第5話

 リンがいなかったらスピリットもばらばらであっただろうと、シンはいつも考える。実際、昔の神技隊の中には統率がうまくいかずに実質機能しなかった隊もあるらしい。

 赤の他人である五人の若者が見知らぬ世界で仕事をこなすという難しさは、想像以上のものがある。かといって知り合いで固めてしまうと、ある地域から技使いが一気に減ってしまうことになる。

 神技隊を選ぶのは、ほぼ一年がかりらしかった。神技隊を派遣し終わった次の日には、次の神技隊について考える。そういう流れだろう。

 だから神技隊に関わることのみを目的とした多世界戦局専門部という部門が存在している。名前はいまいちわかりにくいが。

「五年かあ。ようやく三年目だもんな。半分……も経ってないんだよな」

 北斗の呟きがシンの耳にも届いた。同意したいようなしたくないような。振り返るとあっという間だったという気もするし、まだ二年しか経っていないのかとも感じる。

 ただ、この生活がずっと続くような気になっていたことは否めなかった。そろそろ五年経ったときのことを考えなければならない時期ではあったのに。

「そろそろ慣れてきたしと思ったところでこれだものね。本当に、何が起こるかわらないものよねぇ」

 しみじみとリンが続ける。誰にも見られていないが、シンは相槌を打った。

 まさかこんな亜空間に来ることになるとは思いもしなかった。こうなってしまうと、今後何が起こるかわからない。あのアースたちがいる限りは、無世界にいても安心していられない。

「ところでさっきからシンは黙ったままだけど、何かあった?」

「え? いや、何も」

 そこで突然リンから声を掛けられ、シンは慌てた。さも何かがあるような返事になってしまった。ただ考え事をしていたと言っても、疑われそうな言い回しだ。

 振り向いたリンの怪訝そうな視線に照れ笑いで返し、シンは耳の後ろを掻いた。何だかばつが悪い。

「それならいいけど……」

「シンさんはきっちり仕事をしているんですよ、美しい」

 言葉を濁したリンに対して、ローラインがうっとりとした口調で答えた。北斗とサツバの苦笑が続く。

 これで追及されることはなさそうだと、シンは密かに胸を撫で下ろした。そしてローラインが嘘つきとならないよう、また辺りに視線を巡らせる。少しずつ道を上っているが、景色は変わらなかった。ひたすら木々と草が見えるばかりだ。

「……ん?」

 だが不意に、シンは違和感を覚えた。何がどうとうまく言葉にできるものではないが、強いて言えば何かが動いた感覚だ。気だとはっきりわかる強さではないが、生き物の気配とでも言うべきか。

「今、何か気配しなかったか?」

 足を止めたシンは、すぐさま声に出して尋ねた。すぐ目の前にいたサツバが振り返り、かすかに眉根を寄せる。「真面目だな」と半ば呆れ混じりに呟かれた言葉を、シンは無視した。

「何も感じなかったか?」

「オレは何にも。気のことならリンに聞けよな」

「あ、ああ」

 不満そうに歩みを速めたサツバの背中を、シンは見つめた。気のせいだったのだろうか? 辺りへと精神を集中してみたが、それらしき気配は感じられなかった。

 疑心暗記にでもなっているのだろうか? この世界のどこにも気は感じられない。神技隊は全員隠してしまっているから仕方ないとはいえ、気のない世界というのは不気味に思える。

「おいこら、シン、置いていくぞー」

 そのまま立ち止まっていると、サツバの不機嫌な声が響いた。もう一度周囲を確認してから、シンは再び前方へと向き直る。道の先を行く四人の姿は、思ったよりも遠くにあった。慌てて彼は小走りする。

「仕事熱心なのはいいけど、はぐれたら洒落にならないんだからな」

「わかってるって」

 振り返りもしないサツバに、シンは頷いてみせた。サツバの向こうで北斗が苦笑しているのが、震える背中からわかる。サツバがわざとぶっきらぼうな声を出していると理解しているからだろう。

