十一章「雪月花の晩酌」


「ここはかつて禁忌きんきを冒してでも添い遂げたいという恋人たちの願いから建てられた駆け込み寺。駆け込み寺とは縁切りの寺として、江戸の頃から幕府によって指定された調停ちょうていの場です。主に離婚の調停する場所として伝えられている駆け込み寺ですが、その中には結婚を反対するものとの縁を切るために使われていた場所でもあるのです。その名残として、この集落の寺は掟に背き愛し合う恋人たちを匿う寺としてここに残っているわけです」


畳に敷き詰められた個室に机を挟み体面に座る集落の長老は優しい声色で語っている。

繁華街を出てから早1週間が過ぎ、藤吉の、政府の手はこの集落周辺にも及んでいる。


あの日から私達は「悲恋の者が集う駆け込み寺」を目指し雪道の中数日間歩き続けた。

この集落に辿り着くころには私たちの意識も朦朧としており、その時の記憶はあまりない。寒さと空腹、そして疲労によって命の危機だったところを目の前の長老に助けられたのだ。

それから数日間の間、私と辻はこの寺でお世話になっている。


「...それで、私たちはこれから何をすればいいのでしょうか。このままではいずれこの場所も奴らに気づかれてしまう」


「そうですな。確かにここも安全とは言い難い...」


長老は渋った声で私の顔を見つめ、思考するように額に手を翳している。

辻はというと、今現在もアホ面を浮かべながら眠りこけており、緊張感を一切感じないといった様子で昨晩も酒を呑み明かしていた。

正直この状況下で酒が飲めるほど私の神経は図太くない。

未だ安心ができる状態でもないし、よくよく考えれば最悪の事態ともいえる。

この集落の周辺を政府の者達が見張っているのだとすれば、私たちはここから出ることもできないわけだ。

奴らもバカではないだろうし、いずれ私たちが見つかるのも時間の問題だろう。


夜鳴村よなきむらの掟は存じてはおります故、貴方たちのような恋仲である者がここを訪れることもあるかもしれないとは思っておりましたが、まさか政府までが首を突っ込んでいるとは...」


「奴らは、藤吉って男は異常よ。あの男は目的のためなら手段を択ばない。ここに居たら、この集落の人たちも巻き込むかもしれません。やっぱり、私たちはここから出ていくべきなんじゃ...」


「出て行って、行く宛てはあるのですか?私としては、できることならこの寺で貴方たちを匿ってやりたい。それでもし、この老いぼれの首が飛んだとしても...私は貴方たちを守る義務があるのです」


変わらず優しい声色で告げる長老の瞳には覚悟を示した力強い色が見え、私は思わず口を閉ざしてしまう。

何故この人がここまで私たちに親身になってくれるのか、理解することはできないけれど、この人はきっと信頼してもいい人だ。

そんな根拠もない安心感を私に抱かせる。

不思議な雰囲気はあるけれど、絶対に揺るぐことのない核を持っている。

どこか霧ノ助にも似た、それでいて逞しい印象を受けたのだ。


「...おじいさん。どうして私たちにそこまでしてくれるの?ここが報われない恋人たちの駆け込み寺だったから?だから、おじいさんは私たちを守ろうとしているの?」


「...そうですな。確かにここは駆け込み寺でございます。その寺に助けを求めやってきた貴方たちを見捨てることはできない、という気持ちもございますが、それ以上にこれは私がやらねばならぬ使命のようなものなのです」


「...使命、って、どういうこと?」


私の問いかけに長老は視線を天井へ向け、何かを思い出すかのような表情で語りだす。

その口調は眠れない幼子おさなごを寝かしつけるために童話を語る様な柔らかく心地のいいもので、私はすぐに長老の話に聞き入った。


「あれはも前のことです。この寺に二人の少女が訪れたのです。少女たちの名はイズモとカナデ。丁度貴方たちと同じ歳くらいの幼気な少女たちでした。彼女たちもまた、貴方たちと同様、夜鳴村の出身で、これも同じように二人は愛し合っておりました。当時の夜鳴村にはまだ同性愛を禁ずる掟は定められてはおりませんでしたが、村の長は彼女たちを罰すると、地下牢に閉じ込めたのです。ですが、二人は自力で地下牢を脱出し、逃げるようにこの村にやってきた。その時彼女たちを匿ったのが貴方の目の前にいるこの老いぼれ、この私でございます」


私は長老の話に絶句した。

何が一番驚いたかって、二百年も昔の話をまるで自分の出来事のように語ったことだ。

人間が生きられるのはせいぜい八十年程。

二百年も生きた人間の話など聞いたことがない。


「...おどかれるのも無理はない。私はこう見えて人間ではございません。成仏することができなかった無念の塊が形となって現世にとどまっている、言わばもののけのなりそこないでございます」


「もの、のけ...?で、でも、おじいさんは普通に私とこうやって会話できているじゃない...それに」


「なりそこない、と申しました。私は恨みや怨念などから生まれるもののけとは違い、深い後悔から生まれたもののけ、と言ったところでしょうかね。会話することも誰かと触れ合うこともできる上、人間と変わりはあまりございませぬ。一つ違うことと言えば、この集落から出ることができない。それだけです」


優しい口調で、優しい声色で、優しい笑顔で語る長老からはもののけが発する悪しき気配は全く感じ取れない。この人が言っていることが嘘だとも思えない。だからこそ、信じられなかった。この人がもののけだと、信じたくはなかった。


「もはや成仏できぬ身ではありますが、貴方たちを守りたいという気持ちに嘘偽りはございません。私はもうあんな思いはしたくないのです」


「あんな...思い?」


「そうです。私が匿ったイズモとカナデはこの寺で捕らわれ、そのまま夜鳴村へと連行されていきました。彼女たちを匿った私共々彼女らは村の中心部で村人達に斬られ処刑されました。あの時の憎しみに溢れた二人の顔を、私はもう見たくない。きっとその後悔から私は成仏することができず、この寺に縛られているのでしょうな...」


物寂しそうな長老の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。


「でも、なんで村の長はその二人を殺そうとしたの...?そのころにはまだ掟もなかったのでしょう?」


「...真相は私にもわかりませぬが、夜鳴村に同性愛を禁ずる掟ができたのはイズモとカナデが処刑されてすぐの頃だと聞いております。そういえば、もののけがこの国にはびこるようになったのもそのころでしたな...。今思えば彼女たちの無念がこのような呪いを招いたのかもしれない、なんて思ったりもしますが...」


「...呪い」


そういえばお母様も昔、夜鳴村には古くから伝わる呪いがあるとかないとか言っていた気がする。今ではその言い伝えも風化してしまったのだろう。


「ともかく、私はこの寺で貴方たちを匿い続けます。それがあの時二人を救えなかったこの老いぼれに出来るせめてもの償いなのです」


長老はまっすぐとした瞳で私を見据え、にっこりと微笑んだ。


*


それから数日が過ぎ、事態は最悪の展開へと移っていく。


「凪様、辻様。起きてください」


それはまだ日が昇る数時間前。

私と辻は長老によって起こされた。


「...どうかしたんですか?」


「...んん、さむい、ねむい...」


寝ぼけた辻の頬をつねりながら長老を見つめ、剣幕な表情ながらも耳に優しい長老の声。

しかし、どうやらそんなことも言ってられないほどの状況になっているようだ。


「...政府の人間が数十人と、この集落の捜索に強行しました。おそらくあと数日でここも見つかってしまうでしょう」


集落の長である長老に向け、政府からの指令所が発行され、従わない場合はこの集落に火を放つというもの。

遂に藤吉は強硬策に乗り切ったのだろう。

そこまでして私たちをもののけの研究に使いたいらしい。

私もいい加減頭に来ていた。

あの男を止めなければこの集落は火の海だ。


「...辻。私の話、聞いてくれるかな?」


私は辻の手を握り、頬をつねっていた手を離した。

彼女に顔をやり、まっすぐと見つめる。

うん。やっぱり辻は私にとって何よりも大切な人だ。できることなら、ずっと平和に二人で暮らしていきたい。どこまでも手を繋いで歩んでいきたい。でも、私たちが生まれたのは、それが許されない少しばかり理不尽な世界だった。あの村で生まれなければきっと、幸せに暮らせていたんだと思う。

ちょっとばかし、悔しいけれど、仕方ないわ。


「さっきから黙って、どうしたんだよ...。凪...?」


「...一人で、生きていけるわよね?私が居なくても、一人で生きていけるわよね?」


「な、何言ってんだ...?凪...、私達、ずっと一緒って、二人で生きていくって誓っただろ...?なあ、そうだよな...?」


「...ええ、そうね。でも、もう無理だよ。このままじゃ、私も辻も、この集落の人たちも...、皆死んじゃうよ。だから、私はこの集落で奴らを引きと───」


パシンッ。

音と衝撃が張り詰めた空気を壊した。

後からじんわりと広がる痛みに私は目を見開き、静かに涙を流しながら私を睨む辻を見つめた。


「ふざけるなよ...、お前まで...お前まで私を一人にするのかよ!私は、歩むときも逝くときもお前と一緒って決めてんだっ!凪だって、そうだろ!?」


こんなに感情的に怒りを露にする辻は見たことがなかった。良く泣く子で実は寂しがりやな辻。彼女の心の叫びに私は返す言葉がない。

長老も敢えて何も言わず、私たちを見つめている。

喧嘩、なんて今までしたことはなかった。辻に本気で殴られたのもこれが初めてだ。

こんなとき、どうしたらいいのかわからない。

ただ、私の瞳からも彼女と同様に、大粒の涙があふれていく。


「...凪。私は、私は...お前が歩く道ならどんな道だってついていく。お前が死を選ぶなら、私だって死を選ぶ。一人で死なせないし、一人にはさせない。ここまできて、離れ離れなんて...そんな寂しいこと、言うなよ.....」


私の背へ辻の手が回り、辻の胸へと思い切り抱き寄せられる。

力強く、彼女は私を離そうとはしない。

私も、何も言わずにただ黙ってそれを受け入れた。

この子には敵わない。昔から、私は辻に振り回されてばっかりだな...


「...じいさん。私たちは万屋だ。何十匹って程のもののけを刀一つで捌いてきたんだ。人間ごときにやられたりはしねーよ。それに、凪も私も、十分幸せなんだ。例え奴らに殺されたとしても...きっともののけなんかにはならない。だから、あんたも安心して成仏しろよ...」


「...わかりました。これほどまでに固い絆で結ばれたお二人ならば、きっと大丈夫でしょう。この老いぼれに出来ることがあるとは思えませんが...、その時が来るまでは、この寺でひと時をお過ごしください」


長老は私に気を遣わせないようにと、満面の笑みを浮かべ部屋を出ていく。その後ろ姿は今は亡き村の村長を思わせるようだった。


そして、翌日。

集落には雪が降った。

朝から陽が沈むまで、ずっと降り続ける雪は月明かりに照らされ、とても幻想的だった。

村を出たあの日もこんな雪の日だった。

たった一週間前のことだが、ずっと前のことのようにも思える。


「凪ー、じいさんから酒貰ってきたぜ!」


「あなた、その量呑めるの?」


「あったりまえだろ!私は凪と違って酒には強いんだからよ!」


よく言ったものだ。

一晩中飲んだくれて次の日二日酔いで仕事にならなかったこともある癖に。

まあ、こんな風に酒を明かす日も、もうこの後にはないかもしれない。

もちろん、簡単に死ぬ気はない。

辻と生きていくためなら、村だって国だって敵に回してみせる。

だから今夜は───


「飲みましょうか」


「おう!」


「「乾杯!」」


窓から差し込む月明かりと宙舞う雪。

そして窓に置かれた花瓶には彼岸花。

正に雪月花せつげつかだ。

そんな美しい風景を背に、私と辻は猪口を交わす。


口に広がる酒の苦みに喉を鳴らし、私はふと彼女と過ごしてきた十数年を振り返ってみた。

今宵が最後でもないのに、なぜか私の視界はぼやけていく。

そんな私の涙に彼女は気づいていない。

しみじみした気持ちを抑えながら、私は羽織の裾で涙をぬぐった。


辻は私に愛することの尊さを教えてくれた。

人を好きになることの大切さを教えてくれた。

人を守る強さを教えてくれた。


彼女と過ごしてきた十数年間は私にとってとても幸せな時間だった。

いつか約束した婚儀を、果たせるかはわからないけれど、今はもう少しだけ彼女と寄り添っていたい。

切に願う私の想いは酒に染みていく。



その日の私は、珍しく酔わず、でも酔ったふりをして彼女の膝に頭を置いた。


嗚呼、今夜も月が綺麗ね。

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