act.003 A safe pair of hands
◇
愛用している自分の遠距離型特殊銃を背負った。
グローブをはめながら出動するための場所、ゲートに向かう。
そこには移動用の2人乗りバギーが用意されていた。
座席は前後に並んでいて、背もたれは背中合わせになっている。座席の向きは個人で変更できる。
「……なんでこの配置?」
後部座席に座る人物の顔は見えない。支給されているベストの下にパーカーを着ており、そのフードを深く被ったまま下を向いている。パーカーの袖は少し捲られており、そこから覗く腕は褐色ほどではない。普段から外に出ているとするならば色白だった。遠目から見ると線が細く頼りなく見えたが、近くで見るとやはり兵士らしく筋肉質な腕だった。
その男は座席の上に足をのせ、膝を抱えるようにしていた。その膝と体の間には中距離型特殊銃が置かれている。
直接声をかけたわけではないけれど聞こえているはずだ。それなのに反応がない、ということは。
「まさか……寝てる?」
やはり反応はない。
少し近づき耳を研ぎ澄ませると、微かに聞こえるゆったりとした呼吸音。わずかに肩が上下しているが、それ以外は死んだかのように微動だにしない。
どうしたものか。
だが、起こすしかない。
この男が『ゼロ』なのか確証はないが、ここに置かれている出動用のバギーはこれ1台のみ。つまり自分が乗り込むのはこれしかない。
「あのー」
声をかけてみる。返答はない。
同じく、だけれど少し声量を上げてもう一度声をかける。
やはり返答はない。
軽く肩を叩く。続けて、軽く揺さぶってみる。
揺すった反動で体が前後するが、体勢を崩すことも目を覚ますこともなかった。
こういう場合、同期の間柄なら問答無用で蹴り飛ばす。
だが、さして話したこともない初対面の相手をいきなり蹴りかかったり殴りかかったりしていいものか。
男の肩から手を離し、少し距離を置く。
その瞬間だった。
何度も戦地に赴けば、「死んだ」と思う瞬間に出くわすことはいくらでもある。口内が干上がって、指一本すら言うこと聞かなくなって、まるで自分の体が石になったかのように錯覚して、けれど脳内は不思議と冷静で。
そんな不快感を味わった。
不快とも明確にはどこか違うけれど、適する言葉はいつも見つからない。圧倒的な相手の前ではそんな気は起きない。
石化したような体で、目の前の状況を画像のようにとらえる。
フードの下から覗く殺気に満ちた目。自分の動きを封じるのは鼻先に向けられた銃口。
L777の口から少し音が漏れる。それをきっかけに再び呼吸が始まった。
体が動くようになったのは、「あ?」という気の抜けた声が聞こえた後。
銃が顔の正面から離れていき、圧迫感に解放される。
少し冷静さを取り戻した頭が、視界情報の処理を始める。
先ほどまで椅子に足をのせる形で座っていたのに、この男は、その体制からわずか一瞬で距離を詰めた。
顔を見たのは初めてだが、この男の名前を確信した。
ゼロ。
間違いない。
この男が、我が軍の生ける伝説だ。
「あの、ゼロさん」
男は再び椅子の上に戻る。
動いたときに乱れたフードを被り直し、今度は椅子の上で胡座をかく。その足の上に特殊銃を置いた。
そしてL777を見上げるようにして、けだるそうに首をかしげた。
フード下の目が眠たげに揺れる。
「……お前、だれ?」
まだ寝ている声でそう言われ、少し落胆する。
自分が顔を見ていないのだ。相手もまた自分の顔をみていないのだから知られていなくて当たり前だが。
ゼロはだらりと腕を上げて、L777を指さす。
そしてその人差し指を、地に対して平行に円を描くように動かす。何かの指示だがいまいち分からない。立ち尽くしていると、「まわれー右」と緩い号令がかかる。耳によく馴染んだその言葉に、体が勝手に動いた。
「あぁ、お前か」
後ろ姿で合点がいったらしい。
けだるい声が少し高くなったが、再び低い声で先ほどの号令がかけられた。
また半周する。
「お前、前ね」
「え」
「運転は
反論するようなことでもないので、L777はすぐに運転席に乗り込んだ。
チップを通じて、バギーに指示を出す。自分で運転する技術もあるが、ハンドルを握ってしまうと敵強襲時に対応できない。
バギーが動き出す。
軍敷地内から出て、戦場を走る。
L777はゴーグルをかけて、見慣れてしまった戦地を見渡す。
人らしい人の姿は一切無く、投棄された機材は全て敵の残骸だ。
それを処理する存在はない。それらはずっと雨風に晒され続けている。
「……ゼロさん、
天候は晴天。
うだるほどの暑さではないが、日差しが目に厳しい。
「……は?お前、呼んでんじゃん」
「いや、ゼロって十の位のことじゃないですか。そうじゃなくて、全部です」
風はない。
互いの声の向きが逆だが、風に攫われることなく耳に届く。
「ヤだよ、歳バレんじゃん」
「女子か。しかもバレないし」
「まぁ、『ゼロ』で通じるし、それでよろ」
「……了解です」
鳥の鳴き声が聞こえてくる。
その音はバギーの駆動音よりも鮮明だ。
「ってか、お前の名前、なに?」
「あ、やっと聞いてくれましたね?」
「やっぱいいわ」
「俺、SF-L777って言います」
珍しく穏やかで、敵の姿も味方の姿も見つからない。
「へぇ、ゾロ目じゃん。しかも『7』」
「おかげで同期からは『ラッキーセブン』なんて言われちゃってますよ」
「へぇ」
「ゼロさんもそう呼んでくださっていいですよ」
「長いからヤ」
軍敷地外に出ると、まず広がっている廃墟エリアを抜けた。それから廃市街地エリアを抜け、やがて目的のエリアに到達した。
廃都市エリア。
かつてこの地には高層ビルが規則正しく立ち並んでいたが、爆破や老朽化により今はいくつものビルが倒壊している。
バギーはその廃都市エリアの少し手前で止まった。
理由は、後ろに乗っていたゼロが乗り出してきたからだ。
「どうしました?」
「いや、敵の数が少ねぇなぁと思って」
ゼロの声は、もう眠たげなものではなかった。
眠たげな目なのはきっと生まれつきなのだろう。
「どうします?もっと近寄りますか?」
聞くと、「えー?」と他人事のような不満の声をあげた。
「えー、って……」
「だって嫌な予感するじゃん。数が減ったといっても居るんでしょー?敵」
そう言いながらゼロはバギーから飛び降りる。
引っ提げるように手にする特殊銃。銃はメンテナンスを頻繁に行い、部品交換などをしているのでいつだって新品に見える。けれど、その男の銃は不思議と年季を感じる。持ち主と同じく色々な戦場を見てきたのだと、その姿だけで物語っていた。
その銃を片手に、ゼロは建物の影を躊躇なく歩いて行く。
嫌な予感、そう言っていたはずなのにまるで警戒心なく敵地に踏み込んでいく。でもその歩く姿には隙がない。
「え、ってか、いきなり攻め込むんですか!?危ないって思ってるのに!?」
「えー、駄目?」
「駄目って言うか……」
それじゃ死に急ぐのと同じ行為だ。
自ら寿命を縮めるようなものだ。
「めんどくさ」と子供のように呟いてから、ゼロは銃を持った右手を軽く振りかぶった。それを合図にバギーに積み込まれていた小型ドローンが顔を出す。
音すらしないそのドローンは潔く敵地に踏み込んでいった。
敵情視察がその機械の役目。その機械の目は人間の脳内に埋め込まれたチップを介して視界の代わりを果たす。
ドローンと脳内チップ間のネットワークには同じチップを有するものならアクセスは可能だ。
「……いないみたいですね」
L777が言い終わる前にゼロはさっさと歩き出した。
けだるそうなその後ろ姿をL777が追う。
いないと分かっているが、やはり敵地では身を隠す癖がついている。
L777は建物沿いを静かに歩きながら、周囲への警戒を続ける。
もしかしたら次の建物の隙間から敵が出てくるかもしれない。そんな考えを常に念頭に置きながら、遠距離型の銃を両手で構える。
隙間にさしかかる。
敵はなし。クリア。
その次のポイント。
敵はなし。クリア。
「……いなさすぎじゃないですか?」
「いないほうがいいだろ」
「そうですけど……」
怪しすぎる。息を殺して、奇襲でもしようとしているんじゃないのか。
もしそうなら、こっちは2人しかいない。格好の獲物だ。
「いねーし、さっさと探索して帰るか」
「あ、そうだ。探索」
やり方教えてください、とゼロに少し近寄ると顔をしかめられた。
嫌悪というより、ただただ面倒臭そうな顔だった。
ゼロは着ていたベストのポケットから掌大の機材の塊を取り出す。複雑に入り組んでいるが、大まかな形は正方形。厚さはそこまでない。
「これを、こうする」
左の掌に乗っかっていた機材がバラバラに動き出す。入り組んでいたように見えていたのは複数の機材が重なり合って、組み合わさっていたからだった。
バラバラに別れた機械は、それぞれ掌の上から蛙のように飛び跳ね、各々の場所に散っていく。
「……あの、意味全然分かんないんですけど」
「は。お前ポンコツかよ」
「説明不足すぎるでしょ!分かるかァ!」
『あてにしちゃ駄目ですよ。その人、
唐突に軽口を叩く明快な声が聞こえてきた。聞いたことのない女性の声だ。
その声にゼロは嫌そうに目を細めた。
『初めまして、SF-L777ことラッキーセブンさん。あたし、SF-O202といいます』
「通称、オニ」
『ゼロさん、ぶっ殺しますよ』と通信機能を通してにこやかな声。
『そんなことより。その機械は等間隔でそれぞれの場所に着き、周囲の音、それから360度カメラを搭載し、随時こちらに映像を送り続けるシステムです』
「でも、いくら小さくてもあの数が急に現れたら敵に気づかれるんじゃ……」
『安心してください、
集合体は掌大だが、分裂後は指の腹程度しかなかった。只でさえ見つけにくい大きさだったそれは、きっともう見つからない。
「回収とかは?」
『使い捨てです。充電が切れたら廃棄行きですから』
不法投棄。そんな言葉が脳裏をよぎるが、もうこの地は敵味方問わず、既に処理しきれない機材が山積みになっている。
戦争終了後、この地に残る兵士達で全て回収して、処分しなければ――自分たちが生き残ればの話だが。
「で、映像は?」とゼロ。
『届きました。もう大丈夫です』
任務に戻ってください、と耳から声が消えていった。
「任務って、他に何するんですか?」
「ん?散歩」
「……要は歩いて探すってことですね」
「別にドローン飛ばしてもいいけどね。俺が嫌いなだけ」
そう言いながら少し歩き出し、顔を上に上げた。
2人の耳に再び声。
『適UAV反応確認』
「落としますか?」
直後。上を見上げ、L777はトリガーに指をかける。
標的は目で捉えた。遥か上空。だが落とせる。
「落とせんの?」
「いけます」
「あそ。じゃ、やって」
はい、と答えて、銃口を上に向ける。
識別番号にある所属部隊の後のアルファベットは所持している銃の種類だ。LはLong shot――遠距離型特殊銃の意味。
特殊銃には複数種類の弾丸がある。その中には飛距離を優先するものもあるので、上空の敵を打ち落とすことも不可能ではない。
ゼロは自分の手にある銃を見た後、L777の方を見た。
特殊銃が変形していない。その状態で出る弾丸は通常弾。経口も大きくない。上の敵を狙うのには向いていない。
L777は引き金を引いた。
その軌道をなぞるように視線を動かす。
敵はなす術なく、蛇行しながら高度を失っていく。
「落としました」
威張ることも驕ることもせず、平坦に平然と。
なるほど、対空砲とあの男が連呼するわけだ。
時季外れの部隊移動も納得がいく。
堕ちていく航空機を、ゼロは見えなくなるまで目で追った。
◇
「結局、何もありませんでしたね」
落胆気味にそう言ったL777にゼロは首を傾ける。
「何もない、って事が分かっただけ成果だろ」
「そうなんですか?」
「ここ、前はかなり敵いたからな。俺はてっきり敵の小さめの基地でもあんのかと思ってたわ」
「……え」
小さな基地があると思ってたのに、始めにドローンすら使わずに乗り込もうとしていたというのか。
小道具は全員に支給されているが、武器らしい武器は手にしている銃のみ。なんて無茶苦茶な。
2人並んで廃都市の一番高い場所から周囲を眺める。
ここが戦場なのだと言うことを忘れそうなぐらい敵の数がない。長閑ですらある。
ゼロが退屈そうに欠伸をすると、突如通信が入った。
『ゼロさん、L777さん、緊急です。至急、エリアBに行ってもらえませんか』と先ほどの声。
「混戦?」
ゼロが尋ねると、『はい』と少し焦った声で返事があった。
「了解です」
思わず敬礼をとるL777をちらりと横目で見てから、ゼロは左手で手を招くような仕草をする。そして遠くに止めていたあのバギーが建物の下に到着した。
機械を遠隔操作することは可能だが、ゼロの今の仕草に操作をしているような動きは見られない。操作と言うよりも強制的に動かしているようだった。だが脳内チップにそんな機能はない。
「行くぞ」
「ラジャ」
だが、それを疑問に思っている場合ではない。
ゼロはゴーグルをかけ直しながら歩き出した。
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