第103話 原因物質

「その前に、ミラちゃんの恩人って誰? 無実を証明したいってことは、何かその恩人がこの件に関わっているって疑われているってことよね?」

 有名な高位錬金術師に尋ねられたミラは、彼女に視線を向けた。

「チェイニー・パルキルスさん。私を助けてくれたあの人が日課の森の散歩から研究施設に帰ってきてから、屋外に出ているみんなは倒れるようになりました。だから、疑われているんです。あの森の中でチェイニーさんが何かの術式を施して、みんなを苦しめているんじゃないかって。私が知ってるチェイニーさんは、そんなことするような人じゃないのに……」


「えっ!」と思いがけない名前を耳にしたアソッドが目を丸くする。その反応が気になったミラは不思議そうな顔になった。

「えっと、懐かしい気持ちになったんです。私の苗字もパルキルスなので……」

 そんなアソッドの答えを聞き、ミラは優しく右手を差し出す。

「そうなんだ。あなたもチェイニーさんから苗字を受け取ったんだ。三年以上前からチェイニーさんの元を離れて、街の外で暮らしているのかな?」

「……はい」と答えるアソッドの顔が一瞬曇る。その寂しそうな顔を近くにいたリオとアルカナは見逃さなかった。

「大丈夫」と彼女の気持ちを悟ったリオは右手を伸ばし、アソッドの右肩に触れようとした。その仕草を近くで見ていたミラは怖い顔で叫ぶ。


「ダメ!」

 大声に反応したリオは動きを止め、ジッと目の前に見えたミラに視線を向けた。

 表情を強張らせ、瞳を大きく見開いた顔で、ミラは体を小刻みに揺らしている。胸の前で両手を交わらせた彼女は、恐怖と絶望で歪む顔を真下に向け、その場に座り込んだ。


「もうイヤ。帰りたい。帰りたい。帰りたい。帰りたい。帰りたい。なんで、そんなことするの? 私、何か悪いことした? どうして、信じてくれないの? 私の名前は、ミラ・ステファーニア。お願いだから、これ以上奪わないで! 遭いたい。遭いたい。遭いたい。遭いたい。遭いたい。お父さん。お母さん。おじいちゃん。おばあちゃん。ルクシオン。私、ここにいるよ。信じてよぉ」


 早口の震える声が街中で響く。そんな中でアソッドが、ミラの近くで腰を下ろし、絶望に染まった少女の顔を覗き込んだ。

「ミラさん。大丈夫ですか?」

 本気で心配する優しい声にミラはハッとする。それからすぐに彼女は瞳を閉じた。

「大丈夫。見失っちゃダメ。私の名前はミラ・ステファーニア。ちゃんとここにいるよ」

 揺れる心を落ち着かせるように唱えたミラが

 両手で自身の頬を叩く。

「ごめんなさい。取り乱しちゃって。もうあんなこと思い出したくないのに。心の傷だけは癒えませんね」


 深く息を吐き出し、落ち着きを取り戻したミラは、その場に立ち上がった。




「そろそろ教えていただけませんか? なぜ、みんなが突然奇病に侵されたのか?」

 人が行き交う街中でミラが真剣な顔でアルカナに詰め寄った。それに対して、アルカナは後方にある森を指差した。


「そうね。原因は森の中。一瞬見えたのは、地中から伸びた緑の蔦が粒子を吐き出したところだったから、おそらくあの粒子を吸い込んだことで発症したというところかな? 隣町でも同様のことが起きているということは、森の中に人間にとって危険な粒子を吐き出す植物が生息している可能性が高いと推測できるわ。兎に角、森の中を歩けば、何か分かるはず。これが今のアタシの見解」

「森の中で危険植物が成長したことで、隣町まで被害に遭うようになった。リオも同意見です。ところで、この件で亡くなった人は?」

 リオが尋ねながらミラの顔をチラリと見る。すると、ミラは首を左右に振った。

「いいえ。今のところいません。五日間連続でムクトラッシュ病院に緊急搬送されていますが、いずれも軽症なんです。それと、昨日からあの森の中で二年前に見つかった新種の薬草を採取しようとした錬金術師や冒険者たちが似た症状で搬送される事例も出ています」

