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「今日は駅裏のコンビニにしようよ」


 僕らの歩みはとても遅い。いくら僕が走れなくなったといえ、普通に歩くぐらいはできると言っているのに、ユウは一向にペースを上げてはくれなかった。


 『ゾンビ狩り』から帰る途中、馴染みのデパートから食料を調達していく。それがいつものルートだった。足が早いものから消化していき、最近ではもっぱら缶詰ばかりの生活だったが、それに飽きてきたのだとユウは言う。まさか、また無茶をしたいからそう言っているのではないか、と少しだけ疑うが、それはないだろうと思い直す。『ゾンビ狩り』の時以外は、彼女は生き延びることを何よりも優先していた。


「いいけど、こっからだとどうやって行くんだっけ?」

「もう少し先の高架下を抜ければ、駅の南側に出られるから、そこのロータリー近くだよ」

「そんな目立った場所だと、もう他の生存者に食べ尽くされてるんじゃないかな」

「それならそれで、救いがあるじゃん。だってほら、私たちまだ一度も他の人に出会ってないでしょ?」


 ユウが言う通り、僕らはあの日以来、ゾンビ以外の人間を見かけたことがなかった。明らかにおかしいということは、前々から疑問に思っている。噛まれて死んだにしてはやけに人の姿が少なすぎるのだ。あの時教室に篭っていた僕らが無事だったということは、もしかしたら大気中に何か毒素のようなものが混じっていて、それを吸った人たちがゾンビになったのかもしれない。憶測ではあるが、現状を鑑みるとあながち間違いとも言えなさそうだ。


 やっぱり、皮肉だよな。


「何か言った?」

「いいや、なんでもないよ」

「ふーん、そう。それにしても、この辺りはいつ見ても映画みたいだよね」


 言われて、辺りを見回してみる。なるほど、確かに『ありがちな』光景がそこには広がっていた。


 線路沿いの大通りには、乗り捨てられた車がぽつぽつと未だ持ち主の帰りを待って停まっていて、信号は点灯することもなく無言を貫き、踏切は中途半端な角度で静止している。少しだけ寒さを帯びるようになった風が並木を揺らす葉音だけが、この街に流れるBGMだ。


 そんな中で動くものは僕ら二人と時折、どこかから這い出してくるゾンビたちだけだ。まだ気づかれていない距離であれば、僕らは足音を潜めて脇道へと逸れた。入り組んだ街中では、どこから沸いてくるか分かったものじゃない。足を止めて戦っているうちに囲まれれば、ユウはともかく走れない僕では逃げ出すことは叶わないだろう。だから、こうして極力戦闘は避けている。不意打ちで死ぬ気はない。


 住宅街の中も、時間が止まってしまったいるような静寂に包まれている。縁側の窓が割れていたり、玄関の柵が薙ぎ倒されていたり、所々に惨劇の轍が残っていた。ここも学校と同じような状況だったのだろう。


「そう言えば、ペットとかも全然見ないよね」


 空になった犬小屋を見ながらユウが言う。


「ゲームだと犬とか猫もゾンビになってるのが定番だけど……」

「やだ! 脅かさないでよ」

「でも、もし犬なんかに襲われたら終わりだよね」

「そう……だね」


 沈黙。


 追求はしない。どうせはぐらかされるだけだし、気まずい空気は嫌だからだ。


 しばらく歩いて再び大通りに戻り、高架下を抜ける。普段は行かない方面だったので、ゾンビがわらわらしているかもと危惧していたが、駅の南側も先ほどと似たり寄ったりの状況だった。目指すコンビニはすぐ先にあり、開きっぱなしの自動ドアが見えた。


「ちょっと待って」


 自動ドア前の段差を登ったところでユウに呼び止められる。口元に人差し指を当て「静かに」の合図。それに従って耳をそば立てると、カラカラ、と空き瓶が転がるような音が微かにコンビニの中から聞こえてきた。


 バッドを構えて、ユウが僕の前に立つ。


「様子を見てくる。アキラは外を見張ってて」


 言われた通りに僕はロータリーへと視線を巡らせた。無残にもガードレールに突っ込んだバスが、傾いたまま止まっている。遮蔽物はそれくらいで、他にゾンビが潜んでいそうな場所は見当たらなかった。コンビニの中にいるのがゾンビ一体なら、問題なく対処できるはずだ。


 不味いのは、それ以外。心のどこかで怖れていた事態。


「アキラ! 来て!」


 慌てたユウの声が響いた。普段ならゾンビを寄せ付けないために、狩りの時は除いて大声を出さないのに。声にも全く余裕がない。嬉しい知らせではないことはすぐにわかった。ちりちりとこめかみが痛む。嫌な予感はたいてい当たる。否定するように、僕は勢いよくコンビニの中へ飛び込んだ。


 散乱したペットボトルや酒ビンの中に、それは倒れていた。


 尋常ではない汗。小さく漏れる喘ぎ声。年頃は小学校の低学年くらいだろうか。分からない。これくらいの歳の子は大人びていたり、逆にもっと幼く見えたりで。違う、大事なのはそんなことじゃない。


 僕たち以外の、初めての生存者だ。小さな、女の子。そこまではまだいい。想定の範囲内だ。だけど、この様子は。


「アキラ、これ見て」


 半袖の白いワンピースから伸びる枝のような細い腕。少女らしい無垢な肌に、くっきりと刻まれた赤い傷跡があった。等間隔に並んだその傷跡は、誤魔化しようがなかった。最悪だ。


「まさか、噛まれてるのか、その子」

「……どうしよう、アキラ」


 二人とも、声が震えていた。気を抜けば叫びだしたくなる衝動を抑えて、僕は大きく息を飲んだ。


「それ、落ちてるペットボトル。まだ開封されてない水で傷口を洗って。僕は応急処置できるものがないか、奥を探してくるから」

「うん、うん、でも」

「落ち着いて。もしかしたらこの子を襲ったゾンビがまだ近くにいるかもしれない。手当が終わったら、一度家に戻ろう」


 落ち着いて?


 自分が言った言葉に、反吐が出そうになった。


 僕たちは学校で散々見て来たのだ。ゾンビに噛まれた人間がどうなるのかを。


 よりにもよって、こんな僕らの前に。神様に唾を吐いてやりたい。許されることなら怒鳴り散らして暴れたい。


 だけど、駄目だ。僕らはこの上なく死にたがりだけど、でも年端もいかない少女をただ見捨てられるほど出来上がった狂人ではない。矛盾に苦しむ心がぎしぎし軋む。それでも僕の理性は、コンビニのバックヤードへと足を運ばせて、棚の上にあった救急箱を掴ませていた。

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