第105話 泥棒猫の目
コツコツとした足音が地下研究施設の廊下に響く。
銀髪の幼女、アルケミナ・エリクシナの右隣を歩くプリズムぺストール・エメラルドは、彼女と顔を合わせることなく、問いかけた。
「気づいてるよね?」
「もちろん。隠れてないで、出てきた方がいい。スズクルル。いや、ルス・グース」
背後から気配を感じ取ったアルケミナとリズがその場に立ち止まる。
すると、彼女たちの背後に真っ白な目をした長身の白衣姿の男が姿を見せた。
その男、スズクルルはリズたちの前で首を傾げる。
「私もトイレに行くところなのですが……」
「ルスちゃん。もうちょっとマシな偽名、思いつかなかったの? フルネーム並び変えて、ルを付け足し、濁点をスに付け替えただけじゃない!」
リズが右手の人差し指を立て、スズクルルに詰め寄る。それでも、スズクルルは目を泳がせた。
「おっしゃっている意味が分からないのですが……」
「その口調もルスちゃんみたいだし、まあ、紅茶入りクッキーの話題に食いつかなかったところは褒めてあげる。まさか、こんなところに潜入してたなんて、思わなかったわ」
追求されたスズクルルは溜息を吐き出し、チラリと後ろを振り向く。
「誤解なのです。彼は私の協力者なのですよ。どうやら、ここが潮時のようなのですね」
どこかから声が響き、薄暗い地下研究室の廊下に、白い影が一匹の黒猫と共に降り立った。
スズクルルの右隣に現れた白髪短髪で両耳を尖らせた幼女が前を向く。
そんな彼女を認識したリズが瞳を輝かせる。それから、両手を合わせ、指を組んだリズはルスの眼前に体を飛ばした。
「ルスちゃん。スシンフリから聞いたよ。小さな女の子になってるって! かわいい♪」
「そうでしょう。今のルス様が一番かわいいのです! 十一年前、私の前に現れてくれたルス様が一番なのですよ!」
リズの話にスズクルルが食いつく。それに対して、リズはクスっと笑った。
「スズクルル。もしかして、好きなの? 口調もルスちゃんに寄せてるし……」
「そっ、そんなことない……のです」
楽しそうに会話を続けるリズとスズクルルの前で咳払いしたルスは、ジッと無表情のアルケミナ・エリクシナに視線を向ける。
「はぁ。まさか、リズの助手に成りすまして、この施設に乗り込んでくるとは思わなかったのですよ。アルケミナ・エリクシナ」
正体を言い当てられてもなお、アルケミナは表情一つ変えない。
「ルス・グース。あなたの目的は何?」
「もちろん、彼にチェイニー・パルキルスの監視を命じていたのですよ。娘のことを思い出した母親は、娘を守ろうとする。そうなったら、無駄な血が流れてしまいます。それと、アルケミナ・エリクシナ。あなたがここに来た理由は分かっているのですよ。この街に住む人々にアソッドのことを思い出させるために、ここにある石板を見つけ出し、術式を解除しようとした。でも、まだムクトラッシュに住んでいる人々がアソッドのことを思い出す時期ではないのです。あと一か月くらい待ってほしいのですよ。そうすれば、あの石板に記した術式の効力が失われるのですから」
ルスが全てを見透かしたような瞳で、アルケミナの顔を見つめる。
それに対して、アルケミナは無表情のままで首を縦に動かした。
「ここのどこかに石板を隠しているという私の見立ては正しかった。ルス・グース。あなたに聞きたいことがある。なぜ、この街で平穏に暮らしていた少女を連れ去り、人々の記憶から消し去ったのか? 役目を終え、あなたがアソッドに与えた能力を手放した時、アソッドは記憶を取り戻すことができるのか?」
「アソッド・パルキルス。あの子と私の運命は、生まれた時から決まっているのです。全ては審判の日を滞りなく遂行するために必要なことなのですよ。たとえ、人類が滅んだとしても、私は間違ったことはしていないのです。二つ目の質問の答えは、異能力を手放すことができれば、少しずつ記憶が戻るのです。個体差もありますが、半年もあれば全ての記憶を取り戻すことができるでしょう。もちろん、これはウソではないのです」
「間違ったことはしていない。それがあなたの答えなら、私はあなたを許さない」
「別に許してほしいとは思っていないのですよ。あの子を連れ去らなかったら、この世界は終わりを迎えていたのです。たとえ、フェジアール機関の五大錬金術師たちが聖戦に挑んだとしても、世界崩壊は止められないのですよ。なぜなら、聖戦に勝つためにはあの子のチカラが必要なのだから」
