの獣は違った。死ぬとかそういう実感は全然湧かないけど、でもこのままじゃあよくないと思うのよねー。ただ何かが起こるのを待ってるだけとなると、後手後手じゃない」

 リンの言わんとすることが、シンにもようやく飲み込めてきた。確かに、ここ数年共に生活しているだけあって彼女の性格はわかっている。

 しかし技使いとしての彼女を知っているかと問われたら、彼は首を振らざるを得ない。無世界では基本的に技を使うことは禁じられているから、仕方が無いと言えばそうだが。

 一方、滝や青葉の技の得手不得手、戦い方についてならよく知っていた。手を合わせたことも数え切れないほどなので、どういった場所であればどんな風に判断するかも、おおよそ予測はつく。二人の動きになら、さほど神経を使わなくても対応できるだろう。

「つまり、互いに技使いとしての個性を把握しようってことか」

「そうそう、そういうこと! さっすがシン、話が早いわ」

 両手を打ったリンは、ぱっと顔を輝かせた。しかし、把握と言ってもそう簡単にできることではない。実際に技を使うわけにはいかないから、口だけの説明になってしまう。それでも何も聞いていないよりはましだろうか。

「なら、滝さんたちのところに行ってみるか」

 フライングとピークスは神魔世界に行っている。シークレットも青葉と梅花は不在だ。となると残るはストロングだけだった。彼らが日中何をしているのか聞いたことはないが、誰もいないということはないようだったと記憶している。

「滝先輩たちにも聞いてみるってこと?」

「それもあるけど」

「あるけど?」

「滝さんたちのところは、広いらしい」

 そう告げたシンは肩をすくめた。リンは奥にいるローラインへ一瞥をくれてから、堪えきれずに苦笑する。

 ある程度の話をするとなると、一般人のいない環境が必要だ。しかしこの狭い部屋に他の神技隊を呼び寄せるのは無謀だった。ならば出向くしかない。

 もちろん、滝がいればシンの動きについて客観的な評価を下してくれるだろうという思いもある。加えて、どんなところに住んでいるのか、一度見てみたいという純粋な興味もあった。どのようにしてその住処を手に入れたのかという点も気になる。

「わかったわ。ローラインのお片付けも時間が掛かりそうだし。私たちだけで行きましょう」

 頷いたリンは、ローラインの鼻歌に耳を澄ませた。久しぶりの休みなのだから満喫させてやりたいという思いもあるのだろう。

 こちらの話を聞いているのか聞いていないのか、ローラインは無反応だ。ならばそっとしておこう。勢いに乗っている彼の相手をすると、こちらが疲弊してしまうし。

「そうだな」

 破顔したシンは首を縦に振り、窓の外へ目を向けた。今朝から降り続けている雨が、止む気配はなかった。




 ストロングの住む家は、シンたちのアパートよりも南の方に位置していた。電車でしばらく揺られた後、駅からさらに三十分ほど歩いたところにある。

 いや、迷わなければもっと早く辿り着いただろう。住宅街からやや離れたところにひっそりたたずんでいたため、見つけるのに手間取ってしまった。

 側に緑化目的の大きな広場があったことも災いした。奇跡的にもあのひどい雨が止んでくれたので助かったが、降り続いていたらさらに難渋した可能性すらある。傘を差す必要はないがまだ雲は重く垂れ込めており、辺りはどことなく薄暗かった。

「ようやく見つけたな」

 シンは立ちはだかる建物を見上げた。やや大きめの古びた一軒家だ。

 今まで無世界で見て来た建物とは趣を異にしている気がするが、建てられた年代による違いなんだろうか。滝から詳しい特徴を聞いていなければ、これが普通の家とは思わなかったに違いない。

「しかし、これが幽霊屋敷か」

 滝が苦笑混じりに口にしていた呼び名を、シンはぽつりと呟いてみた。もっと頼りない家を想像していたが、予想は外れた。

 ざらざらとした鼠色の壁や石の塀には所々蔦が絡みついており、得も言われぬ雰囲気を醸し出している。雨に濡れた門や開きかけた黒い柵を見る限りでも、造りはしっかりしているようだ。

 そこまで広くはないが庭もついているし、少なくともシンたちの住むアパートよりは立派だった。

 隣に立つリンへ一瞥をくれてみたが、どうやら同じことを考えているらしい。その横顔にはわかりやすく「羨ましい」と書かれている。

 それにしても、呼び鈴を鳴らしたのに応答がないのには困った。聞こえていないのだろうか。気は感じられないが部屋の一部に明かりが灯されているから、留守ということもないはずなのだが。

 どうしたものかとシンが眉をひそめていると、ようやく門の向こうで扉がギシッと音を立てた。

「あ、いたいた。突っ立ってないで入ってー!」

 重そうな戸を押し開けて顔を出したのは、ミツバだった。シンたちも気を隠していたので、訪れたのが神技隊であるということはすぐに気づいたのだろう。

 笑顔で手招きするミツバに一礼して、シンは門の中へ足を踏み入れる。リンの靴音も後から追いかけてきた。

「ごめんね、その柵それ以上は動かないんだ。まあ入って入って。ホシワとダンはいないんだけど、滝たちならいるから。あんまり広くはないんだけどさー」

「いえ、十分です」

 にこにことした笑顔を振りまくミツバに、シンは危うく硬い言葉を返すところだった。それでもやや笑みがぎこちなくなることは止められず、自分の心の狭さに辟易してくる。

 シンたちだって、当初とは違い懐にも余裕ができてきたのだから、もう少し広い部屋に引っ越すことも可能だった。しかしそのための準備の時間や手間を考え、現状を維持しているに過ぎない。

 このところの異変続きで、引っ越すなどますます無理になったか。

「迷わなかった? 見つけづらかったでしょ。ここは元々空き家みたいなものでさー。周りからは幽霊屋敷って呼ばれてたんだって。実は違法者が住み着いていて、人を寄せ付けないために技で脅かしてたんだけど」

 シンたちが何故やってきたのかは気にならないらしい。尋ねもせずに家の中に入ったミツバは、そう説明しながら上を見る。つられてシンも顔を上げた。

 無世界でよく見かける建物よりも天井が高い。平屋だったのか。変色した壁を見る限りでも、やはりずいぶん古い建物のようだ。

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