四章「晩酌」


もののけ退治を終え、私と辻は無事に村へと帰ることができた。もののけによって感情を喰われてしまった男の子の母親に、私たちはもののけを退治したことを伝えた。

もののけに食われてしまった感情は、二度と元には戻らない。楽しいという感情。苦しいという感情。寂しいや、悲しい、今生きてる時間を幸せだと思うことも、あの子にはもうできない。それでも、その子の母親は泣いて私たちに礼を告げた。


「あの親子なら、大丈夫だよ。そんなに落ち込むなって」


「...そうだといいけど」


あの親子のように、もののけに苦しむ人たち。その人達の無念を晴らすためにお母様が始めた万屋。もう二度と奴らによって大切なものを失わないようにと、お母様はもののけを狩って狩って狩り続けた。きっと、お母様も今の私のように、悲しみに明け暮れる人たちを見て、自分の無力さを感じることもあったんだろう。それでもお母様が私の代まで続けてきた万屋は、この村になくてはいけないものなんだと私は思う。


親子に依頼完了を告げ、歩く帰り道。辻とは距離を取り、沈む夕を背に俯く私の胸中は複雑に絡まった感情の糸により、暗く染まり切っていた。

そんな私を元気づけようとしてくれたのか、辻は大量の酒を酒屋で購入し、つまみや食べ物も両腕に抱え私の前を歩いている。

会話のない帰り道はどこか落ち着かなく、雑に整備された村の道を歩く私の歩幅は定まらない。時に辻に追いつきそうになったと思えば、また離れ。気づけば私と辻の間に長い距離が生まれている。それに気づけども、辻を追いかける気力は私にはない。


「おーい。置いてくぞー!」


こちらに振り向き叫ぶ辻の声。その声に返答する元気もなく、気持ち歩く速度を速めるだけ。

精神的な不安や恐怖を感じることは多々あるが、こうして表に出して落ち込み、元気を失くすというのはきっと私にとっては初めてのこと。村の人は勿論、辻でさえこんな私の姿は初めて見るのだろう。辻もまた、戸惑いを隠せない様子で私に接していた。

今確かに感じている幸せを、身を包む淡く眩しい光を。それを失わぬよう、自分の行い全てに注意を払い、現実へ溶け込む。失ってしまえば残るのは後悔と孤独だけだ。いや、後悔も孤独も残らないのかもしれない。きっと、最後は無に帰るだけだ。

太陽の光にも似た眩しい笑顔を私に向け、先を歩きながらも時々後ろを振り返り、再び歩く彼女の後ろをとぼとぼと歩く今の私はただの臆病者だ。光を失うことを恐れ、戦うことを忘れた獅子。幸せに入り浸り、最善から目を逸らして生きる怠け者。今の私をお母様が見たら、ショックを受けることだろう。


私の歩く遅さにより、すっかり日も落ちた頃。やっと自宅へと帰ってこれた。今日は精神的な疲れと肉体的な疲れが酷い。この場に辻がいなかったら、私はきっと夜な夜な泣き出してしまっていただろう。


「ふぅ...重かったぜ」


辻は両手に抱えた荷物を台所で下ろし、額に浮かべた汗を羽織で拭う。

玄関の傘建てへ、無造作に突き刺さる辻の刀。私も同じように身に着けていた刀を傘立てへ放り込む。下駄を脱ぎ捨て、辻がいる台所を横切り、疲れによって重みを増した私の足は居間へ向かう。

敷き詰められた若草色の畳の上にどっかりと腰を下ろし、今の中央に設置された机の上に突っ伏した。

頭が朦朧とし、睡魔にも似たまどろみが私を襲う。瞼が下へ引っ張られるように重くなり、気づくと私は意識を手放していた。


夢を見ていた。

私と辻が初めて出会った日の夢。

彼岸花が咲き乱れる真っ赤な丘の上、そこに建てられた墓石。

私はお母様と共に花摘みをしていたんだ。お母様が大好きだった彼岸花で、花飾りを作ろうと。でも、私の視線は花ではなく、墓石の後ろに隠れた小さな陰へ向いていた。この村じゃ見たこともない綺麗な黄金色の長髪を、ふりふりに腰まで伸ばした少女の姿。


「...あなた、だれ?」


「ひっ...、お、おまえこそ...だれだょ...」


金髪の少女は両手で顔を覆い隠し、私に怯えるように墓石を壁にしている。強気な口調は徐々に小さな声へ。最終的に少女の声は私に届くことはなく、幼い私は少女へ歩み寄る。

春風に散らされた彼岸の花弁と共に、私の視界にはかわいらし気な少女の泣き顔が写りこんだ。


「わたしはなぎよ。あなたは?」


「...つじ、わたしは、つじ...」


「つじ?つじ...つじ、つじ...つじ!」


私は少女の名を忘れぬよう、何度も口に出し呼んで見せた。名前を呼ばれるたびに怯える少女を前にしゃがみこみ、笑顔を浮かべている私の姿。その笑顔を見て、少女も柔らかい笑みを作っている。


「これ、あなたにあげるね。わたしがつくったの」


幼い私は、お母様のために作った花飾りを差し出した。金髪の少女を差し出された花飾りに目を輝かせ、手に取って自分の髪へ付けた。

光に輝くふわふわとした金髪に、彼岸花の赤色はとてもよく似合っていて、その下の少女の嬉しそうな笑顔を見た私は、不思議な感覚を胸に感じていた。


そう、この日。

この日初めて、私は恋を知った。抱いてはいけない恋心を、少女に抱いてしまったのだ。



「おい、凪!起きろって...!」


体が揺れ、聞き覚えのある声に微睡みから回帰する。

目を開き、かすむ視界に欠伸を漏らし、心配そうに私の顔を覗き込む辻と目が合った。


「やっと起きたかよ...。ほんと、心配したんだからな!」


「ごめんなさい。ちょっと眠ってただけよ」


背を反らし、大きく伸びをして立ち上がる。不思議と体は軽く、睡魔も全く感じられない。とても懐かしい夢を見ていたような気もするけれど、どんな夢だったのか思い出せない。まあ、思い出せないならそんな大した夢でもなかったのだろう。

既に辻によって、寝室は晩酌の会場となっており、机の上に広げられた酒とつまみの臭いが寝室を占領していた。


「辻、こんなに買い込んでたの...?明日も仕事があるのに、また二日酔いとかになっても知らないわよ」


「まあまあ、嫌なことは呑んで食って忘れようぜ?今日みたいに暗い顔をずっとされても調子狂うしよっ」


「はぁ...、まあいいわ」


なんだか乗せられた気分だ。しかし、辻の言っていることも一理あり、今日のようにいろんなことを考え込んで仕事に支障が出ては元も子もない。呑んで食べて寝て、それで気分が楽になるなら。

いつの間にか、私の胸に渦巻いていた暗い気持ちも消え失せており、机の上に並べられた酒へと私の気持ちは傾いていた。


「じゃあ、もののけ退治も無事に終わったということで、乾杯!」


「はいはい、乾杯」


酒の注がれた猪口を重ね、一気に口に含む。仕事終わりの一杯はやっぱり格別だと思う。特に辻と呑む酒は私にとって特別なものだ。

「くぅ...染みるぜ!」と、おじさんみたいな口調で酒を飲み干す辻へ、私はそっと寄り添った。肌と肌が触れ合い、安心感を求めるように辻の顔を見上げる。


「凪、今日はやけに甘えてくるよなー。珍しい。なんかあったか?」


猪口に口を付けながら、目を私の顔へ落す辻の問いに答えることはせず、ただなんとなく辻に触れて居たかった私は、彼女の首へ手を回す。辻は慌てながら酒の残った猪口を机に置き、私の髪を撫でる。指が毛髪の間を掻き分け、辻の指から落ちていく。妙なくすぐったさと、照れくささを感じた私は辻の胸へ顔を埋めた。


「ちょ、わわっ、おま、凪...っ、やめろ、は、っはは、くすぐ、ったい、はははっ」


私は首に回していた手を辻の横腹へと伸ばしていた。腹をくすぐるのが目的だ。

柔らかい腹の肉を両手で揉み解し、隙あらば辻を畳の上へ押し倒す。


「はぁ、ふぅ...たくっ...、ほんと、今日はどうしたんだよ」


「べっつにー...。私だって、そんなの分からないわ」


辻に覆いかぶさる私に目線と、畳を背に寝転がる辻の目線が重なり、とくんと、私の胸が高鳴る。

できることならずっとこんな風に二人だけで過ごしていたい。誰にも邪魔されず、経った二人でいつまでも。そんな私の想いが辻へ伝わったのか、


「私はどこにもいかねーぞ。凪とずっと一緒にいる。お前と呑む酒が一番美味いしなっ」


にししっと、鼻先を赤くしながら微笑む辻に、私は一層強い安心感を覚え、目を細めて笑い返す。

誰よりも、何よりも愛し、信頼する辻が言った言葉に嘘はない。抱いた不安や恐怖が完全に消えることはないけれど、確かに心を覆う幸福感は私を裏切ることはしない。この時の私は、胸を張ってそれを誓えていたことだろう。


「そろそろどけよなー!酒呑めないじゃんか!」


「ごめんごめんって...。さ、続き続き」


辻から体を離し、晩酌の続きを。

舌に絡み付く今日の酒は、なんだか少し辛かった。


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