7-05 「そうだ、修学旅行だった!?」-⑤-

 その後も、わたしたちは街並みを散策したり、観光スポットを巡っていった。そして今は、海の見える遊歩道に来ている。

 二人組はえるスポットへ写真を撮りに行っている。わたしとゆうちゃんは、広い道に置かれたベンチに座って休憩中だ。


「んーっ。たくさん歩いたから、ちょっと疲れちゃったね?」


 わたしは背伸びをして、隣のゆうちゃんに言う。

 けれどもゆうちゃんは、わたしとは別の方向を見ていた。


「ゆうちゃん?」

「あっ、ううん……」


 こっちを向いて返事をして、またさっき見ていた場所へ目を移す。

 そこには、道の隅で、生け垣を見つめるように立つ野咲さんの姿があった。


「野咲さんは、楽しんでるのかなって……」


 ぽつりと、ゆうちゃんの口から言葉が漏れる。


「どこに行っても、あんまり観てないし。お店に行っても、なにも食べないし、なにも買わないし……。もしかしたら、行きたいけど私たちに言えないところとか、あるのかな?」


 その言葉に、わたしはピクッと肩が浮いた。首をブンブン振って、フォローするように言う。


「だ、大丈夫だよ。野咲さん、最初のガラスショップでなにか見て、買ってたよ」

「そうなの?」

「うん。その時ゆうちゃんたち、もう外に出てたからね。なんか、すごく高そうな物だった」

「そ、そうなんだ……」


 ゆうちゃんは小首を傾げて、また野咲さんのほうを見る。

 野咲さんは、腰くらいの高さがある生け垣の植物にそっと触れた。退屈だからいじっているのか、一枚一枚、葉をまんで裏側をひっくり返している。


「ところで、ななちゃんは?」


 と、野咲さんのことを見ていたら、ゆうちゃんが今度はわたしにいてきた。


「えっ? わたしが、なに?」

「ななちゃんは、楽しんでる?」

「えっ、う、うん、楽しいよ! 美味しい物たくさん食べたし、景色もきれいだし……」

「ホントに?」

「うん。ホントホント」


 言いながら、首を大きく縦に振る。それでもゆうちゃんはあごを引いて上目遣いになりながら、わたしに詰め寄ってきた。


「もしかして、行きたいけど私たちに言えないところとか、ある?」

「あっ……」


 ついさっきも耳にした言葉に、またピクッと反応する。次の言葉が出てこなくなってしまう。

 ゆうちゃんはそんなわたしを見て、得心が行ったみたいに口もとを緩めた。詰め寄った距離を戻して、ベンチに座り直す。


「私ね、実は、ずっと気になってたことがあるの」


 どこか遠くへ視線を向けながら、ゆうちゃんは話し始めた。


「ななちゃんって、小学校の頃はよく、私をバードウォッチングに誘ってくれたよね?」

「う、うん」

「けど、最近は『行こう』って、全然言ってくれないなって」

「そ、それは……、ゆうちゃん、部活とかで忙しそうだから。それに……」


 ゆうちゃんは視線をわたしに向け、じっとこっちを見つめた。

 言いかけた言葉が止まる。なにかを見透かすひとみに、耐えられず目をそらす。

 すべて察しているみたいに、ゆうちゃんは話を続けた。


「中学の頃まで、ななちゃん、『鳥が好き』って周りのみんなにすごくアピールしてたよね。けど、から、急に鳥のこと話さなくなって、バードウォッチングも誘わなくなって、一人でいることが多くなっちゃったよね」


 あの日……。

 その一言で、記憶がフラッシュバックみたいによみがえってくる。


『なんで……あんなこと……言われなきゃ……ならないの……』


 中学の頃、わたしは行き過ぎなくらいに鳥好きだった。クラスの友達に対して、流行の話には耳も貸さずに鳥の話ばかりしていた。いつでも双眼鏡を持ち歩いて、休み時間に窓から鳥を見たりもしていた。


 けど、あの日。クラスの男子たちにからかわれて、傷ついて……。ようやくわたしは、自分が周りと比べて変わっていることに気がついた。それから、周りとどう接すればいいのか、急にわからなくなった。


