9-06 これからのこと(ななside)

 お母さんと別れ、わたしはお店の近くにあった河川敷へやってきた。

 土手の上に遊歩道があって、右手側には桜並木、左手側には緑の緩やかな傾斜があり、川辺は広い緑地になっていた。観光で来た人やジョギングしている人、家族連れで遊びに来た人、いろんな人がいる。川の上流にはカモの群れがいて、遊歩道の上をハクセキレイが歩いていく。


「結局、わかんなかったなー」


 カーくんたちとの待ち合わせまでは、まだ時間がある。わたしは遊歩道を歩きながら、ぼんやりと考え事をしていた。


 お母さんに相談はしたけど、結局やりたいことはわからなかった。お母さんは半ば他人事で「きっかけさえあれば、そのうち見つかるわよ」と言っていた。


「まぁ、自分のことは、自分で考えないといけないのかな」


 とりあえずプリントには、一番選択肢の広い「進学・理系」と書くことにした。得意な生物はいちおう理系だし、授業内容の差で、理系から文系大学の受験はカバーできるけど、文系から理系大学の受験は習わない範囲もあって大変になるらしいから。


「でも、進学だったら受験勉強とか大変そう……。嫌だなー……」


 三年生になったら、今度こそ進路を決めないといけない。進学するなら大学も決めて、受験に向けて勉強しないといけない。バードウォッチングも、あんまりできなくなるかもしれない。

 夜遅くまで勉強するから、鳥たちにも協力してもらわないと……。


「あっ……」


 道の真ん中で、わたしははたと立ち止まった。

 風が吹く。身震いするほど寒い、木枯らしだ。


「もう、冬なんだ……」


 気づいた言葉が、口から漏れた。

 鳥たちがやってきたのは、春。半年以上も一緒にいて、もう当たり前のような存在になっていた。

 けど。


「みんな、いつかいなくなっちゃうのかな……」


 来年の今頃、わたしは受験勉強に追われているのかもしれない。その隣で、鳥たちは今と同じようにいるのだろうか。

 カーくん、カワセミくん、それにトキも。いつかはみんな、鳥の姿に戻って、どこかへ飛んでいっちゃうのかな。


「まぁ、鳥なんだから、仕方ないよね……」


 頭で考えたことを口に出し、再び歩き始める。

 仕方ないんだ。みんな、人でもなくて、ペットでもないんだ。いつか、自然に帰っていくのは、なんとなくわかっている。

 鳥たちだけじゃない。ゆうちゃんやひらりちゃんとも、きっと、高校を卒業したら、もう……。


「……」


 頭ではわかっている。けど、足が止まる。締め付けるような痛みが走って、胸を押さえる。


 この感覚は、昨日も味わった――。


『ねぇ、ミサゴさん』

『なんや、お嬢ちゃん』


 夕暮れ時。ゆうちゃんとひらりちゃんの親がそれぞれ迎えに来て、帰ってしまった後。わたしとミサゴさんだけが『野鳥公園』にいた。

 夕日が沈んでいく海を見ながら、あかね色に染まる水面を見ながら、わたしは言葉をこぼした。


『わたし、ずっとここにいられればいいのに。ずっと友達とも、鳥たちとも、みんなと一緒にいられればいいのに』


 あの時は、一日があまりにも楽しくて、その一日が終わってほしくなくて、つい欲が出たんだと思う。こんな愚痴みたいなわがまま、きっと、深入りをしない、けれども全部聞いてくれるミサゴさんにしか、言えなかっただろう。


『お嬢ちゃん……』

『あっ、いえ、気にしないでください。これからのこと、ちゃんと考えないといけないですよね。ゆうちゃんたちに言われたとおり、明日、お母さんに会って、相談しに行ってみます!』


 そう言ってわたしは、込み上がってきた想いを抑えて、ミサゴさんにさよならをした――。


 前方で、水しぶきと羽音が鳴った。

 わたしは回想から現実に引き戻されて、前を見る。

 川に群れていたカモたちが、一斉に飛び立っていくところだった。


「あっ」


 川辺へ降りる階段の上に、知っている姿を見つける。

 カーくんとカワセミくんだ。カーくんは階段に座っていて、足の間にカワセミくんが挟まって、向かい合っている。カワセミくんはカーくんに顔を近づけて、笑みを浮かべていた。まるで兄弟みたいで、楽しいおしゃべりでもしているのかな。


