6-11 ミサゴさんと、過去語り②

 こうして、ワシはヒトの姿になった。

 けど、それから数日、また動けんくなった。


 ……アホなことした。

 感情のままに変化へんげして、ワシはもう限界を超えとった。目が覚めたら、真夜中で、鳥居の下に倒れとった。痛みと熱に犯されながら、なんとか社の中に入り込んで、そこで身体を休めたんや。


 ようやく動けるようになって、あのヒトを探しに、森の外へ出て行った。無事かどうか、心配やった。早く会いたい、会って気持ちを伝えたい。その一心やった。

 けどな……。


「な、なんですか!? ど、どいてくださいっ!」

「どうした?」

「こ、この人が、急に道ふさいできて……」

「おい兄ちゃん! なんのつもりや!」


 探す言うても、当てがあるわけやない。知っとるのは、あのヒトの姿だけやった。

 それにワシは、あの時までヒトと関わりを持ったことがなかった。ヒトの姿になって、恐怖心は薄らいだけど、ヒトの言葉はわからんままやった。くことも、話すこともできん。相手がなにを言っとるのかさえ、理解できんかった。


「…………」

「なんとか言えや! あっ、待て! 警察呼ぶぞ!」


 あのヒトと似たような女性を見つけたら、顔を見て確かめて、驚かれて叫ばれて、騒ぎになって逃げる。その繰り返しやった。どう見ても変質者やった。

 ヒトの社会の決まりもマナーも知らんかった。道路に飛び出して、他人の敷地へ勝手に入って、家に侵入したこともあったな。そのたびに怖がられて、怒鳴られて、警察に追われたことも何度かあった。あの頃は、なんで追われとるのかもわからんと逃げとったけどな。


 ……笑ってええ。ほんま、なんも知らんかったんや。

 ただ、あのヒトに会いたい。その気持ちだけで動いとったんや。


 けどな、探しても、探しても、どれだけ探しても、あのヒトには会えんかった。


 探し方が悪いのもあったやろ。それに、今やから考えられるけど、あんなきれいな服でこの場所に来たんや。ここの土地のヒトや、なかったのかもしれん。どこか遠くから、旅行に来たのかもしれん。せやから、もうとっくに、ここにはおらんかったのかもしれん。


 一ヶ月が過ぎて、なんの手がかりもないまま、ワシはこの神社に戻ってきた。


 その日は嵐やった。森全体が激しく揺れとった。

 雨と風が、身体を打ち付けた。もちろん、雨具なんか持ってない。身体が濡れて、体温が奪われていった。汚れて破れた服が、肌に張り付いた。ところどころ擦り切れた傷口に、冷たい水が染みた。


 左足を引きずりながら、ワシは、あのヒトに会った鳥居のそばまで来た。あん時と違い、波はうねりをあげて、鳥居まで押し寄せとった。構わず前へ進んで、糸に絡まった場所まで行った。

