-深愛-

一章「秋風」


「...辻。起きて、朝よ」


暑い季節が終わり、秋の涼風が窓から吹き付けるお昼過ぎ。

いつもなら、大遅刻だ。

昨夜は、呑みすぎた。

お陰で、頭痛と目眩が酷い。

今日が休みじゃなかったらしんどかった。


先程私が眠っていた布団は既に、金髪のアホ面寝顔に占領されていて、彼女もまた、昨日呑んだ酒が抜けきっていないのか、起きるのが辛そうに、表情を歪めている。


畳が敷き詰められた六畳間の寝室。

机の上に散乱した酒の瓶と、つまみで食していた干物。

今日は後片付けからしなきゃいけないのか。

吐き気まではしないものの、まるで鈍器で脳を殴打されるような激しい頭痛。

水を飲んで、起床直後よりはマシになったけれど、立ち上がって辻を起こす気にはなれない。


「...辻、いい加減起きてよ...」


薄い肌着に身を包む辻の身体を揺さぶり、なんとか起こそうとするが、全く起きる気配はなし。

こうなったら、暫くは放っておくしかないか。

布団の上で履かれても困るしね。


さて、今日は看板も下ろした休日。

何か特別したいことがあるわけでもないけれど、このまま家で何もせずに過ごすのは勿体ない。

正直、依頼が何もない日は、逆に何をしたらいいのかわからない。

こんな小さな村じゃ、大した娯楽もないし、かといって人で溢れ返っている都会へ足を運ぶ気にはなれない。

空気は汚いし、治安も悪く、少し道を歩けば妖しい店への客引きや勧誘。

あんな場所に一人で行くのは馬鹿のすることで、だからと言ってそんな場所に辻を連れていくのはものすごく気が引ける。


まあ、この状態なら今日も家で退屈な1日を過ごすことになるでしょう。

辻も夕方までは起きないだろうし、起きたとて、満足に動くこともできないだろうから。


「よし...。片付け、片付け」


重い腰を上げ、歪む視界の中、なんとか足を動かし机に散乱する晩酌の後を片付けてゆく。

一升瓶を3本にお猪口と、一度で抱えて台所へ持っていくのは危ないから、2度に分けて持っていく。

つまみのごみも、屑籠へ。

台所にて、布巾を手に再び寝室へと戻る。


はっきり言ってしんどい。私ももう一度仮眠を取った方がいいかもしれない。

頭痛を抑える薬等はこの家には置かれていないし、ましてやこの村に医者は居ない。

この村では、眠ることが一番の薬だと言われているけれど、やっぱり一人でも医者は居た方がいい気がする。

とにかく、早く片づけを終わらせて、もう一度眠ろう。


濡らした布巾で机を拭き、それをもう一度台所で濡らして絞る。

この行動の間だけで、数回は倒れそうになった。

これはしばらく、酒は控えといた方がいいわね。

今日が休みだから良かったものの、仕事だったら絶対と言い切れるほど、失敗していただろう。

赤子のお守りくらいなら支障はないかもしれないけれど、もののけ退治や村長の身の上話なんかだと、一日もたないかもしれない。


私たち万屋にはほぼ毎日、この村での人助けを中心とした依頼が回ってくる。

都会街からも、わざわざこの村の私たちに依頼をしてくる人もいるんだけれど、そういう時は決まってもののけ退治などの危険な仕事だ。

もちろん、お金をもらって雇ってもらっているわけだから、仕事はしっかりとこなす。

それが、お母様の代から受け継いできた万屋としての使命だと、私は思っている。

だからこそ、二日酔いに負けてる場合ではないんだけど...。


「あぁ...、もう無理......」


三度、寝室へ戻ってくれば、私の身体は重力に従って、辻の眠る布団へ倒れこむ。

幸い、彼女の眠りを妨げることなく、ちょうど辻の身体にすっぽり収まるように。

私の意識は微睡みと共に、秋風に当てられながら深く落ちていった。


*


「大丈夫かい...?凪」


窓から差し込んだ夕日と、白髪を揺らしながら私の顔を眺める男。

最悪な寝覚めだ。


「......気持ち悪い」


「え...、あっ、今水持ってくるよ」


「...違う。あんたの顔が、気持ち悪い。何気安く触ってるの?」


「えー......」


今朝の激しい頭痛は収まっている。

どうやら、夕時まで私は眠っていたらしい。

しかし、こいつに起こされるとは....


