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 おびただしいゴミ袋の山の中、花村家の3人は川の字で放り出されるようにして横たわっていた。夫婦二人は裸同然の格好で、全身にくまなく青黒い痣ができているのが見える。子どものサツキは目立った外傷はないようだったが、それでも血に染まった衣服から完全に死んでいることが見てとれた。


 そう、余すところなく死んでいた。しかもこれはゾンビが襲ったわけじゃなく、明らかに誰かに殺されている。悪意を持って、その上で死体を隠そうとしているのだ。


 驚いてバッカンから落ちてしまいそうになったが、なんとか踏みとどまる。ゾンビ騒ぎで死体を見慣れていたことが功を奏した。数瞬だけ考えた後、俺はこのことをハルミたちには黙っておくことに決めた。できるだけ平静を装って、ハルミたちに「中にはなにもありませんよ」と言う。語尾が少しだけ震えてしまったが、2人は気づかなかったようだ。


 3人で建物の中に戻った後、俺は朝食を取り終えた信者たちを集めて花村一家が失踪してしまったと全員に伝えた。話しながら、俺は自分を見つめる数多の瞳を右から左に値踏みしていく。心配そうに顔色を曇らせる者、やっぱりかと呆れている者、十人十色の反応だったが、何人かは無表情のまま、訴えるような目つきで俺を見ていることに気がついた。正気を失っているのか、はたまた籠城生活で疲れが出ているのか、判別はつかない。


 奴が話していたならば、こんなことはなかっただろう。悔しいが、どうすることもできなかった。俺には商売の才能はあるかもしれないが、それはあくまで帳票のやりくりが上手なだけであって、教祖のような「人たらし」の技術は全くないのだ。話し下手でいつも無理くり表情を作っているような俺が、彼らから本心を引き出すことなどできるはずがなかった。


 不安を引きずったまま、自室に戻る。俺はすぐさま、鍵を閉めた。錠を回す指先が震えていた。冷静に、冷静に。自分に言いきかそうとするが、一人になってしまったからだろうか、押し殺していた恐怖がじわじわと爪先の方から登ってきた。


 花村サツキの虚ろな瞳が、死に際のあいつと重なって脳裏に焼き付いていた。どうして死んだのかわからない、そんな表情だ。そんなこと、俺にもわかるはずがない。今分かっていることはただ一つだけ。この施設の中に、人を、それも年端もいかない少女すらも殺してしまった奴がいるということだ。


 しかも、それはおそらく複数犯。たった一人で家族3人を殺せるとは思えないし、暴行の跡から見ても明らかだった。少なく見積もって3、4人。もしかしたらもっと。そんな異物があの40人の中に混じっているのだ。


 例えようもない怖気が走る。世界がゾンビパニックに陥る前までは、信者どもはどいつもこいつも人畜無害で、まるで自分の意思を持たない操り人形のような奴しかいなかった。しかし、舞台は一変し、肝心の操縦者も死んだ今となっては、奴らがどう動くのかなど想像だにできないのだ。そんなことを今更になって自覚し、戦慄する。


 せめてこの悩みを共有できる相手が欲しかった。ハルミにだけは打ち明けても良かったのかもしれないと今になって後悔する。そうしなかったのは、ハルミですらも俺は深層心理で疑っていたからだろう。こんな似非団体で幹部などしていたら嫌でも人間不信になるのは仕方ないが、その凝り固まった性根のせいで秘密はどんどん俺の中に溜まっていく。今回のことにしろ、教祖が死んでしまったことにしろ。水底に積もったそういった澱が、ふとした拍子でひび割れから漏れ出てしまったのなら、それはもう取り返しのつかない量になっているのかもしれなかった。


 ノックの音で我に帰る。


 思ったよりも時間が経っていたようだった。腕時計の針を確認すると、もう夕方だ。夕食を食べ、祈りの儀式をする頃合いである。寝ていると思った誰かが起こしにきてくれたのだろう。気は重いが、今は普通に振る舞うほかなかった。


