第76話 永久氷壁

「カリン、あなたの気持ちは分かった。だから、私たちに協力してほしい」

 大粒の涙を流し続けるカリンに、アルケミナは歩み寄る。その目からは疑いが消えていた。

「協力?」とカリンは瞳に涙を浮かべながら、アルケミナと顔を合わせた。

「私たちとカリンの目的は同じ。私もシルフを占拠したスシンフリが許せない。私は思うように力が使えないから、仲間になってくれたら心強い」

「思うように力が使えないって、どういうことかしら?」

「リオに高位錬金術を施された。私の見解だと、超小型指向性音響装置を取り付けた対象に、弱体化させる曲を強制的に聞かせるものだと思う。他にも対象を強化させる曲も端末で再生できる可能性が高い」

 アルケミナの考察を聞いたカリンが眉を潜める。


「それはおかしいですわ。私が知っているリオは、そんなハイテクノロジーなモノは用いません。私が知っているリオは、楽器を演奏して、周囲の人々を弱体化させることができるのですのよ。エルメラ守護団序列十二位、霊異の音楽家の異名を持つあの子が……」

 腑に落ちないような表情を浮かべたカリンを見ていたティンクの頭に、リオの言葉が蘇ったのは、数秒の沈黙の後だった。


「良かった。これでリオも戦えます。まな板の姉ちゃんが、最後にそう呟いていたんだ」

 思い出したようにティンクが両手を一回叩くと、カリンの頭にビックリマークが浮かんだ。同様に何かを思いついたアルケミナは、カリンと顔を見合わせる。


「カリンの話が正しいとしたら、私の見解は間違っていたことになる。リオの高位錬金術の正体は、超小型指向性音響装置じゃなくて、今、私の頭の中で流れ続けている曲の方。スシンフリは、予め録音しておいた曲をあの端末で再生して、超小型指向性音響装置が取り付けられた私に強制的に聞かせることで、チカラを奪った」


「やっと念願が叶ったようですわね。どうやったら、体を共有しているスシンフリと一緒に戦えるのかって、よく相談されたことを思い出しましたわ。スシンフリとリオは、お互いに同じ高位錬金術を使えないので、そのような方法を考えたのでしょう。リオの高位錬金術は、敵味方問わず無差別に影響を与えるのですが、超小型指向性音響装置を使えば、対象を限定することもできますわね。味方の強化と敵の弱体化を両立できないという本来の効果の弱点も克服するとは、流石ですわ!」


 感激の表情になったカリンを前にして、ティンクは目を点にした。

「おい、感動してる場合かよ!」


「それはそうと、問題はこれからのことですわね。私は、スシンフリの居場所に向かうより、住民たちの洗脳を解いた方がいいと思うわ。洗脳さえ解けば、スシンフリが動かせる駒は減少するわよ。そのために、ディーブ・ロコヴァの撃破を最優先にした方がいいと思うわ」


 一転して真顔で意見を主張したカリンに対し、アルケミナは首を捻った。


「どうして、術者がディーブだと断言できる?」

「私はディーブに洗脳された方々と何度もお会いしましたから。あの方に洗脳された方であることは、一目見ただけで分かりますわ。まあ、効率的に数千万人程度の人々を洗脳するためには、ディーブの高位錬金術を使った方が良いのではないかと思ったのが、一番の理由ですわね」


「そういえば、スシンフリが言っていたのだが、ディーブというのはリオの助手らしいな。そいつはどんなヤツなんだ? 強いのか? お河童頭だっていう特徴はリオから聞いているんだが……」

 カリンの見解に続き、真剣な表情のティンクが尋ねた。

「そうですわね。エルメラ守護団序列二十二位なので、フェジアール機関の五大錬金術師が相手するのなら、そこまで苦戦しないわ。それはそうと、あなたをどうしようかしら? 私の瞬間移動で、安全な街へ脱出させることはできるのだけれど……」

