13-12.5-05 騒ぎの後で

 無人島から脱出し、ななが帰った後のミサゴ家にて。


「オオタカ、服が乾いたぞ」


 腰みのからいつもの服に戻り、顔中にばんそうこうを貼ったトキが部屋の中へ入って言った。見つめる先には、縁側で片膝を立てて座るオオタカの後ろ姿がある。雨戸は開けられていて冷たい風が部屋の中に入ってくるが、傍らには新品のファンヒーターが備えられていて、熱せられた風が来ている。


 オオタカがちらと振り返り、橙色の目をすがめる。トキは肩を震わせながらも、五歩ほど離れた場所に座り、畳んでおいた服をそっと畳の上に置いた。


 ここへ来てからというもの、特訓という名目で掃除洗濯といった家事はトキに押しつけられていた。特にオオタカの世話はだれもやりたくないらしく、すべてトキに任されていた。


「カワセミ、そろそろ風呂に入ろうぜ?」

「ええー、ボク、今日はミサにぃと入りたーい!」

「ダメだ! カワセミはオレと入るんだ!」

「やだ! ミサにぃと入るー!」

「やったら、三羽一緒に入るか?」

「な、なんで俺が猛禽野郎と一緒に入んなきゃなんねぇんだよ!」


 隣の居間からは、楽しげな声が響いていた。

 一方、こちらの部屋はしんと静まり返り、トキは気まずい空気に目を泳がせた。なにか話すことはないかと考え、口を開く。


「ゆ、湯加減はどうだった?」

「熱い」

「それはオオタカが最初に入るからだろう。ミサゴやカラスやカワセミは熱いほうが好きらしい。冷たいのに入りたければ、俺の前か後に」

「うるさい黙れ」


 苛立ちの含んだ声に、トキの肩がびくんっと跳ねる。

 やはり、長居はしないほうがいいらしい。そう思い、部屋を出ようと立ち上がりかけた。

 だが、オオタカの様子を見てはたと動きを止める。座り直して首を傾げた。


「髪、結べないのか?」


 さきほどからオオタカは、両手を首の後ろへやり、長い髪を掴みながら手を動かしていた。片方の手には玉飾りの付いた蒼色の紐が握られている。それで髪を結ぼうとしているらしいが、何度やっても結び目は解け、髪はまとまらず指の間からすり抜けていた。

 オオタカが振り返り、トキを睨みつける。明らかにイライラした様子。トキがその眼光に射すくめられていると、持っていた蒼色の紐を投げつけてきた。


「縛れ」


 それだけ言って、オオタカはふいっと顔を背け、右の翼の前縁をくわえて羽繕いを始める。

 トキがおっかなびっくり紐を拾い上げ、オオタカのそばへ行く。彼の背後で腰を下ろし、恐る恐る髪に触れるとまだ冷たく湿っていた。


「濡れているな。ドライヤーでしっかり乾かしたのか?」


 傍らに放置されていたドライヤーを手に取り、コンセントにプラグを差し込んだ。ちなみにドライヤーは、ななの家からお古を借りてきた物だ。

 と、スイッチをオンにしようとした時、オオタカと目が合った。今にも飛びかからんとする眼光がトキを射抜く。心臓が跳ね、思わず身を引いてしまう。

 だがオオタカはそれ以上なにもせず、またふいっと顔を前へ戻した。


「もしかして、苦手なのか? ドライヤー?」

「……」

「俺もこの姿になった最初の頃は苦手だった。だが、ななが『風邪引くからちゃんと乾かさないとダメ!』とうるさかったから」

「……しずくと同じことを言うな」

「す、すまない……?」


 なぜか謝りながら、トキは改めてドライヤーのスイッチを入れた。大きな音が鳴り始め、トキの肩とオオタカの肩が同時に小さく跳ねる。それからトキは、オオタカの髪を慎重に乾かしていった。


「……ん?」


 髪を乾かし終え、手ぐしで整えていると、オオタカの首もとに目がいった。普段はタートルネックの服を着ていて見えなかったが、今はぱっくりと背中の開いたメイド服を着ている。首もとに黒い紐のようなものが掛けられているのが、トキの目に留まった。


「これは……」


 何の気なしにその紐を摘まむ。


「……っ!?」


 首筋に指が触れた瞬間、オオタカの肩がビクンッと跳ね上がる。ものすごい速さでトキに掴みかかり、今にも切り裂こうとする勢いでストールを握りしめる。

 トキは「タァッ!?」と悲鳴をあげ、涙目になってとっさに両手を挙げた。


「す、すまない! つい、気になってしまって……」


 理由もわからず、ただ平謝りを繰り返す。

 オオタカは不機嫌そうに目を吊り上げながら、荒っぽく手を放した。ふいっと顔を戻し、また右の翼をくわえて羽繕いを始める。 

 その時、首に掛けられた紐が揺れ、銀のリングがきらめいた。


「それは、足環か?」


 トキは気を取り直し、首飾りを指差して訊いた。

 オオタカが右の前縁をくわえたまま動きを止め、視線を下へ落とした。


「俺も、似たような物をしている」


 トキはストールを少し解いて、自分の首に掛けられている足環の首飾りを見せた。

 いくつもリングの付いた無骨な首飾りをちらと視界に入れ、オオタカは視線を戻して翼から口を離した。


「トキ、か……」


 外の景色を眺めながら、まるで独り言のように話し出す。


「しずくから聞いたことがある。一度絶滅し、ヒトの手によって育てられ、外に放されている鳥がいると」

「足環があるということは、オオタカもヒトに育てられたのか?」

「貴様と一緒にするな」


 そう吐き捨て、再び右の翼をくわえる。

 トキはオオタカの事情を詳しくは知らない。訊いていいものかとしばし考え、意を決して口を開いた。


「もしかして、その翼と関係があるのか?」


 その言葉を聞いた瞬間、オオタカの動きがぴたりと止まった。


「前から気になっていたんだ。オオタカは羽繕いをする時、決まって右の前縁を噛んでいる。そこが痛むのか?」


 オオタカがトキに向かって顔を向けた。怒っているわけではなさそうだが、鋭い眼光がトキを突き刺し、思わず畏縮してしまう。

 縮こまったトキを見つめながら、オオタカがぽつりと呟く。


「弱いくせに、目ざといな」


 背中から生えた翼を、一度大きく羽ばたかせた。


「もう痛くはない。気になるだけだ。自分の身体ではない物が、ここに入っているからな」

「どういう意味だ?」


 言っていることがわからず、トキがまた首を傾げて尋ねる。

 オオタカが視線をそらし、闇に染まった景色の遠くを眺めるようにして、話を始めた。

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