80 Fの行方


 ― ハルカ ―



 勘というのは、案外正確だ。

 私のような絶対的な確率ではなくとも、人の第六感はある程度は当たるように出来ている。


 ○×問題でも、アタリとハズレはそれぞれ50%の確率で当たるのだ。


 元々の知識量であったり、運であったり、様々な要因がそこには絡む。

 嗅覚や味覚といった、加えて生死が関わる事柄に関しては、おおよそ間違う事は無いだろう。

 少なくとも、今回の場合は。


「えっと、これでいいのかな」


 私の血、スイト君もといアスターの血、水を、それぞれ2:1:7の割合で混ぜる。やや赤みのある水をそこら辺にあった器になりそうなものに注ぎ、配置する。

 それだけで、狂化した吸血族さん達が来るわ来るわ。


 誰かがふざけて「キューケツホイホイだぞ~」なんて言ったけれど、たしかに、と納得してしまった。


 外から内側にいる人が見えない結界の中に隠れる。ただそれだけで、どこからともなく吸血族が現れて、疑いもせずに器の中身を飲み始める。

 そして、ほんのちょっと飲んだ所で、まるで電源が切れたかのように倒れるのだ。

 当然、その度に血液入り水は零れてしまうので、その都度足していく。


 十分囮に使える事が分かった。


「使うのはごく少量だから、負担は最小限。あからさまににおいを発しているのはあっちだからな。結界の中にいる俺達より、においが強い方へ行くわけだ」

「僕達の姿は見えていないからなー。視覚と嗅覚、周囲の情報を得やすい感覚2つに訴えかけられたら、今本能のみで生きている奴等は、あからさまな方しか選べないってわけだぞー」


 ケラケラと笑って、マキナちゃんがスイト君の説明に補足をする。

 思考力が著しく落ちてしまっている彼等に、魔力の波動を感じ取れと言われても無理なわけだ。


「音は遮断したの? ハルカさん」

「あ、うん。大丈夫。においはともかく、音は外から内への一方通行。それににおいも向こうの方が強いから、こっちに来る事はまず無いよ」

「舐めるだけで効果があるから、最悪零れた血が土ごと口に入る事でも狂化は解除される。あいつらがにおいに反応するなら、お湯にすれば更ににおいは拡散できるだろう」


 血液水を、におい遮断結界内で量産するスイト君。私の血は既に渡してあるから、作り放題である。


 いやぁ、絵面がヤバイ。

 血液、血液、水かお湯。


 スイト君がニヤニヤと笑っているせいで、何やら怪しい薬を作っているように見えて怖い。

 色が緑になりそうで、気持ち悪い……!


「ほい、追加完成。お湯バージョンだから蓋をかぶせてある。取扱注意な」

「はい、スイト様!」


 ビシッと敬礼するルディ君が、大きな容器に入っている血液水を受け取ってポシェットへしまいこんだ。今スイト君のいた結界を解除するとまずいから、においごと結界外へ捨ててしまおうか。


 えっと、さっき設置した血液水に重なるように置いて、解除、と。

 ふわり、湯気がトラップの上で広がった。


 その、瞬間。



 ―― ぞわりと、全身に悪寒が走った。



「―― ッ!」


 無意識に、結界の強度を強める。


 今私が出せる最高硬度の結界を、2重3重と重ねがけしていく。

 突如として結界が何重構造にもなったせいで、みんなが驚いた。


 当然だ。


 姿を見えなくするだけでなく、におい、温度なども通さない。強度で言うと、たとえ隕石が降ってきても振動すら感じないほどのもの。

 それが、何重にも、ほぼタイムラグ無しで張られたのだ。


 そりゃ、驚いて当然だった。


「ど、どうしたのですか、ハルカ様」

「……っ、来る!」


 私の感じた悪寒の正体。

 それは地響きと共に、私達の頭上へやってきた。


 月の光を遮るほどの、吸血族の集団……!


 黒い、コウモリのような翼。


 不気味に光る、赤い瞳。


 僅かな月明かりに輝く、真っ白な牙。


 空は、それらに蹂躙されつくした。

 まるで靄のように、正気を失った吸血族達が結界に纏わり付く。


 砂糖の山に、アリがたかるように。

 光に集まる蛾のように。


 見ているだけで、全身がかゆくなるような光景。

 時折知能が著しく落ちた吸血族が、結界を貫かんばかりの勢いで激突する。


 鳥肌を立てずにはいられなかった。




 しばらくすると、倒れた吸血族で地面が見えなくなった。

 ちなみに全員、あの血液水を飲んで気絶しているだけ。とてつもない効力である。


「いや、単なる実験のつもりだったが、これで結界内の吸血族はあらかた正気に戻せた気がしないでも無いな。どう思う、ハルカ」

「さすがに全員じゃないと思うよ? いくらにおいがするからって、すぐに結界の端から端まで届くなんて考えられないし」

「まぁ、そうだよなぁ」


 スイト君は、頭を搔いて唸った。

 まぁね。私の勘は正答率100%だからね。どれだけ曖昧に答えても、それが正解になってしまう。それに今ので、カウンターが2、3個減ったし。

 1日に100回まで使えるって、案外凄いと自分でも思う。


「それにしても、この結界は凄いな」

「そう?」

「ああ。いくら範囲が狭いとはいえ、強度だけならここの結界と同等だよ」

「うぇ?!」


 スイト君の賞賛に、思わず変な声が出てしまった。

 だってそれって、ナユタ君でも壊せないって事だよね。


 それはさすがにありえないよ!


「と、いうわけで。この辺りの吸血族は何とか出来たし、囮に使える物も大量に手に入った。後は吸血城へ向かうだけだが」

「正直、ビードがいるなら、すぐ着く。そうだよね、スイト君」

「ああ」


 魔女族の村を出発してから、まだそれほど時間は経っていない。

 空に浮かぶ月からは想像できないが、まだ昼前なのである。さすがに時間が経っていなさ過ぎるのだ。


「吸血城がどうなっているのかを調べるためにも、もう少し時間が欲しい。当初の予定通り、なるべく吸血城の近くに拠点を作るぞ!」


 吸血族の問題は、早く何とかしなきゃいけないのはわかっている。けれど、今のスイト君はスイト君ではない。

 アスターではなく、スイト君がするべき事がある。

 明日の朝、彼が戻ってくるまで時間を稼ぐ必要がある。


「だよね、スイト君」

「俺はエスパーじゃないが、まぁ、同意しておこう」


 眉を寄せつつも、スイト君は賛同してくれた。


「じゃあ、案内は私達に任せてよ!」

「どうせ僕に丸投げするだろ」

「何で分かったの?!」

「いつもの事だし」


 おぉ、シェル君が案内してくれるらしい。本人はとっても面倒くさそうにしているけど。





 ― シェル ―



「それにしてもさぁ」


 シエラが、ふと呟いた。


 場所は吸血城のよく見える、廃れた町。

 吸血族達がおかしくなるずっと前から、人が誰一人として住んでいない。家屋の屋根は、崩落して無いかそうでなくとも穴が空いている。


 まともに寝泊りできる場所は、今の所無い。

 いや、無かった、と言った方が正しいか。


 あのナユタって人が、そこら辺の土や廃屋をバラして作った建材で、ちょちょいとお屋敷を作ってしまったのだ。


 神業である。

 所要時間、一瞬だぜ?


 人間業じゃないわ。

 そして作った後のお言葉がこちら。


「もうちょっと大きく出来ればよかったけどなー。俺の魔力って少ないから、これが限界かなー」


 心底申し訳無さそうに、溜め息を1つ。

 うん。言って良い?


 この屋敷を作れた時点で、魔力が少ないわけがないだろうが!