 カリンがチラリと現地の男の子の顔を見た。すると、フゥは強く首を横に振った。

「イヤだ。逃げたくない!」


 強い意志を胸に抱き、真っすぐな瞳で訴える。そんな男の子と顔を合わせたカリンが頷く。


「分かりましたわ。それならば、私と行動を共にしていただきます。アルケミナ・エリクシナとティンク・トゥラは、とりあえず、真っすぐシルフドームを目指してくださいませ。この路地裏を抜けて、右に曲がって、ひたすら前進すれば、迷うことなく到着するでしょう。あなたなら五分もあれば余裕……」

 そう言いかけたカリンに対し、アルケミナが右手を挙げた。

「カリン、私の話を聞いてほしい」

 語り掛けられたカリンは、彼女に視線を向けた。

 そして、アルケミナは彼女に耳打ちする。

 その話を耳にしたカリンは首を縦に動かした。


「……分かりましたわ。それはそうと、ティンク、一つだけ約束を守っていただきたいですの」


 カリンは、屈んだ状態から立ち上がりながら、ティンクの方へ視線を向けた。

 それに対し、ティンクは首を傾げる。

「約束?」

「あなた方がシルフドームに到着するまで、絶対に戦わないでほしいのですわ。黒騎士や操られた人々が、あなた方を襲ってきても、決して拳を振るわず、五分以内にシルフドームに到着することを最優先に行動してください。そうすれば、必ずディーブ・ロコヴァが動き出します」


「それで、姉ちゃんは何をするんだ?」とティンクが疑問を口にすると、カリンは右手の人差し指を唇に当てた。

「秘密ですわ。それはそうと、ここに来るまでに私は黒騎士を三人倒しましたわ。だから、残りの騎士は六人で合っているかしら?」

「いいや。それなら残りは五人だ。八号ってヤツがスシンフリに倒されたからな」

「分かりましたわ。それはそうと、フェジアール機関シルフ支部の屋上をお借りしますわよ」


 そうして、フゥを抱きかかえたカリンは、アルケミナたちの前から姿を消した。


 

「ここが、フェジアール機関シルフ支部の屋上。絶景ですわね」

 ヘルメス族女性に抱きかかえられていたフゥは、目をパチクリとさせた。いつの間にか、摩天楼が目の前に広がっていることに驚きを隠せない男の子を、カリンが屋上の床に降ろす。

「ここは……」

「フェジアール機関シルフ支部。シルフで一番高い建造物の屋上ですわね。それでは、どれにいたしましょう?」

 

 チラリと後ろに設置された自動販売機に視線を向けたカリンに対し、フゥは目を点にした。

「おい、のんきに飲み物なんて買ってる場合かよ!」

「そういえば、すっかり忘れていましたわ。キミのお名前をお聞きしてもよろしいかしら?」

「フゥだけど……」

「フゥ。喉が渇いておられるようですので、私がジュースを購入いたしますわ。私と同じ炭酸ソーダは、子供には早すぎますわね」

「ありがとうな。じゃあ、久しぶりにリンゴジュースが飲みたい」

「分かりましたわ」


 微笑みながら、自動販売機の前へ移動したカリンが、コインを2枚投入口に入れ、ボタンを押す。そうして出てきた缶ジュースを両手で持ち、フゥの元へ歩み寄った。

「はい、リンゴジュースですわ。こちらをお飲みくださいませ」

 カリンは右手に持った缶ジュースをフゥの前に差し出した。それをフゥが手に取り、頭を下げる。

「ありがとうな」


 感謝の言葉を聞いたカリンは、優しい眼差しをフゥに向けてから、右手に黒い槌を手にした。


「三百五十ミリリットル。七発もあれば余裕ですわね」

 そう呟きながら、屋上の床に槌を振り下ろす。

 そうして、地面に刻み込まれた魔法陣の上に、出現したのは、黒く染まったアサルトライフル銃だった。


 それを片手で持ちながら、空になったマガジンを開ける。

 缶ジュースが一本すっぽり収まる程度の大きさのマガジンに、先程買った炭酸ソーダの缶ジュースをそこに押し込み、マガジンを装着した。


「ほぼ無風状態。風の流れは計算しなくてよさそうですわね」

 

