48 エルフの魔戦士


 怪しげに笑うテレクに連れられて、俺達はとある一室へと向かっていた。

 酒場の2階にある、奥の部屋だ。


 下ではまだ騒いでいる奴らがゴロゴロいる。既に酔いつぶれている者も続出しているに違いない。ただ、そのような騒がしさはこの階まで届いていなかった。


 空間拡張の応用だろう。階段から僅かに漏れてくる音は、一歩進むごとに薄れていった。


 どこへ向かうというのか。明らかに外観と比例しない広さなのは、魔法のあるこの世界では常だ。だが、ただの酒場でこれほど広い空間拡張を使う事には、違和感を覚えざるを得ない。


 魔法のおかげで、この世界の生活水準は俺達の元いた世界よりも高い。水が汚れても、魔法で綺麗な水を出してしまえば事足りるのだから。使える者は少ないが、天候だって魔法で変えられる。乾期に雨を降らせるという事も出来るので、元の世界よりも自然災害は少なめと言えるな。


 天候魔法は特殊だが、魔力があり、その魔力に問題が無ければ誰もが使える、基本魔法だけでも便利だ。攻撃に使えるほどの威力は無くても、使えれば日々の生活に困る事はない。

 だからこそ、だろうか。元の世界では出来ないはずの事が出来るからこそ、この世界の人間は余計に無駄を嫌う。宿屋でもなく、下宿と言うような雰囲気も無いこの広さは、正にその無駄とも言える部分なのだ。途中からは扉も無くなってしまったし、ここはどういう目的で作られたのだろう?


 俺がそれをテレクに尋ねるよりも前に、テレクは立ち止まった。

 そこは廊下の一番奥。

 行き止まりではなく、やけに豪華な装飾を施された、両開きの扉がある。


 薄暗さもあって重苦しく、物々しい雰囲気が漏れ出しているな……。出来れば開けたくないが、金で出来たドアノッカーを、テレクが手にとってしまう。

 まあ、彼は飄々としていて掴みどころの無い性格だ。もしかすると、物々しい雰囲気とかをスルーできているのかも。ある意味羨ましい。


「失礼しますよ~、っと」


 軽い調子でテレクが扉を開けると、軋みを含んだ音が響いた。その先から、オレンジ色の光が漏れる。


 薄暗い中を歩いてきたためか、光に目が眩む。

 何度か目を瞬かせて、光に目を慣れさせる。すると、案外すぐに慣れて、部屋の様子が視界に飛び込んできた。

 部屋の中も高価そうな物が並べられ、暖炉の中の炎が煌々と輝いている。床は古いフローリングで、壁はレンガで出来ており、幾つかの小さな額縁には何処かの景色が描かれていた。


 この世界には写真が少ない。魔法で科学的な物をイメージし難く、写真を作る魔法は無いのである。映写機、つまりカメラは機械であるためか、この世界には存在しない。そもそも、見せたい景色があるなら自分の記憶を見せれば事足りるというのも、写真が少ない要因かもしれない。

 ちなみに、少ないだけで写真は存在するぞ。どうやら代々の賢者達が不便に感じたのか、カメラのような機能を持つ魔道具を作り出していたようなのだ。

 もっとも、その全てが壊れてしまって、廃棄済みなのだが。貴重な写真は保存魔法がかけられて、城のどこかに保管されているらしい。


 俺も見た事はないが、あるという記録だけが残されていた。


 おっと、話が逸れたな。部屋は暖かい空気に満ちており、見渡せば部屋の奥にある暖炉が視界に入った。暖炉の傍にはカーペットが敷かれ、そこには新緑色の1人掛けソファが置かれている。

 テレクのお目当ては、そこにどっかりと座り込む人物だった。


 あの、酒場の中央で演説していた、ナイスバディのお姉さんである。


「おぅ、イワンじゃないか。どうした?」

「お久しぶりです、フレディさん。いやぁ、心強い助っ人が来てくれたので、是非ご紹介しようと思いまして。こうして連れて来たわけです。まあ、集会があったのは予想外でしたけど」