 はぁ、はぁ、はぁ……。


 あー……心の中で叫んでも、スッキリしないや。


「それにしても、何?」

「シェルもさ、思うでしょ? ねー!」

「いや、何の事かサッパリ」


 主語述語云々以前に、本題が全く語られていない。それで何が「思うでしょ?」だ。

 内心イラつくが、聞いてやる。


「何って。ハルカちゃんの結界だよぉ。ぶっちゃけさ、凄くね? ねぇ、ぶっちゃけさぁ、凄くねぇ?!」

「語彙力」


 エキサイトしながらはしゃぎにはしゃぎまくる姉には、鉄拳制裁を食らわせておくとして。

 僕は彼女の言葉から、議題を拾って頭の中で組み上げる。


「つまり、この屋敷とも言える大きな建築物をすっぽり覆う結界が、物凄く性能が良い。という事だね」

「そのとおり!」


 あ、復活した。

 ちっ。


「舌打ちなんて酷い! まぁいいけどね! えっとさ、一瞬で屋敷を作った人も凄まじいけど、やっぱり、それをすっぽり覆う結界を事も無げに張ったハルカちゃんって凄いよね。さすが賢者!」

「……」


 あぁ、イライラする。

 怖い吸血族がうろついているような場所に、あえて大きな屋敷を魔法で、更に短時間で作る奴も大概だ。けど、そこに吸血族が絶対に入れないような結界を張る奴も大概。


 だが、何が一番非常識かって。

 何もかも楽観視している姉だ。


 我が姉ながら、非常に能天気でイラつくよ。まったく。


「結界の性能は、魔法に込めた思いと、術者の技能による。技術面はまだまだ荒削りだけど、思いやりとか感情がたくさん込められている分、強いね」

「……ん」


 僕に賛同したのは、えっと。そう、ナフィカ。

 本人曰く、エルフの40代らしい。それでこの子供体型って。エルファリンじゃないの?


 ちなみにこの部屋は談話室らしい。雨ざらしで読めなくなった本とかが、急造の本棚に納められている。いや、あの一瞬で、何で本棚まで出来ているのさ。

 暖炉とか、テーブルとか、廃材使用しているはずなのに、何でこんな新品同様なのさ!


「あ、フユさんっていつ帰ってくるの?」

「……予定では、もうすぐ」

「ふぅん」

「……マキアは、もうちょっと、後」


 ……あ、そういえばいたね。マキアって名前の人。マキナの横にずっとくっついていた奴でしょ。あんな影薄くて、今までどうやって生きてきたんだか。

 ま、双子の姉に振り回される同士、次からは気にかけてやりますか。


 というか、よく考えるとマキナに存在感の全てを奪いつくされて生まれてきたのかもね。ご愁傷様じゃないか。まったく。


「他に偵察に行った人、いたかな」

「ハルカちゃんもでしょー? 体力無いとか、万が一に備えて見張りに回った人とか、年少の人以外はみんな外に行ったってば!」

「……マキナとか、マキナとか。……マキナ、とか」


 体力無い人の名前しか言っていないよね、それ?!


「あーもー。やっぱりあんたらといると疲れる」

「えーっ? ひどーい!」

「主にこの、残念な姉のせいで」

「あーっ! ひどぉーいぃ!」


 横長のソファの上でジタバタ暴れるシエラ。元々僕等は背が低いし足も短いから、どう見たって子供にしか見えないじゃないか。

 服装を揃えたら、僕らって本当に瓜二つだからね。

 何で僕は、この人の容姿と似てしまったのだろうか。一生の恥だよ、まったくもう。


「じゃ、僕もう休むから」

「うーっ! もうすぐ夕ご飯だよ?!」

「その後に、準備、って付くけどね。しかもルディ、スイト、僕が作る側。ちゃんと覚えているから。一々言わないでようざったい」

「なぁ?!」


 後ろで何か叫び声が聞こえるけど、僕は構わず談話室を後にした。




「はぁ」


 自分に与えられた部屋で、一息つく。

 大きめのベッドには、柔らかなまくらと厚めの掛け布団。そして、ちょうど腕で抱えられる大きさのクッションが置かれていた。


 部屋は全体的に緑色。

 あー、そういえば、眼に良い色って緑だっけ? はたして意図したのか何なのか。


 そしてミニテーブルに置かれた飴やクッキーの数々。


「……本当、至れり尽くせりと言うか」


 賢者の当面の目的地が、まさかの吸血城。そして、吸血族達の異変の根源を、吸血城の最奥にいる「あいつ」だという。

 だから、付いてきた。


 僕はわけあって長く生きているけれど、そんな僕の生まれた理由こそ「あいつ」なのだ。あれをどうにかするために生きているのだから、当然、あれに対抗するための力だって持っている。


