41/ 死の剣は誰の首に 3

 研究室は戸惑う空気に包まれていた。サーシャはにこやかにスラーに手を振っている。その度に黒豹の尾のような髪が揺れる。


「……うっそ」

「つまり……君はセジウィーク家のご息女か?」


 黒いスーツの性悪女はへらへらと笑った。


「あははー、そうなんだよねー。びっくりした? こう見えて、良い所のお嬢さんってワケ!」


 サーシャは誇示するように胸を張った。

 言われてみれば――確かに、言動と性格を覗けば、ピンと張った黒いスーツは高級で、黒い髪にも肌にも、貧民の荒れた肌に似た所はひとつもなく、質のいい食事と生活から齎される美しいハリがある。


「サーシャ、端的に尋ねるが、何故ここに?」

「スラーこそ、何で探偵さんと?」


 黒髪の姉弟は互いに顔を見合わせた。二人を交互に見て、シャノは渋々と銃を下した。


「仕方ない、お互いに情報を共有した方が良さそうだね」


 ◆  ◆  ◆


 廊下にかかった仰々しい油絵が、機械仕掛けの音を立てる。数秒かけて、研究室への扉は絵画によって完全に塞がれた。上質な絨毯が敷かれ、幾何学で構成された抽象画がずらりと並ぶその光景は、ただの金に飽かした屋敷にしか見えない。


 うるさいから彼女を連れだしてくれ、というグリフィンの指示により、シャノ、スラー、サーシャの三人は廊下に場所を移していた。


 ウォルトン新聞社のサーシャ・ガルシア――本名サンドラ・セジウィーク――は廊下を彩る装飾品を見て、ふむふむと値を計っている。


「サンドラ・セジウィーク……サーシャはサンドラの愛称で、苗字は偽名か」

「そうそう、だってセジウィークの姓は目立つでしょ。弟は新進気鋭の若手ーとか言われて有名になってるし」


 サーシャは何度かの対立も記憶にないかのように、悪びれなく笑った。その堂々とした振る舞いはたしかに、スラー・セジウィークと似たところがある。


「し、信じられない……よりによって今回一番いざこざを起こした相手が、依頼人の親族……」


 依頼人のスラーの前であれど、今までのことを思い出すと、シャノはげんなりした顔を隠せない。


「どうやら、サーシャと随分やりあったらしいな」

「彼女とはさっきので三回目かな。科学会合の時を含めたら四回目」

「ちょっと、失礼だなぁ、科学会合の時は挨拶しただけでしょ? それに、そっちがグーニー・ラスケットの死体を漁ってたとき、キングが来るのも教えてあげたじゃん。あれ、助かったでしょ? 死体をひっくり返してる所をあの女に見られたくはないよねえ」

「それ一つで今までのことを清算できるか、この悪質記者」

「悪質なのはお互い様でしょー、弱小探偵さん?」


 シャノはじとりと睨みつけた。サーシャは敵意を煽るように不敵に笑った。


「ううむ、すまないな。姉が迷惑をかけたようで」

「こら、何で探偵さんの肩持つのさあ?」


 弟の態度に不満げなサーシャだったが、追及はせず、話を本題に戻した。


「で、さっきの話。そっちは何で探偵さんと一緒に居るの?」

「サーシャこそ、何故私の友人の家に忍び込んでいるんだね。この家のセキュリティを抜けておいて、たまたまとは言わせないぞ」

「……ん? ここアンタの友達の家?」


 サーシャは僅かに思案した。そして自分の得た今までの情報と統合し、気付いた。


「アンタ、もしかして、富豪連続殺人に巻き込まれてる?」


 核心を突く言葉だった。スラーは頷いた。険しい表情で。


「サーシャには知られたくなかったが……その通りだ。その上、今まさに差し迫った状況にある」

「で、わたしたちはその解決の為に手伝ってるわけ」

「ええー?」


 サーシャは目を丸くし、それから不満げな表情を浮かべた。


「もー、何で姉さんに言わないのそういうこと? 父さんや母さんには心配かけたくないかも知れないけどさー、姉さんになら言えるでしょー?」


 サーシャ・ガルシアは新聞記者だ、それも好んで危険に足を踏み入れるタイプの。多くの犯罪を見ていて、凡そのことには動じぬ精神がある。スラーの置かれた危機的状況を明かすのには適した相手であったろう。


