8-10 「そんな、お留守番なのか!?」-⑨-

「あああああああああっ!!」


 背後から、悲鳴のような声が聞こえた。

 そのせいでオレは目を覚ます。せっかく、ななと一緒に遊ぶ夢を見てたってのに。


「なんだよ、うるせぇな」


 辺りはまだ暗い。目をこすりながら、起き上がる。

 そういや今日は、隣にカワセミとヤツが寝ていたな。寝起きのぼんやりとした意識のまま、声のしたほうへ目を移す。

 そこには、すやすや眠っているカワセミがいて、その奥でヤツが、布団の上で半身を起こしていた。


「落ち着け……落ち着け……違う……違う……」


 襟元を握りしめ、荒い呼吸とともに、肩を上下に揺らしている。前髪からのぞいた目は大きく見開かれ、ひとみが小刻みに震えていた。


「あれは夢だ、あれは夢だ、あれは夢だ、あれは夢だ……」


 何度も何度も、同じことをつぶやいている。

 なにしてんだ、コイツ……。いつもとまったく違う姿に、寒気がった。不気味さすら感じた。


「お、おい? 大丈夫か……?」


 オレは座ったまま、身体を傾ける。カワセミの上から、ヤツに向かって手を伸ばす。

 ヤツは首をひねって、こっちへ顔を向けた。見開かれた瞳に、オレの手が映る。

 次の瞬間。


「うわぁぁぁあああああああっ!!」

「いってっ!?」


 伸ばした手が叩き払われた。

 ヤツは逃げるように布団を出て、近くの壁に背中を打ち付ける。


「テメェ! なにしやがっ、」

「来るな! 来るな来るな来るな来るな来るな来るな!!」


 怒鳴りつけようとした。けれどもそれ以上に大きな叫びが、部屋に響く。

 ヤツはなにもない宙を手で足掻あがく。焦点の定まっていない、ゆがんだ顔。目はオレの姿を見ず、耳は声さえ聞いていないみたいだった。

 そのまま、ヤツの顔は出入り口へ向けられる。

 と同時に起き上がり、走り出した。


「おい、待て!」


 止めるのも聞かずに、つめで戸をこじ開け、廊下へ出て行く。


「ヤベェ……」


 よくわかんねぇけど、嫌な予感しかしねぇ。

 起き上がり、寝ているカワセミを飛び越え、後を追う。


「待て! おい!」


 部屋を出て、廊下を走る。

 ヤツは突き当たりにある戸に肩をぶつけながら、廊下を右に曲がった。

 オレも右に曲がって追う。向かっているのは玄関か。


「待てっつってるだろっ!」


 ヤツは玄関の段差に足をとられ、転びかけて扉にぶつかった。

 うめき声を上げ、それでも扉につかまり、ガチャガチャとかぎを開けようとする。


「おいっ!」


 チャンスと思って飛びかかった。けど。


 カチャ。


 鍵の開く音が鳴る。

 服に指先が触れたが、掴むことができず、すり抜ける。

 ヤツは扉をこじ開けて、外へ出た。

 暗闇くらやみの中、裸足で走る背中に、翼が現れる。


「やめろ! 飛ぶな!」


 オレはヤツを追いかける。

 今度こそ。

 大きく広げられた翼の右手側を、思い切り掴んだ。


「ぐっ!? 放せ! 放せ放せ放せ放せ放せ放せ放せ放せ!!」


 ヤツはオレを振りほどこうとする。翼を激しくばたつかせ、オレの腕をたたき、ほおを引っ掻く。

 力は弱いくせに、手心がわかってないから危ねぇ。切れた頬に痛みを覚えながら、手を伸ばす。


「いい加減、正気に戻れっ!」


 胸倉を掴み、身体を横にひねって、地面に押し倒す。

 すかさず馬乗りになって、ヤツの肩を掴んだ。


「トキっ!!」


 目の前で叫んだ言葉に、ヤツの目が、ハッと大きく見開かれた。


 一気に、辺りが静かになる。


 聞こえるのは、オレとヤツの上がった息だけ。舞い上がった羽根が、音もなく地面に落ちていく。抵抗しようとするヤツの手から、力がなくなる。真っ直ぐ向けられた瞳の中に、オレの姿が映っている。


