十章「逃避行」


夜が来た。

夜空に浮かぶ満月が銀色の雪積もる夜鳴村よなきむらを照らす頃、私と辻、そしてお姉さまは家を出る。

少しでも寒さを凌げるようにと、お姉さまが毛糸で編んでくれた羽織に包まれ、私と辻は手を繋ぎ夜の村を歩く。

目に映る景色は美しく、綺麗に輝き、まるで私と辻の門出を祝ってくれているかのように。


「凪、ここで少し待ってなさい。貴方たちに渡したいものがあるの」


「渡したいもの...?」


お姉さまはその場に私たちを残し、月光の中背を向け歩く。

取り残された私たちは言葉を交わすこともなく、ただ見つめ合い、思い出にふける。

この村で作ったたくさんの思い出を胸に、今宵私たちはこの村を出ていく。

行き先は決まっていないが、きっとここに戻ることはもうないだろう。

一月ひとつき前、私と辻はそれを覚悟してこの結論を出したのだ。今更後悔なんてしていない。只ほんの少しだけ、寂しいだけだ。


「...凪、寒くないか?」


「大丈夫。辻は?」


「...私は少し寒いかも」


月の光に照らされ、白く映る辻の頬は少し赤らんでいるようにも見えた。

私は両腕を辻の首に回し、抱き寄せる。すると、とても暖かい。

そんな私の顔を見て嬉しそうに微笑む辻の頬に、私はそっと口づけを落とした。


私たちの邪魔はせんと、月光は雲に隠れ、辺りは暗く雲に覆われる。

この暗さならきっと、誰にも見られないだろう。


「...ばか」


「辻には言われたくないわよ」


薄暗闇に包まれたそこでは辻の顔を確認することはできないが、心臓の鼓動は確かにいつもより早く脈打つのを感じる。辻の体温を、私は全身で感じている。

いつかはこんな日も来るだろうと、私はどこかで思っていた。それが今日だとは、数か月前の私では予想もしなかっただろう。

それでも、私は辻が横にいてくれるならどこにだって行ける。

たとえそこが地獄だったとしても。


「お二人さん。いくら月が雲に隠れてるからって、村の中で堂々とイチャイチャするのはどうかと思うのだけれど...?」


ぬっと、暗闇の中から現れるお姉さまの顔に絶句。

この日とは肌が白い分、夜明かりのないところで見ると霊的な何かと勘違いしてしまうことがある。

辻なんて怖がり過ぎて私の背に隠れてブルブルと震えてしまっている。


「び、びっくりさせないでよ...」


「あら、ごめんなさい。それよりも、これ...貴方たちに」


お姉さまは赤い花が束ねられた彼岸の花束を差し出した。

私たちが大好きな花。

霧ノ助のお父さんが大好きだった花。

その花に込められた想いはお姉さまの心からの言葉だったのだろう。

『また会う日を楽しみに』

そんな再会を約束する意味が込められた花束を受け取り、私の頬を一筋の涙が零れていく。

最後の最後まで泣き虫だったのは霧ノ助ではなく、私のようだ。


「今生の別れではないでしょう?大丈夫。いつか、いつかまた、会える日が来るわ」


お姉さまが優しく零す言葉に、私と辻は声もなく涙を浮かべ、雲に隠れていた月明かりがお姉さまの顔を照らし出す。


「...お姉さまも、泣いているのね」


白息と共に、吐き出される私の言葉にお姉さまはただただ空を見上げている。

そんなお姉さまの泣き顔はとても美しく、どこか儚げだった。


*


朝日が昇る前に、お姉さまに見送られながら私と辻は夜鳴村を出た。

雪の積もる村に続く道を反対に、二人手を繋ぎながらその道をたどっていく。

お姉さまは私たちが見えなくなるまでずっとそこに立って見送ってくれていた。笑顔を浮かべながら、私たちの旅立ちを祝福してくれた。

辻は一度も振り返らなかったが、私は何度もお姉さまへ顔を向け、前へ進むことに怯えを見せた。そんな私を辻は引っ張り、やがて私の視界からお姉さまが見えなくなり、村が見えなくなる。


月明かりに照らされる道をひたすら真っ直ぐ歩いていくと、繁華街の煌びやかな光が見えてくる。

今日の宿はお姉さまが民宿を借りてくれたおかげでなんとか野宿は避けられる。しかし、明日からはどうすればいいのだろう。出来るだけ村から離れ、藤吉の手が及ばぬところに身を隠して生活しなきゃならない。嫌でも明日は繁華街からも出て行かなきゃならないだろう。


眩く光る灯篭の道を抜け、人で賑わう街に踏み出していく。

村じゃ人も眠る時間にもかかわらず、この街は未だ眠らぬといったように、とても騒がしい雰囲気に包まれていた。


「鈴蘭が用意してくれた宿ってどこなんだ?」


「えーっと、このあたりのはずなんだけどね...」


村から出ることなんて滅多にない私たちはもちろんこの街に来るのも初めてだ。

地図の見方もロクにわからず店の名前だけを頼りに歩き、宿がある場所の付近を何週もぐるぐると歩いている。しかし、地図に書かれた店の名前は確認できない。

暫くの間、私と辻はうろうろとその場を見回していたのだが、そんな私たちに数人の男たちが声を掛けてきたのだ。


「ねえ、お嬢さん達。見たところ、この街に来るの初めてみたいだね。良かったら案内するけど、どう?」


爽やかな人相の青年。何処か霧ノ助に似ている雰囲気を持っている。

その後ろに控える男たちも似たような風貌で、なにやらニヤニヤと気色の悪い笑みを浮かべている。

嫌な予感しかしないけれど、宿の場所を聞くくらいなら、と私はお姉さまから貰った地図を男たちに見せた。


「おー、この宿ならすぐそこだよ。俺らも泊まる場所探してたところだったし、一緒にいこっか」


青年は私に顔を思い切り近づけ微笑む。

そんな青年に辻が睨みを利かせていたが、ここで騒ぎを起こしても仕方ない。

何かあれば私が辻を守る。


私は辻に顔を向け、小さく「大丈夫よ」と呟き、青年らに案内されお姉さまが取っておいてくれた宿へ無事に辿り着くことができた。

木材のみで建てられた和風な民宿はどこか村の建物を思い出す。松明によって明るく照らされた広間の受付で予約の名を告げ、二階の小部屋に案内された。

村ではまず見かけないお洒落な間接照明にに照らされた八畳ほどの小部屋。

赤い絨毯が敷かれた部屋の中央には大きなベッドが置かれており、そのほかにも硝子の机や冷蔵庫などが設置されている。

どれも村長の邸宅でしか見たことのないものばかり。

これが都会ってやつなのか。


「...こうして改めて見ると私たちの村ってド田舎だったんだな」


「...そうね」


私の家には冷蔵庫やベッドなんてものはないし、照明もこの部屋に置かれているようなお洒落なものじゃない。電気が通っているだけマシなのかもしれないが。


「ここ、浴室もあるみたいだぜ。凪、一緒に入ろうぜ!」


「そんなにはしゃがないの。でもそうね、せっかくお姉さまが取っておいてくれたのだし...、一緒に入りましょうか」


流石に浴室位なら私の家にもあるが、きっと私の家にあるものよりも広くてきれいなのだろう。そんな期待をしながら私たちは浴室へ。



感想だけ言えば、この宿の浴室はとても綺麗で落ち着く空間だった。

冬の寒さによって凍えた体は温かい湯によって解され、私と辻は久しぶりにゆっくりと二人の時間を楽しむことができた。


濡れた髪を互いに拭きながら、私たちはお揃いの寝間着に身を包みベッドに腰かけ合っている。

窓から見える空は次第に白く澄んでいき、もうじき朝がやってくる。

昼になれば誰かが私たちが居なくなっていることに気づくだろう。黄昏時たそがれにはこの繁華街からも出て行かなければならない。

それからどこに行くかはその時決めればいいわ。

とにかく今は、少しでも体を休めなきゃ。


「辻、そろそろ寝ましょう?夕暮れ時にはこの街を出るわ。それまでしっかりと休まなきゃね」


「そうだな。じゃあ、寝るか」


羽毛の使われた暖かい毛布をかぶり、ベッドの脇に置かれた照明を消して、私たちは眠りにつく。



そして目覚める頃。

事件は起きた。


昨夜、この宿まで案内してくれた青年らが私たちが眠っていたベッドを囲っていたのだ。


「お目覚めかな?お嬢さん」


昨日と全く変わらない薄気味悪い爽やかな笑みを浮かべる青年は辻に刃物を突き立て私の目の前に立っていた。

辻は猿轡さるぐつわをされているせいで声を上げることができなかったらしい。今も青年を睨みながら唸っている。


「...その子を離しなさい。今ならまだ許してあげるわ」


これは忠告であり、警告だ。

この男が助かるためのただ一つの手段。

もしこの男がそれを断るなら私は、この男に刃を向けるだろう。


しかし、予想通り青年は辻を離す気はないらしい。


「ふふっ、お嬢さん...立場わかってる?今僕の腕の中には───」


刹那の如く。

青年が言葉を紡ぎ終える前に私はベッドの下に忍ばせた刀を手に取り、瞬時に鞘から刀身を抜き出し切っ先を青年の首元に突き立てた。


「これが最後の忠告。その子を離し、ここの部屋から出ていきなさい。もし次一言でも発せば、血を流すのはその子ではなくあなたの方よ」


私の眼力に男は怯み、何が起こったのかも理解できぬといった様子で口をつぐむ。ベッドを囲んでいた複数の男たちも唖然としており、誰一人私に攻撃しようと思う者もいないらしい。


青年は私の言葉に頷き、辻から腕を離す。

辻を抱き寄せ、もう一度男たちを睨みつけた。


「早く、出ていきなさい。私の気が変わらないうちに...早く!!!」


私の怒鳴り声はきっと廊下の方まで聞こえているだろう。

その声に情けなくも怯え慌てながら背を向け逃げ出す男たち。

その背中を見つめながら、私は辻の口を封じていた猿轡を外してやる。しかし、こういうことに関しては辻も一切怯えることなく、どちらかというと寝込みを襲われたことに怒りを覚えている様子だった。


「あの男たち、何が目的でこんなことを...」


「わかんねーけど、鈴蘭がどうとか、その妹がどうとか...なんか凪のことを狙ってたみたいだけどな...」


「...そう。辻、予定よりも早くここを出ましょう。なんだか、胸騒ぎがする」


「そうだな...」


この街はお姉さまが暮らす街だ。それならお姉さまのことを知っている人間がいたっておかしくはない。

でも、あの男たちはなぜこんなことをしたのか。

私を狙っている?なんのために。

とにかく、急いでこの街を出よう。

私は荷物をまとめ、辻の手を引きながら宿を後に、繁華街を抜けた。



それから数日後、繁華街では大規模な捜索が行われたようで、いよいよ私たちの後を追うものが現れたらしい。

お姉さまや霧ノ助は無事なのか。

どこまで行けば藤吉の手から逃れられるのか。

一抹の不安に急かされるように、私たちは繁華街から遥か北の方に位置する集落を目指して歩いた。

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