異界より来たりし鋼鉄の魔王 1

 ……爆炎と噴煙が、工場内に立ち込める。

 そこはテムシティ下層。市にも登録のない秘匿された化学工場だ。侵入者を阻む頑健な扉はひしゃげ、効果な機械は歪み、煙を上げている。床には当直の警備員たちが血を流し倒れていた。


 ――燃える工場の中に立つのは、巨大な鎧だった。

 鋼鉄の鎧。全身を覆ったその鋼鉄の中身を見ることは出来ない。炎の揺らめきを照り返すその姿は、今や騎士物語や博物館でしか目にすることはない。鎧の男などという旧時代的な存在が、科学の栄える大都市に在るはずがない。それが光の当たる世界ならば。


「ダーメだ、。カスしかねえ」


 禿頭の左側に、大きく花の入れ墨をした太った男が鎧の方を振り返った。その目前の木箱には、樹脂ビニール袋に包まれた大量の薄黄色の粉がある。その後から仲間が一人、木箱を覗き込む。


「えーなになに、折角仕事したのに、ハズレなの?」

「あるにはある。だがこれじゃ金にならねえ」

「ひえ、ひえ、ひえ……。無駄足……。あーつまんないの……」


 一人は東洋人の男。短い黒い髪に袖の広い服を着ている。口調には独特の訛りがあり、女のような話し方をしている。もう一人、伸び放題の長い髪を垂らす青白く痩せ細った女は、興味が失せたように、懐から小瓶を取り出した。手の平に白い粉を零すと、長い舌で愛おしそうにそれを舐める。小さな粒状の粉の味がやせ細った女の舌に染みる。塩だ。こうして薬物代わりに塩を舐めるのがこの女の奇癖だった。


 彼らはテムシティ下層に住まうごろつきだ。様々な事情により、薄汚れた世界に身を落とし生きる者たち。損壊。窃盗。殺人。彼らの生きる世界にとってはどれも当然のことだ。


 禿頭に入れ墨をした男、<花>のロロ。

 怪しげな東洋人、オウリン・タダノ。

 不健康にやせ細った女、オータム・マルティネス。


 だが。ただ一人、鎧の男の正体は謎めいている。科学都市に有り得ざる鋼鉄の中身が何者であるか、このテムシティに知る者はいない。ここに集う彼の仲間たちですらも。

 けれど、何も知らずとも問題はない。テムシティ下層において最も重要なのは他者を虐げ、生き延びるための力なのだから。


 ロロが売り物にならないと判断した薄黄色の粉の前で、ふと、何かに気づいたように鋼鉄の鎧が窓を向いた。花の入れ墨の男、ロロもそれに気付く。


「どうしたドゥ。警備の見回りか?」

「……匂う」

「匂うって。そりゃ匂うだろ。ココにブツがあんだから」

「否。此より遠く。別所からの漂うだ」


 遠くを見つめる鎧の男に、ロロは薄い眉をひそめた。


「本当かよ。そんな都合よく転がってるワケねえだろ? 嗅覚ズレてんじゃねえのか」

「ドゥの知覚に間違いはない」


 不健康に痩せた女が独特の笑い声を上げた。


「ひぇ、ひぇ、ひぇ……。確かに。ボスが間違ってたことはないよねえ」

「カスを掴まされることはあるけどね!」


 東洋人は無遠慮に言った。鎧の男は仲間たちの言葉も何処か遠いような素振りで、呟いた。


「粗悪品に用はない。ドゥは往く。次なる地へ」


 ◆ ◆ ◆


「――ソファを買い換えるべきだ」


 静かに、低く。銅色の仮面が唸った。


「はあ」


 フードと手袋を身に纏い、素肌というものを一切見せない男の圧し出した声に、隣に座る灰色の目の若者――シャノが気の抜けた返事をした。その横で、三人の中で最も大柄な赤毛の男、ジャックが頷いた。その視線が下を向く。使い古され、傷んだ布地ファブリックが目についた。


「確かに、小さいよな。このボロソファ」


 ――ソファ。問題はソファだった。

 黒杖通り22番地7号室は質素な住まいである。アパルトメントを含む周辺地区が賑わっていたのは十数年前のことで、現在のこの部屋はろくに手入れもされていない古い壁と、僅かばかりの中古家具があるだけだ。このリビング兼事務所に存在するのも、資料を収める本棚やサイドボード、テーブル――そして、小さなソファ程度だった。


 ぎゅうと、


 狭い。幅百二十センチほどのソファに、のだ。

 本来であれば二人が適切であろうサイズのそこで、何故そうなっているかといえば、この部屋に他に休む場がないから、という理由に尽きた。


「無理があるだろ、これ。グリフィンお前退けよ」


 ジャックの言葉に、グリフィンは表情の見えぬ仮面の奥からじろりと睨んだ。


「何故その必要がある? 貴様が退くが良い」

「お前は自分の部屋があるだろうが。こっちに居着くな。部屋で一人寂しくしてろよ」

「そもそも貴様が無駄に育っているのが悪い。貴様がこのソファの座席面積を大幅にせしめているいるのだ。少しはシャノンを見習え」

「ちょっと、わたしが小さいんじゃなくて、グリフィンたちが伸びすぎなんだからね?」


 二人の言い合いに、シャノが間から不服を表明した。確かにシャノは他の二人に比べれば小柄である。高さも男としては低く、女としては高い半端な位置だ。だが二人の言い合いのダシにされるのは勘弁して貰いたかった。


「まあそれは置いておいて……確かにこのソファ、引っ越した時にタダで貰ったものだしね。ガタが来ているのは確かだよ。ほら、この足とかぐらついてるし」


 正確には、大型ゴミとして回収されそうになっていたものをシャノがゴミ捨て場から持ち出した。最初からほぼ壊れかけの品だ。それが突然、三人分の生活負荷を与えられるようになったのだから、ガタが来て当然だ。グリフィンは声を強めて言った。


「このソファも引退時だ。新しいものを購入するべきだ。特に、一回り大きなものを」

「大きいやつかあ……」

「そして今より品質の良いものを」

「……良いやつかあ……」


 大きい。それ即ち、価格が高いということ。

 品質が良い。それ即ち、さらに価格が上がるということ。

 シャノは眉間に皺を寄せ、渋い顔をした。


「むり。無理だよ。高いものは無理」


 珍しくきっぱりと、シャノは言い切った。


「しかし、極度な安物は生活の質を……」

「無理。ノーセンキュー。ノーマネー」


 グリフィンは尚も食い下がろうとしたが、シャノは頑ななまま、意見を寄せ付けようとはしなかった。無理なものは無理であり、無い袖は振れない。


「サイズは必要にしろ、質にまで費用は出せないよ。ほら、良いソファってこの位するんだよ?」


 シャノはテーブルに載せた演算機コンピューター文字板タイプボードを叩くと、ソファのカタログを検索した。僅かな時間差タイムラグの後、解像度の低いソファの画像が画面上に並んだ。ずらりと映る商品写真。そして価格。


「……。ぬう……」


 画面を凝視し、グリフィンは唸った。改めて金額を明示されると、ソファというものは高額だ。今、検索したものは一般的な価格帯の範囲内だが、それでもモノによってはシャノのひと月の収入を超える。


「全額負担してくれるなら、グリフィンが好きに選んで良いけど?」

「む。む……全額は……難しいな」

「じゃ、駄目だ。安いソファにしよう」


 貯蓄はそれなりにあるグリフィンだが、現在は自作した機械や薬品を細々と売っているだけだ。不安定な収入で高額商品を全て負担するのは躊躇いがあった。グリフィンは反論できなかった。明光を求め、銅色の仮面はジャックの方を見た。


「貴様に加勢を求めるのは屈辱だが……ジャック、貴様はどう思う。高級品とは言わなくとも、一定の質は必要だろう?」


 非常に不本意ながらもグリフィンはジャックに期待を寄せる。シャノは眉根を寄せ、ジャックの返答を待った。


「ははーん、閃いたぜ」


 二人の視線を向けられた男は、にやりと目を細めた。


「お前は贅沢がしたい。お前は安物買いがしたい。そうだろ?」


 人聞きの悪い物言いだった。居心地の悪さを感じながらも、二人は黙ってジャックの話を聞いた。赤毛の元殺人鬼は楽しげに口の端を上げた。


「じゃ、話は簡単だ。両方やりゃあ良いんだよ」

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