 テレクは女性に向かって、恭しく礼をした。胡散臭い笑みを浮かべているのは、果たして、演技か素の彼か。服はそれっぽくないが、テレクが道化に見えてきたな。

 イワンはたしか、テレクの偽名だったはず。この人にもそれを名乗っているらしい。


 女性は手の中にあったシャンパンを一気に飲み込んで、にぃ、と笑う。


「ほぉ? 妙に慣れた感じのボウヤじゃないか。どっちもかわいい顔をしているねぇ」

「フレディさん。2人じゃなくて、3人ですよ」

「お、本当だ。こりゃすまなかったね」


 言葉では謝っているが、彼女は口を大きく開けて笑った。酔っているのか分からないが、声が異様に大きいなぁ。というか、マキアはこの、いかにも姐御って人にも無視されるらしい。


 何と無く、この人なら言われなくても気付くかと思ったのだが。ま、俺の勘は当たらないし、これでいいの、か? いや、よくは無いか。


「つぅか、助っ人って言ったか。言ったな? って事はだ。アタシらの味方になってくれるって事だねぇ。そりゃあ良い!」

「ええ、もう。賢者様が味方に付けば、万が一にも負ける構図が成り立たないですよ!」

「賢者? へぇ、ボウヤ達、噂の賢者一行かい! そりゃ、魔力の内包量が多いわけだわ!」


 カラカラと大声で笑うフレディさんは、近くにあった酒瓶を魔法で引き寄せ、中身をグラスに注ぐ。

 話の流れからして、この人、俺と同じスキル:魔力可視化の所持者なのか?!


 俺が内心驚くと、フレディさんはそれを読んだのか、よりいっそう良い笑みを浮かべる。


「アタシはフレディ。― フレドリカ=アニナ ―だよ。レジスタンスの頭をしているが、本業は自由気ままな冒険者さ。ジョブは海賊パイレーツで、武器はレイピアとピストルさ」


 フレディさんは、室内だというのに特徴的な形の帽子を被っていた。そのつばをピンと弾いて、にぃっと笑ってみせる。

 なるほど、海賊か。姐御肌的な雰囲気は底から来るのかもしれない。これで、片目をアイパッチで覆っていれば海賊感が割り増しされていただろう。

 先程は帽子が無かったので、海賊感は極限まで薄れていたのだろう。


「俺はスイト。風羽翠兎だ。異世界の賢者で、とりあえずは学生身分。主に使っている武器は剣で、魔法を載せた剣で戦う魔法剣舞って呼ばれている方法での戦闘が得意だ」

「僕はマキアです。影の薄さなら、誰にも負けない、と思います。はい……」


 俺に続いたマキアの台詞は、尻すぼみになって消えていく。多分ボリュームそのものは全体的に同じなのだろうが、あまりにも影が薄くて声が小さくなっているように聞こえたのだろう。

 きっとそうだ。


「俺はタツキ。一応勇者! 魔法攻撃はぶっちゃけ不得意だけど、まーよろしく!」


 え、魔法攻撃不得意なの? 初めて聞いたけど。

 まあ、そもそも物理攻撃に向いた職業なわけだし。支障は無いからいいか。


「勇者ぁ? 勇者っていや、人族領に召喚される奴じゃないか」

「たしかに人族領に召喚されたけど、スイトのいない所にいる理由は無い!」

「あっはっは! 面白いボウヤじゃないか! いいねぇ、久々に血が滾るようだ」


 白い歯を見せ付けるように、フレディさんはにぃ、と笑った。犬歯剥き出しで、ちょっと、その、怖いのだが、何だろう。

 氷柱が背中を這うような、とんでもない悪寒が全身を走った。


「なぁ、ちょぉっとばかり、提案がある」

「お、何だ? 俺達に出来るならやるぜ?」

「出来るさ。ただ、やってもらうのはそこの賢者様だけどねぇ」


 楽しそうに、それでいて不気味に微笑むフレディさん。同じく楽しそうな雰囲気で了承してしまうタツキは、ふと俺を見て動きが凍りついた。

 何だろうなぁ? 今の俺、そんなに怖い顔でもしているのかねぇ?


