第25話 髪の毛

 使い魔は、知らず大悪魔をぎりぎりとにらんでいました。伝説の石化魔女のようなはげしい視線です。


「ん」とさすがに大悪魔は使い魔の女の子の視線に気がつきました。「なんだ、おまえ」

「私は……使い魔のハチです」と使い魔は毅然きぜんとして言います。負けてたまるもんか。そう思います。

「ハチっ、やめろっ」と悪魔は言いました。

「ハチ? ああ。クズ悪魔の使い魔風情ふぜいか」


 大悪魔はクールに言い捨てます。そして、好色そうな瞳で、使い魔の女の子の身体の柔らかな曲線をじろじろ眺めます。

「いったい私のご主人様に、何の用なんですか?」と使い魔は腕を組んでふてぶてしく言いました。

 これ以上愚にもつかない自慢話には付き合ってられません。

 けれど、話を中断させられた大悪魔は気分を害したようでした。


「使い魔は悪魔に絶対服従だと、学校で習わなかったのか?」

 見下すように言い放ちます。

「絶対服従なのは、主人の悪魔に対してですよ。そんなことも学校で習わなかったんですか?」

 使い魔は嫌みたっぶりに言い返しました。

 大悪魔はぶわっと真赤になりました。

「貴様ぁッ……!」鋭く叫びます。

 悪魔は慌てて、大悪魔の前に割って入りました。

「あー! ちょっと待った! こらハチ! やめとけ! ……すいませんねえ、こいつしょうがないやつで……。ほら、あやまれ」


 黒い風が唸りました。

 その瞬間、悪魔の喉元に鋭い真っ黒な刃が当てられていました。

 悪魔は言葉を飲み込みます。

「ふんっ」と腕をまっすぐに伸ばし、大鎌の柄を握った大悪魔は、悪魔を睨みながら言いました。「あまり舐めたことを言うと殺すぞ」


 使い魔は「ぐぎぎぎ」と歯ぎしりして黙ります。柔らかな茶色のロングヘアが逆立っています。


 悪魔は仕方なく、「ところで今日はいったいどういったご用件で地上のほうへ?」と丁寧に尋ねました。

「おまえは阿呆か? 俺はおまえみたいな落ちこばれのように遊んでいるわけではない。仕事に決まっている」

 大悪魔は精一杯気取った口調で言いますが、いまいち決まってません。どう見ても背伸びという感じがします。まるでヘタクソな大根役者のような棒読み台詞でした。

「仕事?」

「そうだ。魂を刈り取り、死神様に無事に届ける名誉ある仕事だ」

 大悪魔はそう言って、手にした大鎌をうっとりと見つめました。

 単純な大悪魔はわざとらしくぺらぺらと手帳をめくりながら言います。

「ほとんど分刻みのスケジュールだ。まったく有能な悪魔は忙しい」


 死神は、神様が定めた死者のうち、自分が管轄する魂のリストを大悪魔に渡し、集めに行かせるのです。魂を刈り取る仕事はとても大変で、面倒くさく、手間のかかるわりに、全然面白くありません。

 名誉ある仕事と言っても、どうも、ただ厄介払いで死神からこき使われているだけのような気もしますけどね。


「おおー。さっすが!」と悪魔はヨイショします。「そいつぁ、すげえですね」

 大悪魔は誇らしげに鼻の穴を広げます。

 そのご主人様の卑屈な態度に、使い魔は沸騰したやかんのように頭に血が昇ります。

 どうして親分様ともあろうものが、こんなやつにぺこぺこぺこぺこ……。


「うん?」

 大悪魔は使い魔の物凄い形相に気がつき、悪魔に言いました。

「おいクズ。しもべの教育ぐらいきちんとしておけ。俺のように立派な悪魔になりたければ」

「確かにご主人様はダメ悪魔ですけどねっ」と、使い魔はまっすぐな凛とした瞳で大悪魔を見つめ、挑戦的な表情で言います。

「誰かさんなんかより、ご主人様のほうがぜーんぜんっかっこいいよねッ!」

 大悪魔の鎌がびゅんと空気を切ります。

 目にも止まらぬスピードです。

 使い魔は何が起こったか全然分かりません。悪魔がとっさに身体を突き飛ばさなかったら、首をすっばり刈られていた事でしょう。


 けれど、首の代わりに切られたものがありました。

 風が吹き、使い魔の茶色の髪の毛の先端部分が細切れになってタンポポの綿毛のように飛んでいきます。背中ぐらいの長さだった髪の毛が、二十センチ以上も切られ、短くなってしまいました。

 使い魔は、もうただの物質となってしまった自分の髪の毛の切れ端が、バラバラに散っていくのを、凍りついたような顔で呆然と見つめていました。


 長くしようって。

 あのひとの好みに合わせようって。

 ずっと一生懸命伸ばしていた大事な髪の毛。やっと背中まで届いたのに。


 ……みじかくなっちゃった。


 使い魔の女の子は、ゆっくりとスローモーションのような動きで、右手の甲をぎゅっとつむった両目に当てると、うつむいて小刻みに震えだしてしまいました。押し殺した声で嗚咽します。


「ハチッ!」と悪魔は叫びました。それから、大悪魔にゆっくりと視線を向けます。

「おい」悪魔は、それまでのへらへらした顔とは別人のような怖い顔で大悪魔を睨み、低い声で、静かに言いました。「…おまえ、なにやってる」

 物凄い殺気です。

 思わず大悪魔の首筋に鳥肌が立ちました。

「ふん」と大悪魔は静かに言いました。「見逃してやるからどこかへ消えろ」

「…おまえが消えろ」

 悪魔は大悪魔を真正面から見つめ返しました。

 さっきまでとは全然違います。

 使い魔は、片手で目を押さえたまま、もう一方の手で悪魔の服を掴み、ぷるぷるぷる…と首を振りました。

「ハチ」と悪魔は使い魔を気遣い優しい声を出します。短くなった髪の毛を、手でそっと触りました。

 震える肩を抱きしめ、手を頭に乗せ、撫でてあげます。

 使い魔の女の子はただ無言で首を左右に振るだけでした。


「ふん」と大悪魔は二人に背を向けます。「俺は忙しい。これから死ぬ予定のガキをひとり迎えにいかなくてはならんしな」


 そんな捨て台詞を吐くと、どこかへと飛び去っていきました。


 悪魔は片腕で使い魔の震える体を抱いたまま、飛んでいく大悪魔を無言で見つめていました。悪魔の胸で泣いていた使い魔は、何かにはっと気がつき、顔を上げました。

 ご主人様の顔を見上げます。

 もう泣いてはいません。

 強ばった表情で言いました。


「おやぶん……いまあいつが言っていた『ガキ』って……?」


 使い魔はそう言って、巨大な火の玉のような太陽の光の中ににじむように消えていく黒い点を見ます。「まさか」


 悪魔は黙ったまま、遠くの峰に沈んでいく落日を、ただ、じっと見つめ続けています。

 その横顔には、斜陽の眩しい光が照らされ、不思議な陰影が出来ていて、表情が良く読み取れませんでした。

 使い魔もまた、何も言わず遠くの不思議な色の空を、ただ、見つめるのでした。

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