『よだかは、実にみにくい鳥です。』3
午後五時。文化部は帰宅する時間になると夜鷹たちは図書室を出た。
「先輩方、また明日~」
「冬喜くんまた寝落ちちゃだめだよ~」
「もう大丈夫ですって~」
文芸部は集団下校みたいに全員で校門を出て、それぞれの分かれ道で手を振りながら帰る。仲が良いだけでなく、住んでいる地域も同じ方向だからというのもある。そんな堅苦しい理由よりも、楽しいからというだけなのかもしれない。
最後まで一緒だった修司に手を振って、夜鷹は小学校に足を向けた。古びたコンクリートの校舎は、三年経った今見ると、ずいぶんと幼くなったような気がする。
校門から入って、うさぎ小屋の前を通る。生徒が使っている昇降口から校舎に上がり、一階の一番奥にある学童に足を向けた。
「こんにちは~ 倉敷です」
事務室の戸を開けると、男の子と囲碁をしていたボランティアのおじいさんが「はいはい、ちょっと待ってね~」と椅子から腰を上げた。
「おにいちゃんっ!」
教室から転がるように男の子が一人飛び出してきた。小学三年生になる弟の翡翠だ。大きな垂れ目が嬉しそうに細くなって、勢いよく夜鷹に抱きついた。
「おかえりなさぁいっ」
「ただいま~ 翡翠、いい子にしてた?」
「いい子にしてたっ!」
「ほらほら翡翠くん、ランドセル忘れてるよ」
おじいさんからランドセルを受け取って、「ありがとうございました」と丁寧に翡翠は頭を下げた。夜鷹も一礼してから学童を後にする。
「今日は何してたの?」
「おりがみおしえてもらってたの! つると、やっこさんと、かざぐるまと……もっとたくさん! あとでおにいちゃんにもおしえてあげるね!」
「ありがと~翡翠」
「あ、おにいちゃん」
「ん?」
「いちばんぼしー」
淡い紫色に変わっていく空を、翡翠と一緒に見上げる。西の空に輝く金色の星。
「ほんとだ~」
金星。宵の明星。その華麗な光芒はどの星よりも優雅に煌めく。天空より愛をもたらし、永久に美をまとい司る女神ヴィーナス。黄昏のヴェールをゆっくりとあげて、彼女がこちらを見ているようだ。
夜鷹は苦笑した。話を書いていると、どの光景も文章に昇華してしまう癖が付いてしまったようだ。
「一つ星みつけた、ちょうじゃになぁれ♪」
翡翠が澄んだ声で童歌を口ずさんだ。
「星さん、星さん、一つの星で出ぬもんだ。千も万も出ぬもんだ♪」
これも学童で習ってきたと言っていた。
「翡翠、こんな歌もあるの、知ってる?」
そう言って夜鷹はすぅっと息を吸い込んで『星めぐりの歌』を歌ってみせた。
倉敷家は住宅街の外れにある、白を基調とした一軒家だ。三階建てで、小さいながらも庭があり、夜鷹たちが作った花壇には、毎年違った花が咲く。
「ただいまー」
「ただいまーっ」
「おかえりなさい、夜鷹、翡翠」
二人の二重奏に、リビングで新聞の夕刊を広げていた父の優一郎が答えた。細面の輪郭に優しげな垂れ目が迎えてくれる。
「お父さんただいま。今日早かったんだね」
鞄を背負ったままリビングに向かうと「鞄は部屋に置いてきなさい」と優しく窘められ、また翡翠との二重奏が「はーい」と響く。
夜鷹の部屋は三階の屋根裏にある。屋根裏に上がるには梯子を使い、天井にあいた四角い穴から入る。夜鷹くらいの年頃の少年の心くすぐるものだった。ベッドと机と本棚が二つ。小さな戸棚にはいくつものファイルと部誌の『夜明け』が並んでいる。
「は~、今日も疲れた~」
鞄を机に置いて、制服のままベッドに倒れ込んだ。ふかふかの布団に顔を埋めると、暖かい匂いがした。不意にお腹の辺りが痛くなる。今日殴られた箇所だった。そっと手を添えて瞼を閉じる。
「大丈夫……大丈夫……」
制服から私服に着替えて、宿題を箱に入れて屋根裏部屋を出た。
リビングに向かうと、翡翠ともう一人、小学五年生の妹の蜜姫が優一郎に宿題を見てもらっていた。
「あ、お兄ちゃんおかえりーっ」
「蜜姫もおかえり。帰ってたんだね」
「お兄ちゃんまた転んだ? ほっぺ擦り剥いちゃってるよ」
ガラスのローテーブルに、小学生と中学生のノートやドリルが広げられる。宿題は兄弟全員で。それが夜鷹たちが決めたルールだった。このとき、親が帰ってきていたら見てもらうのだ。
「宿題は終わったかしら?」
キッチンから母の奏子が顔を出した。
「終わったー」
「ちょっとまって、私まだ……」
「それじゃ、ごはんの後にやろうか。夜鷹もな」
優一郎がぱんと手を叩くと、蜜姫と翡翠は「はーいっ」と元気よく食卓に着いた。原稿を書いていた夜鷹も「おなかすいたー」と立ち上がった。
屋根裏部屋は、夜鷹が優一郎に頼み込んで自分の部屋にしたのだ。少年心に理解のある父は、喜んで部屋に仕立てるのを手伝ってくれた。
「夜鷹」
入り口から優一郎が顔を覗かせていた。部屋に上がってきて、一冊の本を夜鷹に差し出した。先月の『夜明け』だ。
「読んだよ」
夜鷹はできあがった原稿を優一郎に読んでもらっている。優一郎が読みたいと言ったのと、文芸部以外の感想も聞きたかったのと、両方の理由からだ。
「どうだった?」
「うん、夜鷹が書いたにしてはかわいらしい話だったね。童話をモチーフに書いたのは初めてなんじゃないか?」
「えへへ、今回はちょっと趣向を変えてみました」
「だから前に好きな童話は何か、聞いてきたのか」
「そうでーす」
ベッドに並んで座って部誌を開く。こうして感想を聞く時間が夜鷹は好きだった。博物館の学芸員をしていて造詣が深い父は、いろんな知識を夜鷹に与えてくれる。
「それじゃ、遅くならないうちに寝なさいね。夜鷹」
優一郎がそう言って頭を撫でる。これがプチ批評会の閉会の合図だった。
「はい」
電気を消すと、天窓から月明かりが差し込んだ。外を見ると下弦の月が煌々と藍色の空を照らしているのが見えた。半月でも、影ができるくらいに部屋の中は明るかった。
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