 いつものことだ。気遣いや厚意を素直に表現できないのは、まだ子どもといったところか。そういうシンも、サツバとは四つしか離れていないが。

 あともう少しで追いつくというところで、ひときわ強い風が吹いた。今までの微風とは違う、あらゆるもの押し流そうとする強い空気の流れだった。

 手を掲げて顔を庇ったシンは、その時視界の隅を黒いものがよぎったのに気づく。下草の揺れも、風によるものとしては不自然だった。はっとした彼は目を凝らす。

「今――」

 喉からこぼれた声も風に押し流されていく。道の脇へと向き直り何度か瞬きをしてみたが、黒い影がよぎった場所には何もなかった。数歩近づいてみても、草が踏まれている跡もない。

 視界の邪魔をする前髪を押さえながら、シンは顔をしかめた。確かに何かが動いたはずなのに。

「あそこに、何か――」

 影がいたはずの場所を指さしながら、シンは振り返った。そして絶句した。

「あ、れ?」

 間の抜けた声が漏れる。細長い道の先に、仲間たちの姿はなかった。先ほど見たのと変わらず、緩やかにうねりながらも続く道があるだけだ。遙か彼方にも人影はない。

「おい、嘘だろう?」

 思わずシンは顔を引き攣らせた。彼が立ち止まった時間はそう長くはない。全く姿が見えなくなるほど距離が開くわけがなかった。

 それなのに四人の背中はどこにも見あたらない。もちろん、精神を集中させてみても気は感じ取れなかった。さやさやと揺れる木々の葉が、長草が、静寂を強調している。

「冗談だろう」

 道の先へ一歩、また一歩と踏み出したシンは、意を決して駆け出した。「空間がねじれているところがある」というラウジングの説明を、今さらながら思い出す。

 しかし道を間違えなければ同じところに辿り着くはずだ。――空間のねじれ方が変わらなければ。

「いつアースたちが来るかわからないのに、一人ってのはまずいだろっ」

 ぼやきははっきりとした言葉にはならず、口の中だけで響いた。舗装されていない小道の走りづらさに、つい舌打ちしたくなった。




 アサキとようの二人は、うねりながら続く細道を歩いていた。

 青葉たちとはぐれたのはつい先ほどのことだ。石に躓いたようをアサキが助け起こしていたら、気づいた時には仲間たちの姿が見えなくなっていた。

 しかもただ見失っただけではない。二人が草原だと思っていた場所は、いつの間にか道の脇の茂みになっていた。

 信じがたい状況だったが、ここは謎の亜空間。きっと空間のねじれを通り抜けてしまったのだろう。

 そう結論づけたアサキは、仕方なく道なりに沿って歩くことにした。同じ場所に留まっているのが落ち着かなかった。揺れる葉が奏でる旋律のみしか聞こえない世界では、不安ばかりを覚える。

 だがいくら進めども同じような風景しか現れず、アサキは徐々にこの選択を後悔し始めていた。逆方向に進んだ方がよかっただろうか。あの場所にじっとしているべきだったか。

 俯いたアサキは思案する。今ここでアースたちに狙われるのはまずい。できるだけ早く他の仲間たちと合流したかった。

「ねえ、アサキ。あれ」

 引き返すことも考え始めた時、後ろを歩いていたようが声を掛けてきた。顔を上げたアサキははっとして目を凝らす。

 代わり映えしない木々の向こうに、人影が幾つかあった。見覚えのある後ろ姿だ。道端にいるのが仲間であることを確信したアサキは、片手を挙げる。

「せぇーんぱーい!」

 この際、親しい知り合いでなくともかまわない。神技隊であれば十分だ。どう見ても疲れた様子で座り込んでいるようだったが、それすらどうでもよかった。アサキの後ろでは、ようも両手を大きく振り上げている。

