十四章「大樹に願う」


初夏も過ぎ、蝉が五月蠅く喚く夏本番。

今日も私達は山の稽古場で刀の稽古をしていた。

稽古を開始した当時と比べれば大分成長したとは思う。

しかし、彼女の剣から自信を感じることは一度もなく、どこか自分を下げて振るっているように感じる。

それを指摘したところで何かが変わるわけではないけど、このままじゃ稽古の意味がなくなってしまう。


一見順調にも見えた辻の稽古も、ここにきて不調の影が見え始めていた。


そんな私たちの前に、今日も狐の面を被った少女、カナデが顔を出した。

ここ最近は毎日のように私の前に姿を現し、好きなだけ喋って帰ってしまう。

きっとおしゃべりすることが好きなのだろう。

だから休憩中の時はこんな風に少女と会話を交えているんだ。


「ねえ、あなたたちは何者なの?いつからこの山にいるの?」


「私は私、イズモちゃんはイズモちゃんだよ?ずーっと昔からこの山にいるよ?」


「...ずっとって、どれくらい前から?」


「んー...覚えてない!」


と、私達の会話は毎回こんな感じで、最初は怯えていた辻も今ではカナデと普通に会話できている。

しかし、この子は一体何者なんだろう。

何を聞いても「わからない」、「覚えてない」の一点張り。でも、嘘を吐いているようにも見えないし、本当のことを口にしているとは思うんだけど...


「ねえねえ!金髪のお姉ちゃんは、どうして泣いてるの?」


「...え?」


「なに言ってるの?つじは泣いてないじゃない...」


「ううんっ。お姉ちゃんは泣いてるよ?私には見えるもん!」


カナデが突然発した言葉に辻は明らかに動揺していた。

手が震え、俯きながらブツブツと小声で言葉を発していたが、聞き取ることはできなかった。

カナデが何故そんなことを口にしたのかわからなかったが、もしかしたら彼女は辻の弱さを見抜いているのかもしれない。

カナデへと目線を向け、言葉の真理を問いただそうとしたときには既に、そこに彼女の姿はなかった。


一体カナデという少女は何者なのだろうか。

彼女が言った辻に対しての言葉にはどんな意味が込められていたのか。

私の心の中に幾つかの疑問と不安が生まれた。


その日も陽が暮れる前には山を下り、互いに家へ向かって帰路に就いた。


その夜のことだ。

私は自室で辻の稽古をどう進めていくかを考えていた。

このまま同じ練習を繰り返したところで伸びは見えない。

他に何か、彼女に自信を持ってもらうような出来事でもあればいいのだが。

布団の上で悶々とあーでもない、こーでもないと思考を張り巡らせているところ、鈴蘭お姉さまが私の部屋へとやってきた。


「凪、お母様が呼んでいるわ」


「お母様が...?」


「ええ、話したいことがあるそうよ」


「わかったわ。すぐに行く」


用件だけ伝えたお姉さまはそそくさと私の部屋から出ていき、私もすぐに立ち上がって布団を出た。


私達の家系は昔から巫女の一族として代々妖怪や魔物退治を専門にやってきた万の屋。

その最後の末裔であり、純血であるのが私とお姉さまの母である巫女の母。

この村にとって最後の守人もりびとであり、私たちの自慢の母親だ。

そんなお母様と顔を合わせるのは年に数回と満たない。

彼女は妖怪退治という名目であちこち飛び回っているため、この村に帰ってくることはほとんどなく、私の面倒はお姉さまがしてくれている。

無責任な親だ、なんてお母様のことを悪く言う人間もいるけれど、お母様がいなければこの村はとっくに妖怪たちによって滅ぼされているだろう。

だから私は、ほとんど家に帰ってこないお母様でも、誇りに思っている。

そんなお母様の子供として生まれたことを、心から良かったと言えるんだ。


さて、話を戻すけれど。

お母様は家にいるときは基本屋敷の資料室から一歩も外に出ることはない。

食事や就寝もそこで済ましてしまうため、家にいてもお母様と顔を合わせることは少ない。

こんな風に呼び出されることもほとんどないわけで、一体何の話だろうか。


無駄に広い屋敷の廊下を静かに歩き、臥間ふすまによって閉ざされた資料室へと辿り着く。


「お母様、凪です」


「...入りなさい」


いつもよりも低く感じられたお母様の声。

どうやら相当疲れているらしい。

私は臥間を開け、資料で散らかった部屋へと足を踏み入れる。

二十畳程の空間を圧迫するほどの本棚とそこに収められた大量の書物や資料本は何時みても異彩を放っており、和室のこの部屋には似つかわしくないものばかりだった。

本棚の合間を通ってお母様が座っている椅子の前へ足を運び、未だ分厚い書物とにらめっこをしているお母様の背から声を掛けた。


「お母様、話とはなんでしょうか?」


「...ん、そこに座りなさい」


お母様は此方へ向くことこそしなかったが、空いた隣の椅子を指さした。

私は言われた通りお母様の隣へ腰かけ、我が母の横顔を見つめる。


「...貴方、ここのところ山にこもりっぱなしみたいね。あの辻って子と稽古をしてるんだとか」


「そ、それは...」


「お母さん、言ったわよね?山には子供だけで行っちゃ駄目だって...この村の掟を破ることは絶対にしちゃいけないって、言ったわよね?」


此方へ視線を向けられることもなく、淡々と発されるお母様の言葉はどこか重く、悲しんでいるようにも聞こえた。

私は、反論することができず黙り込んでしまった。


「凪、村の掟は絶対よ。村の掟に背けば、いつか貴方に不幸が訪れるわ...。お母さんは、凪に不幸になってほしくない。貴方には私と同じような道を進んでほしくないの...、わかって?」


黙ったまま俯いた私の顔を、お母様は初めて見てくれた。

綺麗で優しくて強い。

でも、どこか寂しく感じるその笑顔に、私は不思議と胸が痛み、両目からは涙が零れていた。

まるで幼稚で弱虫な子供のように、声を上げながら泣く私をお母様はあやすように抱きしめ、頭を撫でてくれた。

普段は家におらず、時々寂しく思うこともあるが、やっぱり私はこの人の娘でよかったと本気で思う。



当時の私は、この村の掟がどれだけ大切なもので、破ったものにどんな罰が下されるのかを全く理解していなかった。

お母様が何度も私に言い聞かせていた「掟を破ったものへの不幸」という言葉。

今になってその意味が分かったような気がした。



翌日のことだ。

私と辻は山の稽古場ではなく、私が暮らす屋敷の道場で稽古をしていた。

お母様の声によって山の麓の鳥居には警備が付けられ、無断での立ち入りができなくなってしまったのだ。

しかし、お母様と約束したことだ。

もうあの山に勝手に入ることはしない。

カナデとイズモのことは気に掛かるけど、きっと彼女たちももう山にはいないだろう。


そんなわけで、私たちはお母様の指導の下稽古を付けてもらえることになったのだ。

ただし、お母様もそんなに長くこの村にいるわけでもないので、練習期間はかなり短いだろう。

私も気を引き締めなければ。


「せいっ!やぁー!」


「辻、声が小さいよ!もっとシャキッとしな!凪、貴方もだよ!もっと強く腕を振りなさい!」


「「はい!」」


流石にお母様の稽古はとても厳しく、辻もめげて途中で投げ出すのではないかと心配していたのだが、どうやら大丈夫のようだ。

顔つきも一段と良くなっている。

構えた木刀を瞬時に上から下、右から左へ流すように振り、すかさず流した刀身を振り上げる。

剣の速さは見事なもので、もしかすると私よりも速いかもしれない。

だが...


「辻、ちょっと来なさい」


「は、はい...」


「貴方、どうしてもっと真面目にやらないの?何をそんなに弱気になっているの?」


「...っ」


お母様に問い詰められた彼女は何かを言いたそうに口をパクパクとさせていたが、お母様の強い眼差しによって黙り込み、俯いてしまう。

きっとお母様には辻の剣に迷いがあること、そしてその迷いを作る原因すらわかっているのだろう。

ともかく、辻の稽古はお母様に任せれば上手くいきそうだ。

この時の私は、簡単にそう結論付けた。

しかし、辻の稽古はそれから順調に進むことはなく、お母様もどうしたものかと頭を悩ませていた。


私はというと、別の問題で頭を悩ませているわけだが...


「ねえねえ、お姉ちゃん。どうして最近山に来てくれないの?」


「...あなた、どうしてここに」


山の稽古場によく顔を出していた少女、カナデは現在私の部屋に居座っていたのだ。

どうやって屋敷に入ったのかは知らないが、私が稽古から戻ると彼女は私の部屋で木刀を振り回していたのだ。

屋敷の門には門番が四六時中いるため、勝手に上がり込むことは不可能。

そのほか屋敷に入り込めそうな抜け道はなく、屋敷に入るためには必ず門番の立つ門を通らなければならない。

それこそ瞬間移動でも使わない限り私の部屋に入ることはできないのだ。


「...はぁ、まあこの際貴方がどうやってここに入ったのかは聞かない。それで、わたしに何か用なの?」


「んー、私お姉ちゃんと遊びたいなって、勝手に山から抜け出してきたの!だから、私と遊んでよ!」


相変わらず面を被った少女の表情は全くわからない。

不思議な雰囲気を漂わせる少女に私の好奇心はすっかりと惹かれており、彼女のことをもっと知りたくなった。


「いいわ。あそんであげる。でも、ここじゃせまいから、外に出ましょう?」


「やったー!」


こうして私はカナデを連れて屋敷の外へと出た。

門番にカナデのことをしつこく聞かれたが、友達と押し切って無理矢理逃げ出し、彼岸花が咲き乱れる丘へとやってきた。

この丘は私と辻が初めて出会った場所であり、1年中真っ赤な彼岸花が咲いているため「彼岸の丘」と呼ばれている。

大昔、ここで命を落とした二人の恋人の血液によって育った赤い花はその恋人たちの想いが報われるまで枯れることはない、なんて伝承が残っており、丘の頂にはその二人を埋葬したとされる墓、墓石がひっそりと建っている。


「わー!まっかっか!綺麗!!」


「ええ、きれいでしょ。わたしにとって、ここは大切な場所なんだ」


、そうなんだねっ。私も、ここ大好き!」


すっかりと浮かれ、はしゃぐ姿を見ているとすごく微笑ましい気持ちになる。

私にもあんな風に野原を駆け回っていた時期があった。

といっても、それはたった数年前の話だ。

今だって十分子供で、ただ巫女の家系の事情もあって少し大人しくなっただけ。

ただ、やっぱり彼女を見ていると、私ももう少しあんな風に子供らしくいたかったな、なんて思ったりもする。


「ねえ、私ね、お姉ちゃんに見せたいものがあるの。もう一度だけ、もう一度だけでいいから...山に来て欲しいな...」


「...見せたいもの?でも、山には入れない。あそこは大人がまもってて、わたしたち子供は入れないの」


「...?大丈夫だよ!私がいれば、入れるから!きてきて!」


私の手を掴んだカナデはそのまま山の方へと全力疾走。半ば引きずられるような形で私は彼女に連れ回される。

お母様との約束もあって、私は彼女を引き留めようともしたが、少女の力とは思えない強さで引っ張られ、渋々と山の鳥居前まで連れてこられてしまった。


「ダメだって、ここは...」


「いいからいいから」


鳥居の前には厳しい表情で辺りを見回す村の大人が二人。

この前を堂々と通り過ぎ、山に入ることなんてできるわけがない。

しかし、カナデは一切お構いなしに、私を引っ張ったまま二人の間を堂々と通り抜けていく。

普通ならここでバレて叱りを受けるものなのだが...

大人二人は私たちに気づくこともせず、依然辺りをきょろきょろと見回していた。


「なんで...?」


「しーっ。声は聞こえちゃうから、ほらほら...こっちだよ!」


カナデは唇のあたりに人差し指を立て、再び歩き出す。

しかし、その方向は私たちが稽古場に使って場所に通ずる道ではなく、木々の隙間を半ば無理矢理道に見立てたような荒れ狂ったけもの道だ。

本当にこの先に彼女が見せたいものがあるのだろうか。

疑心暗鬼のままカナデに付いて歩くこと二十分程。

とある開けた空間へと辿り着く。

そこには巨大な大樹が一本天へと伸びており、薄暗かった森がその空間にだけ太陽の光を中心的に集めているかのように照らされている。

とても幻想的で神秘的な光景に私は惹かれていた。


「ふふっ、綺麗でしょ?ほんとは金髪のお姉ちゃんにも見せてあげたかったんだけどねー!」


「...きれい、ね。ここはなんなの?」


「ここは、私とイズモちゃんのおうちだよ!ここで私たちは暮らしてるんだ!」


彼女はわが家を自慢するかのように胸を張り、きゃっきゃとはしゃぐ。

本当に、彼女は一体何者なのか。

屋敷に入り込んだ時も、この山に入った時も...

妖術の類なのか、それとも本当に彼女は人間じゃないのか...


「カナデ。おかえりなさい...、やっぱりその方を連れてきてしまったのね...あれだけ人間と関わるのはやめなさいと言ったのに...」


大樹の陰から突然顔を出したもう一人の狐面の少女イズモ。

イズモは一つ溜息を零しながらカナデと私の前に立った。


「凪さん、でしたっけ...カナデがご迷惑をおかけしました。もう今後はこういうことがないように気を付けます」


「へいき。わたしもカナデと一緒にあそべてたのしかったから...」


「ねえねえイズモちゃん、大樹にお願い、お姉ちゃんにさせてあげよ?お姉ちゃん、大事なお友達がいるんだって!ね?いいでしょ?」


「...そうですね。ご迷惑をおかけしてしまったことは事実ですし...、きっと大樹様もお許しになってくれることでしょう。凪さん、こちらへ」


「え、えっと...」


私はカナデとイズモに引かれるまま引っ張られ、大樹の前まで歩かされた。

大樹にお願いとは、なんなのか。

彼女たちの言っていることが理解できないまま、私はその場に座らされた。


「ここでね、手を合わせて目をつぶって、三回お願いをするの!そしたら、お願い事がかなうんだよ!」


「ねがいごと...?」


そういうご利益的なものがこの樹にあるのだろうか。

でも、願い事なんて私には...


『金髪のお姉ちゃん。あの子は、お姉ちゃんにとってなんなんだろうね...』


何処からともなく囁かれた言葉に私はふと辻の顔を思い浮かべた。

あの子は私の...何?

なんで私はあの子に強くなってもらいたいなんて思ったんだろう。

わからない。

どうして...?


でも、一つだけ願い事を叶えてもらえるなら───



『どうかあの子が自分に自信をもって前を進めますように』



「ふふっ、やっぱり...」


「...では、その願い」


「「私たちが叶えましょう」」


背後から聞こえた声に私は振り返り、そして驚愕した。


そこに立っていたのは二人の少女の姿ではなく、真剣を構えた二人の女性だった。

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