 一応、笑顔を貼り付けておいたんだがなぁ。


「丁重にお断り」

「させないよ? アタシらを助けるってのが、たとえアタシらの邪魔にならないと言われたとしても。アンタらの都合でこっちの動きが制限されたら困るからさ」


 フレディさんが指を鳴らせば、扉が開いた。反射的にそちらへ目をやると、そこには1人の少女が立っているではないか。

 背が低く、見た目だけで言えば10代前半の少女だ。顔が整っているので、美少女と言うべきか。

 今は完全に無表情だが、笑ったら絶対かわいいだろうと確信できる目鼻立ちなのだ。


 耳が長く尖っているので、背の低さからしてエルファリンかな? ハニーブロンドの髪はサイドアップで纏めており、大きな瞳はまるで宝石のエメラルドのよう。


 黄色いマフラーは床に付きそうなほど長く、白いブレザーの上着は前開き。フリル付きのブラウスは濃い赤色で、前後で丈の違うコルセットと繋がったフリルスカートは蜂蜜色。

 コルセット部分には小さなウェストポーチが付けられているが、あれはきっと収納系魔法鞄の一種だな。武器も何も見える位置に無いのは、この世界の「冒険者」ではありえない。魔法系だろうが物理系だろうがいつでも武器を携帯しているのが冒険者だからだ。

 見た目も雰囲気も小さな子供。だが、魔力の内包量や体格を見れば、只者では無い事ぐらい分かる。


 細身で小柄なせいで分かりづらいが、彼女はおそらく、脱いだら凄いんです(筋肉的な意味で)系の人間だぞ。多分、大きなリンゴをこう、ぐしゃっと潰せる程度には。


「こいつの名前は― ナフィカ=フィリオ ―。本人曰くエルフらしいけど、数年前から姿はこのままさ」

「フレディ、それは秘密」

「あっはっは! いいじゃないか! アンタなら、このボウヤの事を気に入るかと思ってねぇ」

「……ふぅん」

「ああそうだ。今からスイトとナフィカで戦ってもらうよ。公平を期すためにお互いの武器は一つで固定しておくれ。ただし、魔法はいくら使ってもらっても構わない」


 フレディはにぃ、とまたもや怪しげに笑う。その笑顔、やめてくれないかな。見る度に妙な悪寒が全身を駆け巡るから。


 今回に関しては、俺の勘もかなり正しいのだろう。

 フレディから「魔法」という単語が出た瞬間、ナフィカの宝石のような瞳がギラついた。


 エルフというか、一般的に妖精族と呼ばれる種族は、ドワーフ以外なら魔法の才能に恵まれやすい。雑魚魔物として知られるゴブリンでも、知識無しで初級魔法を使える程度に。

 だが目の前のナフィカは、魔力量は多くても、魔法職にはあるまじき細マッチョである。この情報が導き出す解答は……彼女が取り出した、緑色の宝玉が教えてくれるだろう。


「俺が、この子と?」

「そうさ。ナフィカの実力は、この辺りではトップ3に入る。1位はアタシだけどねぇ。だから、ナフィカに試合で勝って認められれば、ボウヤ達がどう自由に動いても、こっちが邪魔する事なんて無い。ついでにアンタ達も、味方っていう名の邪魔者が格段に減るだろうさ」


 今度は悪戯っぽい笑みを浮かべるフレディさん。この人、さっきから笑っていない場面が無いような気がするのだが、気のせいか? 

 ともかく、笑い方だけがコロコロ変わるフレディさんに対し、先程まで無表情だったナフィカが頬を膨らませる。それはもう、ハムスターの頬袋並に膨らんだ。


 ……! もしかして、俺達が勝つ前提で話が進むのが気に入らなかったとか?


