十八章「最後の仕事」


あれから数カ月が経ち、冷たい雪に囲まれた夜鳴村よなきむらに春が訪れた。

といっても未だ寒い日は続いている。

私の家の居間から炬燵はなくなっていないし、羽織がなければ外に出るのも辛い。

それでも南から吹く春の小風は少しずつ暖かさを感じるようになっていた。

辻のいなくなった生活にまだ寂しさは覚える。しかし、後ろばかり見てはいられない。今は亡き彼女の分まで前を向いて歩かなければ、怒られてしまう。

生活に支障は出ていないし、村の人たちも前と同じ態度で私に接してくれている。鈴蘭お姉さまと辻が守ってくれたおかげで私は何不自由ない生活を送れていた。


「凪、今日は良い肉が手に入ったんだ。すぐに夕飯にするから待っててくれ」


丁度仕事から帰ってきた霧ノ助は腕に食材を抱え、居間で炬燵に入りながらお茶を啜る私を見つめる。

私は目線だけ霧ノ助へ向け応える。

現在私は霧ノ助とお姉さまと三人で暮らしている。私は一人で大丈夫と言ったのだが、二人は一切引き下がることはなく、半ば強引に居座っている。

私の心に空いた穴を少しでも埋めてくれようとしているのだろう。余計なお世話だけど、一人でいたらまた何をするかわかったものではない。助かっていないと言ったら嘘にはなる。

しかし、お姉さまは毎日ここから繁華街へ通い仕事に言っており、正直大変そうだ。あまり無理はしてほしくはないのだけれど...。

霧ノ助は私の代わりに万屋として村で働いてくれている。流石にもののけ退治の仕事はできないが、それなりに村の人たちから頼られる存在にはなっているようだ。


あんな騒動も数カ月もすれば風化し、村人たちの記憶からは消えていく。この村から辻が居なくなる。それは私にとってはとても辛いことだったが、この村の人たちからすれば案外どうでもいいことだったのかもしれない。

あれ以来、藤吉は行方を晦まし、事実上この村の長をやっているのは霧ノ助のお母さんである郁恵いくえさんだ。

彼がどこで何をしているのかはわからないが、私はあの男を許すことはできないだろう。もう一度私の前に姿を現すことがあれば、私は迷わずあの男を殺してしまうだろう。例えそれが罪になろうとも。


「ただいま。凪、すごく怖い顔してるわ。大丈夫?」


「...おかえり、お姉さま。私は大丈夫。それよりも、お姉さまの方が心配よ。随分疲れた顔をしてるし...」


「それこそ心配無用よ。体力には自信あるもの。ねえ、霧ノ助」


「あ、あぁ...丁度良かった。今夕飯ができたところだ。さあ、食べよう」


霧ノ助は盆に料理が盛り付けられた皿を乗せ、それを居間の机へ並べた。

三人で手を合わせ、霧ノ助が作った料理へ箸を伸ばす。

柔らかく煮込まれた肉の脂が口に広がり、私は頬を緩めた。

あの事件があって以来、ただただ会話すること、何かを食べること、酒を飲んで騒ぐこと、一つ一つがどれだけ尊くて大切なものなのかを考えるようになった。

そのたび私は生きていると実感し、悲観する。

何故ここに辻がいないのかと。

時々胸が痛くなって食事が喉を通らないこともあるが、それでもそれを忘れてしまうことは辻を忘れてしまうことだと、私は思っている。

今この場所に私はいる。私は生きている。いや、お姉さまと霧ノ助によって生かされている。

今の私はこの二人が居なければ生きていくこともできない弱者だ。


あの事件以降、私は刀が握れなくなった。

触れることはおろか、見ることさえできなくなってしまった。

あの刀身を見るたび、辻が処刑された日のことを思い出し、酷い吐き気に襲われるのだ。

唯一の取り柄であった剣も持てなくなれば私はただのお荷物で、二人の間を邪魔する存在でしかない。何度も自分を責め、泣き崩れる日々を繰り返した末に今の生活があるのだが、いつかはこの状況から抜け出さなければならないだろう。

いつまでも二人に迷惑はかけられない。


「ご馳走様。明日も早いし、私は先に寝るわ。霧ノ助、後片付けは任せたわ」


「あぁ」


お姉さまが食卓を立ち、奥の寝室へ入っていく。

居間に取り残された私と霧ノ助はだらだらと肉を口に運び、特に何か話すこともなかった。

少し前までは霧ノ助とこんな風に食事をするのも嫌なくらい、彼のことを嫌っていたのだが、今じゃこうやって食事をすることが心地いいと感じる。

彼は私に無理矢理話しかけようとはしない。気が向いたとき、私から会話を投げかけるまでは何も話さない。それが私にとってストレスになるかもしれないと、気にしてくれているのだろう。

本当に、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

二人の優しさに甘えきっている自分に嫌気が差してしまう。

どうしてこんなに弱くなってしまったのだろうか。私は結局辻が居なければ何もできない弱虫だ。霧ノ助のことを散々弱虫で頼りない泣き虫だと貶していたくせに、今の私はその彼より酷いじゃないか。


「な、凪...大丈夫か?」


「...っ、ごめ、ん...ぅ、ふ....」


ぽたぽたと、私の頬から零れる涙は机を濡らす。

霧ノ助はすかさずそんな私にハンカチを貸してくれた。

真っ白い無地のハンカチで目元を拭い、鼻を啜る。胸が痛み、食欲も失せてしまった。

喉の奥から何かが込み上げてくるのを感じ、私は盛大に噎せる。それは自分に対しての嫌悪と苦しみ。自分の中で何かが悲鳴を上げている。私が犯した大罪を責めるかのように叫び、私の心を締め付ける。

そして次に私の耳元に届くのは断末魔のような悲鳴。しかも、辻の声に酷似したもので、それが一層私を強く責めているようにも感じた。

『お前のせいで辻は死んだのだ』、『お前がもっと強ければ辻は死ななかった』、『あのとき死んだのが辻ではなくお前だったなら』。

耳を塞いでも聞こえるその声はどうやら霧ノ助には聞こえていないらしい。私の心の叫びが音となって私の脳に響いているようで、私は溜まらずその場で嘔吐してしまう。


「す、鈴蘭...!凪が!」


「ごほっ、っ、げほぉ.....はあ、はっ....」


視界がぼやけ、呼吸が浅くなる。

先程まで響いていた声も聞こえなくなり、私の耳に届くのは霧ノ助の声とお姉さまの声だけだった。

お姉さまは私が落ち着くまで私の背を撫で、優しく語りかけてくれていた。その内容がどんなだったかは全く覚えていないが、そのおかげもあって私は一時間程度で落ち着くことができた。

取り乱していた時の記憶はほとんどない。ただ、酷い頭痛と吐き気に魘され、ひたすら辻の名前を叫んでいたらしい。

今は寝室の布団に寝かせられ、隣にはお姉さまが寄り添ってくれていた。


「......お姉さま、ごめんなさい」


「大丈夫、大丈夫よ。凪は私が守るから、あなたは休んでいないさい。ね?」


「......うん、ありがとう」


お姉さまの細い指に撫でられながら瞳を閉じる。

程なくして寝室の電気は消された。

暫くはずっとお姉さまの体温を横に感じていたが、気が付けばそれもなくなり、私は完全に夢の中へと落ちて行った。

薄れる微睡みの中、部屋の外からお姉さまと霧ノ助の声が聞こえてくる。


「私、仕事を止めてこれからはずっと凪の傍にいるわ。この村に居れば多少は働かなくても生活できるし、最悪あなたに頑張ってもらうとして...」


「うん。凪も君が一緒にいた方が安心するだろうし、僕もできる限りのことはする。せめて凪が昔のように笑えるまでは、僕たちがあの子を支えよう」


「ええ。私は明日、店を止めることを伝えに一度繁華街に戻るわ。凪のこと、任せたわよ」


「あぁ、僕が必ず凪を守るさ。任せてくれ」


また、私は二人に迷惑を掛けてしまった。

私がここにいると、二人は自由に生きていけない。

こんな私に、生きる価値なんてあるのだろうか───


私の意識はそこで途絶えた。



翌日、私は肌寒さによって目を覚ました。

お姉さまは既に家を出て行ってしまったらしい。

霧ノ助の姿も見当たらない。

私は重たい体を起こし、居間へと出た。

一人きりの自宅はとても静かで、その静寂は私に不安を覚えさせる。


今日は昨日までの陽気な暖かさが嘘のように寒く、冬が帰ってきたのではないかと錯覚するほどひんやりとした風が外から流れ込んでいる。

今日も一日、炬燵に身を埋めて自堕落な一日を過ごすのだろう。

お姉さまにも、霧ノ助にも迷惑を掛け続けてそれでもなお自分の命を絶つことができない自分に呆れてしまうわ。

どうすればこの苦しみから解放されるのか。それとも一生、私は二人に甘え続けて生きていくのだろうか。


「もう、嫌だ......」


ぽつりと零れる弱音は居間に静かに響き、数瞬の間に消えていく。

溶け込むように、微睡むように、下半身を炬燵に入れたまま畳の上に寝転がり、脈打つ手首を見つめた。

これが生きている証。これが生きていると叫んでいる。この脈を絶つことができれば私は死ねるのだろうか。

全てから解放され、楽になれるのだろうか。


「...ダメね。これじゃ前と何も変わってない。しっかりしなくちゃ...」


自分に言い聞かせるようにつぶやいた言葉。それを合図に私は立ち上がり、羽織を着た。

気分転換に散歩にでも出かけようと玄関へと向かい、引き戸の取っ手に手を伸ばす。

と、私が引き戸を引く前に玄関の扉は開いた。


「な、凪...、どこに行くんだ?」


「別に。ちょっと散歩に行こうと思っただけよ」


「そ、そうか...そ、それよも、大変だ。早くここから逃げないと......!まずいことになったんだ!」


霧ノ助は酷く青ざめた顔を浮かべ叫び、私の着ている羽織の裾を引いた。


「一体どうしたのよ...何があったの?」


「...この村に、もののけが...来る」


深刻な表情と共に霧ノ助の口から落ちた言葉は重く響き、私の思考を制止させた。

思い出したくもな情景が脳裏に浮かび、身体が硬直する。

次第に呼吸が浅く、早く繰り返され、頭が酷く痛む。


「...もののけが群れで行動することなんてあり得ない。でも、村の人が繁華街へ向かう途中、狐の面をした女性の大軍を見たって...このままじゃこの村の人たちは皆、もののけの餌になってしまう...凪、君だってそうだ...早く、逃げよう」


羽織の裾を掴む霧ノ助の手に力が加えられ、硬直した私の体は強引に引っ張られる。

霧ノ助に連れ出された私は霧ノ助に引っ張られるまま村の奥へと進み、既にそこに集められた村人たちは恐怖によって震えあがっていた。


この事態にも迅速な対応をする郁恵さんに続き、霧ノ助も村人を落ち着かせるように立ちまわっている。

その中で一人ぽつんとしゃがみ込んだ私を何故誰も責めないんだろう。

腐っても私はお母様の後を継いだ万屋だ。

もののけと唯一渡り合えるのはこの村に一人、私しかいない。

それなのにどうして私は自分よりも弱いと思っていた霧ノ助に守られているんだろう。


「もののけは、私がなんとかするわ。霧ノ助、あとは任せたわよ」


集められた村人の中一人、勇敢にも立ち上がり声を上げる者がいた。

言わずもがな、私の母親だ。

紅白に彩られた巫女服に身を包み、鞘から剥き出しになった刀身を振るうその姿は私が尊敬する母の姿であり、この村の英雄の姿だ。


「巫女様......わかりました。ここは母さんと僕に任せてください」


「ええ。凪をよろしくね...」


お母様は一度だけ私の顔を見つめ微笑み、代々一族に伝わる刀を手に村の出口の方へと歩いていく。

その後ろ姿に私は母の最期を悟った。


きっと、この場にいた誰もがあの巫女はもうここに戻ってくることはないだろうと、そう思ったはずだ。

霧ノ助だって、郁恵さんだって、お母様は村のために命を懸けて立ち上がったんだと、その勇敢な勇姿に祈りを捧げるように。


でも、私は───


「私は、嫌だ...」


ポツリと零れた言葉。

きっと誰にも気づかれていないだろう。

気づけば体の震えは収まっていた。体に染み込んだ恐怖も不安もまるで最初から感じていなかったかのように消えている。


ここで逃げれば私はまた後悔を重ねることになる。

もう大事な人を、大好きな人を失いたくはない。

例えここで死ぬことになっても、あっちで辻に恥ずかしい顔は見せられないから。


「な、凪...どこに行くつもりだ?」


「...霧ノ助。私ね、アンタのことが大嫌いよ。弱くて泣き虫で頼りないアンタが、いっつも邪魔で仕方なかった。でもね、そう思ってない人だっているの...お姉さまのこと、幸せにしてあげてね...もし、お姉さまを泣かせたら、呪うから」


私は霧ノ助におそらく最後になるであろう言葉を投げかける。

その言葉に霧ノ助は険しい表情を浮かべ、私をこの先へは行かせまいと立ちはだかった。

しかし、霧ノ助の抵抗は虚しいもので、私が彼に蹴りでも入れれば容易にお母様の元へと道は開く。

腹部を抑えながらその場で蹲る霧ノ助を横目に私は歩きだす。

背後から村人たちの私へ向けられているであろう制止の言葉が投げかけられるが、私は聞く耳を持たず、一歩一歩歩いていく。


辻と共に歩いた道を、歩んだ記憶を、たくさんの思い出を胸に、私は歩く。

最後に一度、彼岸の丘へと目を向ける。

そこに咲き乱れる赤い花はとても美しく、最高にいい景色だった。


丘の上に立つ墓石の陰から、辻が顔を覗かせているような気がして、私は自然と笑顔を浮かべることができた。

行こう。

私達が大好きだったこの村を守るために。



これが、私にとって最後の仕事だ──────

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