第12話 「俺はサンタだ」

 体中から力が抜けます。目の前が暗くなります。ばきばきと小枝がへし折れます。幸也の体が冷たい何かにぶつかりました。全身をショックが襲います。頭が固いものにぶつかる衝撃。そして鈍い痛み。


 落ちてしまいました。木から。地上八メートルの高さから。

 いくら幸也が桜よりも全然元気で丈夫でも、この高さから落ちれば関係ありません。誰でも潰れた肉の塊になるだけです。

 …まあ、実際は幸也が思っているほど悲惨なものでもないでしょうが、それでも全身打撲で死んでしまうことには変わりません。

 なんだかすごくあっさりしていました。

 テレビや漫画やゲームなんかでしか「死」というものを感じたことがない幸也ですが、こんなものかと思いました。ドラマチックなセリフや、愛する者との別れや、乙女の清い涙や、ライバルとの小粋なやりとりや、身悶えしそうな冷酷な宿命や、憎しみの果ての救済なんてありもしません。あまり痛くなかったのがせめてもの救いでした。


「ったく。あぶねえな」

 誰かの声がしました。


「いやあ。大将。ナイスキャッチでしたね。よかったあ」

 違う誰かの声もしました。


 幸也は落ちた瞬間からぎゅっと固く閉じたままだった目をゆっくりと開きました。

 そこに居たのは、真っ赤なコートを着たおじいさん(?)と、心配そうに(見えたんです)こっちを覗き込むトナカイさんなのでした。

 幸也は固いごつごつとした木のソリの中に倒れていました。頭をさするとたんこぶが出来ていました。右肩がずきんとしました。

 でもそれだけです。

 落ちたことはありませんが、さっきのあの高さからなら、もうちょっと気のきいた大怪我をしていてもいいはずなのです。死んでいてもおかしくはないのです。


「あのよお」顔中真っ白なひげで覆われたおじいさん(?)は、たしなめるように言いました。「お前さ、もうちっと命は大切にしろよ。な? 自殺なんてアホのすることだぜ。そんなことするくらいなら、悪魔に魂売り渡せよ。命は一つしかないんだからさ、大事に使おうぜ」

 悪魔は悪魔で、結構驚いていたのです。

 突然木を登り始めた幸也のことをぼけっと見ていたら、いきなり落ちたのですから。

「親分。それ、自分らの言うセリフと違いますがな」

 トナカイが喋ります。それはそれで一大事のはずですが、幸也はもう何がなんだか分かりません。

 ここは一体どこなんでしょう?

 私は一体だれなんでしょう?

「おじさんたち、なにものなの?」

 幸也はきょとんとして尋ねます。

 見るからにサンタさんなんですが、この時期サンタさんは町で大勢見かけます。

 原チャリに乗ってピザを宅配したり、チラシを配ったり、ケーキを売ったり、眼鏡をかけて杖を持ち人の良さそうな顔で両手を広げ店先に立っていたりします。

 みんな忙しそうに労働しているのです。

 少なくとも、病院の木から落ちた子供を助けてくれるほど暇なサンタが居るわけがありません。

「お? 俺か?」幸也に尋ねられた悪魔は待ってましたとばかりに言いました。「…じゃなくて、わし?」

 ふふふ、と悪魔は不敵な笑みを浮かべます。

 使い魔は、大げさにため息を吐きます。

「めりーくりすます! 良い子君。天には栄光、地には平和を! ワシはいわゆるアレ……。

 そう。サンタさんじゃーっ!」

「…おやぶーん。具合悪くなるようなこと言わないで下さいよ」


 サンタさんは、当たり前のように、平然と、むしろ誇らしげに大マジメな顔でそう言い切りました。

 なんてことでしょう。このひとはサンタさんらしいのです! この御時世になんてことでしょう!

 まったく馬鹿にしています。子供だと思ってナメていますっ。助けてくれたのは嬉しいけれど、なんて人をおちょくったコスプレ野郎なんでしょう!

