45/ <前進の遺変/オルト> 1
死色の炎が、邸内を駆け抜ける。彼が通った後には、非凡なる黄の火の粉が舞い散った。廊下にはネクロクロウの放った怪異、
死の剣を振るい、言葉語らぬ怪異を殺す。
人々の命を刈り取るために存在する刃は、怪異の断片をも等しく死に至らしめる。
だが――黄炎には聞こえている。
死を、死を、死を。人に死を告げよ! 無数の声が望んでいる。
手を下せぬ存在に、死を与えよと、願っている。
死を与えるべきは人。欠片として生まれし怪異ではなく――。
人を。人を。人を殺せ!
首のない男は鉤爪剣を強く握る。
何故――と自分に問いかける。
声なき声に応えねばと思う。人々のいのりを聞き届けねば、と思う。
それが怪異としての彼の在り方だ。
人が生み増えるように、彼は夜の戸を叩き、人に死を告げる。
だが――黄炎は今もこうして、望まれても居ないものを殺している。
それどころか、これは同じモノだと彼は理解していた。
この無数の怪異たちは、自らと近しく、人に死を与える純粋な存在だ。
だというのに、黄炎はそれを斬る。人のいのりを斬る。
――否。違う。誰一人、望まぬわけではない。
たしかに怪異たちに死を与えることを望む者がいる。それを祈るものがいる。
『スラー・セジウィーク……』
首のない男は、その名を呟いた。
奇妙な男だ。聡明で、愚かな人間だ。
諦めてしまえば楽だろうに、必死に足掻いて生きている。
自分の道行きが完璧ではないと理解しながらも、進むことを止めない人間だ。
――故に。彼の中に消えぬいのりの熱があるのならば。
この身は振るおう、この剣を。いのりを聞き届ける怪異として。
首のない男の剣が
死を振りまく炎は進む。目指すべき相手へと。
◆ ◆ ◆
シャノとスラーは一階と二階を繋ぐ、中央ホールに辿り着いていた。ここから一階へ、更に地下へと降りれば配電室がある。だが――深夜、本来ならば静まり返っている筈の中央ホールの前で、シャノたちは足を止めた。
ざわり、ざわり。
おおよそこの世のいきものならぬ形が床に、壁に、そこかしこに張り付いている。
階下にひしめき、うごめくのは、御伽噺の幻想、その欠片。
ホールの大階段は不気味に這う怪異で埋め尽くされていた。闇の中から、それは二人に襲い掛かる。シャノは
「探偵殿、彼らは……?」
「
怪異たちが
「――
「ネクロクロウか」
「ええ。確証はありませんが――何であれ、こいつらを倒さないと先には進めません」
シャノは
正面の敵を片付けた時、階段の手摺から
――だが。
「探偵殿!」
「ぐっ、くそっ……! しつこいな……!」
はらいのけようとするシャノの上に、怪異がのしかかった。落とした銃に手を伸ばす。怪異の爪が柔らかな喉に伸びた――。
だが怪異の手が喉を抉る直前、その異形の体を鋭いものが突き刺した。
怪異の体を突き破り、先端を覗かせるのはホールに飾られてた長槍だった。
コツリ。コツリ。階段の下から足音が響く。
ずしりと重い長槍を投げた人物の姿が、ゆっくりと近づいた。
「これはこれは――よい時に訪れたようです」
ふわりと広い袖が階段の上で広がった。独特な形をしたそれは、東方の国のものに似ている。一つに括った長髪と、腰に提げた朱塗りの鞘が揺れている。
新参者に襲い掛かる御伽話の怪物を、白刃が一刀に伏す。
見紛うはずもない、特徴的で奇異な出で立ち。シャノは驚きに目を見開いた。
「ムソウ、さん……!」
「ええ。アール・"ムソウ"・シアーズ、ここに。拙者抜きに楽しいことをされていたようで、非常に寂しいのですが――ご無事で何よりです、探偵殿」
一寸の無駄ない剣閃が飛ぶ。白い線が闇を裂くたびに、
ゆるやかなムソウの足取りに対して、その剣は確実に怪異を屠る。数秒の後――周囲の
傷を押さえながら、シャノは白銀に輝く長刀を携えたムソウを見た。東方風の袖の長い羽織ものの中はぴったりとした
「ムソウさん、どうしてここに――」
「拙者、イルフェン・ティービーのことを調べておりました故。しかし……調べたことを伝えようにも、探偵殿は連絡がつかず」
