三章「手のぬくもり」


雲の隙間から洩れる薄灰色の光。それが照らす、草木茂る頂上へと走り抜ける。

そんな私たちを執拗に追うもののけは、薄気味悪い気配を醸し出し、狐の面の下から覗く瞳は不気味に赤く光り出す。


「これだけ広けりゃ、私たちのもんだ。凪、ついて来いよ!」


振り返る辻は余裕綽々と笑みを浮かべ、上段に構えた刀をもののけの動きに合わせて振りかざす。しかし、寸前のタイミングで体を捩じり、辻の一刀をかわし、持っていた鉄刀を私に振り下ろした。


「っ.....らぁ!」


辻は私へ向けられた刃を瞬時に見切り、自身の刀で鉄刀をはじき返し、その動きに合わせて私ももののけへ刀を振るうが、それも再び避けられてしまう。

もののけとの戦闘でこんなに長引くことはとても珍しい。

しかも、私たちは目の前のこいつに、傷一つ付けることもできていない。

体勢を立て直すために後ろに下がり、じりじりと近づく奴の動きを観察する。


「...こいつ、早すぎて私たちの攻撃が当たらないぜ......」


「落ち着いて...。動きをよく見れば当てられる。それに、私たち二人なら、大丈夫」


辻の顔を見ずとも、伝わる安心感と信頼。緊張していた体の力がフッと抜け、もう一度もののけへ睨みを利かす。数歩距離を取り、一瞬。刀を空で離す。

その隙、僅か1秒の時。もののけは私の懐へ飛び込み、右手に持った鉄刀を私の顔目がけて思い切り振り上げた。

その瞬間を逃さんと、空に放り捨てた刀を左手で掴み、顔目がけて振るわれる鉄刀を思い切り弾く。鉄と鉄がぶつかり合うような音と共に、もののけの持っていた鉄刀は地面へと突き刺さる。武器を失った奴は一瞬だけ静止し、そこを狙って辻が一太刀浴びせる。

上半身と下半身が避けるように切り裂かれ、悲鳴にも似た叫びをあげるとそいつは塵のように空へと消えていく。


「ふぅ.......、しんどかったな...」


辻は刀身を鞘へ納め、草原の絨毯へと腰を下ろした。私も辻に倣うようにしゃがみ込み、地べたに座り込む。

しかし、肝が冷える戦いだった。何より辻が先走って突っ込んでいくのだから、見ているこちらは恐怖でしかない。何とか退治することができたからよかったものの、今日の辻の行動は危なっかしい。


「あまり無理しないで...」


辻を見ることなく、私の口から零れた一言。

どうやら私の表情は相当沈んでいたらしく、辻は心配そうな顔つきで私の方へと寄り添う。


「悪かったよ...。次は気を付けるから、そんな顔すんなよ...」


無意識のうちに震えていた私の手を、辻の手が優しく包み込む。たったそれだけなのに、私は凄く安心した。

今後、今日のようなもののけが現れないとも限らない。辻に守られてばかりでは駄目だ。私がもっと強くなって、辻を守らなきゃ。

口にせずとも、私の覚悟は胸で確かなものになっていく。

重なる掌に力を籠め、辻へ肩を寄せ、そっと耳元へ囁く言葉。


「辻...、私、辻のこと大好きだよ。私が辻を守る...」


広い草原を吹き抜ける風は一瞬の沈黙を生み、次に辻が見せた表情は私の心に安らぎを与える。

目を見開き、顔を朱に染め、珍しく羞恥を露にする辻を更に追い込むように、彼女の華奢な総身を両の腕で包み込む。


「お、おま...っ!凪っ、やめ、ろ...ょ...」


わざとらしい程の動揺と、震えるかぼそい声。こんな姿は私しか知らないし、私しか見ることができない。村のみんなが知らない辻を、私だけが知っている。そう考えると、心が弾むようで。

幸福感と優越感に浸りながら、暫くの時は身を寄せ合い顔を見合わせる。

先程まで空を覆っていた分厚い雲は風に流されてしまったらしい。秋の心地よいそよ風と共に、私たちの時間を照らす眩い太陽の光は、山頂の草原を茂る生命へ恵みを与えている。


「たくっ...、こんなところでくっついて、誰かに見られても知らねーぞ...」


「ふふっ...、ここはもののけの巣窟よ?村の人は誰もこないわよ」


白昼堂々、辻に寄り添えるのがなんだか嬉しくて、ふてくされた表情を浮かべる辻の頬を指でつついた。照れ臭そうに、私を睨む辻は、お返しと言わんばかりに勢いよく抱き着いてくる。私の体で受け止めることはできず、反動と重力に従って、背は緑の絨毯へと落ちていく。

こんなじゃれ合いでも村内ですれば大騒ぎだ。村民の人たちは皆優しいし、私たちを凄く頼りにしてくれている。しかし、掟を破ったと知ればどうなることやら。せめて、二人きりの間は...神様だって許してくれるはず。

暫くの間、芝生の上で寝そべり、空を見上げながら談笑していた。人目もはばからず、幸せを噛みしめながら。

山頂へ、ある男がやってくるまでは。


「おーい!二人とも、大丈夫かい!?」


坂を駆け上がりながらこちらへ手を振る男。昨日、私が自宅から追い出した男。

ボロボロになった着物と、傷だらけの顔を見るに、彼ももののけと遭遇し、退けながらここまでやってきたのだろう。

せっかくの二人きりの時間を邪魔された私は不機嫌そうな顔を浮かべ、起き上がる。


「大丈夫って、それはこっちの台詞なんだけど?」


「霧ノ助、ボロボロじゃねーか!」


辻の愉快気な笑い声に対して、苦笑を浮かべる霧ノ助。よく見ると、肘を怪我しているらしく、血を流している。刀も持っていない様子だし、一体どうやってここまで来たのかしら。


「肘、怪我してる。手当てしてあげるから貸しなさい」


「こ、これくらいかすり傷だよ...」


全く説得力のない弱々しい強がりを無視し、霧ノ助の腕を強引に引っ張る。

羽織の裾を歯で破き、即席の包帯を作って霧ノ助の肘に巻き付ける。止血やら消毒やら、今この場じゃ何一つできないが、包帯一つでもないよりはマシか。

頬を染めながら「ありがとう」と返す霧ノ助。ぶちゃけると、ものすごく気持ちの悪い顔だ。

私は霧ノ助の存在を忘れるため、辻へと顔を向けた。


「ん...?私の顔に何かついてるか?」


「ううん。目の保養」


「ねぇ、それどういう意味!?」


たった一人温度差の全く異なった叫びを上げる男をよそに、私は辻の手を引き立ち上がる。


「こんな奴放っといて、帰りましょ?祝杯よ!祝杯!」


「結局飲むのかよっ」


ケラケラと笑いながら私へ突っ込む彼女の手のぬくもり。やっぱり、私たち二人ならきっと今後も大丈夫。何があっても二人で乗り越えて行ける。この手のぬくもりを感じていられる限りは、絶対に。


少々疲れた様子で私たちは下山し、繋ぎ合った手は山の鳥居をくぐるまで離すことはなかった。

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