「まあまあ、日中私らの介抱してくれていたんだし、多めにみようぜ」


今朝は酷い顔で眠っていた辻も、すっかり気分が楽になった様子で、布団を畳んでいた。

どうやら、私と同様、今さっきこいつに起こされたらしく、腰まで伸びた髪は凄いことになっていた。


「たくっ、辻は上に何か羽織りなさい。こいつの前でそういう格好しないの」


「はいはーい」


「...僕の扱い、酷くないかい?」


やはり、せっかくの休日を寝るだけで潰してしまった。

調子に乗ってアホみたいに飲んだくれていた昨日の自分を殴りたい。

こんなことなら、もう1日仕事を休みにすればよかった。

辻と仕事以外で一緒に入れる時間なんてほとんどないのに...

まあ、今更後悔しても遅い。

せめて、今夜は辻と、酒は飲まずとも、夜を過ごせれば結果オーライなのだが。


「さて、私は一度家に帰るなー。もう2日も家開けちまったし、そろそろ帰らないと、なー?」


「...ええ。わかってる。霧ノ助、辻を家まで送ってあげて。解ってると思うけど、手出したら許さないからね?」


「ほんとに君は人使いが荒いんだから...。出すわけないだろう。これでも僕は君の夫なんだから」


この村じゃ、少しでも同性同士で親しくしていれば面倒事になる。

例え同じ仕事をしている者同士でも、2日以上同じ屋根の下で寝泊まりとあらば、村民は私たちを疑い、問い出すことだろう。

とても名残惜しいが、今日は玄関までの見送りだ。


霧ノ助も、一応。

私たちのことを気遣ってくれてはいるが、私はこの男が嫌いだ。


玄関で、辻と霧ノ助の背中を見送る。

夏が過ぎた日の入りは、やっぱり早い。

もう既に外は薄暗く、玄関から出ていくときに一度だけこちらを振り向いた辻の表情は、あまりよく見えなかった。


そしてしばらく、居間で茶を飲みながら、ときたま時計を確認したり、部屋に飾られた花に目をやったり、ゆっくりと時間が過ぎるのを感じ、今晩の食事のことを考える。

米はまだ残ってるけれど、おかずになるものがなにもない。

卵や野菜なども切れてしまっているし、肉なんかはもう当分食べていない。

そもそも、この村では肉なんて手に入れることはできない。

極稀に、近所のおじさんがいのししの肉をおすそ分けで持ってきてくれるけど、硬いし、生臭くて私はあまり好きじゃない。辻は「美味いな、これ!」と、好んで食べているけれど。


そうこう考えているうちに、1時間が経ち、食事の用意をする気力もない私は、畳の上で横になっていた。

ぼーっと天井を見上げ、木目に染み付いた不規則的な模様、汚れの形を意味もなく目で追いかけ、ぐるぐると何度も行き来する。

これは、目が回りそうだ。

そうして、今度は木目の中に見える細かい点のような模様の数を数え、目を凝らすために視界を狭めていって、目が攣りそうになったところで、起き上がる。

こんな風に、時間を無駄にするのは嫌いじゃない。

何も考えず、ただ自堕落に、息をするだけの時間は、割と好き。

でも、やっぱり辻がいないこの家は、私にとっては帰る場所でもなければ、心が安らぐ空間ですらない。

この村では絶対に犯してはいけない禁忌であり、それがわかっていても、私は辻と今の関係であろうとする。それを受け入れてくれる辻を、私は心から愛している。

危険な恋だとわかっているし、この村じゃ長く続く平穏な生活などない事も知っている。

それでも私は辻との生活を、この幸せに満ちた生活を、やめる気は一切ない。

今までだって誰にもバレなかったんだ。きっと、これからもこの生活は終わらない。そうならないように徹してきたんだもの。


もう何度目になるか、不安と覚悟の間を揺れる私の思考はいつも、無理矢理に、強引に、前を向かされる。

その空元気な私の感情は、私を支える唯一の武器だ。

無理にでも前を向き、心に隠した武器を振りかざす。これくらいの精神でなければ危険なもののけ退治などできやしない。


そろそろ本格的に夕食をどうするか考えないと、今日は何も食べずに眠ってしまいそうだ。

今から材料を仕入れに行くには遅いけれど。


立ち上がり、台所へ向かう最中、玄関の引き戸が開かれる音が。

鍵は閉めていない。

しかし、誰が入ってきたのかは言わなくともわかる。


「...女の子の家に不法侵入とか、あんた気は確か?」


「包丁突き付ける物騒な女の子は、この村にはいないと思うんだけど...」


何やら籠を抱えて玄関で靴を脱ごうとしている霧ノ助。

籠の中には野菜や肉などの食料が積まれ、白髪揺れるそこそこ整えられた彼の顔は引きつっていた。

なんとなく察しは付くけれど、呼び鈴もせず勝手に上がり込んできたこの男には幾つか躾をしなければならないな。


「とりあえず、部屋に入るところからやり直し。ほら、出て行った」


「ちょ、ちょっと、それ僕が持ってきた食ざ」


籠を取り上げ、包丁を振り回しながら霧ノ助を家から追い出す。

尚、靴は片方だけ脱げている。そんなこともお構いなしよ。

さて、夕食は何とかなりそうね。


「ちょっと!酷くないかい!?」


玄関の引き戸を思い切り開け叫ぶ霧ノ助。


「あれ、まだいたの。もう帰っていいわよ」


「そうじゃないでしょ!?」


玄関で騒ぐ霧ノ助は明らかに近所迷惑で、苦情が私にきても面倒なので、渋々中へ。


「で、何の用?辻はきちんと家まで送ったんでしょうね」


「もちろん、無事家まで送ったよ。それでさっきここに来た時、何も食べるものがなかったからいろいろと、持ってきたんだよ。ついでに一緒に夕飯でもどうかなって」


「そう。まあいいわ。ならさっさと食べて出て行って」


「えー......」


いかにも残念だと言わんばかりの気の抜けた顔。

一応、これでも私の旦那様だが、私はこいつのことを旦那だと思ったことは一度もない。

頼りなくて、すぐ泣くし、すぐ弱音を吐くこの男のことを、やはり私は好きになれなかった。


霧ノ助が持ってきた食材はにんじん、じゃがいも、たまねぎ、牛肉と、定番なものばかり。

しかし、牛肉なんて一体どこから仕入れてきたのだろう。この村じゃ牛肉なんて絶対手に入らない高級品なのだが。

材料的に、一番簡単なにくじゃがを作ることにした。

肉や野菜を切り、鍋へ放り込む。醤油とみりん、砂糖を加え甘辛く煮れば完成だ。

その間、霧ノ助には米を研がせ、1時間もしないうちに夕食は完成した。


「さて、じゃあいただこうか」


「...いただきます」


手を合わせ、箸を持つ。

辻との食事なら会話に花咲き、とても楽しい晩餐なのだが、霧ノ助が相手だと全く喋る内容が思いつかない。

そもそもこの男と結婚して、まともな会話など1度もしたことがないかもしれない。

親同士が勝手に決めた結婚相手で、理由が理由のため仕方なく夫婦になったけれど、私は未だに納得なんてしていなかった。この村に産まれなければ、私は迷わず辻と婚儀を結んでいただろうし、こんなひょろひょろの男なんかと会話を交えることすらしなかっただろう。


「...あのさ、凪」


暫くの間、沈黙に徹していた私たちだったが、我慢が切れたのか、茶碗と箸を置き、霧ノ助が口を開く。

その表情は何処か真剣で、私も箸を止めた。


「君と辻のこと、村の人たちがいろんな噂をしている。その...、村の掟を破っているんじゃないかって」


「..........」


「僕は、君たちのことを口にする気はない。それを約束に結婚したんだからね。でも、このままだと...」


「やめて。私は、辻と離れるくらいなら死ぬ覚悟だってできてる。たとえ村の人たちが私と辻のことを知ったとして、その罰を私たちが受けるとしても。あの子と一緒なら私は死んだって構わない。それはもう、ずっと前から決めてることなの」


私の声のトーンは、何時にも増して低かったのだろう。

霧ノ助は私の口から発せられる言葉におどおどとし、掻き消えそうな小さな声で「でも...」と口籠る。

その態度に私は、酷く苛立った。

私が大嫌いなこいつの弱々しい態度。

本気で人を好きになったこともないくせに、いっちょ前に私の心配をするこの男に、私は辛辣な言葉の羅列を放っていた。


「.......ごめん。今日は帰るよ」


言ってしまってから気づいた。

いくらなんでも言い過ぎたと。

それでも、居間から立ち去る霧ノ助を止めることも、追うことも、私はしなかった。出来なかった。


そのあとはあまり覚えていないけれど、食器を台所へ下げ、寝間着へ着替えることもせずに、私は布団にくるまって眠っていた。


*


朝。

肌寒さを感じて私は目覚めた。

太陽は出ておらず、窓から差し込むのは分厚い雲によって遮られた薄暗い太陽の光。

もう残暑など全く感じない秋の気候には正直滅入る。

季節が変われば温度や湿度も変わる。季節の、環境の変化に私の体は付いていかないのだ。

その点、私とは真逆の辻が羨ましい。彼女のように私にも、少し環境適応能力が必要なのではないだろうか。

特に、夏から秋に移り変わる気温の変化は私の体に多大なる損失を、損害を与えている。去年は確か、高熱を出して1週間辻が付きっきりで看病をしてくれて、2週間も仕事を休んでしまっていたのだ。更にその翌週、辻は私の風邪が移り、今度は私が看病する羽目に。

長い時間一緒に居れたのは嬉しかったが、酒も飲めなければ喋ることもままならないあの状況はしんどかった。

どうせ一緒にいるならやっぱり、体調がすぐれている時がいいに決まっている。


しばらく、布団の上でボーっとしながら寝起きの余韻に浸っていたが、玄関から聞こえる辻の声により、私の意識は覚醒した。


「よーっ。凪、おはよっ!」


「辻、おはよう。入りな」


相変わらず元気いっぱいな辻の姿を見てようやく1日が始まる。

仕事も恋も、辻がいなければ始まらない。


「あれー?霧ノ助はどうしたんだ?昨日私を送ってくれた後、凪ん家行くって言ってたぞー?」


「...あぁ。来たわよ。でも喧嘩して、出て行ったわ」


「喧嘩、ねぇ...。また凪が一方的に追い出したんだろー?」


流石、鋭い。

追い出したと言えばいささか語弊があるけれども、確かに昨日は言い過ぎたかもしれない。

彼にだって、一応考えがあっての発言だったというのもわかっている。

それでも、現実を前にされれば感情的にもなってしまう。私の悪い癖だとはわかっている。

まあ、アイツのことだから、数日もすればひょっこり顔を出すだろう。


「アイツのことはいいわ。それより、今日はもののけ退治の仕事よ。気を緩めて、油断しないようにね?」


「わかってるって。凪は心配性なんだからなー」


ケラケラ余裕そうな笑みを浮かべ、羽織を着る辻。

彼女はこう見えて私より刀の扱いは上手だ。

何より、気が抜けているのは私の方だ。昨日のこともあって、動揺しているのが自分でもわかる。

辻を守らなきゃいけない私がこんなんじゃダメだ。

もっと、しっかりしなくちゃ。


「それじゃ、行こうぜ!」


「ええ」


辻とお揃いの、赤色の羽織を身に、傘立てに無造作に突き刺さっている刀を持ち、私と辻は家を出る。


村に吹く、やけに肌寒さを感じる秋風は私たち二人の間を通り、これから私たちが向かう場所へ導くように、山の方へと流れて行った。

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