8-11 「おかえり」「ただいま」

 修学旅行から帰ってきたわたしは、家路についていた。

 電車に乗って、一番後ろに立ちながら、ガタゴト揺られる。一両だけの車内は、前の駅でほとんどの人が降りたから空いている。とはいえ、四人がけの席に一人ずつ座っているから、相席する勇気がない。

 隣では、ひらりちゃんが壁に背を預けて、スマホをいじっている。ゆうちゃんは部活に寄っていくと言って、学校で別れた。


「そういえば、ななは進路どうするの? もうすぐ文理分けの希望調査があるわよね」


 スマホから顔を上げて、ひらりちゃんがいた。

 わたしの通っている高校では、三年生になったら、受験のためのクラス分けがおこなわれる。進学か、就職か。進学の場合は、文系か理系か。志望によってクラスが分けられ、授業内容も変わってくるらしい。その希望調査が、そろそろあるみたいだ。


「わたしはまだ決めてないかな。ひらりちゃんは?」

「あたしは理系コースよ」

「へぇー、もう決まってるんだ。すごいね」


 しかも理系コースなんて、頭良さそう。でもひらりちゃんなら、ピッタリな気がする。

 と、わたしの反応に、ひらりちゃんはなぜか首を傾ける。


「意外ね。てっきりあなたも、」


 言いかけた時、車内にアナウンスが流れる。電車の速度が落ちていく。

 もうすぐわたしの降りる駅だ。荷物を持ち直して、定期入れを取り出す。


「ひらりちゃんは、次の次の駅だっけ?」

「え、えぇ」


 そう言って、ひらりちゃんは肩をすくめて、外へ目をやった。


「雨、大丈夫なの? かさないんでしょ?」


 外は薄暗く、雨が降り続いている。旅行中は天気に恵まれていたけど、地元に帰ってきてからずっとこの調子だ。


「大丈夫。コンビニまでダッシュして、買って帰るから」

「そう。気を付けてね」

「うん。じゃあね、ひらりちゃん」

「えぇ」


 電車が止まり、車内で何人か立ち上がる。わたしもひらりちゃんと挨拶を交わして、車両の前へ向かった。

 降りる列の最後に並び、運転手さんに定期を見せてから、電車を降りる。定期入れをしまいながら、改札のない無人駅のホームに立った。

 その時。


「ななーっ!!」

「きゃぁあああーっ!?」


 突然、横からだれかに飛びつかれた!?

 通り魔的な勢いに、思わず悲鳴を上げてしまう。

 そのままわたしは、ホームの地べたに押し倒された。


「ななー! やっとかえってきたー!」

「おせぇぞ、なな! めちゃくちゃ待ったんだからな!」


 って、この声……?


「カーくん、カワセミくん!?」


 顔を上げてよく見ると、わたしに抱きついてきたのはカーくん。その隣にはカワセミくんもいる。

 辺りを見回すと、先に降りた人たちがサッとわたしたちから目をそらす。運転手さんも、最初は心配そうにうかがっていたけど、目が合うと苦笑いを浮かべて運転席に戻った。まるで、「事件か!? なんだドッキリか」と言うように……。


「もうっ! いったん離れて!」


 顔から火が出そうになりながら、わたしはカーくんを突き放して半身を起こす。

 とりあえず、知り合いがいなくて良かった。と思ったら、電車の去り際、窓からドン引きしているひらりちゃんと目が合った。後でなんて言い訳しよう……。


「なんだよ、なな! せっかく久し振りに会えたのに、冷てぇじゃねぇか!」


 目の前でカーくんが、泣きそうな顔になりながら詰め寄ってくる。

 電車も見えなくなって、降りた人たちもいなくなった。大きく息を吐き、心を落ち着かせてから言う。


「そんなことないよ。わたしも会えて嬉しいけど……、なんでここにいるの?」


 くと、カワセミくんがわたしの腕に抱きついて答える。


「トキがね、ななのこと、むかえにいこうっていったの」

「トキが?」


 トキ、出不精だし、駅に来たこともないだろうに。どうしてそんなこと言い出したんだろう。

 顔を上げると、カーくんの後ろにトキが立っていた。電話では声が聞けなかったけど、普段と変わらない様子にホッとする。カーくんとカワセミくんに預けられたのか、三本の傘を手に抱えていた。気まずそうにカワセミくんを一瞥いちべつして、それから、わたしを見つめる。


