6-10 ミサゴさんと、過去語り①

 ワシは、この神社から野鳥公園辺りの湾を縄張りに持っとった。海で狩りして、この森や野鳥公園で休んで、春になったら巣作りして。普通の、どこにでもおるミサゴらしい生活をしとった。


 あの日は台風一過の晴天やった。海は白波が立っとって、けど、飛べんほど強い風も吹いてなかったんや。

 ワシは狩りをするために、この神社の森から飛び立って、沖へ出た。


 そこで、おぼれたんや。


 ……アホな失敗やろ。

 前の日は風が強くて狩りできんで、丸一日ほとんどなんも食べてなかったんや。空腹で、早くなんか食べたくてな。自分よりずっと大きい魚を見つけて、一直線に海へ飛び込んだんや。

 魚はガッチリ捕まえた。けど、思った以上に大きくてな。捕まえたまま飛び上がることができんかった。一度魚に食い込ませたつめは、なかなか離れん。魚も抵抗して、海の底へ潜っていった。

 ワシはそのまま海に引きずり込まれて、意識を失った。


 気がついたら、ここ――鳥居のそばの波打ち際に、打ち上げられとった。

 なんで生きとるのか、自分でもわからんかった。捕まえたはずの魚は、もうおらんかった。確かめようはないけど、息絶える直前で、足から魚が外れたんかもしれん。

 ワシは起き上がって、飛び立とうとした。

 けどな。


 ――うっ!?


 足に激痛が走って、地面に体をぶつけた。

 足もとを見ると、左足に糸が絡まっとったんや。

 ワシの周りには、前の日の風で、流されたゴミがたくさん転がとった。ワシに絡まった糸は、たぶん釣り糸や。糸はそばにある漁網にも絡まって、ワシはその場所に繋がれたようになっとった。


 ……最悪な状況やった。

 力一杯、翼を羽ばたかせても、そこから抜け出せんかった。もがけばもがくほど、糸はどんどん絡まっていった。足が縛り付けられて、食い込むような痛みが走った。

 空腹で、一度溺れかけた体や。もう、体力も限界やった。

 とうとうワシは、波打ち際で動けんくなってしまった。


 そん時やった。


「鳥……?」


 そばで、なんかの声が聞こえた。

 頭の上に、でっかい生き物が見えた。


「生きてる……! ちょっと待ってて、すぐにほどいてあげるから」


 それは、ヒトやった。二十歳弱の若い女性や。つばの広い白い帽子をかぶって、真っ白なワンピースを着とった。

 そのヒトは、すぐそばでしゃがみ込んで、ワシへと華奢きゃしゃな手を伸ばしてきた。


 ――やめろっ!!


 ……ワシは、恐ろしくて、恐ろしくて、仕方なかった。

 当時は、ヒトとなんか、まったく関わってなかったんや。遠くで歩き回っとる、大きくて危険な生き物やと思っとった。もちろん、言葉も理解できんかった。

 そんな相手が、目の前に来たんや。細い手やとしても、ワシの首を絞めるには足りる大きさやった。襲われると思った。喰われると思った。


「いたっ!? 暴れないで?」


 ワシは最後の力を振り絞って、翼も、足も、がむしゃらに動かした。ただただ、その手から逃れたかった。

 けど、相手も引き下がらんかった。声を上げて、ワシの体を押さえつけてきた。


「大丈夫だから、もうちょっと頑張って……いっ!?」


 顔の前に来た手に、思い切り噛みついた。その手は、いったん引いたけど、またすぐに戻ってきた。首もとを片手で握り潰すようにつかまれて、体は両膝で強く押さえ込まれた。ヒトは、ワシに覆い被さるような体勢になっとった。このまま、つぶされてもおかしくはないと思った。


「あと、もう、ちょっと……」


 けど、そん時、不意に足の痛みが軽くなった。今まで絡まっとった糸が、急に取れたんや。ヒトの手も足も、ワシから離れた。


「あっ」


 ワシは、今しかチャンスないと思って、翼を思い切り羽ばたかせた。

 ヒトを避けて、空に飛び立って、鳥居のてっぺんに飛び乗った。

 もう、疲れ切っとって、遠くまで逃げる元気がなかった。けど、この高さやったら、ヒトも登って来んやろうと思った。


「足、大丈夫かしら? けど、ちゃんと飛べるのね……」


 ヒトは、また声を出しとった。ワシは警戒して、後ろを振り返った。こっちに近づいてくるヒトを見下ろしたんや。

 そしたら、な……。


 ――えっ?


 そのヒトの着とった服が、さっきまで真っ白やった服がな……、ツバキの花びら散らしたみたいに、赤く染まっとった。

 左手には、糸くずを持っとった。さっきまで、ワシが絡まっとった物や。

 その腕には、紅色の筋が入っとった。もう片方の手は、力なく身体の横に降ろされて、その手の中指の先から、しずくしたたり落ちとった。地面に転がる石に、紅色を咲かせとったんや。


 ……その光景を見てな、ワシは、やっと気付いたんや。

 目の前のヒトが、なにをしてくれたのか。

 そして、ワシが、なんてアホなことをしてしもうたのか……。


 今ならわかる。お嬢ちゃんやって、わかるやろ。野生動物に、安易に近づいたり触ったりしたらあかん。それに、ワシは猛禽もうきんや。鋭い爪がある。くちばしもある。素手で触れば、傷つくに決まっとる。

 あのヒトやって、それくらいわかっとったはずや。ワシの爪も、くちばしも、見えとったはずや。

 それなのに……。


「良かった」


 助けて、くれたんや。

 自分を傷つけてまで、ワシを、助けて、くれたんや……。


 あのヒトは、優しそうに笑っとった。

 左手に持った糸を服の中に入れて、その手で右手首を押さえて。でも、顔はずっとワシに向けたまま、笑っとった。


「じゃあね、ミサゴ」


 あのヒトは小さい声で言って、汚れた左手で小さく手を振った。

 歩き出して、鳥居をくぐってワシに背を向けた。

 そして、森の中に、消えていった。


 ――――ッ!!


 ワシは、鳴いた。

 ありったけの声で、泣いた。

 あんな気持ちは、初めてやった。糸に絡まった時よりも、あのヒトに押さえつけられた時よりも、強く、苦しく、体をなにかに縛り付けられたみたいやった。

 ヒトの泣き方とは違う。涙もでぇへん。けど、ワシは叫ばすにはおられんかった。


 ――どうして、ワシは傷つけたんや!

 ――命を助けてくれた相手を、どうして、あんなに、傷つけたんや!


 あの気持ちが、「後悔」ちゅう言葉やと、まだあん時のワシは知らんかった。


 ――あのヒトに謝りたい。

 ――助けてくれた恩を返したい。


 その想いが、ワシを、ヒトの姿に変えた。

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