事件っぽいもの
警察の仕事
袴田幸介には自信があった。
完璧なトリック、完璧なアリバイ。史上まれにみる完全犯罪だ。
この取調室に閉じ込められて何時間がたつのか。普通の人間ならば疲れ果てて不安にさいなまれてもおかしくはなかったが、天才である自分にそんな精神面の不安定さはあり得ない。
机を叩きながら大声でわめき立てる若い刑事を眺め、幸介はせせら笑った。
(無駄なことだ)
躍起になって自白を迫るのは、自分が犯人である証拠がつかめていないと宣言しているようなものだった。叫び疲れて、汗だくで肩を揺らす若い刑事を、幸介は優しい目で見つめた。憔悴しているのは刑事の方だ。
「刑事さん。もういいでしょう。
私は妻を殺していません。早く家に帰して下さいよ。
ひとり息子が私の帰りを待っているんです」
幸介は、刑事に降伏を勧めた。この男では、完全犯罪をなしえた天才である自分の相手には、あまりにも不足が過ぎた。
そのとき。
取調室のドアが開き、一人の男が入ってきた。たるんだ顔に、くすんだ目をぎらつかせた、老人といって差し支えのない外見の刑事だ。
「袴田さん。もう、帰っていただいて結構です」
老年の刑事のしわがれた声を聞き、幸介はほくそ笑んだ。
それ見たことか。無能な警察などに、自分の才能のあらん限りを尽くしたこの犯罪を解決できるはずがあるものか。
証拠は何一つ無い。
アリバイは完璧。
この事件の犯人は、永久に捕まらない!
「実は、この事件の犯人が捕まったんですよ」
……あ?
老年の刑事の言葉に、幸介は唖然とした。
どういうことだ?
「犯人は、あなたの息子さんです」
「嘘だ!」
思わず叫んだ。
そんなはずはなかった。息子が犯人であるわけがない。犯人はここにいるのだ!
「嘘ではありません」
老年の刑事は、顔中をしわだらけにして笑った。
「発見された凶器の包丁から、息子さんの指紋が発見されました」
嘘だ。凶器はアーミーナイフであり、包丁ではない。
「返り血のついた息子さんの服も」
嘘だ。あのとき、服に返り血はつかなかった。
「他にも、全ての証拠が息子さんが犯人であることを示しています」
「貴様、証拠をねつ造したな!」
幸介は突き上げる衝動のままに、老年の刑事につかみかかった。壁に押しつけられた刑事は、一枚の紙を幸介に差し出した。
「逮捕状です。あなたの息子さんは、逮捕され、起訴されて実刑判決を受けます。すでに上層部や裁判所の内諾は得ています。裁判はとても速やかに行われるでしょう」
ああ、なんということだ!
愛する我が息子、この世でただ一つの私の宝! 彼のために、私は殺人まで犯したというのに!
自分の命よりも大事なものが傷つけられ、辱められるなど、まさか耐えられる筈はなかった。ずるずると床に崩れ落ちながら、幸介はつぶやくように言った。
「息子は……犯人ではない……」
老年の刑事は、その魂の抜け殻をのぞき込んだ。
「ほう。それを証明できますか?」
「できます」
幸介は顔を上げた。その顔は決意に溢れていた。
「私が犯人です」
※ ※
「袴田幸介は全て自白しました」
若い刑事は老年の刑事に言った。
「そうか」
老年の刑事はそれだけ言うと、逮捕状を丸めて捨てた。
「一つ教えて下さい」
若い刑事が言う。
「もし、その逮捕状を見せられても自白しなかった場合、いったいどうしていたんですか?」
「そりゃ、おめぇ」
老年の刑事はこともなげに答えた。
「そのまま息子を逮捕して、終わりだよ。警察の仕事は、事件の謎を解き明かすことじゃなく、犯人を逮捕することだからな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます