2-09 白と黒の疑惑

 わたしはカーくんに手伝ってもらって、客間の布団にトキを寝かせてあげた。

 トキは力なく布団の上に横たわる。荒い息づかいで、呼吸するたびに肩と翼が揺れている。額に手を当てると熱い。手近にあった救急箱から体温計を取り出し、トキのわきに差した。


「学校……行か……ないのか……?」


 トキが薄らと目を開け、わたしにく。


「いいんです。休むって連絡しておきます」


 わたしはかばんからスマホを取り出した。学校には風邪を引いたので休むと言っておけばいい。電話番号を調べていると、トキの手がわたしの腕を弱くつかんだ。


「なな……俺のことは構うな……。早く行け……」


 わたしはつい先日のことを思い出す。


「構うに決まってるじゃないですか! 無理しないでってあれほど言ったのに……、なんでもっと早く言わなかったんですか?」


 昨日から様子が変だったのは、気分的に落ち込んでいたからじゃなくて、体調が悪かったからなのかな。気づけなかった自分と、言ってくれなかったトキに苛立いらだちを覚えてしまう。怒っている場合じゃないのに、きつい言葉が出てしまう。


 その時、ピピピッと音が鳴った。トキの手をやんわりと振りほどき、脇から体温計を取り出す。表示された温度を確認する。

 ……って、あれ?


「な、なんで!? 四十度超えてるんだけど!?」


 表示された数字は四十度を軽く超えていた。

 機械の故障? でももし、この体温が正しかったら……。高熱の病気といえば、インフルエンザ。まさか、かの有名な鳥インフルエンザ!?


「落ち着け、なな。鳥はヒトよりも体温が高いんだ。ソイツの平熱が何度かは知らねぇが、まぁ、ちょっと高いってくらいじゃねぇか?」


 慌てふためくわたしの後ろから、戸に背もたれているカーくんが助言してくれる。

 そういえばトキやカーくんとハグした時、温かいなって感じた。

 でも、そこまで高熱でないにしても、熱があるのは確か。現にトキは苦しそうだ。早くなんとかしないと。


「トキ、待っててください。今、氷持ってきます。カーくん、トキのことてて」


 わたしはトキとカーくんを客間に残し、台所へ行った。

 冷凍庫を開け、氷枕と冷却シートを取り出す。ついでに学校にも電話して、今日は休みますと伝える。


「恩を返しに……くせ……ざまか、恩をあだで…………じゃねぇか?」


 電話をしている間、客間からカーくんの声が聞こえてきた。はっきりとは聞こえないけど、トキになにか話している。


「ななはやさしいから…………が、オレの……ごまかせねぇ……な」


 まさか、またケンカしているのかな。電話を終え、急いで客間へ向かった。

 戸の隙間すきまから、カーくんの低い声が聞こえる。


「テメェ、恩を返すとか言って、本当はななのことだましてんだろ?」

「……なんのことだ」

「とぼけんな。この怪我けが見せつけて、ななの気を引きたいだけなんだろ」


 戸を開ける。

 カーくんがトキの前に立ち、怪我をした翼を掴んでいた。

 トキが顔をゆがめている。

 カーくんが構わず口を開く。


「これ以上ななをたぶらかすつもりなら、今すぐ出て行け。さもねぇと三度目の正直だ。次こそこの翼、飛べなくしてやる」


 わたしの手から、氷が落ちた。


「カー、くん……?」


 難癖を付けているだけなら、しかろうと思っていた。けれど、カーくんの口から出た言葉が、わたしの心を大きく揺さぶる。

 『三度目の正直』? 『次こそ……、飛べなくしてやる』?


「カーくんが、やったの……?」


 信じたくなかった。認めたくなかった。

 だって、わたしの前であんなに笑って、楽しませてくれて、やさしくしてくれた。

 そんな、カーくんが……。


「トキに怪我をさせたのって……、カーくんがやったの……!?」


 カーくんは、トキの翼から手を離し、こちらへ振り返る。


「いいや、違う……」


 わたしに向けた顔は、昨日と同じ柔らかい微笑。


「オレと、オレの仲間全員でやった」


 けれども今のわたしには、それが冷笑にしか見えない。


「な……なんで、なんでそんなひどいこと……?」

「ひどい? こいつがオレたちの縄張りに入ってきたんだ。だから仲間と一緒に追い払っただけ。まっ、見かけねぇやつだったから、ちょっと遊んでやったけどさ」


 カーくんが平然と言い放つ。悪びれる様子は微塵みじんも感じられない。倒れているトキを見下しながら、ペラペラと話を続ける。


「しかしまぁ、一回目は鳥で、二回目はヒトの姿だったから、まさか同じヤツとは思わなかったぜ? しかもソイツが今度は、ななの家に上がり込んでいたとは。二回目の時は、暗くて顔覚えてなかったしさ。昨日のななから聞いた話で、やっとつじつまが合った。なな? コイツはお前のこと、」