「おかえり、なな」


 トキから出てきた言葉に、内心ビックリする。トキってそういう挨拶、普段したことないのに。

 でも、なぜだろう。まだ駅で、家にも着いていないのに。トキの言葉を聞いた瞬間、ものすごく、我が家に帰ってきたって感じがした。


「ただいま、トキ」


 思わず笑みがこぼれて、トキに言った。

 けど、言い終わらないうちに、見えていた姿がカーくんと重なって隠れる。


「ななー、早く帰ろうぜ! 帰って、旅行の話、オレに聞かせてくれよ!」


 目の前で立ち上がり、手を引っ張ってくる。まるで駄々をこめる子どもみたいだ。「もう」とぼやいて、わたしは手を握り返し、立ち上がろうとした。


「あれ? カーくん、待って?」


 空いている手を伸ばし、カーくんの左ほおに触れる。深くはないけど、なにかに引っかかれたような傷ができていた。


「どうしたの、これ? 怪我けがしてるよ?」

「あー、これか? 昨日、転んで擦り切れたんだ」


 カーくんは頭をいて、笑みを浮かべる。


「そうなんだ。もう、気を付けてよね」

「はーい」


 わたしはカーくんに引かれながら立ち上がって、スカートについたほこりを払った。

 ふと顔を上げると、トキがなにか言いたげにこっちを見ていた。カーくんが首をひねり、トキと顔を合わせる。それから、何事もなかったかのように、二羽の視線が外れた。


「ななー、ボク、にもつもつー!」


 カワセミくんが、落ちているお土産袋を手に取る。「いいよ」と言おうとしたけど、その前に両手で抱えて持ち上げた。大きな紙袋だから、顔の半分が隠れてしまっている。


「オレも持つぜ。あと、チャリのかぎは? 出してくるから、待ってろよ」


 カーくんも、落ちている旅行かばんを肩に掛けて、わたしへと手を出した。


「あっ、ありがとう。奥のほうにとめてあるから」

「オッケー」

「ボクもいくー!」


 自転車の鍵を渡す。カーくんは一度鍵を上へ投げてつかみ、トキから黒い傘を奪い取って、外へ出ていった。カワセミくんも黄色い傘を受け取り、お土産袋を落とさないように苦労しながら、カーくんの後を追う。


 手際の良さに、遠慮するタイミングを逃してしまった。でも正直、重い荷物をずっと持って疲れていたから、今日は厚意に甘えよう。身軽になった足取りで、わたしはトキと一緒にホームを後にする。


 駅の軒下で、トキが透明なビニール傘を広げた。


「なな、傘は?」

「忘れちゃったんです。だから、入っていいですか?」


 電車に乗る前、高校から駅までの道のりも、ひらりちゃんの傘に入れてもらって歩いていた。一人だったらコンビニで買うつもりだったけど、迎えに来てくれたおかげで無駄遣いをしなくて済む。


「そうか」


 トキはこくりとうなずいて、なぜか傘の持ち手をわたしに差し出した。持てってことかな。受け取ると、そのままトキは雨の中を歩き出そうとする。


「えっ? 待ってください、トキ!?」


 わたしは慌てて追いかけ、右手を伸ばして、トキの頭上に傘を差した。トキが驚いたようにこっちを見る。

 もしかして、「入っていいですか」を「もらっていいですか」と思ったのかな。傘を渡して、自分は濡れて帰るつもりだったのかな。「俺は鳥だから濡れても構わない」とか言いそうだ。


「ダメですよ。風邪引いたらどうするんですか? 一緒に入って帰りましょう?」


 トキがなにか言うよりも早く、わたしは言葉を継いだ。トキは、やっぱりわたしの思っていたことを言いたかったのか、口を開いてなにか言いかけ、声が出ないままその口をへの字に閉じる。


