第36話 叫べ

 桜と大悪魔の前に立ちはだかる人影。

 赤いコートを着た男。

 そして側に寄り添う黒い服を着た女の子。


『サンタさんっ』桜は叫びました。


「なんだ、貴様ら」大悪魔は睨みます。


 悪魔は何も言わず、桜だけを見つめました。


「おまえ」


 桜がはっとするぐらい強く真剣な口調で、悪魔は言います。

 ぞっとするような凄惨な声音だったけれど、不思議と桜は恐いとは思いませんでした。

 桜は悪魔を見ます。

 悪魔のその瞳は、桜だけを映しています。桜だけをしっかりと見据えています。


「おまえ」ともう一度、悪魔は言いました。「それで満足か?」


『え?』


「何を言っている? おまえ、この俺の仕事の邪魔をする気か?」


 悪魔は大悪魔の事など視界にも入っていません。


「お前はそのままで良いのかって、そう聞いてるんだよ」


 桜は考えます。そして、少しだけ健気に笑うと、言いました。


『はい。だって、これが運命なんでしよ? 私、わかってるんです』


「気にいらねえな」と悪魔は言いました。


 使い魔は何も言わずに、悪魔の隣に浮かんでいます。


「いつまで良い子ちゃんで居る気だよ」


『え?』


「運命だからって、はいそうですかって従うのかっ。受け入れて、大事なもんほっぽらかして、自分を誤魔化して、そのまま死んじまうのかっ」


「黙れっ」


 大悪魔は鋭く叫び、鎌を振るいました。鎌はぴったりと悪魔の喉元に添えられます。


「それ以上くだらないことを言ってこの俺の邪魔をする気なら、殺すぞ」


 悪魔は大悪魔なんか全然無視して続けます。「どうなんだよッ」


 悪魔の瞳は相変わらず桜だけを見ています。

 桜は言いました。儚い声で、とても上品に。


『ううん。いいんです。だってゆうちゃんがわたしのために……』


「ゆうちゃんなんかどうでもいいんだよッ」


 悪魔は桜の言葉を遮りました。

 桜は驚いて悪魔を見ました。


「お前のことだろうがっ。他の誰でも無い。お前自身の気持ちだろうがっ」


 大悪魔は無言で鎌を少し動かします。悪魔の首の皮に青い線が入り、真っ青な液体の小さな塊がいくつかぷっくり浮かび上がります。

 使い魔の女の子は叫びそうになりました。

 けれど、真剣なご主人様の横顔をじっと見て、悲鳴を飲み込みます。

 悪魔は何かを握った右手を差し出しました。

 桜はじっとその手を見ます。

 悪魔がそっと手を開くと、上に向けた右の手の平には、小さな蒼い炎がめらめらと静かにしずかに燃えていました。


 固く透き通るような、綺麗な蒼い炎。

 桜の魂。

 最後の命のかけらです。

 魂はまだそこにあったのです。

 願いはまだ何もかなえられていません。

 代価は支払われる事無く悪魔の手の平に残っています。


「叫べ」


 静かに、そう、悪魔は言いました。


『……さけぶ?』


 桜はかすれた声で繰り返します。


「叫べよ!」


 悪魔は身を乗り出し、桜の裸の華奢な肩を片手で掴み、桜の小さな体を強く揺さぶります。


「たったひとことで良いっ。お前のことは、お前自身でなんとかするしかねえんだっ」


 さけぶ?

 なにを?

 なにをさけべばいいの?


 桜は思わず、通か眼下の学校の屋上の大好きな男の子の姿を見ました。男の子は泣いています。『あたし』を抱きしめ、泣きじゃくっています。

 もう痛みなんて感じないはずの桜の胸が、ちくりと痛みます。

 悪魔の手の平の上の蒼い炎が一瞬大きく揺れ、そしてまた元に戻ります。


 ………さけぶ?


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