32/ ウォルトン新聞社の乱入 4
「行け!」
「言われなくとも!」
グリフィンの声より早く、ジャックは踏み出した。不思議な光景だった。ジャックの動きに合わせるように、薄黄色の光で出来た足場が次々と現れる。フィアで形作られた階段を駆け上がり、バードボックスへと肉薄する。
「おっかないのが来たなぁ!」
「ハ、首を差し出せば優しく死なせてやるぜ!」
「そういうわけにもいかないんだなぁ、私も
<――全自動制御モードに移行>
それは最後の手段だ。サーシャは制御装置からの指示を全て切る。
<人間保管庫>バードボックスは、サーシャに応えるように
この赤毛の男は異常だ。数度打ち合うだけで、とてつもない危険が目の前にいるのだと解る。会ってはならない、向き合ってはならないものがそこに居る。鳴り響く死の音に、どっと汗が噴き出すのを感じながら、サーシャは恐れを隠して赤毛の男を挑発した。
「お兄さん、強いみたいだねえ、でもどうかな。敵は私とバードボックスだけじゃないと思うんだよねえ?」
術杖を握るグリフィンの指が汗ばむ。まずい、と仮面の奥が焦る。先ほどまで輝いていたフィアの光は陰りを見せ始めている。
「ジャック!
「相変わらず、無責任な無茶ばっかり言いやがるぜ」
ジャックは煩わしげに呟くと、
ジャックはフィアの足場を曲芸のごとく軽やかに蹴ると、サーシャ・ガルシアへと己の武器を刺し貫く。攻撃を自動制御に入ったバードボックスが逸らす。
「あっぶな……! 自動制御に移行してなきゃ大怪我だよ……!」
並みの人間ではとてもその動きをとらえ切れまい。だが――バードボックスの
「ハ、人間よりは楽しませてくれるな!!」
バードボックスの脚が三本、同時にジャックに迫る。ジャックの目と耳はそれを捉えている。一本を弾き、そのまま流れるように二本目と三本目の脚部をまとめて
ジャックと<人間保管庫>バードボックスの戦闘を見やり、グリフィンは考える。ジャックは強い。あの赤毛の殺人鬼を好ましく思わないグリフィンでも、それは認めざるを得ないところだ。このまま戦いが続けば必ずや勝つだろう。だが、大がかりな術を二つも行使し、粗製フィアの残量は僅か。自動追尾展開する
「やっちゃえ、バードボックス!」
一撃、二撃、三撃!
「さあ、面白かったが、自慢の脚もあと四本。そろそろ仕舞いだな」
ジャックがにやりと残忍な笑みを浮かべた時――がくりとその身が揺らいだ。彼の足元を支えていた
「チッ、時間切れか……!」
「畳みかけろ、バードボックス!」
「てめえ、舐めるなよ!」
バードボックスの全力の攻撃を――ジャックは耐えきった。ギャルル、ギャルルル――!
だが、幾つもの
――それでは、駄目だ。それではまた失ってしまう。
「――私が行く」
「グリフィン!?」
シャノが気付いた時、グリフィンは既にサンルーフから身を乗り出していた。
「グリフィン、何か作戦は――うわっ!」
「気が早えっての!」
バードボックスの
ジャックは
グリフィンの
「おやあ、二対一は勘弁! そのおかしな足場がないなら、こっちの勝ちだ!」
バードボックスはジャックとの鍔迫り合いを止め、数の減った脚部で跳び上がった。
「逃がすかよッ!!」
ジャックは一瞬で体勢を立て直す。
「おら行けッ! 陰気野郎!」
翻る長衣が屋根まで辿り着く。屈んだジャックの背を、グリフィンが蹴った。仮面の男の体が上がる。高く。
「
「エイデン……!」
「仮面のお兄さん、ガッツあるねえ」
サーシャは讃えるように口笛を吹いた。黒豹のような姿が風を切り、グリフィンに回し蹴りをいれた。グリフィンの体が崩れ落ちる。
「ぐっ……!」
「あれがフライブレスの本当の力ってやつ? いや、
「エイデンを……返せ……!」
「あらら、必死だ。そんなに
「必要なのは
サーシャは容赦なくグリフィンの頭を蹴った。バードボックスにしがみつくグリフィンの手が緩む。
「悪いね、私も心が痛むんだけど。でも心配ないよ。彼には私たちの友達になって貰うからさ?」
体を屈めたグリフィンをサーシャが見下ろした時だった。サーシャの体ががくりと下に引っ張られた。
「うわっ! 何……!?」
膝をついたサーシャが焦りを見せる。その高級スーツのズボンの裾を、握る者がある。機械作業でごつごつとふしくれだったその手は。
「エイデン・マッカイ……! 気が付いたのか……!」
彼らが立つ場所の下、バードボックスにぶら下がった籠から、エイデンはサーシャの足を掴んでいた。
「エイデン……!」
「グリフィン……!」
声がする。エイデンの声だ。その声に奮い立ち、グリフィンは仮面の奥からサーシャを睨む。
「ちぇッ、だから二対一とか、嫌なんだって……!」
『――ガルシアさん!』
サーシャの耳に、通信が聞こえた。それはバードボックスの位置に並行した、隣の建物から発された。予定された離脱コース上に待機していた支援部隊だ。長いスナイパーライフルが人工太陽光の下で艶めく。支援部隊の男が引き金を引いた。弾丸は正確にエイデンの手の甲を貫いた。
「ぐあっ……!」
赤い血がサーシャのズボンに飛び散った。エイデンの手から力が抜けた。サーシャは素早く指示機からバードボックスに特別命令を出した。
「悪いねぇ、お兄さんたち! こっちも一人じゃなかったんだった! バードボックス、
バードボックスが気炎を吐いた。がっちりと重厚な固定器具が動き、中央部の籠を手放した。エイデン・マッカイが入った檻籠が――落下する。その下にはそれを受け止めるべく待機するウォルトン支援部隊の特殊車両がある。
「エイデ――」
グリフィンをもそれを追って飛び降りようとした。――だが。サーシャ・ガルシアがそれをさせない。黒豹のようにしなやかに記者はするりとグリフィンに近づき、その仮面に触れた。サーシャの声がささやいた。
「お兄さんてさ、凄い人だよね。でもさあ、何で……仮面なんか被ってるのかな?」
「…………ッ!!!!!」
グリフィンは全力で仮面に触れる手を振り払った。それがまずかった。体勢を崩し、不安定な場所から、足を滑らせる。
気付いた時には遅く、グリフィンは為す術なくバードボックスから落下した。
「グリフィン……ッ!!!」
声が遠くから聞こえた。同時に、けたたましく地面を擦り焼くタイヤの音も。地面に叩きつけられるかと思われたグリフィンの体が、ずどんと何者かに受け止められる。
吹き付けていた風がやむ。車は大きくカーブを描き、建物の傍で停車した。
「自分で行ったくせにトチりやがって、情けねえ奴」
「はー……、な、何とか間に合った……」
じとりと呆れた顔を浮かべる赤毛の男の顔がすぐそばにあった。二人が立つ車の屋根の下の運転席にはぐったりとハンドルに体を伏せる姿。疲れ果てたように急速に
「……すまない、シャノン。ジャック」
<人間保管庫>バードボックスの姿も、サーシャ・ガルシアの姿も、エイデン・マッカイの姿も見えなくなっていた。
◆ ◆ ◆
頑丈な籠檻を乗せた大型車両が路地裏に停まっている。人目にはつかぬ裏通りだが、たとえ誰かが通りがかったとしてもそれを視咎めることはないだろう。ここは燃殻通り。地上の法から隔離された、罪人の安住の地なのだから。
殺人、薬物、人身売買。誰も彼もがそんなものを気にはしない。弱いものは食われる。それが彼らにとって心地良いルールだ。たとえいつか、自分が食われる側になるとしても。
「<人間保管庫>、回収完了しました」
黒いスーツの若い男が通信機を片手に話している。ウォルトン新聞社の支援部隊に属する男はちらりと檻籠の中に目をやった。そこには技術者然とした大柄な体躯の男が囚われている。人ではなく、情報として。
ウォルトンの精鋭であるサーシャ・ガルシアとギャレット・デファーが手に入れた情報源。あとはこれを本社へと届けるだけだった。
「ええ、はい。では第十一隊でそのルートで向かいます……え?」
男は目を見張った。一瞬、裏通りに人影が現れた気がした。
……それが何であるか知る間もなく、男は死んだ。
◆ ◆ ◆
体感的にはトロトロと、実際には法定速度で、三人を乗せた
「馬鹿だろ、お前さあ。あれだけ張り切って飛び出しておいてよ」
「うむ……」
「俺が行った方が良かったじゃねーか。本当、
「……うむ」
「ジャック、その位にしてあげなよ」
シャノがジャックを宥める。車が曲がり角に差し掛かる。するりと長い袖の男が車の屋根に飛び下りた。
「探偵殿、首尾はいかがでしたか」
一人、涼し気な顔で刀を揺らすのは目立つ東洋風の衣服をまとった男だ。ムソウは車内の空気を感じると、肩を竦めた。
「その様子では上手くいかなかった様子。ああ、こちらはご安心を、皆ミネウチです。まあ骨はいくばくかやりましたが。これからどうされるつもりで?」
「どうするかな……ウォルトン本社にでもかちこむ?」
「俺は賛成だな。社員全員殴って良いんだろ?」
「……通報されるだけだろう。連れ去られたエイデンが本社にいるとも限らん」
グリフィンが重い溜息を吐いた時――車が急ブレーキをかけた。車はつんのめり、グリフィンとジャックは座席からつんのめった。
「おいシャノ、暴走運転はいいが、一言かけろよ」
ジャックが苦言を呈した。だがシャノは驚いた様子で正面を見ている。
「あれは……」
「あん?」
つられて、ジャックもその視線を追った。車の進行方向、狭い道路をふさいでいるものがある。それは、人間サイズの大きな檻籠だ。まさしく、バードボックスに装備されていたそれそものが、何の前触れもなくそこにあった。
四人は急いで檻籠へと駆け寄った。
「え……エイデン?」
恐る恐る、グリフィンが声をかける。檻籠の中には意識を失ったエイデン・マッカイの姿があった。胸は上下に動き、呼吸をしている。大きな怪我もない。ただ眠っているだけのようだった。
困惑した表情で、彼らは辺りを見渡した。周囲には誰も居なかった。ウォルトン社も、ごろつきたちも。鉄色の籠にはおびただしい返り血の痕だけがあった。
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