「やめて……」


 思考を止めたくて、声が漏れた。ひざに置いていた手を、ギュッと握る。

 ゆうちゃんが心配そうに、わたしの顔をのぞき込む。

 それに気付いて、わたしは口角を無理に上げた。


「や、やめてよ~、ゆうちゃん~! 急にそんな、わたしの黒歴史を言わないでよ~!」


 変に甘えた声が出た。両手をパタパタ振ったり、身体を左右に揺らしたり。オーバーなリアクションでその場を取り繕うとした。

 けど、軽くゆうちゃんの肩をたたこうとした時、その手を握られる。真剣な眼差しが、目の前にあった。


「私ね、あの時、すごく心配だったの。もしかしてななちゃん、バードウォッチング辞めちゃうんじゃないかって。鳥のこと、嫌いになったんじゃないかって……。でも、違った。ななちゃん、学校では表に出さなくなったけど、ずっと鳥のことが好きだった。ずっと鳥を見てた」

「ゆうちゃん……」


 いつものゆうちゃんらしくない必死な顔で、矢継ぎ早に話をする。

 こんなことを聞くのは初めてだった。心配していたなんて、初めて知った。

 一呼吸置いて、わたしは握られた手を握り返す。


「当たり前だよ」


 潤みを帯びた瞳を、わたしは真っ直ぐに見つめ返す。


「だって、好きだから。わたしから鳥をとったら、なんにもなくなっちゃうよ」


 そう言って、肩をすくめて笑みが零れる。

 そういえば、中学のあの日。泣いて帰ってきて、庭のベンチに座っていた時に、あの鳥に出会ったんだよね。それに、一人でバードウォッチングをするようになってから、『野鳥公園』であの鳥にも出会った。

 学校で上手くいかない時も、鳥たちがわたしを慰めてくれた。わたしの支えになってくれた。だから、辛い気持ちも乗り越えられた。


「ななちゃん……」


 少しずつ自信がついて、高校に入ってからは、ゆうちゃんになら鳥の話ができるようになった。こっそりと双眼鏡も持ってきている。たまに夢中になりすぎて、人の話を聞かないところはあるけど、なんとか、隠れながらも楽しんでいる。


「私、好きだよ。ななちゃんのその、真っ直ぐなところ。鳥のことを、とっても想ってるところ」


 ゆうちゃんの言葉に、ハッと焦点を合わせる。

 ゆうちゃんはほおを染め、両手でわたしの手を包み込んでいた。目を閉じて、その手をそっと額に持っていく。


「でもね、たまに不安になっちゃうの。ななちゃん、一人で鳥を追いかけて、いつか、戻ってこなくなっちゃうんじゃないかって……。鳥たちと一緒に飛び立って、どこかへ行っちゃうんじゃないかって……」


 目の前の親友は、震える声で、自分の気持ちを伝えてくれる。

 鳥ほどの体温はない、けれども心地よい温度のぬくもりが、手を包んでいた。

 ゆうちゃんは額から手を下ろして、目を開く。


「私ね、ななちゃんの好きなこと、もっと知りたいの。もっと教えてほしいの。自分の好きなこと、変にアピールする必要ないけど、無理に隠す必要も、ないと思うよ?」


 大きな透き通る瞳に、泣きそうなわたしの顔が映っていた。

 いつもわたしは、鳥のことばかり見ていた。けど、忘れかけていたほど近くで、わたしのことをずっと見ている人がいた。わたしが知らない振りをしていたわたしに、気付いている人がいた。