 だが、スラーの表情は変わらず固い。渋い、と言っても良い。眉を寄せたまま、スラーは告げた。


「……サーシャ。胸に手を当てて考えてくれ」

「んー?」

「三年前。ステイシーの件」

「……ああ!」


 怪訝だったサーシャの表情が変わった。


「二年前。大型自駆機の設計書」

「うん、はいはい」

「一週間前。科学技術会合の同伴者参加証」


 三度みたび後、サーシャはスラーの言うことにすっかり合点がいっていた。


「……そーだった、私、アンタから聞いた話を記事にしちゃったんだった! 勝手に! それにあの参加証、アンタの部屋から盗んだんだったね、あはは、ごめんごめん」


 悪びれなく笑うサーシャに、スラーは深く重い溜息を吐いた。


「この通り、仕事以外はどうしようもないんだ。探偵殿には随分と迷惑をかけたと思う。姉に代わって謝罪しよう」

「ちょっと、婚約者のお陰でマトモにやっていけてる奴に言われたくないなあ! 研究で何度やらかしたことか……根本的にアンタと私は同類だからね?」

「だが、私にはアンリエッタがいる。そこが絶対的な違いだ」

「もー、生意気になったなあ」


 サーシャは不満げに口を尖らせたが、スラーは取り合わない。仲のいい姉弟だな、とシャノは思った。


「ま、でも大体分かって来た。あのフライブレスってのを作ったの、スラーでしょ」

「私一人、ではないがね」

「燃殻通りで少し見たけどさ。アレってつまり、どういうモノ? 命を狙われるくらいのモノなんでしょ」

「サーシャには詳しくは教えられないが……貴重な技術だ。あれが誰かに占有されることはあってはならない」

「でも、そうしようとしてるヤツがいるワケだ」

「理解が早くて助かる」


 有能記者を自称するだけあって、サーシャはこの手のことに聡かった。壁にもたれかかりながら、サーシャはスラーに尋ねる。


「それで。アンタたち今、どれくらいマズいの?」

「元いた仲間は六人。今は二人だ」


 なるほど、と呟き、サーシャはにこりと笑った。


「オッケー、じゃあ、姉さんはアンタの方につくことにしまーす」


 屈託のない笑みで、サーシャはそう宣言した。


「ん? どういう意味だね?」

「教えるけど――ウチの社長もここに来てるよ。アンタたちの悪事を暴くために」


 ◆  ◆  ◆


 ウォルトン新聞社は――善き社である。

 市民の心に寄り添い、知を与え、見識を広げ。


 ――何故ならば、善こそ、力を振るうに最適な振る舞いなのだから。


 正当性は力であり、共感は盾。

 善きことこそ、力そのもの――それがアンドレアス・バードの信条だ。

 悪を力と振るう者もいる。だがウォルトン新聞社は――善こそを振るう。


 何故ならば――。


 罪をあげつらうのは気分が良い。

 人を陥れるのは気分が良い。 


 その行為が善であればこそ、此れなる所業は糾弾を逃れ、彼の所業は断罪される。――我らは勝者であり続けるのだから。

 


 上層の高級住宅エリアに立つ、一際豪華な屋敷。背の高い柵の隙間から見える広大な庭園と邸宅は、見る者にその価値を示す。

 アンドレアス・バードにとっては――舌なめずりするほど大きな獲物として。


「アンドレアス。最後に確認するけど、上手く書く自信はあるんだろうね?」

「ええ、勿論」


 ギャレット・デファーの問いに、アンドレアスは自信に満ちた笑みを返した。地位と力を思うままに振るう者特有の笑み――そこに、秘めた残酷さを感じとる者もいるだろう。


「今から暴こうとしている相手は、既に四人の死者を出している被害者でもある。彼らは確かに新しく、危険な技術を無差別に犯罪街に流通させている。だがその死を当然の報いだとでも書けば、良識的な読者の反感は免れないよ。ウチは安新聞タブロイドじゃないんだからね」

「わかっていますよ、ギャレット。今日は随分と心配しますね」


 アンドレアスの指摘に、ギャレットは目を伏せた。確かに、今日はらしくない。ギャレット・デファーは常に余裕を重んじる。それが、今は緊張感に急かされているようだった。それは今回の複雑な状況のためか。それとも、ウォルトンきっての手練れである彼を圧倒した、探偵一行のことが脳裏にあるからかも知れない。


「今回は僕は支援しか出来ない――トラックボックスの修理が間に合わなかったからね。しくじらないでくれよ? 死体漁りの犬ブラックドッグの時みたいに」

「その話は今は止しましょう。仕事の前に、はらわたを煮え繰り返したくないので」

「わかったわかった。サーシャを連れて来れたら良かったんだけどね」

「残念ですが、彼女の親族をさらし者にするのです。彼女の協力は得られないでしょう」

「彼女、ウォルトンを辞めるんじゃないか?」

「ええ、困ったことです。彼女の穴を埋める人材を探すのは苦労するでしょう」


 そう言うアンドレアスの口調は冷静だ。サーシャ・ガルシアの件を軽く見ているわけではない。大がかりな調査の時、彼はいつも泰然と己を保つ。それだけだ。


 ギャレットに言い含めるように、アンドレアスは言う。


「これは足掛かりですよ。勿論、大富豪イルフェン・ティービーや科学の新星スラー・セジウィークを暴き立て、貶めることはとても楽しみですが――彼らを暴くことは一つの踏み台です」


 アンドレアスにとって、イルフェンやスラーらの罪を紙面に書き綴り、愚かな市民に是非を問うことは――この上ない、娯楽だ。上層にてまさに今、もてはやされる有名人を貶める機会など、そうそうあるまい。


 だが、獲物メインディッシュは――もう一つ。


「我々の本命は――彼らを殺害した者たち。上層の有力者たちを相手取り、痕跡も残さず、助けも呼ばせず、彼らを次々と殺害する謎の存在――ええ、失墜させがいがありますよ」


 ウォルトン新聞社きっての敏腕。闇社会にて冷酷無慈悲と恐れられるアンドレアス・バードは革靴を一歩踏み出した。


「スラー・セジウィークらの記事を生贄に、彼らを引きずりだしましょう」

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