第26話 対決

 下っ端悪魔とそのナマイキな使い魔から受けた屈辱を思い出し、全身を怒りにぷるぷる震わせながら冬空を飛ぶ大悪魔に、立ちはだかる人影がありました。

 鳥よりも高く飛んでいるはずの大悪魔です。そんな自分を通せんぼするなんて、同じ悪魔業界関係者としか思えません。

 ぴったりとしたタイトスカート。きっちりとボタンがとめられた白いブラウス。きちんと手入れのされた肩までのまっすぐな黒髪。雪のように白い美麗な顔。

 お馴染みの悪魔秘書さんでした。

 いつも通り、その顔は精緻な美しい人形のように無表情……ではありませんでした。


「このビチグソヤローが」


 額に青筋を浮かばせ、歯をむき出しにした凶暴な顔で悪魔秘書が言いました。まるで怒った大型の肉食獣です。悪魔や使い魔が見たら目玉を飛び出させそうな、別人のごとき顔と言葉遣いでした。

 あのあのあの、というささやき声なのか吐息なのか分からないような、いつものたどたどしい喋り方ではありません。ドス黒いオーラが煙のように全身から立ちのぼっているその姿は、女悪魔という名称がぴったりです。


「ん」と大悪魔は怪訝そうな顔で目の前の怖い女性を見ました。「おまえ……」


「黙って見てりゃ、あのひとに毎度毎度ナメた態度とりやがって、いい加減、ぶっ殺してやろうか? このタコスケ」


 悪魔秘書が吠えました。いつも見ていた、とさりげなくストーカー発言です。


「あ?」と大悪魔は事情が良く呑み込めません。「なんでお前が地上に居る? 部署がまったく違うだろう。それに、あのひとだと?」


 大悪魔は、自分よりもさらに上級の悪魔である女を見ました。

 ランクは格上ですが、直属の上司ではない為、特別へりくだったりはしません。

 それでも、目の前で烈火のような怒りに燃えている女悪魔は、そうとう上位に位置する超エリートだけに、さすがに慎重な態度で接します。


「テメエが知ったことか。ヘニャチンちょんぎって犬に食わせるぞボケが」


 悪魔秘書さんは刃のような瞳で大悪魔を見据えながら、ものすごい事を口にします。いつも上品で大人しい悪魔秘書さんが、これは一体どうした事でしょう。


「問答無用か…まあいい」と大悪魔は余裕の態度を崩しません。相手が女だからとかなり舐めています。

 冷酷な笑みを口元に浮かべると、手に巨大な鎌を生じさせました。やる気です。

 悪魔秘書の切れ長の瞳が、狩りの瞬間の猛獣のように細められました。ゆっくりと広げた細く長い腕の左右それぞれに、美しい二振りの鎌が音も無く現れました。

 両刀使いのようです。

 それを見た大悪魔が、ほぉ、と不敵に唇を歪めます。


 悪魔の戦闘力は鎌の大きさが目安なのです。

 目の前の悪魔秘書は二本の美しい鎌を構えてはいるものの、その大きさは自分の方が上回っている、自分の方が強い、と大悪魔は確信したようでした。

 位は悪魔秘書の方がかなり上ですが、事務職である分、現場職である大悪魔に比べ純粋な戦闘能力では劣るようです。


 それでも悪魔秘書さんは一歩も引かず雄々しく大悪魔と正対します。

 ぷかぷかと空中に浮かび、タイトスカートから伸びた細く長い脚を勇ましく開き、色っぽくふくらんだ白いブラウスの胸をぐっと張ります。両手をかっこよく交差させ、両鎌を目の前で静かに構えました。

 ひゅううう、と冷たい風が吹き、悪魔秘書さんの細くてさらさらの髪を揺らします。

 大悪魔は薄笑いを浮かべてそんな悪魔秘書さんを見据えていましたが、ふと、何かに気づいたような顔をしました。


「あのひと……まさか、さっきの下っ端の事か? おまえ、もしかして、アイツに惚れているのか?」


 ひゅぼっ! と突然何かが景気よく燃える音がしました。

 悪魔秘書さんの頭から火が吹きあがる音でした。

 髪がぶわっと逆立ちます。

 顔中にぷつぷつと汗の珠が噴出しました。

 サウナに入れた温度計のように、首から上に向けて赤いラインがみるみる上昇していきます。

 泣きそうな顔で口をパクパクさせた悪魔秘書さんは、


「え、あ、いやそのいやその惚れてるなんてわたしなんてその本性こんなだしこんなのバレたらわたし死んじゃうし、だいたいあのひとわたしになんてまったく興味ないみたいだしいやそこが良いのすてきなのでも惚れてるだなんてそうはっきりええとどうしようどうしよう私あのあのあのもうだめよだめだめちょっとそんなねえ、はっきり言われたらははは恥ずかしくてしんじゃうころされるだってあのひとはわたしのことのなんてまったくこれっぽっちもだからいいのわたしは遠くから黙ってあのひとのすがたを見ているだけでそれでじゅうぶん幸せだしそれ以上なんてだから、その、そう、はっきり、惚れてるだなんて、言われたら、はははははは恥ずかしくてしぬしぬしんじゃう」


 頭からのろしのように白い湯気をのぼらせ、真っ赤を通り越して赤黒くなってしまった顔を両手で覆い、イヤンイヤンと身体を左右に揺らしながら、早口言葉みたいにひとり言を呟く悪魔秘書さん。別人です。


 もはや説明不要でしょうがこの悪魔秘書さんは使い魔の親分悪魔さんにベタボレで、自分の立場も、お互いの地位の格差も忘れ、思春期の少女のような純粋さで悪魔のもとに足繁く通っては、思いを打ち明けるどころか恥ずかしさのあまり口が利けないという、健気で不毛な日々を過ごしているのでした。


 地を出すときっと嫌われてしまうという恐ろしいまでの強迫観念から、悪魔の前ではまともにしゃべることも出来ず、感情の無いロボットのように固まってしまうのです。なんなんだかなー、もう。


 チッ、と大悪魔は苛立たしげに舌打ちしました。瞬きする間もなく、腕の大鎌が、目にも止まらぬ速さで真横に一閃していました。

 一瞬、何事も起こらずその場はシーンとしていました。

 風がまた強く吹きました。

 悪魔秘書さんのブラウスの胸元の布地が細かく千切れ、ばらばらになって風に飛ばされました。大きな形の良い真っ白な裸の胸がモロに現れます。


「んんんんんんんんん!!!!!」


 声にならない悲鳴が響きます。

 自分の恥ずかしい姿に気づいた悪魔秘書さんが、両手の鎌を放り出し、露わになってしまった胸を両腕で必死に隠しました。

 ビチグソとかタコスケとかボケとかすごいボキャブラリーで口汚く言っていたわりには、とても乙女な反応でした。どう考えてもこちらが素のようです。


 全身ゆでダコのように真っ赤になってうずくまって泣き出した悪魔秘書は、撃墜された飛行機のようにきりもみしながら、地上へ堕ちていきました。


「あほくさ」


 使い魔といい、この女悪魔といい、いったいなんであの下っ端ばかりが……と、悪魔を取り巻く古風な恋愛模様ラブコメディと、自分自身の脇役モブっぷりに、言いようの無いムカつきを覚えながら、大悪魔は、唾を吐き捨てて、さっさと仕事に戻るのでした。

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