第12話 回想2 保健室の会話

 幸也が痛む足をひきずり、保健室のドアを開けたとき、先生はあいにくと不在でした。

 シップを探してごそごそと棚や引出しを勝手に物色する幸也が、ふと自分を見ている視線に気がつきました。

 カーテンで仕切られたベッドに寝たまま、隙間からこっちを見ている女の子と目が合いました。

「あの………」

 おずおずと小さな唇を開いた女の子を見て、まさか人が居るとは思っていなかった幸也は、たいへん驚きました。

 慌てて自分の空き巣の証拠を隠そうと、薬箱を閉めました。そしてお約束のように、自分の指を挟みます。

『いってえ!』と思わず手を引っ込めた瞬間、ひじが幸也の後ろにあった人体模型に当たります。

 エルボーをくらった人体模型は、ギャグでやっているかのような変なポーズで硬直したまま、台座を中心として弧を描くように回転して、保健の先生の机の上の様々なもの(ペン立てや、本棚、体温計や薬のびん)をなぎ払いつつ、ものすごい音を立てて、床へと倒れました。


 ほんの数秒の間に、がっしゃーんとかドンっとかガラガラとかパリンとか、様々な効果音が混ざり合い、ものすごい音として響きます。

 その後の、妙に静まり返った静寂の中で、幸也と女の子の瞳が合いました。

 しばらくは、お互い何も言えません。


 『………………』

 『………………』


 『すごい』女の子のほうが、きらきらした目で切り出しました。惨憺さんたんたるありさまの保健室を見る瞳は嬉しそうですらありました。『あっというまに、こんなだよっ』

 最初のおどおどとした人見知りの態度はどこへやら。リラックスした顔で、うんうんと納得しながら、一人で感心しています。

 なんだか、すごく楽しそう。

 その女の子、「桜」は幸也のことを知っていたのでした。

『いつも元気な子』と桜はくすくす笑って言いました。『すぐに分かっちゃった』

 そう言って、また嬉しそうに保健室の惨状を見回します。

 遊んでいて怪我をした幸也が保健室に治療に来るたびに、薄いカーテンの向こうで、保健室の先生と幸也の会話を聞いていたのらしかったです。

 幸也という男の子の「武勇伝」を。

 『どんな子なんだろうって、いつも思ってたんだよ』とくすくす笑いながら言われ、妙に気恥ずかしかった幸也はぶっきらぼうに、

『うるせーな。おまえ誰だよ』と言いました。

『小早川桜。同じクラスだよ』

『うそつけ。お前なんてしらねーよ』

『ほんとだよ』

『だって、クラスで見たことないぞ。おまえなんて』

『………………』

 なぜか黙ってしまった桜を無視して、幸也は保健室の片づけを始めました。このまま黙って逃げたいところですが、今回は決定的な目撃者が居ます。さすがにそれはマズイでしょう。

 とりあえず、物的証拠の消去を急ぎます。このあたりはさすがにイタズラ慣れしているヤンチャな少年。ぬかりはありません。

『今日はなんで怪我をしたの?』

 ペン立てに拾ったボールペンを入れる幸也に、桜が話し掛けました。幸也は黙って作業を続けます。

『ねえ。水道管を破裂させたって本当?』

『………………』

 どうも、多少誇張して話が伝わっているような気がします。いくらなんでも、そんなことはしていません。

『村山先生のお弁当にヘビ入れたんでしょ。それでそのあと、百発も叩かれたんだよね』

 誤解もそうとうありそうです。入れたのはカエルです。殴られたのは八発です。

『裏山の木って、すごく高いんだよね。すごいね。怖くないの?』

『………………』

 ばらばらになった人体模型をなんとか直そうとしますが、あまり図工の得意ではない幸也は、悪戦苦闘します。出来上がった模型は、最初とはかなり違ったそうとう問題のあるポーズをとっています。

『あ、それ右手と左手が違うよ。それに足はそんなに変なほう向いてなかったよ』

『うるせーな。分かってるよ』

 幸也は赤くなりながら、慌てて人体模型の手足を付け替えます。

『おまえ、絶対に先生に言うなよ』

 幸也は桜に向かって偉そうに命令しました。この唯一の目撃者の口を封じないことには、せっかくの証拠隠滅も無意味だからです。

『うん。言わない』

『絶対だぞ』

『うん。ぜったい』

 なんだか心底楽しそうにはきはきという桜に、幸也は調子を狂わされたように感じます。ほんとに、意味わかってんのかなこいつ。

 幸也は、尻尾をふる子犬のように、わくわくとした目で自分を見る桜に、照れ隠しのように言いました。

『見てないで、ちょっとは手伝えよ』

『………………』

 そう言った途端、何故か悲しそうに桜は笑いました。

 その桜の態度の変化に急に心配になって、恐る恐る幸也は尋ねました。

『………どうしたの?』

『………ごめんね。手伝ってあげたいんだけど』ベッドの中から申し訳無さそうに言います。『わたし、ここから動けないんだ』

 幸也は、そのとき初めて、なぜ同じクラスのはずのこの子を見たことがなかったか、なぜいつも保健室のベッドに寝ているのかを知ったのです。

 手伝わないんじゃなくて、手伝えないのだということも。


『何か血液とか内臓の病気なんだって』

 と、しばらく後で桜は言いました。

 桜自身にも詳しくは分かっていませんでした。分かるのは、ほんのわずかの運動も出来ないことだけです。

 常に横になっていないといけないので、走ることも、自転車に乗ることも出来ません。めったに学校にも来られず、来るときはいつも車に乗ってです。

 学校に来ても教室には居られず、いつも保健室で寝ています。友達も出来ません。

 ご両親が、他の特殊な施設に入れさせるのを断り、小学校に通わせてくれてはいるのですが、みんなと一緒に遊んだり勉強したりすることも出来なかったのです。

 そんな桜が、木登りをしたり、先生に悪戯したり、授業中に抜け出したりする幸也に憧れに近い気持ちを持つのも、うなずける話かもしれません。

『また、いろいろお話聞かせてくれる?』

 昼休みが終わるチャイムが鳴り、教室に戻ろうとする幸也の背中に、おずおずと桜が言いました。

『………わたし、おともだち、いないから』

『うん。いいよっ! 友達になってやるよ! また来る!』


 幸也は、それからというもの、こまめに保健室や家を訪れては、この、同じ教室で生活出来ない同級生の女の子のために色んな話をするようになったのです。それが、幸也と桜の仲の始まりでした。

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