-暗躍-

五章「寒空」


日の沈みが早くなり、吐く息靄となり、空を揺蕩う。そんな季節が夜鳴村よなきむらにも訪れた。もうすぐ雪の降る冬がやってくる。

私の家には既に炬燵が出され、ここ最近は毎日辻が炬燵を目当てに私の家へ訪れていた。

私たち万屋の仕事も寒くなるに連れ、数が激減していくため、ここ数日は何の依頼も来ないまま、炬燵に身を潜める毎日が続く。今日も、炬燵に下半身をすっぽり埋め、寝顔を浮かべる辻の姿が。


「全く。炬燵で寝ると風邪ひくわよー」


「んぅ...、んん、ぅん...」


私の言葉は果たして彼女に届いているのか。アホ面を浮かべたまま眠る辻は、数度頷きながらうめき声をあげ、再び今に訪れる静音。今日は一層冷え込み、外に出る村人もいないのか、何の音も聞こえてこない。まさに静寂。耳鳴りにも似たツーという鳴ってもいない音に頭を抱えながら、私も机に突っ伏し、微睡みを覚えていた。

最近はもののけ退治の依頼も少なく、私としては大歓迎なのだが、赤子の子守や農作業の手伝いなど、パッとしない依頼に辻は愚痴をこぼしていた。平和なのが一番だと宥めると、彼女はすぐに不機嫌になり、今のように炬燵に入り込んでふて寝をしてしまうのだ。

確かに万屋としてはもののけ退治の依頼の方がやり甲斐があるし、報酬も美味しい。けれど、そんな危険な仕事を辻にやらせたくないという気持ちも存在するため、この季節は私にとって物凄く複雑なのだ。


静寂に包まれた居間の縁側の外側、庭からある気配を感じる。庭から私の家に入り込もうとする輩はたった一人しか知らない。

私は立ち上がり、締め切った引き戸の方へ向かって歩き、その寒さを防いでいたその引き戸を引いた。

丁度、下駄を脱ごうと縁側に腰かけ足元に手を伸ばす桃染めの着物を身に着けた女性がそこにはいた。


「あら、相変わらず敏感ね。凪」


「はぁ...、いつも言ってるけど、家に来るなら玄関からにしてほしんだけど...。久しぶりね、鈴蘭お姉さま」


鈴蘭。私の姉であり、霧ノ助の幼馴染。

村を出て東にある繁華街で花魁をやっている彼女はいつも華やかで、派手だ。しかし、どこか抜けているところもあり、村では世間知らずの鬼姫と呼ばれている。大人しくしていればとても綺麗で魅力的な人なのだが、怒らすとお母様でも手が付けられないほど凶暴で、おまけに刀の腕は私や辻よりも遥かに上だ。


「それで、一体何の用?わざわざこんな寒い季節に帰省するなんて...」


「別に?気が向いたから帰ってきただけよ。上がってもいいかしら?」


「いいけど、一人こんな時間まで眠りこけてるお嬢様もいるわよ?」


「構わないわ」


姉は下駄を揃え、縁側へと立つ。来るなら連絡の一つでもしてくれればよかったのだが。仕方なしにと、渋々居間へと招き入れた。

いくら鬼姫と言えど寒さには弱いのか、居間に置かれた炬燵を見や否や瞬きも許さない速度へ体を炬燵へと滑り込ませた。一連の動作に無駄はなく、本当に一瞬の出来事に私は苦笑を漏らす。

未だ炬燵を布団代わりにすやすや寝息を立てる辻を起こさぬようお茶を入れ、姉へと差し出した。


「この子も本当に変わらないわね。私よりもいい髪質だし、寝顔だけ見てれば美人なのに、気性は激しいものね」


アンタが言うか、と突っ込みかけたがぐっと抑え、私も再び炬燵へ足を入れる。

姉との再会は約半年ぶりだ。新年のあいさつにも帰ってこなかった姉が、霧ノ助の誕生日を祝うという目的のためだけに村に帰ってきた日のことを思い出す。あの時は私もお母様も、村の人たちも呆れて物も言えなかった。勿論、姉がそういう人間だと御云うことを誰もが知っていたため、野暮な発言は伏せたが。

時々こうやって意味や理由もなくふらりと村へ帰省する彼女はやっぱり街の方でもこうなのだろうか。私としては姉が帰ってくることは嬉しいし、なんだかんだ頼りにしているため、欲を言えばもっと頻度よく、定期的に帰ってきてほしいものだが。


「それで、今日はほんとに何の理由もなく帰ってきたの?」


「そうよ。久々に貴方の顔と霧ノ助の顔が見たくなったからね」


お茶を啜りながら、炬燵の温かさにほんのりと口角を緩ませ、肩から胸へと掛かる茶髪を指で弄りまわす姉。妖艶な化粧の下の素顔は私も全く知らず、普段から何を考えているのか全く理解できないわけだが。お世辞でもこういうことを言ってくれるのだから、この人の妹でよかったと思えるのだ。


「あ、そうそう。お姉さま、あの軟弱者を早く貰ってってくれないかしら。私は今でもあれが夫とは思えないのよ」


「ふふっ、相変わらず仲が睦まじいようで何よりだわ」


「全然全く微塵も仲良くなんてないわよ。会っても弱音ばっかでつまらないし、退屈よ」


「まあ、政略結婚なんてそんなものよ。それに、なにもお母様は家柄のために貴方たちを結婚させたわけじゃないわ。それくらい貴方もわかっているのでしょう?」


「それは...、わかっているけどさ...」


私と霧ノ助は愛し合って結婚したわけではない。あれは、辻と恋仲になり間もない頃だったか。お母様はある日突然、私と辻の関係を問い詰めてきたのだ。村の掟によって禁止されている同姓との恋路。お母様は強く反対し、私と辻を引き裂こうとまでした。しかし、私も辻も一歩も譲らずお母様に抗議し、ある条件を呑むことを約束に許しを得た。その条件というのが、村長の息子である霧ノ助との結婚。私と辻の関係が村にばれないように、カモフラージュとしての結婚だったのだが、霧ノ助は一人で勝手に盛り上がり、私が本気で自分に好意を抱いていると勘違いした挙句、一緒に暮らすことを拒否した私に対して物凄くショックを抱いていた。その後、お姉さまによって事情を聞かされた霧ノ助は私たちの恋を協力的に支えることを約束した。何故彼が私たちに協力してくれるのかはわからないけど、あの臆病者に私たちの関係を口外できる勇気なんてないと知っているからこそ、お母様は霧ノ助を私の結婚相手にしたのだろう。


「でも、霧ノ助はお姉さまみたいな人との方が幸せなんじゃないかしら。私には辻だっているし、このまま彼を私たちに付き合わせるのはちょっとかわいそうな気もするわ」


私の何気ない発言にお姉さまは眉を顰める。表情は強張り、咳払いを一つ。両手で包むように持っていた湯呑を炬燵の上へ置き、真剣な表情で私を見つめた。


「霧ノ助は望んで貴方と一緒にいるのよ。お母様に言われたから、村長に言われたからではなく、彼は彼の意志で貴方と辻の関係を守ろうとしている。彼は十分幸せと感じていると思うわ」


お姉さまにしては珍しく、とても低い声色で、私を咎めるように口を尖らせた。

この人にとって霧ノ助は単なる幼馴染ではない。そのことはずっと前から知っている。まだ幼かったころの私は、お姉さまと霧ノ助が将来結婚するものだと思っていた。お姉さま自身も、霧ノ助ですらそう思っていたことだろう。しかし、私と辻の出会いがこの二人の運命を変えてしまった。私と辻は二人の関係を引き裂いたのだ。それでも、二人は私たちに昔と何一つ変わらない態度で接してくれる。優しさなのか、義理なのか、責務なのか。少なくとも私は、それが二人の優しさだと思っている。


「それに、私が霧ノ助を好いていたのは昔のことよ。貴方が気にすることでもないし、気を病むことではないわ」


「...そうね」


お姉さまの愛の籠った笑みを見たら、頷くこと以外の選択肢はなく、喉まで出かかっていた言葉を私は飲み込んだ。

会話が途切れ、再び部屋に沈黙が戻ろうとしていた時だ。私の隣でバカ面を浮かべ眠っていた辻がむくりと起き上がったのだ。変な体制で眠っていたせいか、辻の自慢の金髪は酷い寝ぐせを作っていた。

目を擦りながら私の顔を見て一言「おはよぉ...」と、姉の顔を見つめ瞬きを数回。まだ意識がはっきりとしていないのか、ボーッと姉の姿を眺めていた辻だったが、次第に状況を把握し始めたらしく、お姉さまの顔を再度見つめて驚愕の表情を浮かべ始める。


「す、すすす...鈴蘭!?ど、どうしてここに!?」


「久しぶりね。辻」


「お、おい、凪...、これはどういうことだよ...」


妖しく光る姉の笑みと言葉を無視し、辻は私を凝視する。とても慌てふためく辻の言動はとても可笑しく、私は笑いを堪えるので精一杯だ。

辻は昔からお姉さまのことが苦手で、会うたび怯えるように私の背へ隠れていた。村に通じる世間知らずの鬼姫という二つ名が脳裏をよぎる。

そもそも、この名を広めた張本人は辻であり、その時お姉さまを怒らせたのも辻だった。鬼のように怒り狂い、鋭く研がれた鉄刀を振り回していたお姉さまの姿に、当時の辻は畏怖を覚えたらしく、当時の記憶がトラウマとなって現状を作っているというわけだ。

辻はこそこそと、私の背へ体を寄せ、チラチラとお姉さまの様子をうかがっている。


「あら、まだ私のことが怖いの?大丈夫よ、何もしないからおいで。可愛がってあげるから...」


口角を上げ、薄い化粧の乗った瞼を見開き、瞳を光らせながら手招く姉は、怯える辻の反応を心底楽しんでいる様子。普段はふわふわしているが、この人は私よりサドっ気が強い。

ブルブルとお姉さまの言葉に震える辻の頭を撫でてやり、半ば呆れた表情で私は助け船を出航させた。


「お姉さま。辻が本気で怖がっているわ。余り虐めないで」


「ふふっ。ちょっとした冗談だったのに」


この人の冗談は何処までが冗談なのか全く分からない。よくよく考えれば私も昔は馬鹿みたいに振り回されていた気がする。


「さて、と。私はお母様の家に泊まるわ。暫くはこの村にいるつもりだから、また来るわね」


空になった湯呑を見つめ、多少名残惜しさを醸し出しつつも、淡々と告げ立ち上がる。攻めて玄関までは送ろうと、辻を炬燵に残して玄関へと歩く。

秋から冬へと移り変わる外からの冷気によって冷やされた廊下の床はとても冷たく、一歩踏み歩くたびに鳥肌にも似た震えが全身を駆けていく。

縁側で下駄を脱いだはずの姉は玄関で下駄をはいており、いつの間に移動したのだろうか。お姉さまの下駄は勝手に歩いてここまでたどり着いたのか?と疑問が残るも、不思議設定の彼女に常識は通じず、深く考えることを放棄した。

引き戸を開くと北風が密閉された室内へと勢いよく流れ込み、あまりの冷たさに私は両腕で自肩を抱く。

夜に溶ける星空の下、姉は寒さに震えることもせず、外へと踏み出していく。


「それじゃ、凪。また明日。愛しているわ」


「ええ、愛していますとも、お姉さま」


姉妹の挨拶のような言葉を交わし、振り返ることなく闇夜へ去っていくお姉さまの背中を寒空の下で。美しく夜と同化し消えゆくまで見送ることとなった。

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