 声を張ったおかげで、あちらもアサキたちの存在に気づいたようだった。

 最初に立ち上がったのは、フライングのリーダーであるラフトだ。すぐにわかったのは、ラフトが同郷者であることを知り真っ先に覚えたためだ。フライングのラフト、ゲイニは、アサキと同じジンガー出身である。教えてくれたのは梅花だ。

 とはいえ単なる同郷者でしかなく、神魔世界では顔を合わせたこともなかった。

「おー! って誰だったっけ?」

 歓声を上げたラフトは、次の瞬間大きく首を傾げる。やはり覚えられていないらしい。アサキは笑顔を浮かべたまま、ようの手を引いて走り出した。少しでも距離を取ると、いつ空間のねじれに巻き込まれるかわからない。念のためだ。

「シークレットのアサキでぇーす」

「僕はようだよ!」

 楽に声が届く距離まで近づき、アサキたちは自己紹介を繰り返した。ラフトはぽんと軽快に手を打つ。

 すると彼の後ろで立ち上がった仲間たちが、おもむろに顔を突き出してきた。男女二人だ。男性の方は、もう一人の同郷者であるゲイニだった。整髪料で塗り固めたと思われる髪と、鋭いつり目が印象的だ。

 女性の方はくるくると渦を巻く金髪が目立つ、つぶらな瞳の持ち主だった。名前は思い出せない。

「オレはフライングのラフト! で、こっちがゲイニでそっちがヒメワ」

 二人の仲間へと一瞥をくれてから、ラフトはそう紹介する。女性の名前はヒメワというらしい。フライングは三人は一緒のままだったのか。歪ではあるがこれで五人という人数は揃ったと、アサキは安堵する。

「先輩たちもはぐれたんでぇーすか?」

「そうなんだよ。本当、この世界はどうなってるんだか。嫌になっちまう」

 頭の後ろで手を組んで、ラフトは唇を尖らせる。アサキよりもそれなりに年上だったように記憶していたが、子どもっぽさを感じさせる口ぶりだ。しかし先輩は先輩。それ相応の対応をしなくてはいけない。

 ようの手を離したアサキは、相槌を打ちながら辺りへと視線を巡らせた。

「先輩たちはずっとここに座ってたんでぇーすかぁ?」

「おう。迷子になった時は動かない方がいいだろう? 今までは誰も通りかからなかったけどな」

 迷子とは違うと口にしそうになるのを、アサキはすんでのところで飲み込んだ。呑気な三人だ。しかしそのおかげで合流することができたので、今はよしとしておく。

 自分たちは一体どの辺りにいるのだろう? アサキは空を見上げた。どれだけの距離を歩いていたのかも定かではない。時間感覚も怪しくなってくる。日が昇るわけでも沈むわけでもなさそうで、そもそも明るいのに太陽の姿が確認できなかった。

「ここは本当に変な空間ですねぇー」

 これが亜空間というものなのか? しかし、いまいち定義が理解できない。レーナが生み出したあの白い空間もそうだし、特別車の中の部屋もそうだった。それらに共通点など見あたらない。

「何がどうなってるんでしょーう」

 太陽を探しながらぼやいたアサキは、ふと視界に何か黒いものが映ったことに気がついた。目を瞬かせてみても、それは消えない。青空に浮かぶ白雲の中に、小さな黒い点が存在している。

 呆然と見つめているうちに、それはどんどん大きくなっていった。はっとしたアサキは、ようの腕を掴み後ろへ飛び退る。

 小さな悲鳴が上がった。強い空気の流れを引き連れて、アサキの前に何者かが飛び降りてくる。

「見ーつけたっ!」

 音もなく着地したのはイレイだった。技を使ったのだろう。人差し指を突き出してきたイレイは、ようと同じ茶色の瞳を爛々と輝かせている。獲物を前にした動物のようだ。アサキは息を呑んだ。何度見てもやはり似ている。

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