 扉の向こうにハルミを期待していたが、出迎えたのは中年の主婦であった。


「亀田さん、大変です」


 開口一番、唾を飛ばしながらその女は言った。これ以上何かあったのかと驚く反面、ああやっぱりという気持ちもあった。着実に目には見えないところで、少しずつ何かが歪み始めている。


 半ば引っ張られるようにして、俺は玄関ホールへと連れ出された。近づくにつれて、興奮した口論の切れ端を鼓膜が捉えた。甲高い声と、低い声。男女が言い争っているようだ。


「教祖様が死んだなんて言い出すからだ!」


 ひときわ大声で発せられた言葉に息を飲んだ。足を止めたしまった俺を、手を引いていた女が怪訝そうに振り返った。もう少し屋内が明るければ、動揺を悟られていただろう。


 俺は彼女の手をやんわりと解いて、騒ぎの中心に歩みでた。何事かを罵り合っていた男女が俺を見て、口をつぐむ。そこでようやく、女の方がハルミだということに気づいて驚いた。どちらかというと大人しいハルミがホール全体にまで響き渡るような怒鳴り声を上げていたのか。


「……これはどうしたんですか?」


 二人の間にあった険悪な空気に投げかけるように質問した。ここでハルミに尋ねると贔屓と取られかねないからだ。


「失踪した花村一家のことですよ、亀田さん。あそこのガキ、サツキって言ったか、そいつが昨日、あり得ないことを喋ってたから、だから天罰が下ったんだって話してたんですよ。そしたらこの女が絡んできて、困ってたんです」


 そうだそうだ、と背後からヤジが飛んでくる。ハルミと同様、男の方も良く知る顔だった。教団の青年会、端的に言えば勧誘を積極的に行なっているグループのリーダーを務めている池島だ。信心に厚く、独身で働き盛り。おまけに教団内でもシンパが多い。文句なしにヤバい部類の信者だった。


 だから刺激せずに、この場は丸く収めて解散させるのが最善手だっだだろうが、俺は先ほどの言葉の真意を確かめずにはいられなかった。


「あり得ないこと、と言うのは教祖様が死んだ、と言う話ですか。サツキちゃんはなんと言っていました?」

「逃げてくる途中でゾンビに食べられているのを見た、って。ちょっと亀田さん、ショックなのは分かるけど、顔怖すぎですよ」

「ハルミちゃん、あなたも聞いていたんですか?」

「はい、あの子色んな人に喋ってましたから。私も不謹慎だから注意はしてたんです。まあ、大多数は子どもの冗談だと思って取り合わなかったんですけど、池島さんたちはそれに本気で怒ってて。それで、いなくなってからも花村さんたちのことを悪く言うものだから、私もついカッとなってしまって」


 ハルミが早口のまま何事かを続けて言っていたが、上手く聞き取れなかった。耳の辺りが発火でもしたかのように熱を帯びている。


 子どもの曖昧な発言だ。ハルミのように真剣に受け取らない、あるいは池口のように不謹慎だと怒りを露わにするのが関の山だ。だが、もし俺がその言葉を聞いていたならば。教祖の死が真実だと知る俺だったら、もしかしたら別のことを考えてしまったかもしれない。厳重に注意するか、ここから追い出すか、それも難しいなら口を封じる。死人に口なしだ。


 馬鹿げた想像だとは思うが、事実として花村一家は殺されている。奇妙な符号。俺の他に教祖が死んだことを知っている人物がいて、それを隠したがっている? あり得ない。利点がないではないか。混乱を避けるために家族丸ごと殺していたのでは、元も子もない。


 周りがまた争いの気配を漂わせていたが、思考の渦に没頭していた俺は逃げるようにしてその場を後にしていた。口論に夢中で、俺を呼び止める者もいない。鬱屈した空気の中、あちこちから起こる怒号と子どもの泣き声。許容量を超えた淀みが、ピシピシと音を立てて溢れ出そうとしている、そんな混沌めいた多重奏のようだった。

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