10-05 ふたりで年越し

 十二月三十一日、大晦日おおみそかの夜。

 スマホに連絡が入り、わたしは玄関に行ってドアを開けた。ちょうど、家の前に止まったタクシーから、お母さんが降りてくるところだった。サンダルを履いて、家を出る。


「ただいま、なな。元気にしてた?」

「うん。お母さんは、相変わらずみたいだね……」


 大きなキャリーケースを引き、コツコツと赤いハイヒールを鳴らしながらそばにやってくるお母さん。頭にもこもこしたファーの帽子をかぶり、襟にもふわふわなファーのついたロングコートを着ている。まるで夏羽のエリマキシギみたいだ。


「友だちと旅行に行ってたんだよね?」

「そう。朝まで軽井沢にいたのよ。ななは、大掃除ちゃんとした? 冬休みの宿題もしっかりしてる?」

「う、うん。ちゃんとしてるよ。宿題は、まだだけど……」


 苦笑いで答えながら、ちらと横目で隣をうかがう。

 すると。


 ガンッ! カラカラカラ……。


 納屋なやのほうから、なにかが落ちたような音が鳴った。


「なんの音?」

「さ、さぁ!? お隣さんのネコじゃないかな! そんなことより、お母さん、早く入ろう! 寒いし、お腹空いたよー!」


 わたしは甘えた声を出して、お母さんの手を引っ張り、家へ連れていく。お母さんは小首を傾げたけど、それ以上気にとめなかったようで、なにも言わずに玄関をくぐった。

 ドアを閉めて、かぎをかけながら、心の中でため息をく。

 みんな、ちゃんと隠れていてよね……?


「なな、着替えてくるから、ご飯作っててくれる? お土産の中に、おそば入ってるから」

「はーい」


 お母さんは荷物を居間に置いて、二階へと上がっていった。

 ちなみに今年も、大学にいる兄は帰ってこないらしい。わたしとお母さんの二人で、年を越すことになる。


 わたしはお土産の袋を持って、台所に行った。

 二階からの足音が、こっちにまで響いている。――いつもなら、トキはほとんど聞こえないくらい静かに歩くんだけどな。

 袋からそばを取り出して、テーブルに置く。――いつもなら、カーくんがここでご飯を作っているんだけどな。

 なべに水を入れて、火にかける。――いつもなら、『それなぁに?』って、カワセミくんが近づいてくるんだけどな。それでカーくんに『危ねぇから下がってろ!』とか怒られて、ほおを膨らませて……。


「みんな、大丈夫かな……」


 つぶやいた言葉は、広すぎる台所で、だれにも聞こえずに消えていった。



   *   *   *



 柔らかめの年越しそばを食べて、お風呂に入った後。わたしとお母さんは、居間のこたつでくつろいでいた。旅行の話を聞いたり、学校の話をしたり、テレビを見たりしながら、家族水入らずの時間が過ぎていく。


「あっ、カラボだ。このト……ひとたち、夏祭りの時、地元ここに来てたんだよ」


 大晦日の歌番組に登場したKARAカラKILabラボのメンバーを指差しながら言った。けれどもお母さんは、うつろな目をして、口に手を当てて大きな欠伸あくびを一つする。


「お母さん、もう寝れば?」


 旅行から帰ってきたばかりだから、疲れたのだろう。お母さんはこくりとうなずいて、立ち上がった。


「そうするわ。なな、ストーブとこたつの電気、ちゃんと消すのよ?」

「うん。わかってるよ」

「あんまり夜更かししないのよ?」

「はいはい。おやすみー」


 お母さんは欠伸をもう一つして、フラフラと部屋を出ていった。

 わたしは一人、テレビの中に視線を戻す。大翔たいとくん、小鳥ことりくん、胡蝶こちょうくん、緒恋おれんくん、そして幹歩みきほくんが、華やかな衣装に身を包み、かっこいいダンスを踊り、歌っている。


「みんなにも、見せてあげたかったな……」


 楽しげな、テレビの画面を見ながら呟いた。

 でも、トキはあんまり興味ないかな。カーくんは、「オレのほうが上手く歌えるぜ!」って、ガァガァ騒ぎそう。カワセミくんは、可愛かわいいダンスを踊ってくれるかな。


「みんな、大丈夫かな……」


 もう夜中だから、寝ているかな。寒くて眠れなかったりしてないかな。こういう時、スマホがあれば簡単に連絡がとれるんだけど、もちろんみんな持っていないから、知りようがない。