言って、ムソウ取り出したのは特殊な形をした
「あ、
「忘れ物はいけませんよ。まあ、ですから、先んじてティービー邸を伺っておこうかと考えまして。まさか、探偵殿のほうが早くお着きとは思いませんでしたが」
シャノとしても、ムソウが駆けつけたのは予想外のことだった。だがムソウの実力はジャックに並ぶほどの折り紙付きだ。この差し迫った状況で戦力が増えるのはこれ以上なくありがたい。
ただ、一つ。問題があるとすれば――。
「君は、ヘーレーの護衛の……何故ここに?」
「今はヘーレー殿とは無関係ですよ。拙者、個人的に探偵殿に依頼をしておりまして」
「依頼? ほう、探偵殿は多忙な方のようだな」
「ああ、ええと。そうなんですよね」
気まずい気持ちを抱きながら、シャノは作り笑いを浮かべた。問題は、これだ。ムソウの依頼――即ち、首なし騎士を見つけ出し、刀を交えること。スラーの前でどう説明したら良いものか。
ムソウはシャノとスラーの顔を見比べ、困った表情を浮かべた。
「むう……しかしどうにもこの状況、拙者の依頼どころではないようです」
「すまないな……彼らを巻き込んだのは私だ。だがこちらも切羽詰まっている。どうかこの件が収まるまで、待って欲しい」
「残念ですが、お気になさらず。拙者、どうにも物事がすとん、とうまくはいかぬタイプでして。こういうことには慣れておりますから」
むう、と残念そうに唸るムソウ。シャノは床に落とした銃を拾った。
「でも、おかげで助かりました、ムソウさん」
「ええ、駆けつけたのが遅くなり申し訳ありません、探偵殿」
ムソウは刀の柄を握った。
「――ここで会わずに済めば、良かったのですが」
ずぶり、と。
腹から白い刃が突き出した。
噴き出した血が階段に滴り、落ちる。
――呆然と、シャノは自分を貫く刀を見て、血を吐いた。
東方めいた恰好をした男は、目を細めたまま、表情を変えない。
「ムソウ、さん――」
傷と痛みで、みるみると意識が遠のいた。シャノは膝をつき、成すすべなく階段の上に倒れる。ムソウは赤く塗れた刀を振るって、血を払った。静かな表情でムソウは血だまりの中の探偵を見下ろした。
「ご安心を、死に至る傷ではありませんよ。まあ、そのまま血を流し続ければ死にますが」
「探偵殿……!」
声を上げたスラーに、剣閃が走った。スラーはそれを寸での所でよけた刀の切っ先が、黒く豊かな髪を一房、切り落とす。スラーは階段の手摺を背にし、奇妙な格好の男を睨んだ。
「……お前が現れた時、何故か胸騒ぎがした。お前からあの女と同じ空気を感じたからだ。お前は、やはり……!」
「残念です。苦しめるのは拙者の本意ではないのですが」
一歩、ムソウが踏み出した。長い袖が不気味に揺れる。握る刀が、緊急照明の僅かな光で浮かびあがる。――死だ。腕の一振りで、命を断つ。人の形をした死そのものがそこに在る。その目に迷いはなく、一体何人の人間を殺したのか。
「セジウィーク殿。我らの主の命の元、貴殿を殺しに参りました」
ムソウの左手に、薄黄色の光が弾けた。その手には銀色の仮面。
ネクロクロウのものとよく似た仮面が、その顔を覆い隠した。
不気味な銀の仮面の奥から、呼吸が漏れた。
「改めて。拙者、名をアール・"ムソウ"・シアーズ。黄金に属するもう一つの
片刃の長刀を、仮面を被ったムソウ――否、ウェアサイスと名乗った男が構えた。
「セジウィーク殿。我らが
「……私の仲間たちを手にかけたのは……君か!」
「ええ、そうです。貴殿ら六人のうち、既に死したる四人。全て、拙者が首を落としました。本来であれば――貴殿も科学技術会合の晩にて殺しておきたかったのですが、戻った時に大きなトラブルがありましたから。ほら、貴殿もご覧になったでしょう――といっても、覚えておられないかも知れませんが」
スラーはあの晩の記憶を辿る。思えば、あのスピーチの最中、この男の姿を見かけなった。ヘーレーの護衛だというのに、登壇した彼女の周りや舞台袖には――この男はいなかった。てっきり、どこか表からは見えぬところから彼女に気を配っているのだと思っていた。