「オレのこと、わかるか?」

「……カラス」


 蚊の鳴くような声を聞いて、オレはようやく、手の力を緩めた。

 ヤツから降り、地べたに腰を下ろす。


「ったく、ビビらせんなよ」


 両手を地面について、大きく息を吐いた。

 ヤツはなにも言わず、半身をゆっくりと起こした。服に土埃つちぼこりが付いていて、右翼の包帯が取れかかっているけど、大した怪我けがはなさそうだ。羽根も、換羽途中の古いものが抜けただけだろう。

 それよりも、気になったことをく。


「こんなこと、よくあるのか?」


 二階で寝ているから、ヤツの寝相なんか知らない。

 ヤツはこっちを見ずに、俯いたまま口を開く。


「いや……。この姿になってから、初めてだ……」


 か細い声で言って、片手で胸を握る。オレは落ち着いたけど、ヤツはまだ肩で息をしていた。しかも手が、めちゃくちゃ震えている。


「プッ」


 その姿を見て、思わず吹き出した。こらえきれずに、腹を抱えて笑っちまう。

 ヤツが面食らったようにこっちを見た。


「わ、笑うな……」

「ハハハ、ハハハハハハハッ!!」

「笑うなと言っている。なにがおかしい!」


 ヤツは眉根まゆねを寄せて、やっと、いつもの調子でオレをにらんだ。


「ハハハ……、だってさ」


 目からあふれそうになった涙をぬぐう。なんとか笑いを堪えて、続けた。


「テメェ、相当無理してたんだな?」


 言うと、ヤツは目を丸くして固まった。図星みてぇだ。

 家が揺れた後、普段通りのスカした顔だったけど、ずっと手は震えていたし、冠羽かんうも立っていた。平気な顔して寂しくないとか言っていたくせに、怖い夢でも見て、パニックになるくらいおびえてたんじゃねぇか。

 ヤツはなにも言わずに、目をそらす。また俯いて、独り言のようにつぶやいた。


「無理……しないといけないだろう……」


 胸を握る手に、ギュッと力が入る。


「無理をしないと生きられない。俺たちの世界は、そういうものだろう……」


 前髪で隠れ、表情はわからない。ふと、着崩れた着物から、首にかけられた無骨な首飾りが目に入った。赤いひもに、金属やプラスチックの輪っかが何個も付いている。

 「俺たちの世界」っていうのは、鳥の――野生の世界ってことか。


「確かに、厳しいかもな。簡単には生き残れねぇよ」


 言いながら、立ち上がる。

 オレたち鳥は、天敵に襲われることもある。仲間と食べ物を奪い合うこともある。冬は最悪、食べる物がない時だってある。

 ヒトと比べちまえば、そう楽には生きていけないかもしれない。無理をすることだって、たくさんある。


「けどさ、気持ちまで無理することは、ねぇんじゃねぇか?」


 座り込むヤツを見下して、言ってやる。

 ヤツがハッと顔を上げた。


「嫌だったら嫌って言って、怖かったら怖いって言って、寂しかったら寂しいって言って、それのなにがいけねぇんだ?」


 俺たちは鳥だ。ヒトじゃねぇんだ。人目なんか気にしなくて言い。体裁なんか気にしなくていい。評判なんかどうでもいい。

 無理して生きているんだ。だったら、感じる気持ちぐらいは、抑え込むことも、我慢することもしなくていいだろ。

 他人になんて言われようが、オレは、オレの思うままに……。


「そっか! そうだよ!」

「ん?」


 突然、視界が開けたように、目の前が明るくなった気がした。

 辺りは暗い。けど見上げると、満天の星が光っている。

 その輝く星に向かって、オレは叫ぶ。


「オレはオレだ! どうもしなくていい。なんにもならなくていい。だれになんと言われようが、オレはオレなんだ!」


 ななのいない三日間を、頭の中で振り返っていた。

 鳥らしいことをしていても、ヒトの姿だった。

 ヒトの姿をしていても、鳥だった。

 自分がなんなのか、どうなりたいのか、見失いそうになった。

 未来のことまで考えて、不安になっていた。

 けど、今、はっきりと思い出した。


「オレは鳥で、ヒトの姿をしてて、ハシボソガラスで、端細はしぼそ力一りきひとで。だけどオレは、オレは『カーくん』なんだ!」


 この名前があれば、オレはオレでいられる。

 だってこれは、オレの一番好きな名前。

 ななが付けてくれた、ななが呼んでくれる、オレだけの名前だから。


「だから、オレはこれからもカーくんでいる! ずっとずっと、オレはカーくんだ!」


 まるで、鍵穴と鍵がぴったりはまったみたいに。穴に隠れた虫をすっぽり取り出せたみたいに。気持ちが晴れていく。

 店長に言ったら、あきれちまうかもな。猛禽もうきんに言っても、小言を言われそうだ。

 けど、たとえゴールなんか決めなくても、間違えだって言われても、オレはオレのままで居続ける。

 それが、今のオレの、正直な気持ちなんだ!