「戦わなくても良い。私が勝つもの」

「随分な言い草だな。俺もお前に負けるイメージが浮かばないんだが?」

「ふん、ガキが」


 医学的には、15歳を超えれば立派な大人である。お酒は飲めないしタバコも吸ってはいけないが。だがガキと言われると、腹が立つ。

 こういう、あからさまな悪口だと尚更だ。


「口喧嘩より、お互いの実力を見せ合う方式で行こうじゃないか。ほら、行くよ!」


 俺とナフィカの間に火花が散ったところで、俺達は酒場を後にする。どこに行くのかと思えば、所々大きな亀裂の入った、黄色い石造りの闘技場だった。

 普段は使われていないそうで、入場料はタダ。舞台よりも3メートルほど上にある観客席から、直接舞台に降りてもいいのだが、ここは雰囲気を大切にしようじゃないか。


 控え室を抜け、木の柵が扉代わりの入り口を抜ければ、戦士として入場した気分になる。

 服装は、映画で見るようなボロボロの布切れとか、鎧ではない。まあ普通の戦闘服である。


 黒に銀色の装飾が施された、イユ謹製の戦闘服。魔法防御だけでなく、物理防御もよく研がれた剣の刃を通さないくらいに硬い。ただ、素材そのものはよく伸びるし、シワが出来づらく、汚れも簡単に落ちるという便利モノだ。さすが魔法素材。


 黒は上流貴族、冒険者で言えば上から2番目の強さを表す色だ。だが、黒が俺に似合うからとイユが言い張ったため、俺はこの服を着ている。

 というか、これ以外の戦闘服を作ってくれない。


 このデザインの服が、あと5着ほどルディの鞄に。

 更には城のクローゼットに2着予備がある。さすがに見飽きてきたし、私服や元の学校の制服では防御力云々は皆無だし。


 妥協案として、黒くてもいいから別のデザインを、とか言っておいた。

 帰る頃には、違うのが出来ていたら良いなぁ。


「で、結局ナフィカの武器って何だ?」

「これ」


 ナフィカの手の中には、相変わらず宝玉がある。大きなビー玉と言えば想像しやすいだろうか。そのくらいの大きさなのだ。


「じゃ、始めるよ! 武器はそれで良いのかい?」


 俺は剣を鞘から引き抜く。俺も大概魔法使いっぽくはない格好をしているので、最近は杖ではなく、剣の形で携帯しているのだ。

 魔法には、本来杖は必要無い。複雑な魔法であれば必要かもしれないけど、どんなに複雑でもイメージがしっかり出来ていれば発動できるから。


 複雑というのは、形であったり、起こしたい現象の多さであったりする。たとえば、限り無く細い土の棒を作るとか。炎の玉を100個以上出して、数時間その状態をキープするとか。

 人に向かない作業をこなす場合は、詠唱を使い、魔法陣を描く方が効率的である事もままあるのだ。

 杖も、形だけでなく、イメージ補填をする機能があれば好ましい。


 言わないのは卑怯かもしれないが、剣にそういった、魔法を補強する機能が付けられている事はよくあるのだ。卑怯とはいえない卑怯さだな。

 そもそも俺、一応は賢者なわけだし。


 魔法が不得意な賢者が、賢者を名乗れるか? 否、断じて否だ!

 知識があるという意味で賢者っていうなら、まぁありえるのかもしれないが。

 それに、この場合はお互い様でもある。


 何故なら。


「武器は1つと言われた。けど」


 ナフィカの武器もまた、そのままの形で使うわけではないからだ。

 宝玉を直接動かす、というような事はない。ただ、宝玉に魔力を込め、形を与えるだけ。かなり特殊な、そうれはもうかなり特殊な魔道具だ。


 いつ、何故、どのように作られたのかが全く分からない、エルフの秘宝。

 万象の宝玉。そう呼ばれるそれは、使用者のイメージに合わせ、光を纏う。光は使用者のイメージに沿うが故に、実に様々な形をとる。たとえば剣であり、鎌であり、銃であり、杖である。武器は1つだが、種類は無限だ。これ以上に卑怯な武器は無いだろう。


