ミスター・ファットマン

 テーブルに並んだ料理、料理。

 その前には、1人の太った男。『ミスター・ファットマン』だ。

 彼はテーブルに着くと、ゆっくりと、高級スーツの内ポケットから銀色の細長いケースを取り出した。

 カチリ。

 ロックが外される。ケースの中から出てきたのは――

 ナイフとフォーク!


 ウオオオオオオオオオオオ!


 スタジアムの観衆が地響きに似たうなりを上げる。奇声叫声、嬌声喜声。飛び交う指笛。鳴り止まない拍手。

 興奮が暴れ、渦を巻いている。

 しかしそんな混乱も、彼が両手に「武器」をかまえると、まるで時間が止まったかのように、瞬時に沈静した。

 固唾を呑んで見守っている。

 スタジアムの観衆だけではない、ブラックホール超速通信で中継されている映像を見ている、全宇宙の人々も同じように息を呑んでいた。

 

 プァァン。

 

 ブザーが鳴る。

 セイコーの時計が動き出す。

 その瞬間、男の手が動いた。太った外見に似合わない、繊細で迅速なその動き。観衆のボルテージは一気に上昇した。

「見て! 肉を噛んでいるわ!」

「なんてパワフルなんだ! さすがチャンピオン!」

「肉を! 噛むなんて!」

 中継番組のアナウンサーも興奮を抑えられない。

「噛んでおります、噛んでおりますチャンピオン、そしてそして? あぁっと飲み込んだぁ! すでにワン・飲み込み。さらにツー・飲み込み? これは早い! 金メダルを狙えそうですね、解説の掛布さん?」

「ええ。これがチャンピオンの強さですね。彼は、噛んだ物を喉へ送り込む、舌の筋肉が強いんです。だから、これほど連続で飲み込みができる。“舌たて伏せ”などの基本を欠かしていないんでしょうね」

「掛布さんの現役時代を彷彿とさせますよ!」

「もう200年も前ですよ、お恥ずかしい。いまの選手とはレベルが違います」

「おおっと、ここで1皿終了!」


 プァン。


「タイムは? 7分11秒28! スタートダッシュ成功です!」

 そのあとも、競技は続いた。

 順調に得点を続けるチャンピオン。

 途中、さすがにスタミナ切れする場面も見られたが、それでも持ち前のパワフルさで豪快に咀嚼そしゃくを重ねていく。

 「さあ泣いても笑っても、これで9皿。最終皿です。金メダルはすでに確定的。あとはどこまで記録を伸ばせるか?」

「世界新も狙えますよ!」

「ワン飲み込み! ツー飲み込み!」

 あと1つ!

 あと1つ!

「スリー飲み込み……やったぁぁ!」

「待って下さい、まだ競技は終わっていません!」

 解説者にたしなめられるまでもなく、観衆たちは、まだ騒ぎ出してはいなかった。目をこらし、耳をすまし、待っている。

 チャンピオンの勝利を奏でるメロディを。


 ゲェェェェェェェェェェップ!


「来たぁ! 素晴らしい音程!」

「これは芸術点も満点でしょう!」 

 とたん、狂乱に陥るスタジアム。

 観衆たちは皆、

 その針金のような身体で立ち上がり、

 糸のような腕を精一杯振り上げ、

 紐のような足を踏みならす。

 そして脳と眼球だけが肥大した頭を揺らし、退化してケツの穴のようになった口で微笑んだ。


 ときは未来。

 重力の弱い星に住み、機械とAIに頼りきって生活し、栄養剤を流し込んで生きる人類には、食事はスポーツになっていた。

 その名もEat-Sports、略してEスポーツ。

 太った男は憧れのまと。

 40年に一度のオリンピック、ヘビー級(25kg以上級)の優勝者だけに名乗ることを許される称号『ミスター・ファットマン』は、最高の栄誉なのだ。

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