甘くとろけるアイスクリーム戦争 2

 霧と雲に覆われていることが多いテムシティの空は、こういった日に限って快晴だ。直射日光が齎す暑さが、街の人々をジリジリと焦がす。


「何だ何だ? 喧嘩か?」

「このクソ暑いのに?」


 通りの人だかりの中央に、二人の男が立っている。

 一人は、街を恐怖に陥れた殺人鬼『切り裂きジャック』。

 もう一人はテムシティの闇を牛耳る違法組織の幹部、『猛牛』。

 街の闇に潜み、人を食い物にする怪物たちが向かい合っていることを、野次馬の誰もが知ることはない。アイスクリーム店員は冷房のきいた車両の中で、興味なさげにウトウトしていた。


 ジャックは周囲を囲む野次馬たちを見て、その中の若い女ににこやかに近づいた。


「なあ、アンタ」

「え?」

「縛るモン持ってねえかな。髪、邪魔だから括りたくてさ」


 ジャックが髪を上げると、項がちらりと見える。赤毛の男は艶かしく微笑んだ。突然、悪くない顔立ちの男に微笑みかけられ、若い女はしどろもどろになる。顔を真赤にしながらバッグの中をかき回し、それから自分の髪を縛るリボンを解いた。


「あっ、はいっ、あります! ど、どうぞ!」

「どーも! これで戦えるな」


 若い女から受け取ったリボンで、ジャックは手早く長髪をポニーテールヘアに纏める。長い髪がくるりと綺麗に舞った。


「が、頑張って下さい!」

「オーッ! 赤毛の兄ちゃんやっちまえーッ!」

「応援どーもー!」


 ギャラリーが一斉に沸いた。声援が飛び交う中、ジャックは悠々とバイロンの前へと戻る。


「フン、騒ぎたがりめ」

「いーだろ? 応援があったほうが気持ちが良い――だろ!」


 先に仕掛けたのはジャックだった。ノーモーションで突進し、構えを取っていないバイロンへと殴りかかる!


「チッ……」


 腕で直撃を防いだバイロンに、ジャックはすかさず連撃を入れる!

 ――ガッ! ガッ! ガンッ!!

 防ぐ端から次々と、素早く重い打撃がバイロンに襲いかかる! 辛うじて防ぐことは出来る。だがジャックの超人的身体能力から繰り出される軌道の読めない攻撃は、バイロンに反撃の隙を与えない!


(報告から解ってはいたが、実際に相手取ると……強い……!)


 息をつく間もなく次の攻撃が襲い来る。

 ――これが殺人鬼。ただの人の身にて、人ならざる怪異を切り刻む、超常的な人間の強さ。伊達に最強を自称するわけではない。

 だが。ことこの場に置いては、バイロンに利がある。


 ジャックが得意とするのは優れた身体能力による曲芸じみた攻撃軌道だ。それは建物の壁や置かれた荷物、その場にあるもの全てを駆使する、上下左右全ての空間をを支配する動きだ。

 だが、ここは通りの中央。登る壁も、踏み台にするものもない。あるのは平らな石畳のみ。視野外からの立体攻撃は手段が限られる。


 つまり。純粋な力がモノを言うこの場ならば――バイロンにも勝機はある!


 小さな呼吸。ジャックの体がぐるりと回転する。低姿勢からの首元を絡め取る足技! バイロンはそれを避けない。低い位置にあるジャックの体目掛けて、拳を振り下ろす!!


「アアアアアアッ!」


 攻撃を仕掛けようとしたジャックがその軌道を変え、バイロンの拳を回避する。予定にない動きをとり、ジャックの姿勢に――隙が生まれる!!


 今だ! バイロンは大きく体をねじり、左腕に力を込める!

 ――この一撃。一度の隙に全てを掛ける!!

 強靭な筋肉により、破壊の拳が動く。ジャックが体勢を直すには間に合わない。それより速く、バイロンの拳が届く――!


(取った……!!)


 バイロンが確信したその時――、ジャックの足が跳ね上がった。腕と腰をバネのように使い、バイロンの両脇の下、体を挟み込むように!


「ば……っ!?」


 バイロンの拳が届くほうが速いはずだった。予想では。だがジャックの驚異的な身体能力はそれをさせない。殺人鬼はニタリと嘲笑った。


「――取ってねェよ」

「きさまあああああああっ!」


バイロンの体が持ち上がる。その侭、浮き上がった体がぐるりと天地と逆さになる。抵抗する時間など無かった。叫ぶ以外、出来ることはなかった。星が落ちるような速度で、バイロンの体が頭部から、地面へと叩きつけられた!!


 ――ゴガッ!!!

 バイロンの顔が地面へとめり込んだ。バタリと体が力なく倒れる。


「ガ……ッ!、ガハ……ッ」


 どうにか立ち上がろうとするバイロンの顔から、鼻血が滴った。頭を強く打ったせいで、意識は朦朧としていた。


「ぐ、く――……」


 ここ数日の繁忙ぶりが脳を過る。

 一昨日から仕事であっちへ行ったり、自宅には帰らず仮眠のみだ。ここに立ち寄ったのも、本来は次の仕事先への移動の最中だった。だから僅かな休息のために、アイスクリームを求めたのだ。冷たく、甘い氷菓子。


 多忙さに不満はない。今の仕事も、ウル・コネリーの元で働くことにも満足している。

 だが、休憩にアイスクリーム食べる程度のことは必要だ。絶対に、必要だ。


 バイロンの手が灼熱の地面を掴んだ。――負けて、たまるか! 意思を振り絞り、バイロンは体を起こす。得意とする拳ではない。体を半回転捻り、ジャックへの距離が最も短い、足を振り上げる!!


「まだだあああアアアアッ!!!!」

「なっ、今更足技……ッ!?」


 もう動けないだろうという慢心と、自分より弱い相手への侮り。それがジャックの反応を鈍らせた。


 ――鈍い音。バイロンの攻撃がジャックの顎を蹴り抜いた。

 ふらつき、倒れ――赤毛の殺人鬼は沈黙した。


「勝者! 金髪の方―――ッ!!」


 バイロンも体力の限界だった。膝をつきながらも歓声に応えるように、腕を上げた。ワアワアと騒ぐ野次馬が、バイロンの周りに集まった。


「ニーチャン、あんたつええな!」

「いやーどっちも凄かった、良い試合見せて貰ったよ!」

「ああ……」


 ふらつきながらもバイロンはなんとか立ち上がる。勝った。勝利したのだ。

 懐の財布を探る。何のために戦ったのか、忘れては居ない。アイスクリームだ。

 ただ一時、仕事の疲れを取るために、望んだ甘くとろけるアイスクリーム。


「あっママー! アイスクリーム屋さんあったよ! あそこ!」


 バイロンが財布を握った、その時。幼い声がした。小さく軽い足音はウキウキと石畳を踏む。


「良かったねえママ、今日すごく暑いもんね、あたしと半分こしようね!」


 子供である。小さな女の子がアイスクリーム屋のピンク色の看板を見つけ、楽しそうに母親に話しかけている。


「…………」


 気まずい。あの少女の目の前で最後のアイスクリームを買う。まだ周囲に観客も残っている。衆人環視の中で社会的に誹りを受けそうな行為に及ぶのか。


 社会規範に臆するバイロンの後ろで、チャリンという無情な音がした。


「オイ、買わねーなら俺が食うからな」

「ん、ふあ、ああ、赤毛のおにーさんが勝ったの? おめでとー」


 寝ぼけ眼の店員から受け取った最後のアイスクリームをコーンに乗せ、いつのまにか起き上がっていたジャックがぱくりと咀嚼した。


「な……っ」

「?」


 驚愕するバイロンの顔を店員がきょとんと見ていた。


「き、貴様――――ッ……!!!!」

「わはは、今日は楽しかったぜ! またやろうなー!」


 赤毛の殺人鬼は笑うと、買い物バッグを掴んで軽やかに走り去った。


「ママー、アイスもうないってー、カフェいこーよー」


 勝利したはずなのに、戦利品は奪いされた。社会道徳など何とも思わぬ、違法組織構成員よりも倫理観のないクソ野郎に。

 とてつもない疲労感に襲われ、バイロンは呟いた。


「………帰るか……」


--------------------------------------甘くとろけるアイスクリーム戦争(了)

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