第117話 愛って(3)

夜の11時半を回った頃だった。


高宮はシャワーを浴びて、ペットボトルの水を飲みながら明日の会議の資料に目を通していた。


そこに


携帯が鳴る。



「あ、加瀬ですけど、」


声の調子がいつもと違う。


「ああ。 今日は遅かったの?」


時計を見る。


「今日、渋谷で北都マサヒロさんのピアノミニライブがあって。 それが11時前まであったんで。」


「え? そんなに遅くまでやってるの? ピアノのコンサートって。」


「・・なんか、すごいんです。 も~」


と言った後に、


真尋のライブがこれまでのクラシックコンサートの常識を打ち破るようなもので、もう言いようのない興奮に包まれて、自分的テンションがかなり上がってしまったことなどを、機関銃のようにしゃべり始めた。



「あたしクラシックのコンサートってくしゃみもできないんじゃないかって思っちゃったんですよぉ。 でも! 真尋さんの格好もジーンズにTシャツで。 しかも! 途中から靴も脱いじゃって裸足なんですよ? んで、盛り上がってくるとみんな立ち上がっちゃって。 手拍子とかもしてるんですから! コレ、なんか武道館かなんかのコンサート? みたいな!」


「へえ…」


高宮は彼女が興奮して喋りまくるのを、にこやかに聴いていた。


「まあ。曲目はほとんどわかんなかったんですけど! でも、あ~、クラシックってすごいんだあって。ここまで盛り上がれるとは思いませんでした。」


絵梨沙が


彼のピアノから離れられないって言ったことが


ほんの少しだけわかるようで。


隣の席にいた彼女の横顔は


大事な大事な


宝物を眺めるような視線で。



彼女の気持ちを思った瞬間、夏希はハッとして、


「す、すみません。 一方的に話をしてしまいました…」


高宮の存在を思い出す。


「いや。 すっごい楽しかったって気持ちが伝わってきたよ、」


彼は


優しくそう言ってくれた。


「忙しいですか? お休みとか、あるんですか?」


「休みはね。 1日休んだことは…なかったかな。 これから年末に向けてまた忙しくなるし。」


「ほんと、体大事にして下さい。」


「・・ありがと、」


高宮はふと微笑んだ。


「お正月休みとかは戻れないんですか?」


「どうかな。 仕事もわからないし。 実は正月の2日に妹が結納をすることになって。」


「結納、」


「例のオヤジの第一秘書と。 ウチ、地元長野だから。 正月三が日だけど、なんか時間がないらしくてね。 そこですることになるらしい。 一応、おれも行くことになるし。」


「そう、ですか。」


それが


彼にとってどういう意味を持つことなのか。


夏希にはわからなかった。


それでも


そのことが彼の運命を少しずつ変えていくのではないか、と心配になる。






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