「やめて……!」


 これ以上、カーくんの話を聞きたくない。

 これ以上、カーくんと一緒にいたくない。

 トキに怪我をさせた相手を、この家にいさせたくなんか、ない……。


「出て行って。この家から。今すぐに」


 やっとのことで絞り出した言葉は、冷たく震えていた。


「は……? おい待てよ、なな? なんでオレが……?」

「いいから出てって! トキに怪我させるなんて、カーくんなんて最低だよ!」

「なんだよ、それ……。なんでななはコイツの味方なんだよ! こんなヤツのどこがいいんだよ! ちょっときれいだからか? ちょっと珍しいからか? こんな仲間もいない弱くて卑怯ひきょうなヤツの、どこが、」

「トキの悪口を言わないで! カーくんなんて、大嫌いっ!」


 叫ぶように言って、わたしはうつむいた。カーくんの顔を、もう見たくなかった。わたしの顔を、もう見せたくなかった。


「なんでだよ……、意味わかんねぇ!」


 カーくんはそう吐き捨て、わたしの横を通って部屋を出て行く。


「オレはただ、ななとの約束を……」


 去り際、カーくんの震えた小さな声が耳に届いた。


 バタンッ!


 戸が音を立てて閉められた。廊下を歩く音、玄関が開いて閉まる音が、むなしく鳴る。

 わたしはその場に立ち尽くしていた。怒っているのに、ムカついているのに、なぜか悲しい。熱くなる目頭から涙が落ちないようにするので、精一杯だった。


「なな……」


 そんな張り詰めた静寂を破ったのは、弱々しいトキの声。

 わたしははっと我に返り、畳に落ちた氷枕と冷却シートを拾い上げる。


「トキ、ごめんなさい。大丈夫でした? わたしのいない間、カーくんに悪いことされませんでした?」


 わたしはトキのそばへ行き、ひざを折って座った。冷却シートのシールを外そうとする。けれども手が震えて、なかなかがれない。


「なな……、俺をかばう必要なんてない……」


 シールと格闘していると、トキがささやくように話し出した。

 手が止まり、顔を上げる。うつろな目が、じっとわたしを見つめている。


「自分で招いた結果だったんだ……。一度目は、ななに会う前……、カラスがよく使うえさ場へ知らずに入り込んだ……。二度目は、学校から戻る途中……、近道だと思い、ねぐらの上を飛んでしまった……。だからあいつらは、俺を追い払おうとした……。それだけだ……」

「でも、一羽相手に群れで追いかけるなんて、ひどすぎます。そんなことするカーくんのほうが悪いです」

「善いか悪いかなんて、ヒトが決めていることだ……。俺たちにそんなものはない……」


 トキの声は小さく弱々しい。けれどもその言葉が、わたしの心を突いていく。

 黙ってしまったわたしを見て、トキは小さく首を横に振った。


「いや、お前を否定しているわけではない……。現に俺は、お前に助けられている……。恩を感じている……。ただ、俺たちの世界と、お前たちの世界は違うんだ……。俺たちの世界は、そういうものなんだ……」


 トキたちの――鳥たちの世界。

 頭ではわかっている。弱肉強食とか、生存競争とか、厳しい自然界のおきてとか。縄張りから他の鳥を追い出す光景も、野外やテレビで何度も見ている。

 けれども……。


「そう、俺は覚悟して施設から飛び立った……はずなんだ……」


 わたしの耳に届かないくらい小さな声でトキが言った。そして、敷き布団に手をつき、身体を起こそうとする。


「トキ? どうしたんですか?」

「食べ物を捕りに行く……。まだなにも食べていない……」

「ダメですよ、そんな身体で」

「だが、食べなければ飢える……」

「だったら、わたしが代わりに捕りに行きます」

「いい……。自分の食べ物くらい、自分で……」

「ダメです! 無理しないでって、何度言えばわかるんですか!? お願いですから、わたしの言うことを聞いてください!」


 わたしはトキの腕を掴んで抑えた。自然が厳しいのはわかる。けれども、目の前で苦しんでいる人を、いや鳥を、放っておくなんてできない。


「なな……」


 トキはわたしの顔を見つめ、起きようとする力を緩めた。なにか言いたげな表情。だけどその前に、わたしは訊く。


「なにが食べたいですか?」

「ドジョウ……」

「他には?」

「ミミズ……」

「ほ、他は?」

「バッタ……」

「…………」

「やはり、俺が……」

「ダメです! トキは寝ててください!」

「冷っ……!?」


 やっと剥がれた冷却シートをトキのおでこに張りつける。ついでに枕も氷枕に差し替えた。トキが冷感にもだえているすきに金魚鉢を取り、わたしは部屋を出て、田んぼへと向かった。

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