二章「もののけ」


もののけとは、人の感情を喰らって生きる死人の魂だと言われている。

正に生ける屍であり、それは人の形をしながらも人を襲い、人の思想を食らいつくす化け物だ。

もののけに感情を喰われた者は廃人と化し、二度と笑うことも泣くことも怒ることもできないと言われている。

もののけの姿はほとんど人間の姿と変わらないが、皆キツネのお面を付けている。

最も、遥か昔にもののけはこの国から姿を消したとされ、今でも目撃がされるのは夜鳴村よなきむら周辺だけだった。


「しかしまあ、っんとに、最近もののけ退治ばっかだよなー」


「仕方がないでしょ。村で被害に遭ってる人もいるんだもの...」


1週間ほど前も、近所の幼い男の子がもののけに襲われた。

その子はその日以来、一切笑顔を見せなくなった。

今回の依頼はその男の子の母親から受けたものだ。

感情を喰らったもののけを退治したところで奪われた者の感情が戻るわけではない。

しかし、それで少しでも依頼人の気が晴れるのならば、私たちはもののけを狩るだけ。


「なあ、もののけに食われちまったらさ...、凪への気持ちも消えちまうのかな」


辻にしては重い表情で発される言葉。

私はどう返答したいいのかわからず...


「...大丈夫。大丈夫だよ」


そう伝えることしかできなかった。

何が大丈夫なのか、自分でもよくわからない。

それは、もののけに喰われることはないという意味なのか。それとも、たとえもののけに感情を喰われても、気持ちが消えることはないという意味なのか。

自分でも、よくわからなかった。


村を出て少し歩くと見えてくる山道。

更にその先へ進むと山への入り口である鳥居が見えてくる。

あそこから先は、最ももののけの目撃が多いとされる魔窟。

村の人間はほとんど近づくこともしない、危険な場所だ。


「いつ来ても不気味だよなー...。あのガキんちょ、よくこんなところに一人で入っていけたよな」


鳥居の前からでもわかる禍々しい雰囲気は辻の言う通り、子供一人で入っていくには畏怖を感じざる負えないだろう。


「ここからはホントに、気を付けるわよ」


「さっさと片付けて、酒杯しなきゃな!」


「...あんたはまだ飲むつもりなの?」


全く緊張を見せない辻のおかげで、私が抱いていた恐怖の念は多少薄まった。


警戒しつつ、鳥居をくぐって進む木々生い茂る山道。

背の高い樹木が無数に立ち並び、太陽の光を遮っているため、辺りはとても薄暗い。

いつどこからなにが飛び出してもおかしくない緊迫した状況の中、辻は未だその表情を見せず、私より2歩先をズカズカと歩き、進んでいく。


「辻、ちゃんと周りを警戒しときなさいよ」


「わーってるって。凪は、ほんとに心配性なんだから!」


両手を後頭部で交差し、組んで歩く辻の高笑いは山道に漂う緊張感を間違いなくぶち壊しており、その声にもののけが集まってこないか、私は物凄くひやひやしているわけだが。


そんな険しい山道をひたすら歩くこと20分。

山の中間であろうひらけたところへ出た。

神秘的な大樹に囲まれ、山の入り口で感じた忌々しさはそこにはなく、薄雲から差し込む光明は大樹の枝の隙間を通った木漏れ日と、広まった空間の中心へ集まっている。


昔から何かと曰くのある山だけど、奥の方まで進むとこんな場所があるのね。

ここがもののけの巣窟だとは思えないほど、神々しい光景。


「でも,,,、なんだかちょっと怖いな」


「そう?」


「奇麗だけどさ、ここにいると飲み込まれそうだ...」


辻は一点の視線を大樹へ向けた。


確かにうっかりどこかへ誘い込まれてしまいそうな、そんな不安を覚えなくもない。

依頼人の息子さんも、この大樹に魅せられもののけに...?