 潮水が、左足の傷を刺した。けど、声も上げれんかった。


 もう、身体も心も、ボロボロやった。

 散々探して、あのヒトに会えんかった。けど、あきらめもつかんかった。

 このまま、ヒトの姿で探し続けるか。それとも、鳥に戻るか。

 どっちにしろ、辛い選択やった。

 どうしていいのかわからんかった。途方に暮れた。

 もう、いっそ……。そう思って、翼を広げた。


 そん時や。


「ここでなんしとらんや」


 不意に後ろから、声がした。低い、ヒトの男性の声や。

 ワシは驚いて、すぐに翼を隠して振り返った。

 鳥居の手前に、年とった男のヒトが、雨合羽を着て立っとった。


「ここは神様まつっとる神聖な場所や。けがすような真似まねするげんたら、わしが許さんぞ」


 そのヒトはワシをにらみつけて言った。言葉はわからんけど、怒っとるのは確かやった。


「…………」


 ワシは、なんも反応できんまま、そのヒトを見とった。今までの経験で、逃げなあかんとは思った。けど、身体を動かす気力が、もうなかった。

 そのヒトは、じぃっとワシを、足先から頭のてっぺんまで睨みつけた。


「お前さん、最近うわさになっとる不審者やな」


 それから、急に背を向けて歩き始めた。


「来い」


 二、三歩と進んで、立ち止まり、こっちへ振り返った。


「来い言うとるげん。はよ」


 不機嫌そうに言って、アゴでくいっと、道のほうを指した。

 なんとなく「ついて来い」言うとるのは理解できた。けど、回らん頭はどうしていいか考えつかんと、ワシはその場に固まっとった。

 しびれきらしたように、そのヒトはこっちに近づいてきた。そしたら。


「あんた! いつまで待たせるんや! 台風来てはるんやから、はよ帰らへんと飛ばされてしまうやろう! こんなトコでなに油売って……!?」


 道のほうから、張りのある声が聞こえてきた。今度は年とった女性が、かさを持ちながら、こっちまでやってきた。


「あっら~、どえらいイケメン! どないしたん、この子? こんなびしょびしょになって……。あんた、なにボーッと見とんねん! 合羽脱いで、この子に着せてあげるくらいせぇへんのか! ごめんな~、うちの旦那だんなが気ぃ遣わんで。ほら、そんなトコに立っておらへんと、おばちゃんの傘に入りなはれ? えらいボロボロやけど、大丈夫か? アメちゃんあげよか?」


 波にも雨風にも負けん勢いで言われて、正直、ようわからんけど怖かった……。やっぱり逃げようと思った。けど、女のヒト、いや、おばちゃんはワシの腕をわしづかみにしてグイグイ引っ張ってきた。ワシはされるがまま、鳥居のそばまで連れて行かれた。そんなワシを、男のヒトは少し申し訳なさそうにまゆゆがませて見とった。


「おい、行くぞ」

「なにが『おい、行くぞ』や、ねぇ? ごめんな~、うちの旦那、愛想めっちゃ悪いねん。けど、こんな台風の日に立ち話もなんや。うちまで行こか? んんっ!? なんやあんた、めっちゃ爪長いやん。トンビみたいな爪してはんな。トンビといえば、おばちゃんこの前、港でご飯食べとったらな、横からビュッって! トンビがおにぎり掴んで飛んでいったんや。びっくりしたのなんのって!」


 しゃべりっぱなしで、おばちゃんはワシを引っ張って行こうとした。

 けど、ワシは足を踏ん張って立ち止まった。知らんヒトたちや。なんで連れて行かれるのかもわからんかった。


「どないした? はよ行かへんと、風邪ひいてしまうやろ?」


 おばちゃんは、ワシの上に傘を差して、腕をまたグイグイ引いてきた。ワシは首を横に振って、目をそらした。そしたら、視線の先で、男のヒトがまた立ち止まって、こっちを振り返った。


「安心せぇ。悪いようにはせん」


 静かに、けど雨の中でも聞こえるようにはっきりと、そのヒトは言った。


「なんでやって、顔しとるな? お前さんの噂が立つ前、ここで、おかしな人見た言う話があったげん……」


 そのヒトは、一度神社のほうへ向き、また視線を戻して続ける。


「天から降りる神様は、背に翼を生やしとるらしい。放っておいたら、女神様のバチが当たる」


 ヒトの目は、さっきと変わらずワシを睨みつけたまま。けど、口もとは柔らかく微笑みを浮かべとった。

 そのヒトは言うと、またきびすを返して歩き出した。


「……なに言ってんねん、あの人は? ごめんな~、気にせんでええよ? うちの旦那、町内の会長やっとってな。風強いから心配やて、この神社見回りに来たんや。さっ、はよおいで? 車で来たし、うちすぐそこやねん」


 目を落とすと、おばちゃんもワシの顔をのぞき込んで、ニコッと笑った。

 優しい笑み。ここで、あのヒトが見せてくれた表情と一緒やった。

 それ見て、ワシは気も力も抜けた。おばちゃんの引っ張りに、素直に応じた。


 これが、ワシと、会長さん夫婦との出会いやった。


 それからしばらく、ワシは会長さんの家に世話になった。正体も、なんであの場所におったのかも言わんのに、会長さんもおばちゃんも、ワシを快く受け入れてくれた。

 言葉もしゃべれん、魚しか食わんワシに、いろいろなことを教えてくれた。おばちゃんは言葉を教えてくれて、社会のルールを一から教えてくれた。会長さんは船に乗せてくれて、住む家も探してくれた。ヒトの姿で生きる術を、ワシはあの二人から学んだんや。


 それからは、お嬢ちゃんの知っとるとおりや。ワシはこの姿で、この町にずっと住んどる。

 あのヒトを探して、この神社に毎日来て……。

 代わり映えもなく、毎日、ずっと、あのヒトを待っとるんや――。

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