八章「魔の手は伸びる」


「朝早くに申し訳ないですな」


居間の炬燵に足を埋め、藤吉は笑みを取り繕う。

この男の笑みは苦手だ。本当ならばこんな得体の知れない人物を部屋に招き入れること自体危険なことなのだが、仮にも目の前の男はこの村の新しき村長であり、村長なしでは成り立たない私たち万屋はこの男に逆らうこともできない。

辻が寝息を立て眠る寝室の戸は閉め切っている。仮に藤吉に辻がここにいることがバレてしまったとしても、同じ仕事をしている仲だ。焦ることはない。

私は気持ちを落ち着かせるために茶を一口。そんな私に合わせ、男も湯呑に口をした。


「それで、私に何か用?こう見えて、暇じゃないのよ」


「存じておりますよ。あのもののけを年間数十体も討伐されている、この村の自慢娘だとか。お若いのにようやりますなぁ...」


愉快気に口角を上げ、鼻に付くようないけ好かない声で煽てる男。

一体何の目的でここに来て、何を考えているのか、全く理解ができない。


私は心の中で姉の帰宅を願いながら、目の前の男に目線を合わせる。


「いえ、大した用ではないのですよ。ただ、ある噂を耳にしましてな?万屋の娘二人の仲があまりにも親密すぎるのでは、と。この村では変わった掟があるのだとか?」


「...何が言いたいの?」


「いえいえ、私もこの村に来たばかり。もちろん疑っているわけではないのですよ。ただ、ちょっと興味がありましてね?」


男の好奇の色に染まった瞳に私の心拍数が跳ね上がるのを感じ、目は移ろう。以前、霧ノ助も言っていた私たちの噂。この男は感づいている。私たちの関係を本気で疑っている。でなければこんな朝早い時間帯に、ここへ来ることなどしないだろう。


私は息を飲み、瞳を閉じる。

言葉に迷い、震えそうになる手を必死で抑え込む。

不安の根源であり、私たちの今後を脅かす厄介な存在。この男に不安や物言えぬ恐怖を感じている人はたくさんいるはず。ならば───


───ここで斬っても問題ないじゃない


瞼の裏の闇に精神を預け、微々たる殺気を抑えながら、私の意識は玄関の傘立てに乱雑に放り込まれた一本の刀へ向く。

ここから飛び込み走り抜ければ一瞬でこの男の首を斬ることができる。そうすれば、そうすれば、私たちの未来を脅かす存在もいなくなる。

そうだ。これは、この村のため、私たちのため。


私は押し殺した殺気を研ぎ澄まし、一本の刀のように男へ振りかざすかの如く、目を見開いた。


そこで男は口を開いた。


「聞いてはいけないことでしたかな?いえいえ、気にしないでください。私はこう見えても学者でしてね。探求心を抑えることができなかったのです。今の質問は忘れてください」


「...ええ、忘れるわ」


あそこで藤吉が口を開かねば、私は藤吉の首を迷うことなく斬っていただろう。なんとも絶妙なタイミングで命拾いするとは、運のいい男だ。

今の殺気は抱いてはいけない殺気だと、自覚するのに大した時間は要らなかった。今この男を殺せば、私たちの噂は余計に根強いものになる。それでは本末転倒だ。直にお姉さまも帰ってくるだろうし、ここは落ち着いてこの男の話に付き合うのが賢明か。


「それより、私は貴方に聞きたいことがあったのです。もののけ退治のプロに、ね」


「...?」


「貴方はもののけが一体どういう存在なのかご存知ですかな?」


「...いえ、知らないわ」


「でしょうね...」


くっくっく、と得意げに含み笑いを浮かべ、湯呑の茶を一気に飲み込むと、藤吉は身を乗り出して熱く語りだす。


「最近、研究で分かったことなのですが、もののけは亡くなった女性の、この世への未練が形になって化けたものなのでは、と。仮説を立てたわけです。この国で、もののけが未だに観測されるのはこの夜鳴村よなきむら周辺だけなのですよ!」


藤吉は不敵な笑みを浮かべたまま人差し指を一本付きたて、話を続ける。


「そこで私は考えた!この村の掟...同姓愛の禁止、発覚した場合の死罰...もう、お分かりですよね?」


「...まさか」


もののけの正体。それは、想いを断ち切られ、無念にも死罰を受けた女性たちの怨念。想い人と共に、その恋心を踏みにじられた掟に対する、村人に対する復讐の念。それが形になったものがもののけ...


「...確かに、筋は通っているとは思うわ。でも、単なる仮説にすぎないでしょう?」


「ええ。単なる仮説にすぎない。だから私はこの村の村長になることに決めたのですよ。仮説を実証するのが学者の性です。もし、もしも、掟を破る人間がこの村で出たならば、私は迷わず罰を執行します。それが例え、この村の英雄であっても、ね?」


