8 「不覚だ」

 ──その声は、突然響いた。


「いちいち仰々しく構えるのはいいけど、ちょっと隙が大きすぎるわね」


 直後、ガイラスヴリムの首筋から青い鮮血が散る。


「ぐっ……!?」


 苦鳴を上げた魔将は斬撃を中断して跳び下がった。


「貴様は……!」


 赤い魔剣を構え直し、俺をにらむ。


 ……いや、にらんでいるのは俺じゃない。


 一体いつの間に現れたのか。

 俺のすぐ側に、一人の少女が立っていたのだ。


 腰まで届く流麗な紫色の髪。

 露出の多い踊り子の衣装をまとった、褐色の肢体。


 右手に構えた大ぶりのナイフには、魔将の青い血がこびりついている。


「サロメ──!」


 どうやら別働隊だったらしく、数十メティル先から冒険者や騎士、魔法使いらしき一団がやって来るのが見えた。


「無敵の魔将様も油断を突かれたら脆いみたいね」


 サロメは長い紫の髪をかき上げ、嘲笑した。

 いつもの彼女とは別人のように酷薄な表情だ。


「……なるほど、隠密系の因子を持っているのか。道理で気配に気づかなかったわけだ……」


 ガイラスヴリムがサロメをにらんだ。


「しかも、それだけではないな。貴様の因子は──」


「殺すわ。お前は、このが」


 口調まで別人のようになったサロメが、冷ややかに告げた。


「エルゼ式暗殺術の神髄、見せてあげる」


 その姿が突然、揺らいだ。

 まるで空気に溶け消えるように──。


 俺はその姿を見失う。


「消えた……だと……!?」


 ガイラスヴリムがうめいた。


「私の因子は『隠密』」


 直後、サロメは魔将の背後に現れていた。


 まるで瞬間移動だ。


「エルゼ式暗殺術隠密おんみつ歩法『伊吹いぶき』──これが私の切り札。気配を完全に断った私は、たとえ魔王でも捕えられない」


 振るったナイフがガイラスヴリムの背中を切り裂く。


「大口を叩くな……!」


 赤い巨剣を縦横に振り回す魔将。


 だけど、そのときにはすでに彼女の姿は消えている。


 異常だった。

 たぶん数メティル以内にいるはずなのに──姿がまるで見えない。


 ルカみたいな超スピードで視認できないわけじゃない。

 もっと、別種の力だ。


 というか、見えないんじゃなくて『気づけない』んじゃないだろうか。


 おそらく『気配を断つ』という能力を極限まで高めた体術──。


「どこを見ているの?」


 サロメの姿が消え、


「こっちよ」


 また一瞬だけ現れる。


「ちいっ……」


「残念。こっちよ」


 嘲笑とともに、魔将の体から血がしぶいた。


「……なるほど。厄介な体術を使うな」


 全身を覆う甲冑を青い血に染めながら、ガイラスヴリムがうめいた。


「武人さんは正々堂々の戦いがお得意みたいね」


 魔将の背後に忽然と現れたサロメが、冷ややかな口調で言った。


「だけど私の本領は暗殺。正面から戦う必要はない。戦うつもりもない。正々堂々なんて無駄無意味無価値。ただ隙を突き、殺すだけ」


 また、青い血が散った。


 魔将にはサロメの動きが見えず、サロメは魔将を斬りつける。

 一方的な勝負だ。


「ルカとの戦いのダメージが残っているみたいね。動きが鈍いわよ」


「……確かに傷は負っているが、人間ごときに後れを取るなど、魔将の名折れ……」


 ガイラスヴリムはなおも巨剣を振り回した。


 吹き荒れる衝撃波が周囲の岩盤を爆裂させる。

 大地がえぐれ、亀裂が走る。


 手負いとは思えないほどの、すさまじいまでの斬撃だ。

 だけど、サロメは巧みに姿を消して移動し、攻撃範囲から逃れ続けた。


「……ナイフごときで俺を殺せると思うな……貴様が疲れて動きが鈍れば、気配を捕えられる……」


「あら、ナイフで殺すなんて一言も言ってないわよ?」


 サロメの微笑が聞こえた。


 ──俺のすぐ側で。


 相変わらず気配を感じなかったが、いつの間にか移動していたらしい。

 彼女が俺にぴったりと寄り添った。


「ハルトくん、防御魔法を」


 耳元に柔らかな唇を触れさせ、甘い吐息とともにサロメがささやく。


 触れ合う肌は柔らかく、艶めいている。

 こんな場じゃなかったら、ドギマギしていたところだ。


 だけど、ここは戦場──俺は気を引き締め直す。


「……分かった」


 すぐさまサロメを抱きしめて、護りの障壁アーマーフェイズの効果範囲内に彼女を入れた。


「じゃあ、仕上げね」


 サロメは懐から何かを取り出し、中空に放り投げた。


 炸裂する小さな火花。

 小型の火薬だろうか。


「なんだ……!?」


 魔将が訝った直後──、




 閃光と轟音が、弾けた。




「くっ……お……おお……」


 爆炎が晴れると、甲冑がボロボロになったガイラスヴリムが立っていた。


「き、貴様……ぁ……!」


「どう、マジックミサイルで伝説級魔法レジェンドレアスペルにまで引き上げた魔法の味は? さすがに効いたでしょう?」


 サロメの笑みは、ゾッとするほど酷薄だった。


 以前、リリスは通常級魔法コモンスペルを二段階上の威力を持つ超級魔法レアスペルにまで引き上げ、竜を倒した。


 ならば今のは──名前からして超級魔法レアスペルのさらにもう一ランク上の威力で食らわせたんだろう。


 さっき放り投げた火薬は、発射のタイミングを知らせる合図ってわけか。


「ルカがお前を傷つけ、削り、私が引きつけて、背後の魔法使いがマジックミサイルで一撃──全部、手はず通りよ」


「不覚……人間どもを相手に、ここまで傷を負うとは……」


「今なら私のナイフでも殺せそうね。アギーレシティや他の都市で皆殺しにされた人たちの無念、晴らさせてもらうわ」


 サロメがナイフを構えた。


「不覚だ……ぐ、ううっ」


 ガイラスヴリムがうめく。


 ふいに、全身を覆う黒い騎士鎧から火花が散る。


 二度、三度。

 同時に、その体が陽炎のように揺らめき、薄れた。


 なんだ──!?


 怪訝に思ったのも束の間、魔将の姿はすぐに元に戻る。


「……時間制限タイムリミットが近いか……覚悟を決めねばならんな」


 つぶやくガイラスヴリム。


「人間ごときに百パーセントの力まで使うことになるとは……だが、このまま醜態をさらすなら……理性も、意志も、命すら捨ててでも……貴様らを討つ」


 ──刹那。


「っ……!?」


 ぞくり、と全身に鳥肌が立った。


 まるで周囲の気温が急に下がったような錯覚。

 それほどの、尋常ではない重圧。


「俺の全力には暗殺術など通じぬ。そして貴様も──」


 血の色をした眼光が俺に向けられた。


「神の力といえど、しょせんは人間という器を通して発動するもの……すべてを捨てた俺の全霊の剣……防げるものなら、防いでみるがいい……」


 ばぐんっ、と音を立てて、ガイラスヴリムの兜と仮面が弾け飛ぶ。

 その下から現れたのは、狼のような顔。


「るぅぅぅぅぅぉぉぉぉおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉオオオオォォォンッ!」


 ガイラスヴリムが吠えた。

 獣の遠吠えに似た、咆哮だった。


 そして、魔将は変貌する。




 すべてを破壊し、殺戮する──狂戦士に。

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