ルスが、一緒に現れた黒猫の背中に撫でる。
すると、スズクルルが心配そうな顔で、ヘルメス族の幼女の顔を見下ろした。
そんな彼と顔を合わせたルスは頬を緩める。
「大丈夫なのです。ここはあなたに任せるのですよ。ウチのエルフと組めば、完封できるのですよ。彼女を拘束することができれば、ご褒美をあげるのです。ということなので、失礼するのです。今度は審判の日当日にお会いしましょう」
一瞬でルス・グースがアルケミナたちの前から姿を消した直後、尻尾に刻まれた黒猫の鳴き声が地下研究施設の廊下に響いた。
その鳴き声を聞きながら、アルケミナは目の前に現れた黒猫をジッと見つめた。
「あの猫……」と呟くアルケミナの隣に右隣に飛んだリズが腕を組む。
「尻尾にあの紋章が刻まれてるね。ってことは、例の能力者ってことかぁ。不具合で非力な黒猫になっちゃったんだろうね」
そんなリズの声を聴き、エルフと呼ばれた黒猫が両耳を後ろに立て、尻尾を大きく左右に振った。
その仕草を瞳に映しだしたリズが両手を一回叩く。
「あの仕草、本で読んだことある。確か、猫が怒っている時によくみられるヤツだ。癇に障ったみたいだね。悪いけど、私は戦うわけにはいかないの。そういう約束だから、ごめんね」
黒猫の前で両手を合わせたリズがチラリと右隣にいるアルケミナの顔を覗き込む。
相変わらずの表情が読めない顔で前方から視線を逸らさないアルケミナ・エリクシナは右手の薬指を立て、何もない空間に触れた。
すると、薄暗い床の上に赤色の槌が落ちていく。一瞬で床に叩き込まれると、何もしていないのに、魔法陣がスズクルルが開いた右掌の上に移動していく。
「ふぅ」と息を吐き、掌の上に浮かんだ魔法陣に触れると、そこから火の玉が飛び出した。
前方から飛ばされる火の玉を視認したアルケミナが、小さな体を後方に飛ばす。
簡単に避けられ、廊下の壁に黒い焦げ跡が刻まれると、スズクルルは頬を緩めた。
「なるほど。この黒猫ちゃん。面白い能力のようですね。相手が使おうとした術式を奪い取り、発動することができる。動物は錬金術は使えませんからね。黒猫ちゃんに譲渡された異能力を私が使えるようになっているのでしょうか?」
「やっぱり、そうだった。あの時、錬金術が使えなくなったのは、この猫に術式が記された魔法陣を奪われたから。能力に名前を付けるとしたら、泥棒猫の目が妥当」
「ほぅ。黒猫ちゃんの能力を把握していたのに、わざと奪わせたのですか? バカですね。フェジアール機関の五大錬金術師、アルケミナ・エリクシナさん。あなたは私に拘束される運命なのです。そんな小さな体では、錬金術を使わずに、大人の私を倒すことはできないでしょう。さぁ、痛い目に遭いたくなかったら、大人しく拘束されなさい」
勝ち誇ったような表情になったスズクルルが両手を広げ、小さなアルケミナの元に歩み寄ってくる。だが、アルケミナは表情一つ変えなかった。
「もしも、あなたがルス・グースだったら、私は拘束されていた。でも、あなたなら結果は違う」
「なっ、何が言いたい?」
「三十秒経過」と呟くアルケミナが瞳を閉じる。その瞬間、スズクルルの右掌で何かが弾けた。広がる熱風が男の全身を黒く焦がす。同時に衝撃を受けた黒猫とスズクルルの体が後方に飛ばされていく。
半円を描くように飛んだ体は、尻餅をつくように、地面に叩きつけられる。
「なっ、何をしやがった……のです!」
突然のことに驚きを隠せないスズクルルが目を大きく見開く。
すると、アルケミナは一歩ずつスズクルルの元へ歩みを進めた。
「簡単なこと。あの術式には欠如があった。最初からどんな術式を使っても奪われてしまうという結果が分かっているのなら、最初から欠陥品を奪わせればいい。そうすれば、勝手に相手が自滅する。ルス・グースなら、奪った術式に欠陥があることをすぐに見抜くはずだから、この手は使えなかった。組む相手を間違えた時点で、この戦いは終わっていた」
「ははは。EMETHシステムの欠如を見抜けなかったアルケミナ・エリクシナが、錬金術の欠如を利用した自滅技で私を追いつめるなんて。惨敗だ」
そのまま仰向けに倒れたスズクルルの顔をアルケミナが覗き込む。
その近くでエルフは体を丸くして気絶した。
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