26/ 地下を照らす光 1

 所々に黴が張り付いた廊下に、空気が動く音がする。それは天井の通気口エアダクトを風が行き来しているためだ。だが、通気口エアダクトを使うのは風だけではない。これらは建物に住み着く鼠の通り道でもある。そして、お呼びではない厄介者たちにとっても。


「侵入そのものは楽なものでしたが、構造が複雑なのは困ったものですね。古い建築物の難点ですか」


 ぼやきながら、ムソウは刀の鞘がダクトの壁に当たらぬよう手を添える。


「そもそもが、地下遺構という価値のあるものをこのようにただの巣窟にしてしまうなどと、勿体ない。いっそきちんと整備して観光地にでもすれば、法に追われることもなく安定した収入源になったでしょうに。いやはや、悪人というのはどんな物事をも台無しにしてしまう」

「……お、次が来たな」


 耳を澄ませていたジャックが動いた。通気蓋をずらすと廊下を歩いていた男を一瞬で締め上げ、男の体は木偶人形のように通気口に引きずり上げられた。ジャックは新たな獲物を前の二人の上に積み上げた。服をめくると、やはり同じ。男の体には馬を模した入墨がある。


「間違いない。こいつら、闇組織の連中だな」

「馬の意匠……赤い荷馬車カッロロッソと言えば、死体漁りの犬ブラックドッグと並んで勢力の広い組織ですね。この辺りは彼らの縄張りなのでしょう。通りでコネリー殿の悪評をそこかしこで聞くわけです……おや? 探偵殿にとってはマズい状況なのでは?」

「そりゃ、マズいだろうな」


 彼らの支配地域で死体漁りの犬ブラックドッグの息のかかった人間が取引商品を嗅ぎまわっていたと知れれば、タダでは済むまい。そして、シャノが死体漁りの犬ブラックドッグと関りがあることは既にバレていた。


「読めてきたぜ。あの犬野郎、自分でここに来ると厄介だからシャノに足を運ばせたな」


 ――相変わらずいい様に使われてやがる。本人はコネリーを見返してやると言っていたが、今のところは無理だろう。


「では本来ならば、彼自身がここを訪れるつもりだったということでしょうか」


 ジャックが上着のポケットをひっくり返す。鼻紙や食べ終わった飴の棒などのゴミ屑に混ざって、一枚の薄い樹脂製プラスチックカードが落ちた。ジャックはそれを摘まみ上げた。印刷面から見るに、何かの電気矩形鍵カードキーだった。


「おや、何でしょうその鍵は」

「この古臭い建物に電気矩形鍵カードキーか? ヘッ、いかにも怪しいな」


 くるくると手遊びするように電気矩形鍵カードキーの裏表を返していると、ジャックはふとその印刷面に覚えがあることに気付いた。ぴたりと電気矩形鍵カードキーが動きを止める。


「……待てよ。首切死体が持ってた電気矩形鍵カードキーと同じじゃねえか」


 科学技術会合の晩、殺されたグーニー・ラスケットの死体からシャノが見つけた電気矩形鍵カードキー。それと同じ見た目をしているのだ。


「それはそれは! ラスケット氏がこれと同じものを? 興味深いですね」

「そういえばシャノの奴、妙なことを言ってたな。死体の持ち物にフィアが付着してたとか何とか」

「フィア。赤い荷馬車カッロロッソが取引している新エネルギーのことですね。拙者も希少品蒐集の折に耳にしたことがあります」

「ははん、きな臭くなってきやがった。面白いじゃねえか」

「しかし我ら、案内図の一つも持たぬ身。その電子矩形鍵カードキーが適合する部屋を見つけるのは手間がかかるかと」


 ムソウの刀の鞘が揺れ、金属音を立てた。ジャックは笑った。


「ハ、もう隠れるのにも飽きた頃だ。――正面突破といこうぜ」


 ジャックは通気口から飛び降り、手近な部屋の扉を蹴り開けた。中からどよめく声と、驚いた男たちの顔が見える。


「な、なんだおま――」「う、撃てッ、撃てッ」


 銃器を手にしようとする彼らより、大柄な赤毛の影は早かった。くぐもった悲鳴と共に、瞬く間に数人が床を転がった。鞘を揺らし、ムソウが部屋の中を覗き込む。


「やれやれ、ジャック殿は強引ですね」

「ハ、嫌いじゃねえだろ?」

「まあ、ええ」


 倒れた男の一人が呻き声を上げ、銃に手を伸ばした。その手をムソウの刀が切り捨てる。鮮やかな動きで刀が鞘に収まった。まるで何事もなかったかのように。納刀のかすかな金属音が心地よく響いた。


「拙者は武人ですからね」



 ◆  ◆  ◆


「ヘンリー・トラヴァース……」


 ――『偉大なるヘンリー・トラヴァースの遺産を継ぎ、新たな光を世に広めよう』


 文書にはそう書かれていた。殺人事件の被害者たちとは別に書かれた、見知らぬ名。……否、この名は最近、どこかで――。


『かのヘンリー・トラヴァースが数々の功績を打ち立てて以降、科学研究は飛躍的に発展してきた――色彩映像機カラーテレビの普及も、上層周回線サークルラインの整備も、彼なしでは未だ為し得ていない』


「そうだ、科学技術会合のスピーチで聞いた……」


 シャノは思い出す。ヘーレー・アレクシス・キングの話に出てきた人物だ。


 グリフィン曰く、テムシティが上層において科学技術を大きく飛躍させた人物で、事故により、既に故人だと。


 ――ビーッ、ビーッ。

 何かが振動する音に、周囲へと意識を戻す。それは気絶させた男の懐から響いていた。シャノは男のポケットから携帯電話セルフォンを取り出した。画面には『メール着信』の文字。開くと、中は意味不明な文字列が並んでいた。簡易暗号文だ。


「えーっとこのタイプは……」


 机からメモとペンを拝借し暗号を読み解くと、正しい文章が現れた。

 

 <新聞社に探られている>


 その時、にわかに扉の外が騒がしくなった。勢いよく研究室の扉が開いた。


「いたぞ! もう一人だ!」

「げっ、しまった、のんびりしすぎたな……!」


 現れたのは構成員らしき二人の男だった。銃を向ける男たちの間をすり抜け、シャノは隣の部屋へと逃走した。後ろから男たちの怒声が聞こえた。牢から一人消え、その行方を知る者とも連絡が取れないので怪しんでやって来たといったところだろう。

 

 すりぬけて逃げるシャノ。牢から一人消え、行方を知る者とも連絡が取れず、怪しんでやって来たといったところだろう。グリフィンは今どこにいる? まだ牢か? それとも別の場所に連れていかれたか。研究室から奪った室内地図を見る。


「連れていかれたとしたら幹部室か……それともこっちの……」


 シャノが呟いた時、地下室の上から歓声が聞こえた。


「外か……!」


 異常な熱気を孕んだ歓声は収束することなく続いている。何かが始まろうとしている。

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