第6話 邂逅

 太陽が空の高いところあたりに昇ったときです。

 電車を降り、ホームから続く階段を、息をはずませ全力疾走する姿がありました。

 男の子です。元気一杯のやんちゃそうな男の子です。

 小学生くらいでしょうか。身長はそんなに高くはないですけれど、負けん気の強そうなとても良い顔をしています。


 男の子は、この寒い中、はあはあと白い息を吐きながら走っていきます。両手を思い切り振り回します。手にもったビニール袋がぶんぶん揺れます。ほっぺたは寒さで真っ赤です。とても生き生きとしています。

 どこに向かっているのでしょう。

 男の子は、悪魔の座るベンチの前を横切りました。悪魔と使い魔はそんな男の子をなんとなく見つめます。

「おうおう。このクソ寒いのに、元気だねえ」

 あんなに元気で純粋そうで素晴らしい魂を持っていそうな子供を前に、このノンキなセリフ。まったくもう。

「ねえ親分。あの男の子なんかどうですか?」

 使い魔は試しに言ってみました。


 せっかく悪魔秘書が仕事をあっせんしようとしてくれましたが、ご主人様は機嫌悪そうにそのファイルを突っ返してしまいました。

 その悪魔の突き放すような態度に居づらさを感じたのか、いつもは何かと腰が重くなかなか帰ろうとしない悪魔秘書は、地面にめり込みそうなほど深いお辞儀をすると、冬の冷たい空に浮かび上がり消えていきました。

 悪魔秘書がわざわざ持ってくる仕事は、割りが良く、しかもご主人様好みの内容であると使い魔は知っています。相当、吟味して選んでいるのは間違いありません。なんでそこまで親身になるのかも分かりません。

 普段であれば、ご主人様もブツクサ文句を言いながら引き受ける事がほとんどなんですが、今日に限っては様子がへんでした。


 しかし、そうは言っても、きちんとご主人様には仕事をしてもらわねばなりません。安心して年を越すためにも。

 そんなわけで、ご主人様が子供と契約するのを嫌うのを知りつつ、尻を叩く事にしました。

「あいつかぁ?」やる気の無い顔。いつもながら、あまり乗り気じゃないようです。「うーん」

「もうっ。たいしょう! あなたがそんなサンタの格好したのだって、子供と契約するためなんでしょう? そう思って私、ひげとか服とか、一生懸命、大将の言うとおりに準備したのにっ」

「わ、わかった、わかったってば。落ち着け」

「いいえ。分かってません! 落ち着けません! そのセリフは聞き飽きました! いいですか、私たちはもう、一ヶ月もロクに食べてないんです! 一ヶ月ですよ。コレ、どーするんですか!

 それに、サンタの衣装だって、悪魔らしくがつんと盗めばいいのに、律儀に人間の店で買ってこさせて……。

 ……なんで私が! 使い魔であるこの私が! サンタの衣装買うために、ファミレスでアルバイトしなきゃならないんですか! そのお金で美味しいもの食べたほうがまだマシですよ!

 ……って、さっきからドコ見てるんですか! ちゃんと聞いてんですか!? あー! その顔……また女の人見てぇ……!」

「待て待て待て待てー!」と寒空だというのにスカートの短い女子高生の健康的な太ももを見ていた悪魔は、手を振り回しました。

 使い魔のコウモリの小さな身体から、ドス黒いオーラが、重油でも燃した煙のように立ち上り始めたからです。

「分かってる。分かってるって! な、ハチ。ちゃんと働く。そう怒るな。

 …とりあえず接触してみようぜ。話はそれからだ。

 んで、がっちり稼いで、温泉にでも行って、刺身食って、酒飲んで、のんびり狩りゲーでもしよーぜ」

「…なら良いですけど…」

 ご主人様と二人、山奥の露天風呂につかりながら熱燗をきゅーっとやるそれはそれは幸せな想像をしながら、すっかり機嫌を良くした使い魔は、そう言いました。

 ついさっきまでドス黒かったオーラは、今はほわわっと桃色です。

「…しっかりして、くださいよね」

「ああ」

 そう低くつぶやくと、悪魔の瞳がきゅうっと細くなります。口元には薄い笑いが浮かび、目には凄惨で冷たい氷の刃のような光が宿ります。

 悪魔はそっとつぶやきました。


「彼に幸せを」


 この「彼に幸せを」というのは、仕事をするときの悪魔の決めゼリフのようなもの。いつからか、なぜなのかは使い魔も知りませんが、魂を貰い願いを叶える契約を結ぶ時、悪魔たちは必ずこの「幸せ」という言葉を口にするのです。

「幸せ」というちょっと悪魔に似つかわしくない縁起の悪いキーワードをなぜわざわざ言うのか。はるか昔から伝わるしきたりの名残なので、もう誰にも理由は分からないのでした。


 使い魔は、ご主人様のちゃんと悪魔らしい姿を見るのは本当に久しぶりで、なんだか妙に感動してしまいます。赤面し、恥ずかしいとさえ思ってしまいます。じんわり涙が浮かぶのを自覚します。

 触れると切れそうなほどの、冷たく、残酷で、美しい表情を浮かべて優しくつぶやくご主人様の凛々しい顔。

 ぼーっと見惚れてしまいます。

 「しっかし、久しぶりの仕事だし、なんか緊張するなー、ハチぃ。俺、仕事のやりかた忘れちまったよ」

 はるか向こうに走り去り、小さくなった姿に向かって悪魔は言いました。もう、いつものとぼけた口調に戻ってます。悪魔的魅力のかけらも残ってません。

 なんて早すぎるんでしょう。

 使い魔はがくっとして、いつものため息。

 3分ももたないよ…。

「………………」

「なあハチ。聞いてんのか? おーい」

 使い魔は、しょうがなく同意します。

「……近頃珍しいですよね」


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