「……驚かないね」

「まあ、エルフって聞いた時点で、色々と思い当たる節があったからな」


 エルフは希少なので、その分エルフの事が書かれた書物は少ない。俺達の世界にはエルフなんて存在しないので、余計に気になった。

 エルフについて書かれたもののほとんどが創作物語だったので、探すのに苦労したよ。


 けどまあ、エルフの伝承を記した書物が、城の奥の方に眠っていた。だからこそ、俺も彼女の武器が変形しても驚かなかったのだ。

 白い光で作られた、俺と同じくらい大きな鎌。それが、彼女の選んだ最初の武器だった。


「じゃあ、始めようじゃないか」


 フレディさんはピストルを構え、銃口を青空へと向け――



 ―― 撃った。



 ナフィカと俺との距離は、約10メートル。

 乾いた破裂音が耳に届くと同時に、俺はナフィカとの距離を一気に詰める。


 支援魔法:身体強化を足に集中させて発動させれば、スピードは通常より格段に跳ね上がる。

 これは基本的な戦闘行為だから、相手も身構えていたのだろう。俺が右下から振り上げた剣は、鎌の長い柄に当たり、火花が散った。


 正確には、鎌を構成していた光が、粒子となって周囲に散っただけ。


 武器本体である宝玉が壊れない限り、外装である光は幾らでも補充される。つまり、武器を壊す事は不可能に近い。


 普通に硬いので、渾身の力を込めても火花が散る程度で済んでしまった。


 俺は次に、自身へ魔法防御の結界を張り、剣と鎌の接触部分で爆発を起こす。魔法によるダメージは結界で皆無だが、爆風でまた距離が開いてしまったな。

 爆発を起こす魔法は火属性で、モロに受ければ火傷必至だ。


 まあもっとも。


「武器だけじゃなく、防具も作れるとはね」


 身の丈よりも大きな、白い光で出来た盾。ナフィカの気配は、鎌の代わりに現れたそれの後ろにあった。言わずもがな、あの盾で爆発を防いだのだろう。


 しかし、爆発は予備動作無しで起こった。盾を解いた彼女は、手に赤みを作っている。

 軽い火傷、だったら良いのだが、そもそも跡が残らない程度にダメージを抑えてくるとはね。


 物理攻撃と魔法攻撃のどちらともに、ある程度の耐性と対策がある。


「今度は、こっちから」


 言い終わる前に、彼女から俺へと距離を詰めてきた。ただ、進退強化は使っていないようだな。足どころか、身体全体に魔法を使っていないようだ。


 ふむ。

 ナフィカってもしかすると……。


 っと、考えている場合じゃないな。レベル依存で技術頼りの全力疾走は、中々に速いのだ。

 彼女の武器は再び鎌に変わっている。首を狩れるような大きい鎌なので、距離感を間違えなければスパッといかない、はず。


 さすがに、防御力がとんでも無いのは服部分だけだ。露出している肌は結界か何かで守らねばならないじゃないか。結界は、どちらかというと不得意なのに。

 雑念混じりで鎌の刃を剣で受ければ、再び火花が散る。


 っ、力、強いな。


 闘技場の床は、タイルが張ってあるわけではない。客の入る廊下や観客席はともかく、俺達が戦っているこの場所は、砂や砂利が敷き詰められた地面だ。


 魔法によって落とし穴を作る事も可能。砂を巻き上げて視界を塞ぐ事も可能。

 そして、あまりの衝撃に足が地面に埋まる事も、可能だった。


 下手に支援魔法:衝撃吸収を使ってしまったため、砂の地面が陥没するほどの衝撃が、俺の足首が地面に埋まるという事態を引き起こす。

 魔法で土を盛り上げて脱出するのは可能だが……こんなあからさまな隙を、見逃してくれるわけがないよなぁ。


 俺が受け止めていた鎌を自ら弾き、上空へと飛び上がったナフィカ。

 彼女の瞳はしっかりと俺を捉え、油断は無い。