 ちょっと、様子を見にいってこようかな……。


「なな、どうしたの?」

「きゃぁ!?」


 腰を上げようとしたら、声が聞こえて、びっくりしてしまう。お母さんが、半分だけ戸を開けて、こっちを見ていた。


「お母さん!? 寝たんじゃなかったの?」


 言って、気づく。お母さんの手には歯ブラシが握られて、それを口の中に入れていた。


「まだ磨いてなかったから。それよりも『大丈夫かな?』って、だれのこと心配してたの?」

「べ、別に、なんでもないよ」

「もしかして、彼氏?」

「違うよ。なんでもないってば」


 両手を振って、首も振って、話をごまかす。お母さんは首を傾げながら、目を細めた。


「そう? なな、最近変わったから、彼氏でもできたのかなって思ったんだけど」

「変わった?」


 わたしも首を傾げていた。そういえば、前にカフェで相談した時も、「成長した」って言われた。自分ではあんまり自覚がないけど。

 お母さんは歯磨きをしながら、くぐもった声で話し始める。


「私ね、ななが一人暮らしできるなんて、思ってなかったのよ。そのうち叔父おじさんの家に行くと思ってたわ。けど、もう九ヶ月かしら。掃除も自炊もして。なな、私の手伝いなんてなんにもしてくれなかったのに、ちゃんと一人暮らしできているのね」

「そう、かな……?」


 照れくさくて、でも後ろめたくて、わたしは微妙な笑みを浮かべる。

 一人暮らしは、実はほとんどしていないんだよね。掃除も自炊も、カーくんがほとんどやってくれている。

 けど、お母さんはそんなこと知らないから、感傷に浸るようにうんうん頷く。


「ななも、もうすぐ独り立ちね……。私は安心して、第二の人生を歩めるわ……」

「待ってよ。わたしまだ、高校生だよ? お母さん、子どもより早く子離れしてない?」

「でも、鳥はすぐに巣立ちして、独り立ちするんでしょ?」

「まぁ、しゅによってだけど……」


 ていうか、鳥と人を比べないでほしい。

 わたしは、まだ一人で稼ぐこともできていないし、一人暮らしだって正直おぼつかない。お母さんがいてくれたほうが助かるし、まだいろいろと甘えていたい。それに……。


「ねぇ、お母さんは、この家を出る時、さみしくなかったの?」


 恥ずかしくて、「わたしと離れるのが寂しくなかったの?」なんて言えなかった。

 お母さんは片手をあごにそえて、言葉を返す。


「ななのことは心配だったわね。けど、私自身は、寂しいと思わなかったかしら」

「そうなの?」

「えぇ。だって、向こうで住むこととか、お仕事のこととかが待っていたから。新しい生活に追われて、寂しいって思う余裕なんてなかったわ」

「そうなんだ……」


 確かにお母さん、仕事は忙しそうだけど楽しそうにしている。変な講座を受けて、新しい友だちも作っている。新しいものに囲まれて、楽しんでいるなら、寂しいって思う暇なんかないか。


「ななはどうだったの?」

「わたしは、今はもう大丈夫だけど。最初の頃は、ちょっと寂しかったかな」


 カワセミくんが家に初めてやってきた日だったかな、トキの前でボロ泣きしてしまったことを思い出す。


「そう……」


 お母さんは相づちを打ち、おもむろに目を閉じた。


「いつだって、残される側のほうが寂しいものよ。いっちゃうほうは、自分以外の周りが全部変化しちゃうでしょ。寂しいというより、期待と不安でいっぱいよ。でもね、残されるほうは、周りはなにも変わらないのに、その人だけがいなくなっちゃうの。その人の分だけ、ぽっかり穴が開いたみたいになっちゃうのよね……」


 なにかを思い出すように話をする。その声は、少し寂しげだった。


「お母さん……?」


 わたしは、黙ってしまったお母さんを見つめる。

 すると、口の中から、白い泡がタラリ……。


「あっ!? お母さん、立ったまま寝ないでよ!? 歯磨き粉垂れてるよ!?」

「へっ? あらやだ。きれいにブレスケアしなきゃ、かしらだわね」


 お母さんはハッと目を覚まして、慌てて洗面所に行く。実家に帰ってきたから、気が緩んでいるのかな。マダムのように振る舞おうとして、言葉づかいが変になっている。

 その後、お母さんは歯磨きを終えて、階段を上がっていった。


「残される側のほうが、寂しいか……」


 わたし一人になった居間で、ぼんやりとテレビを眺める。

 そういえば、わたしが修学旅行に行く時、カワセミくんやカーくん、それにトキも、なんだか寂しそうだった。それに比べわたしは、友だちとの旅行を楽しんでいた。

 それに、カワセミくんが前に言っていたこと。


『だってこんどは、なながおうちにいて、どこにもいかないんでしょ? なながおかあさんとあえて、わらっていてくれるなら、ボクはさみしくなんかないよ』


 行っちゃうほうは、寂しくないんだ……。

 でも、残されるほうは……。


「みんな、大丈夫かな……」


 テレビの歌番組は審査に入り、野鳥愛好家たちが会場の票を数えている。お母さんはもう寝たのか、二階からの物音はまったく聞こえない。

 わたしは静かに立ち上がり、ハンガーラックにかけられたコートを羽織った。電気を消して、居間を出る。

 玄関に行って、こっそりと家を抜け出した。

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