「さっきから、なにを言っているんだ……?」


 と、良い気分だったのに、足もとから邪魔な声が入る。

 見下ろすと、ヤツはポカンとした顔で、こっちを見ていた。


「うるせぇ。テメェには関係ねぇんだよ」


 そう吐き捨てて、再び空を見上げた。

 真っ黒な夜空を埋め尽くす星は、めちゃくちゃきれいに輝いていた。手を伸ばせば、取れてしまいそうだ。今すぐ飛び上がって、捕まえたいくらいだ。

 この空を、早く、ななと一緒に見たくなった。この星空を見ながら、ななと一緒に話したくなった。寝る前の不安とは違う、胸のドキドキが高鳴って、自然と頬が上がる。


「……うらやましいな」


 また、足もとから小さな声が聞こえた。ヤツが地面から立ち上がって、服に付いた土を払う。


「はぁ?」


 眉をひそめて言い返す。ヤツは聞こえていたのかと驚くような顔で、こっちを見た。


「いや……。なにも考えていないんだな」

「はぁ!? テメェは知らねぇだけだろ! ななのいない間、オレがどんだけ大変だったか、」


 言いかけて、止まる。ヤツはオレの話を耳に入れていない様子で、じっと空を見上げた。

 横顔から見える瞳には、星空が映っている。けど、ヤツの見ているものは、どこかおぼろげだった。

 まるで、光る星じゃなくて、暗い闇を見ているような。

 まるで、空を見ているはずなのに、海の底へ落ちていくような……。


「なぁ」


 そういえば、今日の夕方田んぼにいた時も、同じような様子だった。昨日の朝も、ななが出発する日も、似たような目をしていた。ななが修学旅行に行くって言い出した時も、そうだったかもしれない。


 なんとなくだけど、わかった。ボーッとしているヤツだと思っていたけど、コイツは、なんか考えている。オレよりも面倒くさいことを、ずっと考えている。

 考え続けて、前にも後ろにも進めなくなって、立ち止まって、動けなくなってしまったみたいに。ずっと、空を見続けていた。


「なぁっ!」


 ヤツがようやく反応して、こっちを見る。

 カワセミだったら、すり寄って、気の利いた言葉をかけただろうか。

 ななだったら、心配して、話を聴いてあげようと寄り添っただろうか。

 けど、オレは……。


「なにボーッとしてんだよ。そろそろ戻ろうぜ」


 こんな嫌いなヤツのことに、深入りなんかしたくなかった。

 これがオレの、正直な気持ち……。


「そーいやカワセミのやつ、ずっと寝てんのか? あれだけ騒いでよく起きねぇな」


 言いながら、きびすを返して玄関へ戻る。段差に足をかけたところで、後ろから声がかかった。


「カラス」

「あん?」


 右足だけ段の上に乗せて、振り返る。ヤツが口を開いて、閉じる。なにか言いたいけど迷っているのか、目を泳がせる。

 なんだよ、面倒くせぇ。思い当たることを、先に言う。


「さっきのこと、ななには秘密にしといてやるよ」


 つーか、言ったら絶対に心配するから、言いたくない。

 ヤツはホッとしたように、肩を下げた。けど、まだなにか言いたそうだ。目をそらし、斜め下辺りを見つめながら、独り言のように口を開く。


「すまない……。助かった……」


 まさか、そんなことを言いたくて、ずっと考えてたわけじゃねぇよな……。


「礼だけで済むと思うなよ。今度なんかおごれ」


 言うと、ヤツは眉を歪めてこっちを睨む。オレだって眉を歪めて睨んでやる。フンッと前へ向き直り、家に入ろうとした。

 そういやオレ、なんでコイツを止めたんだ。ななのいないうちに、家から追い出せばよかったのに。なんで、助けちまったんだ……。

 ヤツの右翼を掴んだ自分の手に、目を落とした。


「カラス」

「今度はなんだよ!」


 また呼び止める声が聞こえて、振り返る。

 すると。


「明日、なんだが……」


 ヤツは、オレの思いもしないことを言い出した。

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