「おいトキ!」


 突然、前からカーくんの声が聞こえた。わたしの自転車を押して、肩に旅行鞄を掛けている。カワセミくんは黒い傘を持って、肩車されていた。黄色い傘は、自転車の前カゴに差されていて、カゴの中にお土産袋が入れられている。

 カーくんは眉をひそめて、じぃっとトキを睨む。けど、すぐに目線がそれた。


「今日だけだぞ」


 素っ気なく吐き捨てて、歩き出す。カワセミくんがカーくんになにか言っているみたいだけど、雨音に紛れて聞こえない。

 わたしは首を傾げた。なんだか、普段と様子が違う。それに、いつもはトキのことを「テメェ」とか「ヤツ」とか言うのに、ちゃんと名前で呼んだ。


「カーくん、どうしたんですか?」


 顔を上げて、トキに訊いた。トキは離れていくカーくんの後ろ姿を眺めて、ふっと息を吐き、わたしへ目を移す。


「さぁな」


 そう言って、肩をすくめた。その顔は、普段ケンカしている時や難癖をつけられている時の、嫌そうな顔じゃない。どこか楽しそうで、まるで内緒の隠し事をしているみたいだ。


「えー、ホントですか? わたしのいない間に、なにかあったんじゃないですか?」

「いや」


 トキはマイペースに歩き出し、わたしも傘を差しながらついていく。おどけた口調で訊いてみると、トキは前を向いたまま、口角を少し上げて答えた。やっぱり、なにかありそうだ。

 歩道を歩きながら、頭一つ分高いトキを探るように見つめる。トキもわたしを見て、それから、なにかを見つけたように視線を移した。


「なな、肩が濡れている」


 それは、単に気になったからか、話をそらしたかったのか。トキはわたしの左肩を見ながら、左手で持ち手を握った。そして、傘をこちらへ傾ける。

 ひらりちゃんの傘は大きくて余裕で入れたけど、これは安くて小さいビニール傘。傾いた傘はわたしの左肩を覆うけど、代わりにトキの右肩が雨ざらしになってしまう。


「トキだって、濡れてるじゃないですか」


 そう言って、わたしは傘をトキのほうへ押し返す。


「だが、ななのほうが」


 言って、トキはまた傘を押し戻す。


「でも、トキも……」


 と、歩きながら押し問答をやっていて、はたと気付く。

 濡れないように寄り添ったせいで、トキの顔が近い。肩もピッタリくっついている。そしてなによりも、傘を持つ手が互いに重なって、トキの熱が伝わってくる。


「「あっ」」


 お互い見つめ合ったまま、同時に声を漏らし、同時に黙った。トキの頬が赤く染まり、わたしの顔も熱くなっていく。ひらりちゃんと一緒に帰った流れで、深く考えずにトキの傘に入ってしまった。けど、これって端から見たら……。

 と、その時。


 ヂリリリンッ!!


 まるで警告を鳴らすように、自転車のベルが鳴る。

 わたしとトキは、ビクッと肩を上げて、前を見た。


「やっぱ、無理だ……」


 カーくんが、プルプルと震えながら自転車を止める。カワセミくんを地面に下ろす。

 そして。


「テッメェッ! なに調子乗ってんだよっ!」


 振り向くや否や、トキに飛びかかった。


「なっ!? やめろ、カラス!」

「うるせぇ! 一羽で帰りやがれ、このクソトキっ!!」


 なにに怒ったのか、いちゃもんをつけて掴みかかるカーくんと、巻き込まれるトキ。雨の路上にもかかわらず、ドタバタと土埃をあげる二羽。

 その光景は、いつものトキとカーくんで。わたしは、そばに来たカワセミくんと顔を見合わせて、肩をすくめた。


「こら二羽とも、ケンカしないで!」


 久し振りに言う、お決まりのセリフを叫ぶ。しかっているはずなのに、自然と顔がほころんだ。

 にぎやかな声が、雨の音を掻き消し、帰ってきた故郷に響いていた。

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