 それからすぐ、カリンは、屋上にうつ伏せの状態で寝ころび、ライフルを構えた。

 あらかじめ装着されていたスコープを右目だけで除くと、三人で集まって、地上を駆けまわる黒騎士たちの姿が見える。


「五百ヤード先、黒騎士集団発見。これなら、弾が余りそうですわね。はぁ」

 小さく息を吐きながら、引き金を引く。

 放たれた水の弾丸が、光の速さで飛んでいく。

 捕捉した黒騎士が被弾したのを、スコープ越しで見ていたカリンは、頬を緩めた。


「五番、三番、二番被弾。先程黒騎士をお三方撃破しましたので、今回と合わせて六名が行動不能になりましたわね。残る標的は、一番と九番ですわね」

 スコープに凍り付いていく黒騎士たちを映し出したカリンは、起き上がりながら、近くで瞳を輝かせたフゥと顔を合わせる。


「カッコイイ!」

「それほどでもありませんわ。それでは、フゥ。ここからは、あなたにも協力していただきますわ。みんなが戦っているのに、自分だけ何もできないなんてイヤだって顔に書いてありますわ。だから、あなたに私のお手伝いをしていただきます。こちらの端末にアルケミナ・エリクシナ。あの銀髪の女の子が映りましたら、私にお知らせください。その間に、私は残りの黒騎士を撃破いたします」

 

 そう言いながら、彼女はフゥに銀色の端末を渡した。

 そこに映し出されたシルフドーム入り口の映像を、フゥは凝視する。

 その間に、カリンは、銀色の槌をポンと叩き、召喚された端末を手に取った。


 三十二分割された街の映像が映し出された端末をジッと見つめたカリンが溜息を吐く。

 それからすぐに、仰向けに体を倒し、端末を両手で上に持ち上げたカリンは、小さく息を吐いた。

「もう少しサポートしたかったのですが、そろそろタイムリミットですわね。残りはアレをやってからでも遅くないでしょう」


 そう呟くカリンをフゥが覗き込んだ。

「お姉さん、これを見てくれ!」

 フゥが端末をカリンに渡す。そこには、シルフドームの前で息を整えているアルケミナ・エリクシナの姿が映し出されていた。


 その映像を見たカリンは、一瞬で頭が南に向くような状態でうつ伏せになって、寝ころんだ。そんな彼女は、先程と同じように、アサルトライフル銃を構えている。

 誰もいない枯れ果てた広場をスコープに映し、「はぁ」と小さく息を吐いたカリンは、水の銃弾を放った。



 そのころ、ティンクは目の前に見えるシルフドームを見上げていた。

「なんとか間に合ったな」と呟くティンクの隣で、アルケミナは足元の濡れた地面をジッと見た。

 すると、次の瞬間、地面が小刻みに揺れ、それと同時に、濡れた地面が凍り付いた。

 一瞬で、何かを察したアルケミナは、凍っていく地面に背を向け、ドームの入り口まで駆けだす。その間に、凍った地面の上に、巨大な氷の壁が生成された。

 それによって、アルケミナたちが通ってきた道が塞がれていく。


「なんだよ。これ!」と驚きを隠せないティンクに対して、アルケミナは目の前の氷の壁に近づいて、コンコンと叩いた。


「なるほど。これがカリンの高位錬金術。カリンは過冷却水をここに散布して、任意のタイミングで巨大な氷の壁を生成した。出入口を塞いで、相手の駒を増やせなくするために」

「過冷却水?」

「一定の衝撃を与えたら凍る水のこと。人為的に起こした小規模の地震が引き金になって、こんな壁が生成されたというのが、私の見解」

「氷の姉ちゃん、ヤバイな」


 そう呟きながら、ティンクは、目の前で生成された数百メートル以上ある巨大な氷の壁を見上げた。

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