 ここで、こんなことを言われるなんて、思ってもいなかった。なんて返したらいいかわからず、想いが詰まる。

 ゆうちゃんは微笑んで、代わりに言葉を導いてくれた。


「どこか鳥の観察できる場所に、行きたいんでしょ?」


 その問いに対する答えは決まっていた。それでも、まだ自信が持てない。


「で、でも……、せっかくの修学旅行なのに……」

「せっかくだから、行こうよ? 私、ななちゃんとまた一緒に、バードウォッチングしてみたいな?」


 ゆうちゃんはニッコリと笑って、小首を傾げる。

 すると、写真を撮っていた二人組が帰ってきて、こっちにやってくるのが見えた。


「お待たせー。次、どうする? 近場なら、あと一カ所くらい行けると思うけど」

「アタシたちは、行きたいとこ全部行ったから~。二人が決めていいよ~?」


 そばへ来て、二人組が言う。

 ゆうちゃんはわたしに目配せして、手を引きながら立ち上がった。


「ななちゃんがね、どうしても行きたい場所があるんだって」

「田浜さんが?」

「どこどこ~?」

「えっ? ちょっと、ゆうちゃん?」


 引っ張られて立ち上がったけど、戸惑ってしまう。

 二人組が首を傾げて、次の言葉を待っている。野咲さんも、黙ってこちらへ戻ってきた。

 すがるように隣を見ると、ゆうちゃんが優しく微笑んでくれた。まるで、頑張れって応援してくれているみたいに。

 それに答えたくて、わたしは一歩前へ出る。


「あ、あのね……。わたし、行きたいところがあるんだ……」


 勇気を出して、気持ちを言葉に変える。

 どうしても、行きたかった。北海道に行くなら、絶対に見に行きたかった場所。


「わたし、知床しれとこに行きたい!」


 ……言えた。

 知床半島。世界自然遺産の一つで、原始的な自然が残されている、まさに北の生き物たちの楽園。鳥もたくさんいて、天然記念物のシマフクロウを始め、オオワシやオジロワシ、ワタリガラスが見られるかもしれない。

 あこがれの場所へまさか修学旅行で行けるなんて、わたしは昨日まで夢にも思わなかったよ!


「しれ、とこ……」

「えっと~……」

「…………」


 って、あ、あれ? どうしてだろう。みんな、目が点になっている。野咲さんなんて、なにも聞こえなかったように、顔をそらしているんだけど……。


「ななちゃん」


 と、ゆうちゃんがわたしの肩にポンッと手を置いた。

 お花が咲いたような満面の笑みを浮かべながら、教えてくれる。


「そこは、距離的に無理」


 この時わたしは、北海道の大きさを肌で学び、また一つ、黒歴史を作ってしまった。



   *   *   *



 その後わたしたちは、知床ではなく、近場にあった森林公園を散策した。珍しい鳥には出会えなかったけど、ゆうちゃんと一緒にバードウォッチングができて、とっても楽しい思い出ができた。


「田浜さんって、鳥に詳しかったんだね」

「さっき見たメジロだっけ~。すっごく可愛かったよ~」


 もうすぐ集合時間で、わたしたちは集合場所のホテルへと歩いて向かっていた。前を歩く二人が、こちらを振り返って話しかけてくれる。公園では、二人にもちょっとだけ鳥について教えたんだよね。


「ねぇねぇ~、あの鳥はなに~?」

「あっ、あれはドバトだよ」

「ドバト? でもさっき見たハトはキジバトって言ってなかった?」

「えっ、えっと、ハトにもいろんな種類がいるの。キジバトはもともと日本にいるハトだけど、ドバトは外来種で、ペットとかレース用のハトが逃げ出して、野生化しちゃったものなんだって」

「「へぇ~ー」」


 ゆうちゃん以外の人と、鳥の話をするのは何年ぶりだろう。いつもは「鳥レクチャー!」とか言って熱弁してしまうけど、今日は調子が掴めず詰まり気味になってしまう。それでも、興味を持って聞いてくれて、なんだか、本当に嬉しい。

 すると、わたしの腕を、ツンツンとゆうちゃんのひじが触れた。


「良かったね、ななちゃん?」

「ゆうちゃん……、うんっ」


 優しくささやいてくれた言葉に、頬を上げてうなずいた。

 これも全部、ゆうちゃんが励ましてくれたおかげだよ。ホテルに着いたら、ちゃんとお礼を言おう。


「あれ?」


 そう思っていた時、後ろから声が聞こえた。

 振り向くと、野咲さんがスカートのポケットに手を入れて、立ち止まっていた。ポケットから手を出して、ペタペタとなにかを探すように自分の服を触る。


「……ない」


 その顔が、見る見るうちに青ざめていく。


「どうしたの、野咲さん?」


 わたしは立ち止まって訊いた。ゆうちゃんも足を止めて振り返る。

 野咲さんは一瞬だけこっちを見て、目をそらした。なんだか深刻そうな表情。そう思った、直後。


「あっ!? 待って!」


 野咲さんはこちらに背を向けて、来た道を走り出した。


「待って、野咲さん!?」


 わたしたちの声に足も止めず、どんどんと走っていく。


「えっ、なに? もう集合時間だよ?」

「どうしたの~?」


 前を歩いていた二人も、異変に気がついて声を掛けてきた。


「野咲さんが、急に走って行っちゃったの。二人は、先に行って先生に伝えて。ななちゃんは、私と一緒に野咲さんを追おう」

「う、うん!」


 ゆうちゃんの指示に、みんなが頷く。

 一瞬だけ見えた、泣きそうな表情が頭をよぎる。疑問を抱えたまま、わたしとゆうちゃんは野咲さんの後を追った。

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