 ただ俺の事を、小鹿か何かを見るように観察するのはやめてほしい。

 まるで、俺が弱いみたいじゃないか。


 足をムリヤリ引き抜いても、これが隙である事に違いは無い。だから、地面から足を引き抜くのは後だ。彼女の攻撃はレベル依存で技術頼り。その推測が間違っていなければ。

 物理攻撃緩和の結界を、張るだけで良い。


 結界は不得意だけど、それは『俺だったら』の話だ。


「だったら―― 変えるしか、無いだろ」


 鎌から、鎚へ。光の武器は形を変える。鎚はバチバチと音を立てて熱を帯び、まるで隕石のように落下してきた。


 炎熱緩和。衝撃吸収。物理防御力上昇。打撃吸収。エネルギー拡散。


 ……うん。


「そんな、ところかな?」


 上空3メートル。すぐそこまで迫っていた隕石のような鎚の攻撃は、ガギン、と鈍い音を立てて、空中で静止した。熱も、勢いも、透明な壁によって掻き消された。

 5重に張られた結界の、2枚を打ち砕いて。


 うわ、凄いね。結構強めの結界にしたのに、2枚も壊されちゃったよ。


「でも、あと3枚。貫けなかったね?」

「……っ?!」


 あれ、何か驚く要素でもあったかな。まあ、たしかに、いかにも必殺技です、みたいな威力だったから。それが簡単に防がれたら、驚かない方がおかしいか。

 あぁ、でも。


「何でっ。女の子の声がするのっ?!」

「えっと、声の事だったら、気にしないでもらえないかなぁ~って。思うんだけど?」


 そりゃ、ハルカさんの声が『私』から聞こえてきたら、混乱もするよね。親友のタツキ君でさえ驚くわけだから、めったな事では使わないようにしているのだけれど。

 でもまあ、ハルカさんのほうが結界魔法は得意なわけだし。


 使えるものは、使わないとね!


「わー、出たよ、スイトの『イリュージョン』が」

「え、何それ。僕知らない」

「そりゃ、普通なら驚かれるからな。あんなの」


 俺が鎚から足を引き抜くと同時。観客席で、周囲と同じく石で作られたフェンスから身を乗り出すマキア君。親友と言うのは伊達ではなくて、タツキ君は『私』のする事成す事何でも面白がるけど、大体驚きはしない。そのタツキ君が驚くのだから、これは大抵の人間が驚く事なのだろうと思う。


「名称からして、あの不思議な声についての事だよね? 演劇部に関係あるの?」

「関係あると言えばある。あれがあるから演劇部に入ったからな。それまで『イリュージョン』なんて呼ばれ方はしなかったぜ」


 自慢話を続けるタツキ君は―― タツキは、ひらひらとこちらへ手を振った。俺はそれに笑みを返すと、混乱中の彼女の、足元にあった結界を解く。

 『俺』では、あの密度の結界を維持するのは無理なのだ。


「くっ」


 足場が急に消えたために、ナフィカは我を取り戻し、瞬時に着地体勢をとった。おかげで、無様な体勢で落ちる事はなかったが、先程よりも大きく頬が膨らんでいる。


「むぅー……」


 うん、弱い獲物を見るような視線は無くなったな。代わりに、彼女は全身にオーラを纏わせる。人って、本当に本気を出そうとすると、普段から漏れ出している魔力の量が多くなるのだ。

 人は生きているだけで魔力を生み出す。魔力は常に生み出されるため、それを溜めておく部分から、常に溢れてしまうのだ。もちろん、魔力が枯渇している状態だと漏れなく回復に使われるため、放出量は極めて抑えられるのだが。


 それが逆に増えるという事は、彼女の感情が発露しているという事。普段見えないモノが見えるからこそ分かる、彼女の変化であった。


 というか、見ていて思ったのだが。


 何だろう。ナフィカの頭部に、クラウン型の魔力が集まってきたような……?