 目的地は一致している。

 だから、この短い旅で、シエラはともかく僕は役に立てると思った。


 なのに。

 僕はベッドに座り込み、クッションを手に取る。


 ゆっくりと身体が沈みこみ、腕の中にあるクッションに顔をうずめてみた。


「ベッドふかふかだし」


 柔らかな空間に、心ごと埋まる。

 そうして、僕の無力さ加減を呪った。


「良いにおいするし」


 言葉に恨み辛みを乗せて、吐き出す。

 けれど、一向にスッキリしそうにない。むしろ、イライラが募る。


 ああ、もう。こんなにイラつくなら、いっその事速めに厨房へ行くんだった。そうすれば、何もしないよりも気を紛らわせる事ができたのに。


「あー、もう!」


 どこからか来て、どこかへと消えていく苛立ち。

 どこにも逃げていかないそれを、僕はクッションを投げる事で発散しようとした。


 まあ、どうせ、気の抜けた音がして、イラつきが増すだけだろうけどね!


 ―― そう、思っていたのだけれど。


「ひゃぷっ」

「……んぁ?」


 クッションが壁に当たるような音は、しなかった。

 その代わりとでも言うように、変な声が、した。


「ひどいよ! いきなりひとにものをなげるなんて!」

「……んん?」


 思わず、首を傾げる。


 何やら上手く呂律の回っていない口調で言葉を紡ぐ、甲高い声の少女。

 見ると、真っ白な見た目の、靴もはいていない少女がそこにいた。


 ……は?


「あのね、あのね、なんでなげたの? エフ、わるいこと、した?」

「……強いて言うなら、プライベート空間への不法侵入じゃないか?」

「……ふほーしんにゅー……」


 あ、ダメだ。これわかっていない奴だ。


「勝手に部屋に入ってきた、って事。お前こそ、何。エフって名前?」

「エフは、エフだよ。あとね、エフはスイトのところにいこうとしてたんだ。でも、ぜんぜんみつからないの。あなたはなにか、しっているかな」

「スイト? スイトはこの屋敷の警備班だったはずだけど」

「……けーび」

「……はぁ。分かった。案内してやるから、付いて来い」

「うん!」


 エフは、ぱぁっと眼を輝かせた。

 ただ。何と言うか。


 ある意味、この格好は危ない。


 僕は持っていた鞄から、シエラ用の予備の靴と上着を取り出す。


 作り立てであまりゴミが無いと言っても、柔らかい裸足では思わぬところで怪我をする。見た目も寒そうだったので、温かな上着を着せてやった。

 どうせ、シエラが買ったまま忘れていた服である。このままあげてしまおうか。


 水色のもこもこポンチョと、白いハイソックス、こげ茶のローファー。どれも新品だ。それで忘れ去られてしまったので、使われる場面が来て良かったな。


「まぁ、どうせ厨房に行く時間には早かったから。いいけど。お前、何でここに」

「スイトにあいに?」


 こてん、と首を傾げるエフ。


 見た目だけなら、僕らより年下。

 けど、精神年齢は見た目以上に低いらしい。


 ちゃんと言葉を使って話しているけれど、考える事が幼いというか。どこか心と身体がちぐはぐな印象を受けた。

 とてもじゃないが、見た目相応に見えない。


「ま、いっか。行くぞ」

「うん!」


 ニコニコしながら、エフが付いてくる。

 それも、さりげなく僕の手を握ってきた。


 ……少し、温かかった。


 いやいや、子供って体温高いし! そのせいでしょ。うん。


 あーもー! 調子狂うなぁ!

 しかも、こういう時に限ってスイトが見つからないし!


 イラつくなぁ……!




 ……以上が、僕とエフの、初めての邂逅である。

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