 幸也ももう小学校高学年。サンタが絶滅した動物であることくらい知っています。

 サンタとは、お父さんか、ピザ屋のバイトの兄ちゃんか、カーネルサンダースと相場が決まっているのです。

 今の世の中で、いまだサンタを信じていて、そしてそれが許されるのは、桜のような病弱で純粋な美少女だけなのです。

「うそつけ」幸也は冷たい目できっぱりと言いました。「なにがサンタだよ」

 悪魔のサンタはムキになって言い返します。

「なんだよ。どこから見ても、完璧にサンタじゃねーかっ」

「おっさん。最近のガキをナメんな」

 幸也は、まったく信じていないうさんくさそうな目でサンタを見ます。 サンタはそんなこと気にも止めず、

「誰がおっさんだ! 俺はまだ百歳だ!」とまったく見当ハズレの返事をします。悪魔の百歳は、人間で言うところのちょうど二十五歳くらいなんですよ。どうでもいいですけれど。

「ともかく! 俺はサンタだからな! 信じろ! それからおっさんって言うな!」

「おっさん、酔っ払ってんの? だいじょうぶ?」

 幸也は、これまでも、クリスマスの夜に「おらぁーっ、サンタだよ? ひっく」とか言いながら、酒くさい息で、電柱に向かっておじぎを繰り返すサラリーマン風のおじさんなんかを見たことがありました。

 酒に飲まれた人がちょっと変になるのは、知っています。

 しかし、悪魔の方は、酔っ払い扱いされて嬉しいはずもありません。いっそのこと、サンタの服を脱ぎ捨て、いつものようにカッコ良く「ふはははは。魂よこせっ」といきたいところですが、ぐっと我慢ガマン。

 さっきから、ジト目でこっちを見つめている使い魔の手前、今日はこの作戦で行かねばなりません。

 サンタになりきるのです!

「おい。ガキ」

 最初のおじいさん口調はどこへやら。もう地を出してしまった悪魔は言いました。「ちょい下見てみろ」

「した?」

 冷たい、身を引き締めるような風が、幸也の体のまわりでうなりました。

 そう言えば、なんだか物凄く寒いような。周りには何もありません。何も見えません。空がずいぶんと広く感じます。っていうか、空と雲しか見えませんよ。

 あれれ。なんだかへんだぞ。ここどこ?

 幸也は怪訝に思い、ソリから身を乗り出して下を覗き込みました。ミニチュアのおもちゃのような町並みが、遥か眼下に広がっていました。

 様々な色のタイルみたいな車。

 アリンコみたいなひと。

 マッチ箱みたいなビル。

 積み木みたいな家。

 あれ。町だ。小さい。なんで。

 そのまま、ふらっと吸い込まれるようにソリから落ちていきます。

「どあああああああっっっっ!」

 悪魔が慌てて幸也の服のエリを引っつかみました。間一髪で間に合います。なんとか、ソリの中に幸也の体を引き上げました。

「……おいっ。クソガキ…」悪魔ははあはあ言いながら、「…てめえ、ほんとおおおおぉぉーーーに、いい加減にしとけよ。そんなに死にてえんなら、俺様に魂よこせよな」

 幸也の耳にはそんな悪魔のセリフは届いていません。ただ、呆然としていました。

「おれ、ういてる、そらに」

 変なカタコト口調でつぶやくことしかできません。

 ななな、なんてことでしょう。浮いています。

 空中に。空高く。このソリは浮いているではありませんかっ! 本物だったのです! このサンタさんは、本物だったのです!

 ま、違うんですけどね。

 幸也が居たはずの病院は、いつのまにか、遥か眼下に見えます。

「……ほ、ほんもののサンタなの……?」

「ふふふーん。分かったか?」

 悪魔は上機嫌です。幸也の驚いている様が楽しくてたまりません。白い付け髭はちくちくしてウザッたいのか、もう外してしまいました。

 なんの未練もためらいも無く、ぽいっと捨てられてしまう付け髭。

 使い魔は「あ。それは」と思わず涙ぐみそうになります。

「さよなら。私が苦労して働いて買ったつけひげ」ふふふ、と寂しく笑います。

「? どした? ハチ」

「いいえ。なんでも」ほっといてくださいっ。

「あ、そう」悪魔はほっとくことにしました。「さて。そこで、だ」

 じっと、幸也を見ます。思わず、幸也はソリの上で正座します。

「本題に移ろうぜ」

「ほんだい?」

「おうよ。サンタっつったらプレゼントって相場は決まってんだろ?」

「プレゼント」

「ああ。良い子のお前に、プレゼントやるよ。なんでも願い事を言ってみろよ。叶えてやるぜ。それが俺からのプレゼントだ」

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