「……ナフィカが本気を出してきたねぇ」


 フレディさんは、多分俺と同じスキル:魔力可視化を持っているはず。誰かに尋ねるまでも無く、あれが本気の証のようだな。


「えっ、さっきの、本気じゃなかったんですか? 僕にはとんでもない威力に見えたけど……」

「マキア、油断するのと、本気を出さないのとは違うからな」

「同じじゃないの?!」

「同じって事も多いけど。少なくとも、あいつらの場合は違うだろ」


 油断はしない。だからこそ、慎重に、かつ何が起こっても対処出来るようにしていた。だからこそ、完全なるイレギュラーに対処し切れなかった時、混乱してしまったのだろうが。

 彼女が相対しているのは『俺』だ。だが『私』が乱入した事で、戦法が360度、だと同じか。280度くらい変わったと思う。


 持っているのは剣。魔法も多少は使う。それくらいの認識で、対処法を既に組み上げていても。それが、一気にリセットされてしまう。代わりに、自分の戦闘方法は『魔法を使わない』なのだから、分かりやすいにもほどがある。


「やっ」


 ナフィカは武器を鎚に変えたまま、再びそれを振り下ろしてきた。

 焦った様子は無いか。さすがだな。


 ……って、これは、ちょっと。


 咄嗟に飛び上がって避けた鎚の一撃は、サラサラの砂地をめり込ませ、亀裂を刻む。しかも、それが元に戻らない!


 これは、水魔法か? 魔法を使わないというのは、俺の見当違いだったか。

 うーん。いや、違うな。あの鎚そのものが、水属性に切り替わったのだ。光ではなく、水で構成された、正に水の鎚。水を吸う事でさらさらだった地面が固まり、そこに強力な一撃をもらった事で亀裂が入った問う事か。


 うわぁ、さっきのも相当な威力だったけど、こっちも規格外だな。

 水属性の魔法には『沈静化』というものがある。これは、相手の動きを鈍らせる支援魔法で、下手をすると対象の生命活動まで止められてしまう危険で厄介な魔法である。


 さすがに生命活動を止めるくらいに、高威力で魔法を放てる者は、少なくとも生命体ではありえない。と思いたい。

 今の鎚攻撃には、その魔法が込められていた。避ける事が普通なら困難になるくらいには、動きを鈍らせるものが。


 とても分かりやすく、今の攻撃を説明しよう。


 マトモにくらえば、粉微塵になる。


 もちろん、避けられると分かっていて出したのだろうが……危険だな、これ。

 それを、何度も、何度でも振り下ろしてくるナフィカ。もぐら叩きのモグラになった気分だ。それも、俺が不得意なために結界が張れないよう、スピードも威力も最高にしてあるらしい。


 ああ。本当に、当たれば即死じゃないか? これ。

 緊張感からか、背筋にゾクゾクとした感覚が走った。


 やっばい。


 ちょっと、楽しくなってきた……!


「! スイトっ」


 ぶっちゃけ生命力と体力は、イコールではない。比例関係でもない。体力が有り余っているのに、HPがかなり減っている事など、この世界ではざらにある。


 俺は完璧後衛型の魔法を使う割に、前線で剣を振るからな。賢者の特性なのか、MP量に比べてHPも体力の値も低い。特に体力。物理攻撃のみの戦闘ならまだしも、この世界には魔法という物がある。魔法戦闘に使う筋肉はただ剣を振るだけでは鍛えられないのだ。


 レベルを上げ、それなりの鍛錬をしたとしても、こればかりは一ヶ月じゃどうしようもない。

 俺は超人ではないのだ。魔力は全く減らないくせに、体力だけがごりごり削られていく。


 だから、ぶっちゃけさっきの爆発攻撃とか、ナフィカの攻撃回避とか。結構体力を削られた。マキナ謹製の体力回復薬を使えばまだ長く戦闘できるのだろうけど。


 正直、それではつまらない。


 こう感じてしまうのは、真剣勝負だったらいけない事だろうけど。

 だから、俺も本気を出そうじゃないか。

 見えない奴でも、肌で感じられるはずだ。


 俺が持つ膨大な魔力と、殺気を織り交ぜた―― 闘気を。


「……っ!」


 ナフィカは、目を見開いた。その大きな瞳が、俺に釘付けにされる。隙ではない。むしろ、より強く警戒しただけ。


 観客席から何か聞こえるけど、後にしよう。


 俺は、剣に込められるだけの魔力を込めて――



「―― そこまで」



 ―― 冷ややかな声とともに、霧散させた。


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