穏やかな表情の裏に隠された冷酷な素顔。私はこの時、確かにそれを感じ取った。同時に得体の知れない恐怖と不安が全身を縛るように、私の身体は硬直した。

この男は危険だ。この男の言葉に嘘は全く感じられない。もし私たちの関係がこの男にバレてしまったら、私たちは間違いなく殺される。


私は無意識のうちに辻が眠る寝室へと視線を向けていたらしい。

藤吉は依然不気味な笑顔を浮かべ口を開く。


「...どうしました?あちらの部屋に何か?」


「な、なんでもないわ。それで、もののけのことだけど、何故奴らは人間の感情を奪っていくのかしら?」


少しでも藤吉の意識を寝室から遠ざけねば。今あそこに入られれば私たちの関係はますます怪しまれてしまう。

私はたじろぐ仕草を少しでも抑えようと、ふくらはぎに爪を立てる。痛みを感じ、焦る心は多少の冷静さを取り戻す。この行為に私は一切の無表情を決め込んだ。


「それはまだ調べている途中なのですが、私の考察だと人間の感情を奪うことが奴らの復讐なのではと。感情を奪われた人間は誰かに恋をすることもできないでしょうから、ね」


「...そう。藤吉さん。そろそろ、私はこれからやらなければならないことがあるの。帰ってもらえるかしら」


これ以上この男が居座るのは危険と判断した私は立ち上がり、玄関へ見送る体制へ。

しかし、藤吉は一向に立ち上がる気配なかった。湯呑を手にしたまま、ゆっくりと私の顔を見つめ、狂気を孕んだ顔でニヤリ笑いだす。


「帰る前に、一度この家を調べさせていただいてもいいですかな?」


男の発言に、私は肩を竦め、声にならない声を漏らした。

嫌な汗が体中から吹き出し、指先が震える。

声を出そうにも、まるで声帯が凍り付いたかのように全く声を発することができない。

心臓の鼓動が急激に速度を上げ、妙な吐き気と寒気が全身へ走る。


藤吉は立ち会がり、辻の眠る寝室へと向かって歩き出す。


止めなければ、止めなければ...

辻を、辻を守らなきゃ。このままじゃ、私も辻も...


頭で理解していても、気持ちと身体はついて行かない。男の重たい足音は耳に届いている。しかし、体は全く動かない。

呼吸が乱れ、膝が砕け、私はどうすることもできないまま、男が寝室の臥間へ手を掛けるのをじっと見つめていた。

絶体絶命。もうだめかと思われたその時だ。


寝室の扉が一人でに開いたのだ。

そこに立っていたのは寝癖を浮かべた鈴蘭お姉さまだった。


「藤吉さん。女の子の寝室を勝手に開けるのは紳士としてどうかと思いますよ?」


「...これはこれは。お姉さまが睡眠中でございましたか。これは失敬。私はてっきり、辻お嬢様がこちらで眠っておられたのかと」


緊張が解けた私は大きくため息を吐きながら、倒れこむ。硬直していた体はかくかくと震えだし、頬から伝って零れる涙は床へ雫を垂らす。

お姉さまは眠そうな表情を浮かべたまま藤吉の体を腕で突き飛ばしながら、寝室を出る。臥間はすぐに閉じられ、藤吉は少々気に入らない様子でお姉さまを見つめている。


「...一応聞いておきますが、そちらの部屋には貴方一人でしたか?」


「ええ、そうよ。私が嘘を吐いているように見えるかしら?それとも、証拠もなしに私の大切な妹を虐めているのだとしたら───」


『───有無を問わず、その顔面をぐちゃぐちゃに切り裂いてやるわ?』


低く響くお姉さまの声は恐ろしく怒りの籠った静かな怒号。たった一言で藤吉を怯ませたお姉さまは、やはりこの村の鬼姫だ。もののけなんかよりももっと怖いのは本気で怒らせたお姉さまのだから。


「...失礼。どうやら貴方を怒らせるのはとても危険だということがわかりました。今日はこの辺でおいとますることにします。ですが、少しでも私が怪しいと判断した場合、村民会議の議題として取り上げ、死罰を執行致します。それで文句はないですね?」


「ええ。構わないわ」


酷く機嫌が悪そうに、睨みを利かせながら藤吉は玄関へ向かい、靴を履いて出て行ってしまう。

やっと心の安定を取り戻した私の瞳からは大粒の涙が零れだす。


「...大丈夫よ。は私が守る。だから安心して。大丈夫だから」


優しく暖かいお姉さまの抱擁の中で、私はしばらく泣き続け、喉が枯れるまで、声を上げた。



1時間後。

未だ私はお姉さまの腕の中でじっと固まっていた。

緊張が解け、不安や恐怖を吐き出した私は、お姉さまに顔を向けるのが恥ずかしくて仕方がない。今だって、お姉さまに頭を撫でられて、まるで子供のように。

辻を守ると決めた私は、周りの人に守られてばかりだ。弱くて、小さくて、こんなんじゃとても辻を守ることなんてできない。

もっと強くなりたい。

そう告げるとお姉さまは言った。


「強くなる必要はない。私が守るから」


と。

凄く惨めだった。最愛の人を危険に巻き込み、その上姉に慰められている。

霧ノ助だって、臆病ながらもあの男を調べるために動いてくれているのに...

私は今回、何もできていない。

もしあそこでお姉さまが来てくれなかったら、私たちは今頃...


「...お姉さま、どうやって寝室に?」


「いつものように、縁側からよ。窓から貴方とあの男が話しているのが見えたから、念のためにね...。でも本当に良かった...」


お姉さまでさえも手汗握る様な状況だったのだろう。安心したかのように、私を抱きしめる力が強くなる。

これからどうするのか、話し合わねばならないときだろう。

しかし、今はもう少しだけ、お姉さまに甘えて居たかった。

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