「凪、そろそろ行こうぜ?」


難しい顔を浮かべた辻は私の羽織の裾を引いていた。

ここに長居する意味もない。

ただ、辻が言ったように、私も飲み込まれそうな大樹の魅力に寸分、魅せられていたのか、辻の言葉に反応するのに暫くの間があった。


「...そうね。行きましょう」


首を横に大きく振り、辻が裾を引くままに私は歩みを再開する。

「しっかりしてくれよ」と辻が嘆きながら、ただ一言口に残る「ごめん」。


大樹を横目に、私たちは更に山の奥へと進んでいく。

特に何かを発見したわけでもないが、目に映った大樹の姿は、何処か昔を思い出させるような、そんな気持ちに。


この山に来るのは初めてではない。

私が、辻が、まだ幼い頃から剣の修行で何度も訪れているし、もののけ退治の依頼で、数週間前もこの山には来ている。

でも、山の奥に大樹があることなど知らなかったし、この目で見たのは今日が初めてのはずだ。

じゃあ、何故。何故こんなにも、懐かしい気持ちが沸いてくるのか。


山頂へ差し掛かる中、私はずっとあの大樹のことが頭から離れなかった。


きっと気のせい。

村にだって昔から祀られている神樹が二本あるし、それに似ているからこんな気持ちになっているだけだ。


未だ胸中ざわめく既視感を無理矢理結論付け、気づけば十歩近く前を歩く辻に駆け寄る。


「もう大分奥まで来たけど、もののけどころか狸一匹見かけないなー」


「そうね。でも、油断は禁物だわ。アイツらの行動パターンは私たちでも読めないんだし、山頂付近は特に気を付けなくちゃ」


細く荒れた山道は徐々に広さを増していき、そのうち二人で並んで歩くことができる道幅になっていた。

この先の坂を登り切れば、村を一望できる広い草原へ抜ける。

道中はもののけと遭遇することは一度もなかったが、山頂は果たして。


「ふぅ......、やっと細い道を抜けたなぁ。あとは坂だけだな」


薄暗かった山道の先、坂の上から洩れる光と空の色が見え、私は一度歩みを止めた。

何かが、背後から近づいている。

辻は気づいていない。


「辻。ちょっと待って」


「...?どうした?」


これから坂を登ろうと、足を踏み出していた辻は一度立ち止まり、振り返る。

そして、坂へ向けられていた歩みはこちらへと。

その瞬間をまるで狙ったかのように、薄暗い木々の間を抜けて、辻へと飛び掛かった。

一瞬の動作に私は躊躇も驚愕も見せず、腰へ添えられた刀を抜き取り、辻へ飛び掛かる何かを斬り落とす。


「っ、もののけ...!」


私の刀が捉えたそれは一瞬で私の刀を見切り、後方へとかわしてらしく、辻の後方で何事もなかったかのように直立していた。

長髪を揺らし、深紅の着物に身を包んで一本の鉄刀を中段で構えるお面の女性と思われるそれは、まさしくもののけ。


「わ、悪い」


「だから油断は禁物って言ったでしょう。怪我してない?」


「大丈夫だ。それより、このもののけ...、めちゃくちゃ速くないか?」


「.......」


辻は立ち上がり、私同様、腰に添えられた刀を抜き構える。

あそこで私が眼前のもののけを斬らなくとも、辻なら私よりも早くこいつを斬っていただろう。

それでも一応、怪我はないみたいだし、守れたならそれに越したことはない。

それにしても...


「今の動きは目で追えなかった。こんな早いもののけ見るのは初めてよ...」


「私もだ。あれじゃ、刀身を当てる前に避けられちまうぞ...」


「...とりあえず、ここじゃやりづらい。上まで突っ切るわよ」


「お、おうっ」


刀を脇に構え、私はもののけ目がけて走り出す。

それに続いて辻は上段の構えで私の背後へ付き、同じようにもののけへと走る。

ザッ...と音を立てながら突進する私たちに対し、もののけは一切動じることもせず、中段に構えていた刀を大きく振りかぶる。

寸前でかわす私の次に力強く、刀を振りかざす辻。

辻の刀はもののけが振るう刀をはじき返し、そのタイミングで今度は脇に構えていた私の刀を...


「っ...!?」


「...嘘だろ?」


私の刀が向かった先には既にもののけの姿は見当たらない。

私たちの連携も完全に見切られ、かわされてしまった。

しかし、一の目標は山頂のひらけた草原へ出ることだ。

私たちは走ることを止めず、坂を駆け上がっていく。

もののけも私たちへ続くように背後から追ってきている。


よし。

山頂まで出れば、私も辻も自由に動けるし、隠れるところは一つもない。

速さなら、私たちだって負けてはいない。


その確信を胸に、私たちは山頂へと駆け上がった。

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