第40話 重なる魂。運命は覆る。

 指から血を流し、首には真赤な痛々しい跡をつけて、それでも桜は、脇目もふらず、幸也の元へと飛んでいく。


 大悪魔は、何かを鋭く叫び、もう用を為さなくなった黒い鎖をほうりだし、手に持った巨大な鎌を振り上げて、桜の無防備な背中を狙った。


 がっ。


 鎌は振り下ろされることはなかった。

 何か強大な力に阻まれ、引き留められていた。

 鎌は、びくりとも動かない。

 大悪魔は恐る恐る後ろを見た。

 全身が、嫌な具合に緊張する。

 それは、大悪魔にとって決して認めたくはない、屈辱的な感情だった。

 恐怖。

 そして、プレッシャー。


 悪魔が居る。目許は前髪に隠れ影になって見えない。口元は、笑っている。

 不敵な笑みに歪められた口。

 鎌の漆黒の刃は、悪魔の手に握られ、細かく震えていた。

 大悪魔がどんなに力を込めてもそれは悪魔の腕から離れなかった。

 悪魔はつまらなそうに手を離す。

 鎌は、そのまま宙を引っ掻いた。

 勢いでよろけた大悪魔は、思わず下を見た。

 青白い蛍の光のように、桜の体が闇に舞い、小さくなっていく。

 大悪魔は精一杯目の前の悪魔を睨んだ。

 真赤なコートを着た男の両手には、赤い巨大な炎がめらめらと燃えていた。

 失われたはずの片腕はいつのまにか治っていた。

 悪魔の全身には、新しい力がみなぎって溢れていた。


「契約は成立だ」


 悪魔は、落ち着いた声で言った。その、限りなく透明な願いを祈った男の子に発した言葉は、とても優しい口調だった。


「この魂と引き換えに、お前の望みを叶えよう」


 悪魔は、両手の炎を交ぜあわせ、一つの巨大な炎の塊にした。

 桜の最後の命。

 幸也と桜の過ごした二人の思い出。

 奇跡すら起こす希少な魂。

 炎はやがて消え、悪魔の手には、巨大な漆黒の鎌が握られていた。

 大悪魔のものよりも、大きく、冷たく、黒く、鋭く、美しい。

 そんな鎌だった。


「彼と彼女にとっておきの祝福を」


 大悪魔の顔色が変わる。

 大悪魔は唾を飲み込み、何故だか笑った。へらへらとした、どこか自信なげな、薄っぺらい、卑屈な笑みだった。

 死を超越する魂?

 神が定めた運命を覆すほどの力を悪魔が行使?

 まるで悪夢だ、と大悪魔は思った。


「あの娘が死ぬのは運命だ。神が定めた運命だ」


 かすれた声で、大悪魔は言い訳めいた事を言った。そう、自分が信じたかった。

 死神の定めた死者を悪魔ごときが否定する。

 そんな話、聞いた事も無い。


「ふふん」と悪魔は、自信たっぶりの傲慢な口調で答えた。ちっちっちっ、と指を振って不敵に笑う。「運命なんてクソくらえ」


 くそくらえーっ、と悪魔の後ろで使い魔も嬉しそうに叫んだ。


「神に逆らうのかッ?」


「神様が恐くて、悪魔が出来るかよッ」と悪魔。


 できるかよーっ、と拳を振り回しながら使い魔。


「上等だッ! 神の名のもとに、俺の命に代えてもあの娘は殺してやる!」




 大悪魔の体に殺気と緊張感が満ちました。

 赤字覚悟で大悪魔も手持ちのありったけの魂を使い、チカラに変えていきます。

 悪魔と大悪魔の間の空間が歪み、空気は膨張し、雪は二人を避けて飛びました。

 悪魔は、もう小さな光の点になった桜に、優しい視線を向けます。


「なあ。ハチ」

「はい。ごしゅじんさま」

「俺がやったこと、ムダじゃなかったんだな」

「当たり前じゃないですか。ご主人様があの二人の願いを素敵に叶えて、魂を昇華したんです! そして、それを使ってあの子たちは自分の運命に抗ったんです。最高です。素敵です。ていうか、好きです! ご主人様だいすき!」

「ありがとな。でも、神様に逆らっちまって、後がこえーな」

「ううん。ぜんぜん。ハチはご主人様と一緒なら、神様ともやり合う覚悟ありまくりです。ていうか好きですハチはご主人様が」

「そうか」

「そうです」

「悪魔だもんな」

「わたしたち、悪魔です。怖いものなんかありません!」

「悪魔の契約は絶対だしな」それは、ここには居ない男の子に向かっての呟きでした。「ま、仕方ねえよな。これだから、子供の客ってのは乗らねーんだ」


 悪魔は、巨大な鎌をゆっくりと振り上げ、大悪魔を睨みました。


「てわけだ。勝手で悪いが、お前にはやられ役になってもらうぜ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます