-終恋-

九章「雪降る日、最後の日」


冬の寒さに包まれた夜鳴村よなきむらに雪が降り積もる。

木材で組み立てられた村の建物の屋根には銀色の積雪によって冬景色が綺麗に映し出される。寒さに震える私の体を、隣を歩く霧ノ助がそっと抱き寄せた。

ちょっとばかし照れくささを覚えながらも、私は抵抗しない。


藤吉がこの村の村長になり、早一月が経つ。

既にこの村は藤吉の手によって異色の雰囲気に包まれ、村人たちからは笑顔が消えた。

あの男は郁恵いくえさんを邸宅から追い出し、部下らしき男数名を引き連れて邸宅に引きこもってしまったのだ。

現在郁恵さんはお母様の家に身を潜めているらしく、最近は全く顔を見ることもなくなった。


あの日。

藤吉が私の家を訪れたあの日。

私とお姉さまは話し合いを行った。

私と辻の今後について、とても大事な話し合いだ。


*


「凪。この村を出なさい。あの男はどんな手を使ってでも貴方と辻の関係を暴く気だわ」


お姉さまは非常に思いつめた表情で私を見つめていた。

いつものようなおっとりとした声色ではなく、とても緊迫した暗めの声色で。

私はどうしたらいいのかわからない。辻とこれからも一緒に寄り添って生きていくにはもう、その手段しかないのだろうか。

しかし、それはお母様が築き上げた万屋をつぶすということになる。私たちがいなくなったあと、誰がこの村を守るのか。誰がもののけ共を斬っていくのか。

それを訪ねても、私の姉は全く譲らないといった様子で、鋭く細められた視線は私の顔を一心に見つめている。

お姉さまにはきっと、私の気持ちもお見通しなのだろう。我ながら情けのない話だ。この数年間、村民たちにバレぬようにとそれだけを心掛け過ごしてきたというのに、たった一人の邪魔者によって崩されてしまうのだから脆いものだ。


「凪、これは提案でもなければお願いでもない。貴方の姉として、妹に命令しているの。貴方がこれからもと一緒に居たいなら、この村を出ていきなさい」


「...ほんとに、それしかないの?あの男を殺せば...、あの男さえいなくなれば、私たちも、何よりこの村にとっても...」


「...それはダメ、だ」


突如後ろから聞こえる声に私の視線は声の元へ。首を後ろへ向ける。

そこに立っていたのは全身傷だらけで血を流す霧ノ助だった。顔や、首、腕などに切り傷。そして、腹部を真っ赤に染める血液に私は青ざめる。


「霧ノ助...っ」


お姉さまがすぐさまかけより、霧ノ助の体を支えながら床へ寝かせる。霧ノ助の服を素手で引きちぎり、傷跡の確認。自分の着ている着物の裾を歯で破き、それを腹部の傷跡へ押し付けた。

私はその間、何もすることができず、ただ茫然とお姉さまの背中を見つめることしかできなかった。

昨日、霧ノ助を見送った時のことを思い出す。

柄になくたくましさを見せ、男らしく背を向けた霧ノ助がこんなにボロボロになって帰ってくるなど、昨日の私は考えてすらなかった。ただひたすら、苦しそうな霧ノ助の表情に胸が締め付けられ、無意識に涙が込み上げてくる。


「凪。泣いている暇があったら手伝って!なんでもいいから布を持ってくるの!!」


声を荒げ怒鳴るお姉さまによって朦朧としていた意識は正常を取り戻し、私は言われた通りに動く。

羽織や布地を家中からかき集め、未だ傷口の止血を行っているお姉さまへ持っていく。

お姉さまはすかさず私の持ってきた布類を血液が溢れる傷口に押し当てる。既にお姉さまの手は血だらけで、お姉さま自慢の着物も、橙色から赤黒く血液の色に染まっていってしまっている。

私は頬に涙を零しながら、何度も霧ノ助の名を呼んだ。


死なないで。

死んでほしくなんてない。

アンタのことは大嫌いだけど、死んだら許さない。


何度も何度も声が枯れるまで叫んだ。

その声に目を覚ましたのか、寝室から辻が出てきた。


「...なに大きな声だしてん...霧ノ助?お、おい...な、なんだよこれ...」


寝起きの眠そうな辻の表情は一瞬で凍り付き、プルプルと震えながら私たちの元へ駆け寄った。


「な、凪...これ......なんで」


辻の顔から血の気が引いていき、辻の華奢な体はがたがたと震えだす。呼吸が乱れ、辻の細い腕は私の腰へ。

今の私には、その手を握り締めることで精一杯で、辻を安心させる言葉を掛けてやることもできなかった。

私の震えと辻の震えが同期するかのように、互いに生まれる不安の種類は同じのようで、呼吸をするのさえままならない。


それでもお姉さまの賢明な処置のおかげで霧ノ助は一命を取り止めた。


それから夜になって霧ノ助が目を覚ますまで、お姉さまは私達を安心させるためにと、ずっと抱きしめてくれていた。

包み込むお姉さまの腕に縋りつき、私と辻はただただ怯えた。何に怯えているのかもわからなくなるくらい、ただそこにある見えない恐怖に怯え、自我を忘れてしまいそうなくらい怖かったのだ。

霧ノ助の変わり果てたあの姿が目に焼き付いて離れず、未だ油断が許されない彼の状態と、もし自分もああなってしまったらという恐怖に駆られ、藤吉の存在を思い出すたびに酷い吐き気に襲われた。


「...すまない。僕が油断したばかりに、こんな深手を負ってしまうとは」


「いいえ、貴方一人に任せた私の責任でもあるわ。それで、目を覚ましたばかりで悪いけれど...何があったのか教えてもらえるかしら?」


体中に包帯を巻きつけた霧ノ助は痛みに表情を歪めながらも、上半身を起こし、壁に凭れかかる。

既に止血も済み、塞がった傷に手を当てながら、霧ノ助は思いつめた表情でお姉さまを見つめた。

どうやら、ただ傷だけもらって帰ってきたわけではないらしく、しっかりと藤吉の情報も手に入れてきたようだ。

転んでもただでは起きない。それはこの村の漢達に代々伝わる志のようなもので、お母様が万屋を始める前は、この村の漢達が命がけでもののけと刀を交えていたと聞く。その中には前村長の姿もあったそうで、霧ノ助にも少なからずその血が流れているのは確かだろう。


「僕は今日、あの藤吉が抱えている屋敷に忍び込んだんだ。この村から東にある古びた洋館なんだが、そこで僕は恐ろしいものを見つけた」


「恐ろしいもの...?」


お姉さまの問いかけに静かに頷き、こう続ける。


「...少女の遺体が拘束された監禁部屋だ」


霧ノ助の放った言葉に耳を疑った。

狂気じみた悪寒と、死の恐怖。想像する絶望と苦痛に内から込み上げる吐き気。

既に私の精神は怖に汚染され、霧ノ助の話を聞くだけで壊れてしまいそうなほど脆く、ボロボロになっていた。

お姉さまに背を擦られながら、依然顔を青く染める辻の冷たい手を握り締め、視線を霧ノ助へ戻す。


「...死後数日は経っていたはずだ。体の色は変色し、おぞましい程に苦痛に歪んだ表情を浮かべていたよ...。腐敗も、かなり進んでいた」


「でも、何故そんなものが藤吉の屋敷に?彼は一体何をしようとしているの?」


「彼は、藤吉は...、もののけを作ろうとしている。自分の力で、あの怪物を作ろうとしているんだ」


その言葉に全員が絶句し、声にならない声を上げた。

静寂に包まれる重い空気に息を吸い込むことさえ忘れ、私は霧ノ助の目を見つめる。心拍がぎ、脈が大きく波打つ。

霧ノ助の言っていることを理解するまでに数瞬の時と一拍の息を継ぎ、やっと頭に映し出される情景に溜まらず便所へ向かって走った。


嗚咽を漏らしながら、全てを吐き出し、口内に残る嫌な苦みに涙を浮かべ。

今まで感じたことのない程、巨大に膨れ上がった畏怖に支配された私の体と心。これ以上話を聞いていられるほど、私の正気度は残されていない。

けれど、それでも霧ノ助が命を張って手に入れてきた情報を無駄にするわけにはいかない。

私は布切れで口元をぬぐい、寝室へ戻った。


「凪、大丈夫かい?」


「...うん、平気。ごめんね。それで、どうしてそんなことが分かったの?あの男はどうやってもののけを作ろうとしているの?」


「少女の遺体が拘束された部屋の他に大量の資料で埋め尽くされた部屋があったんだ。そこにはもののけに関しての研究資料が山ほど保管されていたんだ」


今朝、藤吉が言っていたもののけの正体。そして彼が村長になった理由。

もののけは女性の怨念が形になったもの。村の掟によって儚く散った女性たちの恨めしい恋心。それが形となって村の周りを徘徊している、と。藤吉はそう言っていた。


「僕は、その資料の中から今朝君が聞いたとされる内容の文面を発見したんだ。そこには、少女に絶望的な被虐を与え続け、痛みや苦しみの中で殺害するといった残虐な殺人計画等も記されていた。僕が見た遺体も計画の一環として行われた殺人の被害者なんだろう...」


「...ひどい」


藤吉に抱いていた恐怖という概念は気づかぬうちに憤怒へ変わり、それはお姉さまも同じのようで、全身が震えている。

辻は変わらず、戦意喪失というか心ここにあらずといった様子で、私の羽織の裾を固く握りしめている。


「きっと、彼はそんな風に殺した少女の怨念がもののけとなってこの村の人間を襲っている。そんな風に考えたのだろう。もしこの仮説が立証されれば長年一つの生体として謎に包まれたもののけの正体を掴めることになる。さすれば彼は学者としての栄光を手にすることができる」


「...そんなことのために...、許せない...」


私の心は沸々と煮えたぎり、もしもそんな目的のために辻が殺されたら、なんて考えた時にはその怒りも爆発してしまいそうだ。


「...やっぱりあの男は殺すべきよ。このまま生かしていたら、この村も、私と辻も......」


静かに呟いた殺意。

しかし、霧ノ助もお姉さまも私の意見に首を縦に振ることはしない。

あんな男でも殺してしまえばやっていることはあの男と同じだ。それは解っている。でも、このままでは私も辻もあの男のくだらない研究のために殺されてしまう。


「それだけじゃないんだ。凪、あの藤吉って男の裏にはこの国の政府も絡んでいる。おそらく、藤吉の研究が成功し、もののけの正体が判明したら、政府はもののけを兵器として扱うつもりなのだろう。あの男を殺したところで何も変わらない。ほかの人間が必ず君たちを殺しにこの村にやってくる」


政府や兵器。

そんな馴染みのない言葉を並べられても、私には何一つ理解ができなかった。

ただ一つ。そんな下らない目的のためにこの村を利用し、私や辻を殺そうとしている。そんな下らない理由で、私の大好きなこの村を、辻を....


「...許せないよ、そんなの...、だって、どうして、どうしてよ...」


本当に、本当にどうすることもできないのか。

私たちには、何もできないのか。

私たちはこの村を守る万屋なのに、どうして。


「凪。僕は、その政府の人間に殺されかけ、命からがら逃げてきたんだ。君にはこんな目に遭ってほしくない。奴らだってバカじゃない。そのうち僕のことも、この話をした君たちのことも殺しに来るかもしれない。君と辻は、この村に居ちゃ駄目なんだ...」


霧ノ助はいつも頼りなくて、ドジでバカで弱々しい。でも、私や辻のために命を張って行動してくれる優しい奴だ。嫌い嫌いなんて言ってはいたが、私はそんな彼の優しい一面に惹かれることもあった。どんなにうざがっても彼は私にいつも笑顔を向けてくれた。


「凪、辻。貴方たちは村の掟に背き、恋をしてしまった。それはいけないことなの。遅かれ早かれ、この村を出ていくことはずっと昔から決まっていたことよ。それでも貴方たちは愛し合ってしまった。その責任の取り方くらい、わかるわよね」


お姉さまはいつも何を考えているのかわからない不思議な人だ。私と辻のせいでお姉さまは霧ノ助と結ばれることはなかった。それでもお姉さまは私たちに何ら変わりない態度で接してくれた優しい人だ。その優しさに甘えて数え切れないほどの迷惑を掛けてきた。その度お姉さまは私を優しく抱きしめてただひたすら「大丈夫」と頭を撫でてくれた。


この村に産まれ、この村で育ち、この村の人たちから貰った大切なもの。それを断ち切ってでも私たちが選んだ道ならば、お姉さまと霧ノ助の気持ちを裏切るわけにはいかない。

この人たちは、私と辻を必死に守ろうとしてくれている。


「...私、この村が好きなの。お姉さまは、あまり帰ってきてくれないし、霧ノ助はいつも弱虫で泣き虫で、頼りないけど、それでも辻と一緒に育ったこの村が、この村の人たちが私は大好きなのっ...」


「ええ、わかるわ。私ももっと帰ってきてあげればよかったわね...。私も大好きよ、凪」


瞳から溢れる涙で視界は歪み、気づけば三度お姉さまの胸の中に顔を埋めていた。

ずっと続くと信じて疑わなかった日常は、あっという間に終わりを迎えてしまう。

私は声を上げて泣いた。それに釣られて辻も泣きだした。

夜が更けるまで泣いて喚いて、それでも私と辻は手を離さず生きていくことを誓った。

どんなときでも繋いだ手を離さず、前を向いて生きていくと。

例え、藤吉の手によってこの村がなくなったとしても、振り返らずに歩いていくと。


お姉さまと霧ノ助はそんな私たちのそばにずっと寄り添ってくれていた。



月明かりが照らす丑三つ時。

散々泣き腫らして眠ってしまった私は寒さによって目を覚ました。

居間の臥間から洩れる光、そして静かにさかずきを交わす二人の男女の話声。


「...霧ノ助。あの子たち、大丈夫よね?私たちが付いていなくても、自分たちの力で生きていけるわよね?」


「大丈夫さ。凪も辻も強い。何があってもあの二人なら歩いて行ける」


「...そうよね。私たちは私たちしかできないことをしましょう。あの男を止められるのは私たちしかいないわ」


「...そのことなんだが、鈴蘭。君もこの村を出て行ってくれないか?いくら鬼姫でも、国が相手じゃ勝ち目はない。僕も正直突拍子もない事態についていけていない...しかし、あの男は本気でこの計画を遂行しようとしている。もし、凪と辻がこの村を出て行っても手を引く保証はどこにもない...僕は君にも生きてほしいんだ」


「......私に出て行けって?ふふっ、霧ノ助。もし次、同じ言葉を私に言ったら、いくら貴方でも容赦はしないわよ?」


「......えっと、鈴蘭。わかった、わかったから...その手に構えた酒瓶を下ろしてくれないかな?一応僕は重傷を負った怪我人なんだが...」


「冗談は置いといて...それにね、あの子たちがこの村を出て行ったあと、誰がこの村を守るのかしら?貴方じゃ到底無理な話ね」


「...えー、これでも成長した方だと思うんだけどな」


「何が成長よ。そんな傷を負わされて帰ってくるようじゃ、貴方には任せてられないわ....さて、そんなことより霧ノ助。あの子たち、いつこの村から連れ出すの?」


「あぁ...そのことなんだが───」


*


あれから一月ひとつき

私と辻は一切顔を合わすことなく万屋の看板を畳んだ。

村の人たちにはいろいろ執拗に聞かれたが、辻が重い病を患ったということで片付いた。

この状況は藤吉にとっては最悪の状況だったのだろう。店仕舞いを終わらせた日に藤吉が顔を見せに来たが、とても悔しそうな顔を浮かべていた。


辻と会わなくなった代わりに、私の自宅には霧ノ助が転がり込んでいる。元々夫婦なのだから当たり前と言えば当たり前だが、初めての同棲はいささか気まずいもので、一月と短い時間ではあったが、この一月で私と霧ノ助は本当の夫婦になれた気がした。


霧ノ助は最後の最後でわがままを言ったのだ。


『一月でいい...、君の夫として傍に居させてくれないか?この一月は、君を守り続ける。これは僕の最後のわがままだ』


正直呆れてしまった。

でも、少しだけ嬉しかったんだ。霧ノ助は義理で私と夫婦になったわけじゃない。霧ノ助は本当に私を愛してくれていたんだと。

だから私は彼の最後のわがままを聞くことにした。


だがそれも、今日で終わる。

ちょっとばかし、現実から目を逸らした私と霧ノ助の夫婦生活は、素直になってみれば幸せなものだった。きっとこれが普通なのだろうと思った。

でも、結局私は辻を選んだ。

霧ノ助にとっては最後の賭けだったのかもしれない。

ほんの少し、心のどこかで自分を選んでくれると、そう思っていたのかもしれない。


しかし、私はやっぱり辻と生きていきたかった。


「だから、今日で最後。ねえ霧ノ助、今までありがとう。いっぱい、いっぱい...私を愛してくれてありがとう。でも、ごめんね。私は、辻が大好きだからさ」


彼との思い出を断ち切るように、白い息とともに吐かれた言葉。


その言葉に霧ノ助は涙を浮かべながら微笑み、そしてこう言った。


「───これからも、愛しているよ。凪」




たった一月の、夫婦生活は幕を閉じた。

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