だが、違った。ムソウは壇上に
「君は……、私や、ラスケット氏を殺すためにヘーレーや探偵殿たちに近づいたのか……!?」
「ん? いえいえ、確かにヘーレー殿に雇われたのは、警備の厳重な科学技術会合に潜り込み、容易く貴殿らを殺すため。しかし、探偵殿は無関係です。こちらはあくまで拙者の私的で趣味的な依頼。貴殿と探偵殿が出会ったのは偶然です。……しかし、シャノン・ハイドがこの都市の怪異を追う者であるのなら、これも必定かも知れませんね」
スラーは階段を走り、逃げ出した。ウェアサイスはその背を斬りつけた。
「ぐあ……っ!!」
呻き声をあげ、スラーは地面に転がった。その背は斜めにぱっくりと開け、血が服と床を染めた。
「さて、動かぬように。貴殿が逃げれば、探偵殿の首を刎ねます。――まあ、それでも生き延びたい、というのであれば、足掻いてみるのも良いと思いますが」
痛みと恐れが思考を支配する。同時に、考えないようにしていた後悔も。
――スラー・セジウィークは自分を理解している。
己は……ここであの探偵を見捨てることが出来る。四人の仲間の死も、燃殻通りでの武器製造も全て踏み越えてきたのだから、今さらそこに一人を加えることなど容易い。
……けれど、背の傷の痛みが彼を苛んだ。死が、そこに迫っている。もはや観念する時だと告げている。四人の仲間の命を奪った凶刃。ラスケットの無惨な遺体が脳裏に浮かび、スラーは吐き気を堪えた。
そもそも、本来ならば
死か恭順か、選ぶほかなかったはずだった。それを、足掻いて、足掻いて、罪を犯して、ここまで来てしまった。
頃合だ。諦める時だ。
スラーは血で汚れた手を床についた。力をこめ、体を起こす。
痛みに歯を食いしばる。目を伏せた時、暗闇に身をゆだねようと思った。
だが――駄目だった。
瞼の裏に、浮かんでしまったからだ。
やりたいことも、見たいものも、目指すべきものも、傍に置きたいものも、自分にはあると。どうしても、それらを諦められないことを。
「駄目だ、私は……諦められない、アンリエッタを悲しませられない……!」
「他者を犠牲にしても、諦めきれませんか。逞しいまでの生き汚さです。拙者は――個人的には、好ましいと思いますよ」
暗がりの中、仮面に覆われたウェアサイスの口元が笑んだことに気付いた者はいないだろう。
「焦がれ、望み、惹かれ。まだ見ぬものを羨望し、何を踏みにじったとしても進み続ける。ああ――まさしく、成長とは素晴らしい」
痛む背を庇いながら逃げるスラーに、ウェアサイスの白刃が迫る。
「貴殿の行く先を断つのは心苦しいですが。何分、仕事なものでして。まあ、世には他にも面白い方はいますし、一人くらいはそういうこともあるでしょう。――それではお達者で、スラー・セジウィーク殿」
ウェアサイスが刀を構えた。それは一瞬にして肉薄し、一刀に敵を仕留める技。東洋かぶれの男は――軽く、呼吸を吐いた。
だがしかし、死の具現が踏み込む瞬間――地獄の音が響きわたった。
それは人にあらず、しかして人の世に顕れるモノ。
祈りと空想を在り方に背負いし、真なる幻想。
闇に包まれたホール階段を、死色の黄炎が散る。
『スラー……セジウィーク!!!!』
低く唸る、地獄から来たりし声は、ウェアサイスへと襲い掛かった。
命を刈り取るための、いびつな形をした剣が、歪み一つない白刀にぶつかった。
首の炎は明々と燃え、見上げるスラーの顔を照らした。
首のない男は振り返らず、告げる。
『人のいのり、聞き届けた』
怪物の一撃を受けたウェアサイスは、油断なく刀を構えながらも、その目は現れたその存在に向けられていた。先ほどまでの刀たらんとする鋭利な雰囲気は失せ、その表情は興奮に満ちていた。
「ようやく、拙者の前に現れましたか――首なし騎士……!」
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