「カーくーん! カワセミくーん!」


 わたしは手を振りながら呼んだ。

 まぁ、わたしはまだ高二なんだ。受験までは一年あって、考える時間もたくさんある。鳥たちだって、今日明日いなくなることはないだろう。

 そう考えながら、わたしは二羽のもとへ行く。


「ななー!」


 階段の手前まで行くと、カワセミくんがやってきて、足に抱きついた。カーくんは階段の上で立ち上がり、止まったまま。


「なな、そーだんもうおわったの?」


 カワセミくんは両腕でわたしの足をギュッとつかんで、ピョンピョンと跳ねる。ちょっとこそばゆくて、可愛い仕草に癒やされる。


「うん。時間ができたからブラブラしてたの。カワセミくんたちは、こんなところでなにしてたの?」


 カワセミくんを抱き上げていた。カワセミくんはわたしの首に腕を回す。初めて会った頃は、もっと小さくて軽かったのに、少し大きくなった気がする。


「あのね」


 カワセミくんの顔が、わたしに近づく。丸くて黒いひとみと、ほんのりピンク色をしたほお。微笑む小さな口から、ささやき声が発せられようとした。

 その時。


「カワセミっ!」

「わっ!?」


 やってきたカーくんが、カワセミくんをわたしから引きがすように持っていった。背中からギュゥッと抱きしめる。その顔はうつむき、表情が見えない。


「カーくん、はなしてー、いたいよー!」

「こら、カーくん。いじわるしちゃダメだよ?」


 カワセミくんは甘えた声を出して、いつものように手足をじたばたさせる。わたしも普段の悪ふざけだと思って、いつものように注意する。

 カーくんは、なぜかビクンッと大きく震えて、顔を上げた。怖いものを見たような、引きつった顔をしている。


「カーくん? どうしたの?」

「あ……、ううん……」


 わたしとは目を合わせずにつぶやく。力がなくなるように腕が下がり、カワセミくんがその間からするりと地面に降りた。


「あっ、もしかして、さっきハシブトに追われてたから、警戒してるの?」

「なな、みてたの?」

「うん。お店の窓からちょっとだけね。どうしてあんなことになってたの?」

「あのね、カーくんね、」

「あっ!? カワセミ! 余計なことは言うな!」


 ボーッとしていたカーくんが、再びカワセミくんを抱き上げる。カワセミくんは楽しそうにじたばたする。二羽でじゃれあい始めて、やっとカーくんはいつもの調子に戻ったみたいだ。


「カーくん、カワセミくん、次どこ行こっか? わたし、トキのお土産買いに行きたいんだよね。この近くに手芸店があるんだって」


 スマホと取り出し、地図を確認しながら言った。

 トキには一羽でお留守番をさせて、家を出る時も少し寂しそうだったから、お土産を買いに行こうと思っている。お店の情報は、友達のプレゼントというていで、お母さんから聞いてきた。


「なな、あのさ……」

「なに?」


 カーくんの呼ぶ声が聞こえ、スマホから顔を上げる。

 カーくんはカワセミくんを地面に置き、まっすぐにこっちを見た。


「ななは、オレのこと……」


 その時、頭上から羽音が聞こえる。


「あっ、ちょっと待って。鳥!」


 さっき川から飛び立ったカモたちが帰ってきた。わたしはカーくんとカワセミくんの間を抜けて、階段を降りる。

 十羽ほどのカモの群れが、川の真ん中に降り立つ。わたしは川沿いに行って、バッグから双眼鏡を取りだした。


「マガモとコガモだ。きれい~」


 カラフルな鳥たちにテンションがあがる。今までどうして気がつかなかったんだろう、川にはほかにもいろんな鳥たちがいた。対岸にはオナガガモがいて、上流にいるのはハシビロガモだろうか。


 わたしはいったん双眼鏡を下ろして、後ろを振り返った。カーくんとカワセミくんは、まだ階段の上にいる。カワセミくんがカーくんに向かってなにか言って、カーくんはカワセミくんを一瞥いちべつして、またこっちを向いた。

 わたしは手を上げる。二羽もおいでよ、一緒に見よう! そう誘おうとした。

 その時。 


「あの」


 突然横から、声を掛けられた。

 びっくりして振り向くと、知らない男性が歩み寄ってきた。年は、お母さんよりも年上っぽくて、でもおじいちゃんというほど老年でもない。温かそうな毛糸の帽子をかぶって、のぞく髪には黒と白が混じっていた。

 遠慮がちにわたしから距離を取って立ち止まり、目尻めじりにしわを作って微笑む。


「ごめんね、驚かせてしまって。若い子が立派な双眼鏡を持っていたから、つい。なにかいるのかい?」


 朗らかに言う彼の手には、わたしのよりも大きな双眼鏡が握られていた。「なにか」というのが、鳥のことを言っているのはすぐに理解できた。


「は、はいっ!」


 この初老の男性との出会いが、人生を変える大きなきっかけになるとは。

 今のわたしは、知るよしもない。

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