「似た症状?」とアルカナが尋ねると、ミラは真剣な顔つきで口を開く。

「はい。発熱と悪寒、意識障害という症状は先程、みんなが倒れた人たちと同じだけど、体に何かに噛まれた痕が残っています。森の中で同じ症状に襲われた人たちは、全員が疲労困憊状態でした。彼らは緑の触手に噛まれたらしいですが、幸いなことにすぐ搬送されてきたので大事には至らなかったそうです」


「全員が同じ症状に襲われて、身動き取れなかったはずなのに、緊急搬送されて助かるなんて、都合いいと思わない?」

 率直なアルカナの疑問の声にミラは頷いてみせる。

「森の中で発症した人たちは、突然、ムクトラッシュ病院の入り口前に現れたようです。まるで、誰かが術式で彼らを病院前まで飛ばしたみたいに」

 そこまでの話を近くで聞いていたリオは首を縦に動かす。


「だったら、この件は今日中に対処したほうが良さそうです。あの粒子を採取して成分を分析しなくても、リオなら分かります。このままだと、誰か死ぬって。いずれ、街中の人たちも森の中で発症した人たちと同じ症状に襲われる可能性が高いとリオは推測します」

 深刻な状況を知ったアソッドが右手で挙手する。

「そういうことなら、今すぐ森の中を探索するべきです」

「その前に、ミラに聞きたいことがあるわ。森の中で同じ症状に侵された人たちって、どこで薬草採取してたか分かる?」

「そうですね……」と短く答えたミラが右手の薬指を立てる。それで二回空気を叩くと、森の地図と白色のチョークが現れた。


 すぐにミラはチョークを握り、地図に丸印を一つだけ付け、アルカナたちに見せた。

「大体、この辺りです」と右手で握ったチョークで一センチほどの直径の白い円を彼女が指す。そこが示す場所を把握したリオは、口をあんぐりと開ける。

「ふわぁ。ビックリしました。スシンフリとアソッドが出会ったのも、この辺りです。この円の中で一番大きな木の下ですよ!」

「そうだったんですね」と明るく答えるアソッドの隣でミラは地図に視線を向けた。

「これもチェイニーさんが疑われている理由です。ここはチェイニーさんの日課の散歩コースと重なっています。それだけではなくて、三ヶ月くらい前から散歩の時間が三十分から九十分に伸びている点も不審に思われているみたいです。空白の一時間に何をやっているのか聞いても、話したがりません」


 その直後、ミラは眉を潜めた。


「ミラ、どこにいるの? 今すぐ隣町に行きなさい!」

 ミラの右手の甲に浮かび上がった魔法陣から、女の声が漏れる。

「チェイニーさん。隣町って……」


「えっ」とアソッドは声を漏らした。近くで聞こえてくるのは、顔も分からない母親の声。どこか安心感のある女性の声に、アソッドの心が懐かしさで満たされていく。

 そんな反応を気にすることなく、ミラは右手の甲の上で緑色に点滅する魔法陣をジッと見ていた。

「隣町であの症状を発症した人たちが三千人以上出たらしいの。ムクトラッシュ病院として、医療班を派遣することになったわ。あなたも患者さんの治療をしなさい」

「……はい」と答えると、ミラの手の甲に浮かび上がる魔法陣が消えていく。


 その直後、ミラの前にリオが歩み寄った。

「ふわぁ。話は聞かせてもらいました。隣町のことはリオに任せてください。リオの高位錬金術なら、より多くの人間の命を救うこともできます」

「そうです。さっきだって、街中で倒れた人たちを一瞬で救い出したんです。リオさんなら、みんなを助けることができます」

 リオの話に同意するアソッドの近くでミラは申し訳なさそうな表情で両手を合わせる。

「ごめんなさい。隣町のことはリオさんにお任せします。私はアソッドさんたちに森の中を案内します」

「了解です。ここはリオに任せてください」

 そう明るく答えたリオは、アソッドたちの前から一瞬で姿を消した。




  

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