六章「冬の訪れと別れの花言葉」


翌日のことだ。

私は玄関の引き戸を叩く音によって目を覚ました。寝ぼけた意識を引きずり、寒さに震えながら玄関へと歩く。外はまだ暗い。こんな時間に一体誰が。

目を擦り、身震いを覚えながら引き戸を開くとそこには血相を変えた霧ノ助の姿が。


「はぁ...、アンタ、こんな時間になんの用?」


「ご、ごめん...で、でも...そ、その...」


おどおどと弱々しい声に苛立ちを覚えるも、いつもと様子の違う霧ノ助の声色に違和感を感じる。


「なによ...、なにかあったの...?」


珍しくも私は霧ノ助のことを心配していた。明らかに様子がおかしいからだ。息を乱し、血色の悪い顔と瞳に浮かぶ涙。乱れる息に混ざるは嗚咽。いくら霧ノ助でもこんな様子で私を訪ねてくるのは初めてのこと。そんな霧ノ助の姿に私は戸惑いを隠すことができなかった。


「と、とにかくきてほしい...、辻ももう向かってる...」


「は、はぁ?向かってるってどこに...って、ちょっと」


私の問いかけを遮るように、冷たく悴んだ霧ノ助の細い手は、私の腕をつかみ外へと引きずり出す。羽織も羽織っていない私の体に感じる外の冷気。こんな薄着で人を外に連れ出すとは、この男の正気を疑ったが、今はそれどころではないらしい。説明してる暇もないといった足取りで向かうは霧ノ助の自宅。つまり、村長の邸宅であった。

この寒さなら時期に雪が降ってもおかしくはない。口から吐き出される白息は外の気温を物語っており、手足の指先は徐々に感覚を失っていく。それでも私を引っ張る彼は寒さなどにかまけている場合ではないらしく、息を荒げるだけで震えはしていない。

村の最奥に位置する村長の邸宅は洋風な外観で、洋館をイメージするとわかりやすいか。


冷気に澄んだ月明かりは前方に見える邸宅を儚げに照らし、連なるように邸宅へ入っていく村人たちの姿を視界に収めた。


「何があったの...?」


「...」


私の問いかけに霧ノ助は返答することなく、ただ歩みを速めるばかり。それについて行く私の足は寒さで悴み、感覚を失っていく。


邸宅に辿り着いた私は依然霧ノ助に服を引っ張られながら玄関の扉をくぐる。

赤い絨毯が敷き詰められた廊下には何十人と、人が忙しく行き来しており、皆向かって村長の寝室へと向かって歩いていた。

私も霧ノ助に引っ張られながら寝室の方へと歩く。前方に愛しき人を見つけるも、その表情から話しかけることはできなかった。

彼女も私のように急に起こされ家を出たのだろう。腰まで掛かった黄金色の長髪には寝癖が付いており、未だ寝ぼけ眼を浮かべている。


そして寝室から響く声に私の背筋は凍り付いた。


「あなたっ....ぅ、う...、どうして...、ううぅ...」


嗚咽交じりの啜り泣き。霧ノ助の母であり、村長の妻である郁恵いくえさんの悲しみに暮れる声。

私は全てを悟り、横歩く霧ノ助へ目を向けた。


「...じいさんは、長生きしたよ。それに、こんな大勢の人に来てもらったんだ。幸せだったろうさ...」


父親の突然の死に悲しさ残る笑みで寝室を見つめる霧ノ助に、私はかけてやる言葉を見失う。肉親の死は言葉で表せないような悲しみと、やり場のない怒りに包まれる。幼少の頃、父を失っている私には痛いほどわかる。

今この場にいる者達は皆、愛嬌のある優しい笑顔で村民を見守ってくれた村長の死を受け止めているのか。それとも、嘆いているのか。


「...凪。大丈夫か...?」


前方に立っていた辻が私に気づき声を掛けてきた。私は静かにうなずき、もう一度霧ノ助へ視線を向ける。

きっと、私よりも、辻よりも、深い悲しみを抱いているであろう彼の顔は、一言で言うならば美しかった。只何も言わず、静かに涙を流しながら立ち尽くす霧ノ助。その涙には様々な感情が込められていただろう。

気づくと、私の瞳からも涙の筋が頬を伝い、顎先で雫となって落ちる。

お母様ととても仲の良かった村長は幼少の頃、私に刀を教えてくれた。厳しい稽古の後はいつも、この屋敷で茶と茶菓子を差し出してくれた。いつも優しく、どんな時も柔らかい笑顔を浮かべる人だった。村の人皆一人一人、村長との思い出はあるだろう。

私は無意識のうちに、辻の手を握り締めていた。辻は何も言わず、私の手を握り返す。そんな彼女の頬にも一筋の涙が。



村長の死を悼むものは村の中だけに限らず、村の外の人間も村長の葬儀に出席している。喪服に身を包む列の中、私と辻は喪服ではなく、いつも仕事で使っている羽織だ。


「...ほんとに、顔が広かったんだね。おじいさん」


「あぁ。僕も驚いたよ。まさかこんなにも人が来てくれるなんて」


辻は黙り込み、俯いているが、霧ノ助はすっかり元気を取り戻していたらしく、すっきりとした表情で私の隣へ。

何故私と辻が喪服ではないのか。それは、村長立っての希望らしい。この村の英雄であり、孫のように面倒を見てきた万屋の娘二人には、自分の最後の時まで万屋であってほしいとのことだ。不謹慎にも思われるが、お母様にも村長の希望を飲んでやりなさいと言われ、私たちは複雑な心境のまま、こうして葬儀に参加している。


葬儀に参列する弔問客ちょうもんきゃくは皆白い花を手に持ち、村長の眠る棺桶へと添えていた。しかし、私と辻が手に持つのは白い花ではなく、血のように真っ赤に染まる彼岸の花。この花は村長も大好きだった。この花に込められた意味と想いは、この場に相応しいのではないだろうか。


前方の者達の別れが終わり、今度は私たちの番だ。

手に持った赤い花を棺桶で眠る村長の手元へ添える。一瞬だけ、最後に村長の死に顔を拝んだ私は、悲しみよりも深い、暖かさを覚えた。穏やかな死に顔は最後までも笑って、私たちを見守っている。

少しばかりの安心感を胸に、安らかに眠るおじいさんへ。


『また会う日を楽しみに───』



別れを終え、私と辻、そして霧ノ助は私の家の居間に揃っていた。そこには何故かお姉さまの姿も。

辻は炬燵に下半身を詰め、頭を私の膝の上へ乗せ眠っており、そんな辻の姿を微笑ましそうに見つめるお姉さまと霧ノ助。


「そういえば、お姉さま。どうして葬儀に参列しなかったのです?」


「参列しようとしたわよ。でも、郁恵さんに貴方は来ないでって言われたのだから仕方ないわ」


「それは、郁恵さんの行動も納得がいくね」


お姉さまの残念そうな表情に霧ノ助は苦笑を浮かべている。

確かに、お姉さまが葬儀に出たら間違いなくトラブルを起こすでしょう。大切な葬儀でお姉さまの天然が人様に見られるのは妹として恥を感じるし、郁恵さんの行動は正しかっただろう。


こうして四人が顔を合わせるのは約半年振りか。昔は四人でよく遊んでいたものだ。今では会う機会も減り、昔のように遊ぶ、なんてことはなくなったが、結局皆変わらず、笑顔を浮かべて同じ空間、同じ時間を過ごせている。これも皆、あの優しい村長がいるこの村で育ったからだろうか。


「あれ、そういえば...、次のこの村の村長ってさ...、霧ノ助!?」


「あ、そういえばそうね。村長の一人息子だものね」


「あ、あはは...、僕はまだ若いし、きっと母さんがやるんじゃないかな...」


額に汗を浮かべながら、自信なさげな声を発する霧ノ助。そんな彼を呆れるかのような目で見つめる私とお姉さま。

しかし、霧ノ助の言う通りだ。いくら村長の一人息子だからとはいえ、村の長を引き継ぐにはまだ若すぎる。それに、こんな弱っちいのが村長になったら、村は破滅の一途を辿ることになるだろう。


「でも、きっと大丈夫よ。あの村長が築き上げてきた村だもの。これから先も、何も変わらない毎日が続くだけだわ」


肩から胸へ垂れ下がる茶髪を指で弄りながらお姉さま言う。私もその言葉に頷き、霧ノ助も笑顔で「そうだね」と呟いた。


そして夕が照らす頃、お姉さまと霧ノ助は用事があるらしく、私の家を後にした。

居間に残された湯呑と辻。すっかり冷めきってしまったお茶をもう一度たてようと立ち上がるが、


「...行かないで」


畳の上で眠っていた辻が私の着物を掴む。子供が怖い夢でも見た時のような泣き顔を浮かべ、声は震えている。そんな辻に私は寄り添い、手を握る。

今日一日元気がなかった辻を思い出し、私はほんの少しの罪悪を覚えた。辻も一人の女の子で人間。どれだけ気性が荒くとも、どれだけ刀の腕が優れようとも、彼女は私と同じ今を生きる少女だ。人の死を目前に恐怖や不安を覚えない方がおかしい。きっと辻は今日一日、様々な怖い想像をしてしまったのだろう。


瞳から伝う涙を指で拭い、辻の頭を撫でる。子供をあやすように、優しく包み込むように。

彼女の恋人である私にできる唯一のこと。それは、ずっと傍にいてやることだ。

今にも泣きだしてしまいそうな辻を抱きしめ、ふと窓の方へ顔を向ける。


窓から差し込む夕日に照らされた、花瓶に添える赤い花。

その花びらは一枚、音もなく散り落ちた。

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